第17話 元担当の怒り

「では、仕掛けますわ。ワタクシは――そうですわね。アイドルではない紛い物を仕留めましょうか」

「あれ、シルフィ一人でやるんじゃなかったっけ……ま、いいや。オレは他やるよ――後、続いて」


 無駄がなくこなれた声かけと、それに連動した動作。

 派手にカールした赤毛が特徴的な少女――確かシルフィと呼ばれていたか――は、その手に槍を握っていた。同年代の少女と比較しても小さい方であろう彼女の背を、優に上回る長さの武器だ。得物の鋭さは昨日よりも増していて、直視するだけでゾッとする。


 それなのに、絶えず敵意を放っている彼女の瞳から目が離せない。髪色が移ろったかのような赤みがかった金の瞳は美しく、剣呑さで台無しになっているというのが正直な感想だ。愛想よくウインクでもしてほしいところだが――。


「さよならですわ」


 俺が不遜な感情を抱いた瞬間、シルフィとやらの腕が消えた。消失したように見えた。そして飛来するのは、人を殺すための道具。


神官マネージャーさ――」

「行け! 心配するな! 偶像アイドル信者ファンのところへ行かなくてどうする!」

「はい!」


 身体を捻る。とにかく腕を動かす。背で庇っているもう一人の偶像アイドルを無理に動かす。

 一秒前まで胴体が占領していた空間を、穂先が侵す。スーツを掠めるのは鋭利に加工された金属と――


「よく避けるね。オレ、拳には自信あるんだけど、なっ!」


 金髪ポニーテールの少女――フィルアという名を持つ子が、横薙ぎに振るった右拳。瞬きなんて一度たりともしていないのに、前方に潜り込まれていた。拳の正面には金属の器具が装着されていて、物騒なことこの上ない。

 回避できたのは本当に偶然。後ろで俺の手首を掴んでいる偶像アイドルが体勢でも崩したのか、後方へ体が引っ張られた結果、直撃を免れた。


 二撃目ですら回避可能かは不明で、続く攻撃を延々と避けるなんてのは無理だ。

 なにせ前衛の少女を先頭として、同コスチュームの人間が六人も列を成しているのだから。

 「後に続け」という先の声は、後衛として残る一人に向けられたのではなく、伏し隠れていた仲間に向けての命令か。

 くそ、気付くのが遅い。様々な異常を一斉に認識させられた結果、正常な判断力が失われている。ただただ落ち着け。今ここで俺がやるべきことはなんだ。


 ――主神のために、現実を見ろ。最も効果的な行動を探せ。

 一分前と同じように、外部からもたらされるナニカで思考が均一に冷却されて――遅延した世界の動きが、両目を通じて流れ込んでくる。

 振るわれんとする刃を視認してから、重心を左に寄せてなんとか回避。


 まるで自分が自分でなくなったかのように、常軌を逸した暴力の前でも動けている。動揺は軽度な動転へと変じ、状況も見えてくる。

 次々と出現するシスターは各々が短刀だのナックルダスターだのを構えていて、物騒なことこの上ない。 

 小型ナイフが目の前に突き出されるも、下手人を即座に蹴って距離を取る。顎を狙って迫りくる握り拳には、首を傾けて直撃を避ける。掠めただけで少し視界にブレが生じるものの、被害は軽微で済んだ。


 増援たる複数人から二度三度と繰り出される攻撃は、一撃一撃の脅威としては大したことない。最初の二人と比すれば遅く、鋭さに欠け、威力もない。

 だが手数は正義で、数は確実に時間を稼ぎ倒して次に繋ぐ。稼がれた時は、味方の更なる追撃を可能にする。

 遠くで、金属と激情の閃きがあった。   

 投げ槍が来る。それには拳も伴うはずだ。


 俺にはどちらか一つにしか対応が出来ず――高速で飛来する武具に、当然成す術もなし。

 故に鉄槍への迎撃は、俺ではなく偶像アイドルの仕事だ。

 烈風がごうと吹き荒れて、閉鎖された室内を蹂躙しながら席巻する。


 派手に反響するは、甲高く鋭利な金属音。

 目には目を。槍には槍を。投槍には投槍を。神の武装は聖職者の凶器を打ち払い、殺意を神威でかき消した。


「まったく、お粗末な技術です。槍投げであれば、アテナイの民の方があなたより遥かに上手ですね。折角の莫大な力が台無しになっています。同じ神として悲しくて仕方がありません。力を分け与えているあなたの主もきっと、泣いているでしょうに」

「主を愚弄する不届き者――疾く退き、懺悔するのが賢明ですわ」

「神が悔いる先などありませんよ。推しにだって神官マネージャーさんにだって、誰にだってです。だから、神は後悔するようなことをしてはならない」


 言い切ってアテナは歩を進め、俺のそばまで来ると続けてぼそり呟く。その右手には感情の光が直線状に集結していて、次戦への備えは為されている。


「すみません、少々遅れました。戦場への遅参、後からの参戦というのは、戦神としての不名誉ですが――」


「避難誘導、だろ? 偶像アイドル信者ファンの安全を気にかけてそっちを優先したってのに、怒る神官マネージャーがいるか? 俺はそんなやつ知らないし、そんな存在になりたいとも思わない」

「よい返答です! それでこそさすが私の神官マネージャー! そしてさすが私‼」

「ナチュラルかつ躊躇いなく自画自賛に繋げるな――よっ、と……」


 言葉の途中にも、聖職者からの暴力行使は続いている。左斜め上から右下へ、上方から俺の頭へと振り下ろされる鉄拳に、バックステップしなければ頭蓋を割っていたはずだ。

 飛び上がって拳を振り切った少女――フィルアの髪が、大きく上下に振れる。眩しい金のポニーテールが大胆に揺れてから、重力に従って落ちていく。ブロンドの乱れが落ち着くよりも先に、風を切るノイズが走った。


 風音に対抗するかの如く、もう一つの唸りが到来する。

 三度目の投槍をまたしても、女神の槍が撃ち落とす。

 空間を割きかねない高音を発生させた後、引力に惹かれる二つの武具は虚空に熔けて消えていった。


「女神アテナたる私に槍で挑もうなど、愚かなことです」

「まったく、腹立たしいですわね……ですが安心なさい。旧き異物を名乗る愚か者であろうとも、我らが主は許してくださいますわ。肉体を全て失った後に、でしょうけど」

「神が許しを請う先もまた、存在するはずありません。ご存知でないんですか?」

「ならば、貴女は大人しく消えるのみですわね」

「では消えないよう、私は歌って踊って戦いましょう! これまで通りに、そしてきっとこれからも! 推しと比べれば、あなたなんて雑魚も雑魚です!」


 言霊と意思が衝突するのと同時に、また激しさも同様に、投擲した無機物と無機物とが交わされる。

 鼓膜を引き裂かんとばかりに、脳内を蹂躙する暴力的な騒音は、聴き手の心情を荒く波立たせた。耳朶が震動する度に全身が熱くなって、動作から精密さや理性が奪われ始めていた。


 フィルアが上部に突き出した掌底に対し、俺は背骨を弓なりに逸らして避け、返しに左足を薙いで蹴りをお見舞いする。

 少なくとも肉ではない、固く細い感触を衣服越しに捉えた。俺はもう、一切の躊躇も失っていた。

 相手にしているのは、十代のあどけないシスターたちだ。いくら全員が武装をしているとはいえ、全力で足蹴にするのは躊躇ってもよいだろう。


 しかし身体は心とまるっきり異なって、今も右のつま先が人間のみぞおちに沈み込んでいる。革靴の先にあった感触が消えたと思えば、蹴りを受けた少女は息を乱して一旦前線を離脱した。深々と衝撃を撃ち込んだが、敵が握りしめていたダガーはそのままだ。


 力と力のやり取りをして、一度息を吸って吐く暇もない。

 風を切る凶刃を前にして、硬直するなどもってのほかだ。突き出された先端を単純に避けるのもあり得ない。背後の少女を考えれば、リスクを背負って打ち払うのが最善。

 払いのけると手の甲が少し切れて、赤い液体がつうっと流れ落ちる。体液が床に着地するより早くに、二人の人間と二つの右ストレートが迫っていた。この辺りが、覚悟とはったりの決め時か。


「オレの拳、また避ける?」

「ああ。何度だって躱してやるよ」

「ふうん、ま、避けられないと思うけど」


 片方の拳はフィルアによる打撃だ。もう一方とは断然威力も異なり、遥かに高速で、故に先んじて目標へ到達する。

 先の一撃よりも洗練された攻撃を、回避するのは至難だ。

 中途半端に身を守ろうと身動きを取れば、動作を読まれ拳を合わされて終わる。


 ならば避けない。無駄に抗おうとしない。ただわずかに肉体を動かして、ついさっき邂逅したばかりの敵を信じるのみ。

 これは賭けで、それも分の良い種類だと思う。判断の根拠が直感だということを除けば、最高だ。


「ふっ――え⁉」


 顎の右下を烈風が通り抜ける。吃驚と混乱と侮蔑の表情を混ぜこぜにして、濁った瞳がこちらを睨む。


「読みを外された⁉ 狂ってる……こんな賭け……避けないなんて」


 信じがたいモノを目の当たりにしたらしく、ショックで言葉を区切りながらもフィルアは続ける。


「絶対に負ける、賭けなのに!」


 強引に無理に引き戻された少女の腕。不格好なラリアットを、俺は唯一自由な右腕で受けると、


「オレには分かるよ。これで詰み。もう一つの攻撃は必ず当たるっ!」


 そうだ、俺が何をしても避けられない。逃れることは不可能。それでも俺は、自分の行動を悔いはしない。刹那の間に見つけられた、この選択こそが最善だ。後ろで訳も分からず巻き込まれた、偶像アイドルを守るためには、しょうもない自己犠牲だって許され――



「ほんとっ、きらい‼ そういうのっ‼‼」

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