第21話 計画と再起動

 俺が疑問符と共に振り向いた先には、アテナが防護した信者ファンたちがいた。彼らはバックヤードに身体を隠しながら、恐る恐るこちらの様子を伺っている。

 暴力を不可思議で煮詰めた惨劇を受けて、それでもなお彼らはここにいた。


 常識の外の、そのまた外にある異常を見せられても、精神を乱すことなくアテナの指示に従い、その身を正しく守り切った人間たちだ。

 恐慌と混乱とで正常な心身を一時喪失していても不思議ではないのに、彼らは瞳に意志の火を灯し続けている。その暖かな焔を保つ燃料は、希望と期待だ。

 俺が投げたクエスチョンマークに、間を置いて信者ファンの一人が答える。


「……はい!」


 歯切れ良いたった二文字は、堰を切るのと同義だった。振動が伝播するとすぐ、集団の中から次々に言葉が飛び出してくる。


「あの、ライブ、明日もやるんですか⁉」

「チケット代は⁉」

「定員って――」

「さっきのは演出なんですか⁉ それとも――」

「カエ様も明日来られたりとか――」


 わっと殺到する音の奔流を前に、アテナがどうどうと手を伸ばして落ち着かせるような動作をした。


「ちょっとひとり、私ではなくゲストに期待している人いませんか⁉ もう、そこでふざける必要ないんですよ!」


 文句を言うところは中々に可愛らしいが、不思議と年長者の威厳もある。


「私たちが計画しているのは今日行ったようなストリートゲリラライブですから、お代は要りません。明日午後七時三〇分に、駅前に来ていただければそれで。ええと、隠野還乃が来るかどうかについてですが、あわよくば出演してくれれば――」

「それはダメだ、あちらにも事務所の都合と体面ってものがある。地下界隈でもコラボは慎重にやらなきゃ揉めるから、注意しなくちゃいけない。大体だな、来てくれるかも――」

「行くことは必然なのですよ、わたしにとって。なにせ、その行動は自身の安全確保にもなるのですから」


 職業病の発作で口を挟んでしまった俺に対し、偶像アイドルの黒目が視線を用いて串刺し刑を図っていた。圧政と横暴司法が得意な偶像アイドル兼暴君の前では、臣下はぴたりと黙らざるを得ない。

 冷ややかな女王はまだ満足しないのか、瞳でこちらに重圧を与えたままだ。プレッシャーを維持して、細く白い喉を震わせる。


 還乃は日ごろから、言葉を届ける先と意識を向ける先が一致していないのではと、俺はつくづく思う。

 昔から、そう考えている。思うだけで、考えるにとどまって、その言葉を聞こえる形にはしていないのだ、ずっと。


「当然のことなのですが、ゲスト出演は不可能なのです。それが守るべき規則なので。ただ、わたしは明日そこにいるのです。歌いも踊りもしませんが、確かにそこに存在するのです。偶像アイドルは在るだけで――」

「意味があります、ですよね? 見られるだけで、いいんです。」


 アテナが言葉を継ぐと、還乃は震え程度に頷いた。そっけない、だけども繋がりを感じさせるやり取りに熱を上げるのはオタクたちだ。


「いや、偶像アイドル同士のこういったやり取りにはクるものがありますね! ボクは大好きで大好きで……SNSなどで散見される仲良しアピールも大変好物ではありますが、現実でこのような掛け合いを見るともう、もう……」

「わかります! 僕も今のは刺さりました!」

「おお、信者ファンの中に同志が! 先ほどのやり取りにおけるアテナ様の表情筋――喉の動きが――」

「――ふむ、ふむふむ、おおっ、そういったところまで! すごいですね! とんでもない観察眼です! 師匠とお呼びしても良いですか⁉」

「いえ、ボクはアテナ様より信者ファン筆頭リーダーを拝命しているので、そう呼んでいただければと」

「分かりました、信者ファン筆頭リーダー!」


 中でもペルセウスの琴線に触れたらしく、コスプレイヤーは存在感のある体格をぐっと前に出して語り始めていた。そこに呼応した若めの――十代前半と思しき信者ファンと一瞬で意気投合してガシッと握手まで交わしている。 

 それが英雄のやることか……信者ファン代表としてはこの上なく理想的ではあるが。


 熱量のある教団ファンクラブの形成は、神官マネージャーとしても望むところではある。だが身内ノリが過度に強調され、排他的になってしまえばおしまいだ。薬も毒へと転じてしまう。そのあたりが上手くいくかは、完全にペルセウスの双肩にかかっていた。

 関係の構築は慎重に進めて欲しいが、彼はもう集団に紛れてトークを開始している。


「アテナ様の推しポイントは他にもあってですね――」「ふむ、ふむ……信者ファン筆頭リーダーは目の付け所が少々ヘンタ……微細なんですね……僕はまだ浅いのかも……」「おれはそんなところも見てみたいなぁ! ぺるさんはいつから追っかけを?」「いつから、ですか。あれは遥か彼方に時を遡った頃のこと、ボクが有名になる前のことで――」「なんだそりゃ、昔話みたいだな!」


 いつのまにやら我らが美男子はあちら側へ全身を浸し、話を盛り上げていた。まるで元々そこが居場所であったかのように、オタク特有な熱の華を咲かせている。


信者オタクの皆さんは、ペルセウスに任せても良さそうですね」


 俺のすぐそばまで無音で近づき、耳元で囁くはアテナだ。注がれる視線の圧が急激に高まるが、神官マネージャーなのでどうか許してほしい。

 許しを請うべき先は当の神でないというのが、厄介なところである。甘すぎるウィスパーボイスはこちらの心配など優にすり抜けてくるのも、頭痛の種。


「念のため、昨日仕込んでおいたアレの出番です。出しちゃいましょう」

「さもいかがわしいもののように言うな。余り物の事務所ロゴ入り缶バッジとサイリウムにサイン入れたってだけだろ。はぁ、余ったらどうするんだか……」

「まるで手抜きのように言わないでください、不敬ですよ! 神印サインだけでなく、ちょっとだけ『斂想』も込めたやつですよ! いわば実質護符! 大変にありがたい代物なので余りは出ません! 万が一億が一余剰分が発生したとしても、神官マネージャーさんがスーツに付けたり両の手に四本ずつ持って応援すれば良いだけです!」

「そんなやばいオタクみたいにはなりたくねぇよ……てか、あのイケメンレイヤーが信仰を注いだせいかは分からんが、お前にまでオタク口調移ってるぞ」

「は? そんなわけありませんが⁉ 私は隠野還乃の純粋なファンであってオタクでは断じてないんですが⁉」

「もうその否定の仕方がオタクっぽいんだが……」


 ぼやきながら鞄を漁り、袋入りの缶バッジと束になったサイリウムを取り出して彼女に手渡す。受け取ると偶像アイドルは跳ねて飛び出し、英雄を含む信者ファンたちの前へと躍り出た。

 俺もなるべく靴音を抑えて後に続く。こういったサービスを安全に取り仕切るのも神官マネージャーのおしごとだ。


「皆さん、今日は私のライブに来ていただきありがとうございました! ご来場の記念として、一つ証をお配りしてもよいですか?」


 随分と大層な言い方だ。全員がそれを受け取ってくれたとしても、確実に在庫残るんだぞそれ……。

 そんな事情など信者ファンからすれば些事の中の些事で、偶像アイドルからのサプライズプレゼントと提案に眼を輝かせていた。歓喜の感情で目が潤んでいる人までいる。


 まともな言語になっていない唸りが複数あってから、若干温まっていく閉所空間の温度を肌で感じ取れた。

 生温さと熱狂の中間たるこの場を、真っ先に身体を前へ運ぶのはペルセウス。落ち着いた振る舞い――お手本と呼ぶにふさわしい、偶像アイドルとの適切な距離感を保った所作――もあり、俺も誘導の導入がやりやすい。

 美丈夫は流麗さすら纏う交流を終えると、その後ろに他の人間たちが連なる。


「今日は来ていただき、ありがとうございます! よければ明日も来てくださいね!」

「は、はいっ! 僕、今日の、すごくて……明日も必ず行きます!」

「楽しみにして待ってます!」


 言葉と一緒に神具(仕込みの最中に童女はそう言い張っていた)を手渡しすると、遅れて感情が光として零れていく。互いに思いを渡し合っているはずが、増幅されて膨らんでいる。


「ふぅ……では最後にもう一度、いきますね! 今日はありがとうございましたー! 私もとっても楽しかったです!」


 全員に対応してステージ裏へと引っ込んだ頃には、アテナが纏う信仰はまさしく星明かりのようだった。付いてきた還乃もアテナの様子をちらちらと見ており、無視はできないと見える。

 ペルセウスの先導で観客の退出が終わる。多人数からの視線が完全に切れるとすぐに、童女は長く深く息を吐きだした。


「あの様子だと、信者オタクたちの道中の安全はペルセウスが確保してくれそうですね。ここから駅までの道が一番危ないですから、そこまでは付いていってくれるでしょう」

「最寄りまで辿り着ければひとまず安心か。まああいつらだってさすがに、ドデカい公共機関の中で喧嘩は売れないだろうしな」

「そういうことです。ただ、関係者の中でも例外はありますが――」

「それはわたしのこと、なのでしょうか」

「ええ」


 淡々と受け答えする少女の様子は、落ち着いているというよりも無だ。アテナの工程にも眉一つ動かさず、纏う光には揺らぎもなにもない。


「急で申し訳ありませんが、安全の確保のために今夜はセキュリティの厳しい場所に宿泊した方が――」

「なら、事務所に泊まることにするのです」

「それは良い選択です。あなたが所属するような大規模事務所が入るビルディングであれば――」

「いえ、そうではありません」

「「え」」

「隠野還乃、あなたはもしかして――」 


 俺の声と童女の声が重なる。自分の声ですら、他者が発した音のように聞こえてしまった。平たく言えば現実逃避である。


「そちらの事務所に、泊まるのです。宿泊用具がニセットあること、わたしは知っているのですよ。なにせ、泊まりは何度も経験しているので」

「俺の分、カウントしてないな……」

「それがなにか問題なのですか?」

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