第16話 ライブに邪魔者はつきもの?
「随分な賭けだったが――いけるもんだな……」
「これも私の宣伝の成果です!」
「……よくやったな」
「はい! いや褒められるまでもなく当然ですが‼」
「その調子で、全てを当然にしていこう。さあ、ここからが本番だ」
あれから何度も路上ゲリラライブと広告を重ね、休む間もなく本番がやってきた。昨日の今日で組んだ、数曲とMCから成る三十分ほどのミニライブだ。
人が来るかはわからなかった。アテナは常識を外れて魅力的だが、魅力が過ぎて近寄りがたさを生み出す可能性さえあった。
だというのに、客はそこにいる。
三十枚あったチケットはたった五枚を残してはけている。
ゲリラライブからのちょっとした宣伝で、あの怪しい美丈夫を含む十人のオタクが、券を購入したというだけでも想定外だ。それだけで戦果は上々であるが、公演直前の販売で駆けつけた人間たちが十五人もいるのは最早夢だ。
客側に全部で二十五名もいるなんて、まだ信じられてない。
小規模な学校のクラス一つ分だ。相当な数である。
初ライブで、無名な上、宣伝期間はごくわずか十時間足らず。
そんな状況下で生まれた奇跡の光景を今、俺たちはバックステージから見ていた。あまりのシチュエーションからか、隣からは囁き声が流れてくる。
「わくわくしますね。ここより大きな場所で祀られたことなど、星の数ほどありますが――やはり何事も初めては高まります。無論、手指の先まで強張りますが。よし、よし――ちゃんと動きますね……見てください
「なんの問題もないよ。むしろ、まったく緊張しないってのもパフォーマンスに良くないらしいからな、それぐらいでいいんじゃないか? アガリ症からくる緊張で何もできないって有様じゃないんだし」
「そんな人間が
「やらないはずだよな、まあ普通は……。だが、普通じゃない人間もいるってことだ」
俺がそのまま口を閉ざしたのは、噂をするとなんとやらだからだ。暗いハコの中であろうとそれより暗い影が差しかねない。
「なんですか、黙りこくってしまって……ぼーっとしているんですか? しっかりお願いしますよ、あと少しで本番なんですから」
「わーってるよ。ちょっとな……」
この手に数枚ある、文字が羅列された紙を眺める。
事務所に残されていた曲と、
一旦そこへ視線を移し、瞬きを意識的に数度重ねて、それからもう一度前を向いた。
やはり、多くの人がいる。
手を強く握って爪を食い込ませ、痛みを得ても覚めることは無い。
「そろそろ、出ますか?」
「ん――ああ。準備は、出来てるな?」
「はい、ばっちりです。事務所に眠っていた衣装は、少しばかり大きいですが――私が着ているので問題はないです! 可愛いですし、動けます!」
くるり回ると、ふわり広がるは華やかな三段フリル。純白に金色の刺繍が施されたそのドレスは、本来想定されていた着用者でなくとも周囲の目を引くだろう。
むしろ、アテナが着ることで元々の狙いとは違ったインパクトが生まれていた。
かなり大きめのコスチュームが逆にいい。
ウェディングドレスを彷彿とさせ、その清楚さと光に乏しいライブハウスとのギャップは、童女の可愛らしさに狂気的な倒錯を混ぜ込む。輝ける銀髪と共に胸元で揺れる三日月の首飾りが、視線と意識の乖離を許さない。
軽く弾む小さな体躯が、当人のボルテージを上げていく。
「いきます」
「ああ」
短く頷いて、俺はアテナが行く方向とは逆へと歩を進めた。
光の当たる場所とは対照的に暗い、音響装置の場所へと向かう。裏方のスタッフは確保できなかったから、俺がやる。
本職じゃないがやれる。体の良い雑用や助っ人として使い回された結果、小さな会場であれば音響スタッフとしてもやれる。今まで腐っていた経験だ、存分に使わなければ。
少しばかり難しいカラオケを流すようなものだ。
楽器ごとに音をバラして、本人と客席と環境に合わせて調整するだけの簡単なお仕事。
事前に弄ると言っても、気にするのはベースなどの低音パートぐらいで――本番中にやることといえば機材の調子を見守り、祈るぐらいだろうか。
神に思いを捧げるかのように、ライブの成功を願うだけだ。
まばらな、されど二桁という数を感じさせる拍手が始まりの合図だった。
「みなさーん、今日は来てくれてー、ありがとーっ! このライブでは――」
舞台の方からはアテナのMCが聞こえてくる。
スタートと同時にこの手はBGMのスイッチを押し込み、この眼はスタンド席を観察し、この耳は違和がないかひたすらに探る。
アテナが来場への感謝と概要を可愛らしく一通り述べた後、客席からぼそりと零れた一言だって逃さず拾う。
「かわいい……」
たった一語を得られただけで、拳を握ってしまった。折り曲げた指先の爪を手の平に食い込ませ、痛みで緩みを引き締める。
引き続き観客一人一人の顔を見つつ反応を伺っていると、一つの異常があった。
よく見ると、観客がひとり足りないのだ。
よりにもよってあの美丈夫――金髪コスプレ男が、どこにもいない。
二十分ほど前、俺が入場受付をしたはずだ。出ていったところも見ていない。あんなにも目立つやつを見逃すなんて、あり得るか?
「おかしいな……?」
もう一度数えなおしたとて同じ。
幸いなのは、アテナがあの男を目撃していないこと。客の入場時間まで練習するのはやりすぎだと思ったが、明らかな異変でパフォーマンスを乱されないならばよし。
アテナのMCにも問題はないし、音響もいたって正常だ。
万事滞りなく、会場に満ちる期待と熱はじわじわと上昇していた。
「さて、では早速いきますよ! 今日のゲリラライブでも歌った曲です――『pray star(t) ray』!」
ハンドマイクで拡散された女神の一声に、この指が自然と動かされる。
曲が始まり、歌声が紡がれ、客が盛り上がり、合間を見ながら徐々にクラップを入れて――楽しい時間が終わるまでは、ほんの一瞬だった。
それこそまさしく、神が見せる夢のよう。
一段上にいるアテナから煌びやかな欠片が振りまかれ、それを下方で享受した人間たちが表すのは、喜びと興奮だ。
すぐさま観衆から溢れた感情が蒸発する。形を失くした流動的な光は、壇上の
幻想よりも遥かに幻想的な光景が、ライブハウス内で展開されている。空間には極上の光輝が充ち、尊い循環は澱みも停滞もなく巡り続ける。
円環を構成する人間――
熱に浮かされているのは人間だけでなく、神も同じ。
「みなさーん、楽しんでますかーっ‼」
生き生きとしたキラキラの笑顔で、口元にマイクを添えるのも忘れて、大音声で呼びかけるアテナ。
先鋒として野太い声が真っ先に返されると、それに続いて「さいこーっ‼」、「かわいいよーっ!」「次の曲はもっと盛り上げるからねーっ!」なんて、続々とノリの良い返答が空気を震わせる。
やはりこういった現場に慣れているオタクはありがたい。彼らは時に厄介な敵にもなるが、頼もしい味方にもなる。
「じゃあ、次いきますねーっ!」
新たな曲――地下から這い出して今や
この場を変質・高揚させているのは当然アテナだが、ステージ下も状況をしっかりと支えていた。
観客の中でも特に、若干後方に位置する七人グループがその役割を担っている。彼らの行う連携と発する感情は飛び抜けており、現地の経験は二桁を優に超すだろう。
音が鳴りやむまで懸命なのは、誰も彼もが同じ。
例外なのは、俺ぐらいだ。
歌声が伸び切って空気に馴染んだのを確認してから、機材のボタンをかちりと押し込んだ。
「ありがとー、ございますーっ! はぁ、ちょっと、おみず、のみますねっ」
乱れた息を整える童女のために、ペットボトルに入った透明な水が音を立てて合間を作る。給水に費やされるほんの数秒の間に、あのグループの誰かが言った。
「わざわざカエ様がSNSでおすすめするだけあるな……いい……来てよかった……」
――カエ、様?
視界が揺れる。一晩ぐらい寝ずとも平気だと思っていたのだが、さすがに堪えるらしい。
そんなことより、今はそう、次曲のことを考えるべきで――
「少し、中で見られればよいのです。スタンド席でなくとも、入り口の方からでも、アイドルの姿を真正面からちゃんと見れなくても、それで良いのです。チケット代だって、二倍でも三倍でも出すからどうか――ええ、ええ、ありがとうなのです」
昨日会ったばかりなのに、再度の邂逅に心臓が跳ねた。
何度会おうとも、元担当
階段を下る少女へと必死に駆けよって、何やら慌てているスタッフの口だけが――盛んに動いて見える。
俺の世界に音が戻ってくるのは、侵入者が現れてから数秒後だ。段差を降りる複数の足音が一、二回してから、止まる。
噂をすればなんとやら。
まるで現実をエゴサーチするかのように、天上の
昨日とはまるで違う。感情が自由にのたうって、暴れている。
それに雰囲気が……昔みたいだ。鋭くて脆くて、近づけば危ないと理解しているのに引き寄せられる感じが、過去の記憶と重なる。
変装のためか、オーバーサイズのフードを深く被っていた少女は、会場全体を見渡すためにその素顔を現した。わざわざ、そこらにいるオタクに気づかれにいった。
「隠野、還乃――雰囲気が、少々違うようですね。あの人がいるから、ですか? 仮面は三枚お持ちのようで」
舞台上のアテナは、透き通った双眸を大きく見開いた。
それからワンテンポ遅れて、観客が言葉にならない吃驚を放つ。
一方で俺の喉は震えず、振るわない。口は無意識なのか閉じたまま開けることはかなわず、ただ目線だけがひとところに固定されている。
再度口火を切る、少女に向かって。
「いい、ライブですね、ほんとうに」
彼女は人が立ち並ぶスタンド席を視線で一閃した後、そのままライトに照らされた童女を一瞥して通り過ぎ、こちらに目を向けて静止。
石化したかの如く全身を固めながら、小さく血色の良い唇だけが動いた。
「
「…………」
「そうやっていつまでも満足しないところ、変わってない――のですね」
担当のライブが行われているというのに、
というか見たいのであれば舞台裏からが筋だ。それをわざわざ客席から無理に推し通ろうとするなんて、意図がある。
アテナに自分の知名度を見せつけたいのか、はたまた別の意味か……。
ともかく対応は、俺がやるべきこと。
暇だからと急遽入ってもらった受付スタッフに、こんな厄を負わせる訳にもいかない。
早足で光の当たらない場所から、光を見るためのところへ向かう。
「すみません、ただいまライブ中ですので」
「わたしは、ライブを見られないのですか? わたしには、見せてくれないのですか?」
「あたりま――申し訳ありません、途中入場は受け付けておりませんので」
昔のように叱咤しそうになり、唇を噛む。
穴だらけの古ぼけた言葉を急ぎ継ぎ接ぎにして、遅れた意識をすぐに更新する。人の細胞が毎日入れ替わるのと同じで、用いる言葉も変えなくてはならない。
昔のままの関係であるべきでなく、今は今の関係がある。
あちらが同じように思ってくれれば、いいのだが。俺の応対を受けて言葉どころか息を詰まらせ、唇をきゅっと結ぶ様子からは不安しか読み取れない。しばらく再び口を開いたところで、不安定な印象は拭えずにそのままだ。
「っ……。そこをどうにか」
「すみません、対応出来ません」
「一人の人間が、努力と才能で出来た新たな輝きの結晶を見たいという、だけなのに――拒否するのですか? 煌めきを目にして楽しみ、心を躍らせたいという純粋な願いを拒むのですか?」
「っ、……」
「そこで、一度迷ってしまうのですね。やはり、人はすぐに変われないのですか。わたしにとって、それは喜ばしいことなのですけど――」
正と負の両極に心が揺れているからか、少女の周囲に揺蕩う『斂想』もまた同様に、左右に揺らいでは暴れている。彼女を嬉しさと悲しさの狭間に誘っているのは一体何か、俺には分からないが、他人の感情ごときに大切な担当を邪魔させるなんて論外だ。
感情を殺し、脳内をアテナとこのライブのことで埋め尽くしては、雑念を追い出す。頭を下げるという行為の邪魔になるような、プライドやら矜持やら体裁やらの一切合切を叩き出す。
俺のプライドも対面もどうでもいい。ゴミだ。
機械的に視界が動く。上から下へと縦に落ちていく。
顔面を床に向け、腰を深々と折り曲げ、頭部の高さを下げる最中――
「なにを、しているの、ですか……わたしと、あなたは――」
瞼を閉じても、すぐにも掻き消えそうな震える声は、聞こえてしまう。
「どうして、そんなこと、するのですか……っ!」
「申し訳ございません。事前に販売されているチケットを購入したお客様のみ、入場可能となっておりますので、ご要望には添いかねます」
「――っ!」
下を向いて言うのは楽だ。こんなにも容易だなんて、自分でもどうかしている。
薄っぺらな謝罪の言葉は、自分の心を一層薄弱かつ軽量にしていく。瞬く間に削れて削がれて、でもまあそれで済む。
次第に遠のいていく靴音を期待していたのだが、願いから現実は外れていた。
視界上部で見切れている黒い靴先は、十秒経過しても変わらず同位置に在る。まったく微動だにせず、靴底が会場の床面に根付いたかの如く。
それからの、たかが数秒が永劫になる。これほど居心地の悪い静寂がこの世に存在するなんて、味わっている今でも認めたくはない。
周囲に纏わりつく静けさが、ひりつく焦燥を生み出す。次の曲が流れず、新たな歌が紡がれず、このような空気になって一体何秒経過したのか――一度気になってしまえば、そのことで一杯になってしまう。
――このまま頭を下げ続けて、果たして状況は良くなるのか?
俺にはもっと他に、やるべきことがあるんじゃないのか?
今輝こうとしている
頭が冷えて、何か別の思考が外部から流れ込む。
心身に絡みついていた重たい鎖が滑り落ちて、驚くほどに身体が軽々と動く。折り曲げていた腰も精神もまっすぐに伸ばすと、自然と足は前方へ。
そのまま俺はどこかのバカの方へと進み、彼女の細い手首を掴んで全力で引っ張った。
「へ――ひゃっ⁉」
少女がこれまで漂わせていた冷たさとは一八〇度違う、か細くて脆くて弱い音がしても聞き流せばいい。複数の感情が綯い交ぜになった音がいくら聞こえても、関係はない。
今やるべき俺の仕事は、こいつをここから叩き出して、アテナのライブを続行させることだ。
厄介な女性に対する追い出し対応は同性スタッフが行うべきで、それが最善の対処なのだろうが、ここには適した人材がいなかった。
ならばこの役目を果たすのは誰でも良く、彼女に一番近い俺であれば、最も早く異物を排除出来る。
「ちょっと、こんなのは、や、です……」
冗談みたいに華奢な手首は掴んでいるこちらすら心配になるレベルだが、だからといって腕を引く力は弱まらなかった。
踏ん張ってその場に留まろうとする彼女の抵抗など、俺の腕力はものともしない。いともたやすく出口の方へと人一人を引きずっていく。
少し、思考に疑問が挟まった。
彼女は一般でも通常でも平常でもなく、多量の感情を――信仰を
「――っ⁉」
めぐる思惟が、鋭いナニカで途絶した。
神より賜った肉体は、飛来した危機を回避するために駆動していた。反射的に地を蹴って横に飛び、腕を引いて連れていた人間を背後に隠す。
か細い手首は連行のために握っていたはずなのに、何の皮肉か、今や彼女を守るための繋がりだった。
ごく自然と首が回り、頭が後方を向いて、脅威の正体を認識する。
槍だ。
先が十字になった、鈍く輝く鉄の長槍。
人を穿つための武具が、先端を床に深々と沈めている。
一目見ただけで思い出す。あれは俺たちの天敵だ。
そして、あれは常識や普通が通用しない超常だ。
「シルフィ、オレの作戦成功してんじゃねぇか。集会できるような施設、片っ端からスケジュール開けて監視しといた甲斐があったな! まさかライブやってるとは思わなかったけど」
「よくやりましたね、フィルア。ワタクシには思いつかない策でした」
「……あー、これぐらいパパっと思いついてくれな。それで、どうやら初撃は外れたみたいだけど。やっぱりこのオレの出番か?」
「要りません。当てて砕けて消えるまで、ワタクシ一人が投じれば良いのですから」
「ちぇ、ようやく運動できると思ったのに。あと、もうちょっとスマートに行こうぜ。一斉に殴るのが一番効率的だしな!」
「地域管理者として落ち着きを備えなさいな。この街の平和と安寧は、ワタクシどもの双肩にかかっておりますのよ」
「って、戦力の出し惜しみは良くないってことなんだけど……まあいっか。 りょーかい、りょーかい」
階段を上った先――裏通りへと接続する出入口から、ふたつの透き通った声がした。
発話の主は――電気街の明りを後光にして立つのは、修道服姿の少女二人。一昨日見た、あの物騒で美しい一組。
金色と赤色の髪が、荒いビル風に揺れていた。
その背後には、全体を視認しきれないほど巨大で複雑な『斂想』が存在している。
悉くが、こちらへの敵意と化しながら。
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