第20話 信者が望むことを

「わたしには、説明を求める権利があると思うのです」

「おや、口調を直しましたか。一旦仮面が外れたならばもう諦めてよいのでは?」

「黙るのです、新人。それとも、黙らせて差し上げるのです?」


 大仰にして一見神聖ながら、実は俗も俗である叙任式が為されたところで、もう一人の偶像アイドル が場に問うた。その後アテナが茶々を入れて、すぐにトップ偶像アイドルから睨まれた。

 もっともだ。隠野還乃は何の罪もなく、単に巻き込まれた存在であるのだから。いや、無理にライブハウスへ侵入してきたことは罪科だが……。還乃のすることだからと、結局は許してしまいたくなる俺も俺だが……。

 その罪はとっくに忘れたのか、少女は眉をひそめた。


「あなたがたがそもそも何者であるかも気になりますが、まずは襲ってきた相手のことを知りたいのです。厄介で過激な女性ファン、なんて平凡なオチではないのですよね?」


 うねった言葉がアテナに届くと、童女は一歩前に進み出て毅然とした表情で答えた。


「彼女らは十字の民、この現代世界における最大規模の宗教を信仰する者たちです。その中でもあの修道女らは特別な存在でしょう。信徒の中でも一際熱心に身を神に捧げ、信仰の力を手にした人の子かと」


 闘争により破損したのか、フロアに落ちているロザリオへ視線を注ぎつつアテナは続ける。


「彼の民は彼らが奉じる神以外の存在を許さず、また現状の権益と秩序を堅守しようとします。そういう人間です。隠野還乃、彼らからすればあなたも否定されるべき一人となります。よりにもよって彼らの前で、信仰の力を振るいましたからね」

「わたしは奇怪なあなたたちとは違って、神や宗教とは全く関係ないのですし、それらを論じるつもりもまるでないのですが」

「一度拳を交えてしまった以上、敵対認定の解除は難しいでしょう……ライブに来てくれた方を巻き込んでしまったことは、大変心苦しく思って――」

「シスターたちと戦ったのはわたしの選択なのですから、あなたが気に病むことはないのです。わたしの身なんて、構わないのですし」

「そんなことは――」

「還乃」


 しまった。俺はまたしても彼女の名を呼んでいた。昔みたいに下の名前で呼ばないよう、注意していたのに。

 きゅっ、と擦過音が鳴る。小さな靴がフロアと擦れた結果だ。彼女は顔どころか足先までも綺麗に揃えてこちらに向き直り、俺をじっと見ていた。


 何を言うか、見定めようとしているのだろうか。

 彼女が考えていることは、分かっているつもりでいつも分からない。ずっと前もそうだった。しかし、マネージャーであったのならば伝えなくては。以前は言葉をあまり交わさずに別れた。

 今言わなくては、愚行を繰り返していたころと同じだ。


「お前に少しでも頼ってしまった以上、巻き込んでしまった以上、俺に意見する権利がないのは承知だが、一つ言わせてくれ。自分の身がどうなってもいいなんて、言うな――言わないでくれ」

「神殿さん、あなたとわたしはもう関係ない……のではないのですか? わたしの担当を降りたのですから」

「ああ、降りた。自責で手を引いた。可能性を潰した罪悪感で、逃げた。でも一人の信者ファンとしてなら、関わりあるはずだ」


 こちらから見ているだけの一方的な関係だけどな、と付け足した。言葉を受け取った彼女はほんのわずか肩を震わせているように見えたが、瞬き一つすれば、いつもの隠野還乃がそこにいた。


「ほんとに、ほんとうにあなたは……ひどい人なのですね」


 冷たく棘のある少女の感情がのたうつ。積み上げた努力と高い才を示す、託された信仰が十数秒間渦巻き荒れ狂っていた。


「還乃、お前は――」

「ですが、それに免じるのです。次にまた、ただのお客さんのように扱い、接しだら――今度こそ本気で怒るのですよ。なにをしでかすか、どんな無謀をするか、分からないくらいに、なのです」


 荒ぶる感情の嵐が収まって、静けさと凪がやってきた。今の還乃を脅威と見做していたのか、女神の側でしっかりと臨戦体勢を維持していた英雄から強張りが薄らいでいく。


「肝に銘じておくよ。お前のマネージャーとファンと、お前のために」

「そうしておくのです」

「私もあなたには無事でいて欲しいと思います! 推しですので! 何かあったら泣きますので! まあ私の推しですから、ちょっとやそっとじゃ傷つかないと思いますが! まず、さしあたっての対策ですが――」

「まあ、潜伏でしょうね。ボクにはそれしか考えられません。時にはじっと耐え忍ぶことも肝要かと」


 恭しく跪いている英雄の言葉に、主たる童女は否を突きつける。


「――潜伏はなしです」

「え、アテナ様⁉」

「大体、神が隠れるなんておかしいのですよ。私たちは人の子から忘れ去られず、認識と存在を奪われないためにこの世界へと降りてきたのですから。しかも、私たちには他の偶像アイドルを巻き込んでしまった責もあります。神とその演者のみであれば引きこもるのも良いかもしれませんが――」


 幼い女神はあくまで高慢に同業者を指さして、まっすぐ相手を見つめ宣言した。


「私は隠野還乃という偶像アイドルを支持しているので、彼女が表に出られなくなるような方策は望みません。偶像アイドルである私が、他の偶像アイドルを封じるなんてもってのほかです。私の推しが私のせいで輝けないなんて、許しません!」


 一方指を突き付けられた本人は、冷めた目のままだった。

 推しが大した反応を見せないことにもめげず、アテナは吼える。


「それに、私はまだきちんとライブをやれていません! 推しから言われ、神官マネージャーさんが頑張ってセットし、私自身がやり遂げようと決めたことを、成し遂げられていません!」

「よい、意気込みなのです」


 還乃は一言に、わざとらしく瞬きを添えた。

 アテナを一瞥した後に、こちらも同様に観察している。神の側で控えたままのペルセウスには、わずかたりとも眼球を動かそうとしない。

 視線同士のぶつけ合い、交わし合い、言葉を用いない停滞がしばし続く。澱んだ硬直を打ち破るのは、英雄だった。


「となれば、アテナ様はどのような方策をお考えなのでしょうか?」

「無論、ライブです‼」


 面を上げずに発せられた問いが内壁に当たって跳ね返り、英雄の後見人は即答した。


「謹んで申し上げますが、ライブをするだけで解決するとは――」 

「ライブはライブでも、ゲリラストリートライブです! あちらが排除できないほどに知名度を上げ、信仰を得、力を増してしまえばすべて解決です!」

「アテナ、ライブそのものを止められたらどうする? 相手は大きな宗教団体なんだろ? 会場を潰される可能性だって十分にあるはずだ」


 口を挟んだ俺に対し、女神は慎ましやかな胸を張って鼻を鳴らした。


「妨害可能なのであれば、今日の昼の時点でそうしているはずです。実際昨日は私が顔を出して街をぶらついただけで、彼らは襲い掛かってきましたからね。常に実力行使してこないということは――」

「この国では、かの宗教もそれほど影響力を行使できないということですね。信仰が漠然とした国家であるからこそ、我らにも好機があると。不肖、このペルセウスめには一度で理解できませんでした。さすがは知恵の女神、アテナ様」


 やめろ、調子づかせることを言うな英雄。浮かんだ懸念はあっという間に現実となって、向かいでは鼻を高くするちびっこが完成している。


「ふふん。まあ、あなたが新たに『斂想』を集めて力を得たことから、この地域の宗教的な密度は薄いと見破れます。我らが故郷とは異なるんです、本当に……」


 地下でありながら遥か遠方を眇める瞳に対して、ペルセウスはゆっくりと頷いた。


「郷里が不寛容な土地となっていること、ボクも大変心苦しく思っております。アテナ様には是非ともお力を取り戻していただき、いずれは復権を」

「もちろんそのつもりです。大いなる目的のための、手段ライブです。ええ、そうです!」


信者ファン筆頭リーダーとしてはその方術、大変喜ばしく思います。あの路上ライブで耳にした凛とした歌声と研ぎ澄まされた舞踊と輝ける容貌――一層煌めく御身の姿にボクは改めて心奪われましたのでやはりさ――」

 これは本物マジオタクの口調と目だ。


 英雄、もといオタクイケメンコスプレイヤーがその眼を期待で満たし溢れさせ、そのとめどない零れを早口で発散させる様は、まさしくドルオタだった。本来であれば美男子だから許されるはずが、にじみ出る諸々によって見事に相殺されていた。

 若干の気持ち悪さを容易に塗りつぶす熱意と好意は慣れ親しんだ感情であり、俺の心は否が応でも共鳴させられる。

 無意識に俺の表情が緩んだからだろうか、ここで畳み掛けてくるのは担当だ。


「こんなにも熱心な信者オタクが、熱烈に追加公演を望んでいるんですよ――偶像アイドルとしてやるべきことは一つですよね、私の神官マネージャーさん?」


「ったく、ここで断れる芸能関係者がどこにいるんだか……。担当に初回ライブから固定信者ファンが付くチャンスを、見過ごせる奴は神官マネージャーと名乗れねぇよ。永遠にな。またミスって、更に資格を失うなんてごめんだ」


 抗いがたい口惜しさと信じがたい歓喜が、俺を動かす。呼びかけるための口に連動するのは、同士の方へと向くために回る首と、彼らを見る両の目だ。


「それにな、俺だって心底見たいんだよ、お前のライブを最後までな。今回のセットリストを見届けたい。いくら邪魔されようと、危ない奴が来ようと関係ない。練習じゃない本番を、通行客でなく観客を交えた本物を、見たいんだ」


 俺は少し間を開けて、他の三人以外に尋ねる。


「――『お客様方』も、そうお思いですよね?」

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