第19話 コスプレイヤーにして英雄

「英雄、ペルセウス……? あるはずのない妄想を語る、不届き者が……‼」

「シルフィっ、そいつは違うっ! 名乗りの虚実はともかく、力だけは本物っ‼」


 俺が相手をしている、シルフィの真ん丸とした瞳が爛々と燃える。槍と俺の拳とで行われていた力のやり取りは、途端にぴたりとなくなった。

 相対していたはずの人影はぱっと去って、闖入者の懐へと飛び込んでいた。空気を裂いて風音を立てる槍先が、弧を描きながら白い首元へと伸びる。


「中々に、物騒なことで」


 ペルセウスと名乗った青年レイヤーは、自然な動きで切っ先に柄を合わせた。キィンと甲高く鳴る響きは、軽妙さと清涼感すら含んでいる。

 芸術的な所作。

 真に美しいモノの前では、感嘆や嘆息など間に合わない。


「このように可憐な少女たち相手で、英雄の力を示せるかは若干不安ですが」


 突き、払い、蹴り、一度武具の構造を光に解いてから再形成して石突で不意打ち――繰り出された全ての武技をペルセウスは悠々と受け、なおも微笑している。援護が無粋な邪魔となってしまいかねない、完成された演舞だ。

 芸術の材料とされた金髪碧眼の少女は、混乱に包まれながらも言葉と力を乱暴に叩きつけているというのに――受け手の技量でその荒々しさが美しさに転じていく。


「このっ、このっ⁉ うそ、どうして――」

「シルフィ! 下がれ!」


 名を呼ぶ声があってから、還乃と組み合っていたフィルアが、交戦相手を無理に振り切って味方の援護に向かう。


「わたしも、舐められたものです――ねっ!」


 無防備に空いた背に対し、人気偶像アイドルの前蹴りがクリーンヒット。後方からの衝撃を受けてもフィルアは体勢を完全には崩さず、つんのめりかけた姿勢から前転で勢いをコントロールし――低い姿勢からアッパーを繰り出す。


「非常に器用ですが、まだ神の小間使いといったところですか」


 青年は小さく零しながら踊る刃を完璧に防ぎつつ、下方から突き上がる拳に対して臆さない。傍から見れば、反応が間に合っていないかのようだ。前髪の毛先を固い握拳が掠めても、切れ長の瞳は揺れ動かずに敵を射貫く。


「ふむ、ふむ……それにしても、多大な信仰というのはこうも厄介ですか。未熟な少女たちをも、戦士の舞台に上げるとは……」


 上から下から左右から――常に二方向からの攻めを捌いているというのに、彼は分析の瞳を閉じない。必要最小限の鎌捌きと身のこなしで対処し、更に情報を収集する余裕までも備えていた。

 観察のために、ライブハウス内を駆け巡る視線がたった一つ。それだけで、いつ戦いに乱入するか迷っていたシスター群が畏怖に震える。

 圧倒的な力量差は純粋な事実で身も心も狂わせ、正常な判断を奪うのだろう。対バン形式のライブで、何度か見覚えがある。


 早く手を打たねば手遅れになるという恐怖に押し負けたか、すぐに仲間を助けなければという焦燥に駆られてか――青年に殺到する少女たちの姿は、とても他人とは思えない。

 二人のシスターを助けようと、他の仲間は残らず英雄に対して突撃。その後、誰一人例外なく吹き飛んだ。


「よっ、と……ボクが見せられるのはこんなところ、ですかね」


 肉が無機物に叩きつけられる鈍い反響がいくつもあってから、青年の呟きが後に添えられる。刃物を用いて軍勢を退けたというのに、鮮血は一滴もなし。

 血痕の見当たらない辺りを見渡すと、満足そうにペルセウスは頷いた。


「っ、こんな……無様なままで、終われませんわ……せめて……」

「オレは、まだやれるぞ……足止めぐらいなら、いける」


 苦痛に顔を歪めながらも、すぐに身を起こして臨戦態勢を整えるのは二人の修道女。

 だが彼女らを脅威とは見做せないのか、コスプレイヤーは別の方向に真剣な眼差しを送っていた。

 彼の視線と意識は、アテナが走っていった先へ伸びている。それ以外は、些末事としてすら認識されていない。

 一瞬弛緩した戦いの場で、傷ついた少女が声を張り上げる。


「――っ、みなさん撤退なさい! よりよい勝ちを未来で得るため、ここは大人しく退却を選ぶのですわ! 方策ならあります! ですから、どうか‼」 

「でも、撤退なんてこと、オレたちの信仰が疑われる行為で――」

「そんなことはありませんわ! どこぞの不届き者が疑ったとしても、神を信じる貴女をワタクシは信じていますっ‼」


 切迫した命令に、足音は集団で遠くなっていく。


「さあ、ワタクシが引き付ける間に、お逃げなさい!」 

「オレもやるよ、殿! 一秒でも、多く――」


 荒い声に乗せて飛ぶ指示と意思に、重なる足音。舞台上の役者たちが一斉に行動を起こす中、主役が駆け足で中央に出現する。


「あちらの敵は追い払いましたっ! というか、いきなり莫大な信仰が私に捧げられたのですが、一体何が――」

「お久しぶりですっ‼ 我らが光輝なる神アテナ様! あなた様の忠実なるしもべにして無敵の英雄にして筆頭リーダー信者ファンであるペルセウス、ここに推参いたしました‼」

 

 滑り込みながら膝をつき美童女に頭を垂れる、という変態的な動作すら――彼にかかれば非常に流麗、そして美麗であった。 


「ぺ――ペルセウス⁉ 道理で信仰が……。あなたも、こちらの世界に身を置いていたのですね。やはり力の衰えを感じて、解決に身を乗り出しましたか」

「ええ。存在と信仰が何者かに奪われつつあったので――いざ取り戻そうと人間界を訪れ――この様です」

「その力を見るに……試みは見事成功したようですね」

「ごく一部では、ありますが」


 偶像アイドルに対してイケメンレイヤーが跪くという奇怪な光景のくせに、醸し出される雰囲気はどこまでも神聖だ。

 この様子を元に荘厳な絵画が描かれると言われても、信じてしまいそうなほどに。 

 神と英雄の会話は、周囲を置き去りにして続く。遠方へと慌ただしく去っていく複数の足音も、今や些事だ。目撃すべき神話のワンシーンは、すぐそこにあるのだから。


「一体どのようにして、あなたは信仰を取り戻したのです? その奇怪な恰好――それも一つの偶像アイドル……なのですか?」

「否――と答えるにも微妙なところです。コスプレというこの手段は、取り戻したというよりも妥協と同化と呼ぶべきでしょう」

「妥協と、同化?」

「アテナ様が勇ましくも偶像アイドルとして大成し、名を上げ、認知と信仰を奪う存在に対抗しようとしたのとは違い――ボクのやり方は相手方に合わせる手法となります」


 黄金の鎧と純白のボディースーツ――常人が着れば痛々しさで死んでしまいかねないコスチュームを指しながら、ペルセウスは笑った。


「人気スマートフォンアプリゲームに登場する、ボクを元ネタにしたペルセウス――その仮装をし、自撮り画像をSNSにアップしてフォロワーを増やし、同一視されて『斂想』を稼ぐ――など、英雄には全然相応しくないやり方です」


 自嘲を挟むも、またすぐに均一な笑顔が戻ってきた。


「なれどボクは、英雄でなければ始まらない。英雄でないボクになんて意味も価値もまるでなく、故に成り方など選り好み可能な状況になかったのです。あなた様より賜った栄光を穢したこと、誠に申し訳なく――」

「そのようなこと、良いのです。どんな形であれ、あなたが力を取り戻しつつあることは純粋に喜ぶべき事実でしょう。少々形状や装飾は違えど、ハルペーの大鎌も使えるようですし」

「鎌だけでなく、ハデスの兜もこのように」


 ペルセウスが虚空から取り出すは、テラテラと光る少しチープな質感のヘルメット。しかしどこか心をくすぐられる防具だ。戦隊ものっぽいそれを被るとすぐに、大柄の身体が不可視になる。

 ギリシャ神話に登場する冥府の神、ハデスが有する隠れ兜。着用者の姿と気配を完全に消し去る代物が、現代エンタメの形を受けて変質したのだろうか。伝説の中でのみ輝ける存在が今では、俺の視界内にある。 


 年甲斐もない高揚に襲われているのはどうやら俺だけのようで、他の人間――というか還乃しか人間がいない――は冷めた目で神と英雄のやり取りを見ていた。むしろ、アテナ越しに俺へと視線を向けていた。

 神話の住人であるアテナはもちろん、まったく動じずに一見何もない場所へと視線を運んでいる。


「それで、身を隠していたのですか」

「周囲を驚かせまいと潜みながら、第一の信者ファンとしてライブも鑑賞させていただきました。無論、チケット代はそこの神官マネージャーに払っていますよ!」

「そう、だったのですか。私としては、もう少し早く姿を表してくれても良かったとは思いますが……」


 恨めしそうに睨む女神の瞳は、さすがの英雄であっても受け切れなかったらしい。童女の拗ねた口調を受けて、慌ててコスプレイヤーは口を開く。


「あれは敵が攻勢に出る瞬間―-最も隙を晒した間隙を狙う戦法です。ペルセウスが一番得意する戦術であると、アテナ様もご存知でしょう?」

「まあ、そうですね……これ以上ない参戦タイミングでしたし、神官マネージャーさんがひどい怪我を負っているわけでもありませんし、問題はなしですか」


 可愛らしく何度か咳払いをした後、アテナはいつぞやの凛とした声を響かせる。


「さて、神に奉仕した英雄には褒美を取らすものです! ペルセウス、あなたに私が与えられる限りの恩賞を与えましょう! さあ、望みを言うのです!」

偶像アイドルアテナ様を応援させていただくための、教団ファンクラブの作成許可をいただきたく! またその一団において信者ファン筆頭リーダーであると、不肖このペルセウスめに名乗るお許しを!」


 深く下げていた頭を、更にもう一段下げて英雄は朗々と請願した。

 返答はシンプルで、一声が空間を突き抜ける。


「良いでしょう、許可します!」

「はっ、ありがたき幸せ!」


 こうして、地下偶像アイドルアテナの教団ファンクラブが作られた。

 冗談みたいな、話だった。

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