第15話 現担当 vs 元担当

信者オタクのみなさーん、ありがとーございまーすっ!」


 私が聴衆に手を振り、笑顔も振りまいていると、皆さんからのお返しとして輝きがやってきます。

 たったワンコーラスのストリートゲリラライブである以上、一つ一つの光量は微々たるモノです。それでも信仰を――『斂想』を享受できるのは、とても喜ばしいことでした。


 あっちを見てもこっちを見ても、うっすらとしたキラキラで溢れていっぱい。私のパフォーマンスを前の方で熱心に見てくれた人は特に明るい感情に溢れていて、眺めているだけでこちらまで嬉しくなってしまうほど。


 私の歌でみなさんがにこにこで、観客の喜ぶ姿で私もにこにこ、にこにこする偶像アイドルのビジュアルでみなさんがにこにこ――笑顔の幸せ無限ループです。最高ですね! 

 やはり、多大で多種多様な感情を注がれてこその神です。記憶から風化し、人々から忘れ去られ、単なる歴史となってしまえば――それはおしまいのはじまりです。

 もっと輝かなければ、より煌めかなければ、たくさん光を集めねば‼


 私自身のためはもちろん、激務を重ねた神官マネージャーさん、指導してくれた推しのためにも結果を出さねばなりません。

 やってやってやってやります! 燃え盛っている意気の証に、たくさん腕を動かして声を張ってアピールしていると、一際大きな光体が見えました。

 もうあんなにも熱心な信者オタクを生み出してしまったのですか、さすが私です‼


「って、そんなわけないですか」


 ――なんて、無限大の自信は儚い幻想でしかないと、すぐに思い知らされます。

 あの莫大な光は、一介の神官マネージャー信者オタクでは到底放つことはできません。

 極光にも近しい粒子を纏えるのは、偶像アイドルだけの特権です。それも私みたいな新神ではなく、遥か高みにある位階ステージに辿り着いた者のみが手に出来る大権でしょう。


 送り支え奉じる側では決してなく、授け君臨し祈られる側。

 推す側ではくて、推される側。

 そんな存在が、どんどんこちらに近づいてきています。


 混沌とした人混みをするりと抜けて、最前列へと姿を表すのは一人の少女です。見た目で言えば、私よりも少々年上――十五、六歳ほどでしょうか。非常に長く垂らされた前髪と、異様なほど目深にかぶったパーカーのフードにより、彼女の雰囲気は非常に暗くなっています。その上ジーンズのポケットからはぎらついたチェーンが飛び出していて、あまり近寄りたくない印象です。正体を隠すためなら形振り構わない、という気持ちがびしびしと。

 その手法は簡易的かつ乱雑ではありますが、中々に有効な変装のようです。


「だって私が、ここまで推しに近づかれて気づかないんですからね……!」


 私がこの国に来て、初めて見た偶像アイドル――隠野還乃が、堂々と通りを歩けているのですから。

 されど、この瞳がいつまでも見抜けないはずありません。

 懸命に注がれ続けた思いの丈を、隠し通すなんてさせません。

 膨らみ上がった尊く貴い感情の固まりを、後学のために私はじぃっくりと眺め、凝視し観察しました。


 そうしていて、一体何秒が経ったでしょうか。

 もちろんのことながら、こちらの目線とあちらの目線が真正面からぶつかります。

 可愛らしい見つめ合いから、瞬き無しで睨み合いに。

 厚くて綺麗な黒髪のカーテンの隙間から覗く、芯のあるまんまるの瞳が私のことを思い切り撃ち抜きます。

 推しの眼、よすぎます。ですが、負けてなんていられません。

 謎の対抗心を燃やしつつも、全力の笑顔を更に強めてやります。やはり偶像アイドルならばスマイルで勝負でしょう――そんな意気込みは空回り、返事は不機嫌そうなジト目のみ。


 しかも、彼女の方からとことこのこのこと、近づいてくるではありませんか。

 そっちがその気であれば、やってやりましょう。

 初めてでドキドキのストリートゲリラライブの熱を纏ったまま、私は真っ暗でキラキラの彼女に近づくと、


「あなたが、なんで、あの人の感情を受け取ってるの……」


 深く冷たい怖気で出来た声が、そっと世界に放たれました。

 発信元がこの子であるのは明白で、ですが信じたくはありません。付属していた丁寧で可愛らしい語尾も取れて、剥き出しの思いだけがありました。

 まるで冥府に重く流れていた呻き声のよう。


 ヘルメスと共にヘラクレスへ冥界案内をした時のことを、はっきりと思いだしてしまうほどです。ケルベロス狩りの道先案内なんて些事を、父にやらされた時以来の――抗いがたい気色悪さ。

 この邪気を放ったのが人気偶像アイドルだなんて、笑えません。

 偶像アイドルはいつなんどきも笑わねばならないのに、です。昨日のような失態や落ち込みは見せませんとも!

 禍々しいオーラに負けず、私は微笑みを維持してまだまだ距離を詰めます。

 とくとく鳴るのは心臓です。


 推しとの遭遇は二度目であっても緊張します。きっと三度目も四度目も、同じ音を胸は鳴らすのでしょう。

 しかし私は怯まず進みます、神ですので。

 靴の先と先が触れ合いそうになるまで踏みよってから、この口を動かします。念のため大事な部分は発声せずに、音の形だけ。



「どうしましたか――(かくれ還乃かえの)――さん?」



「――教え子の視察さえバレずにできないなんて、わたしにはまだまだ修行が必要ということね……」


 隠野還乃の反応には、目の前の子供(あくまで、外から見ての話です!)に対する興味や、看破に対する驚きや称賛など微塵も関係ありません。あるのはただ、隠密しきれなかった自分自身を恥じる感情。

 顔に全て出ています。


 分かりやすくて仕方ありません。露骨すぎて、逆に演技なのではと疑いの目になってしまいます。

 目には目を。

 じっと凝視すると、同種同質の視線が鏡のように返ってきました。ついでとばかりに、しっとりと冷えた言葉も投げかけてきます。


「随分と、目がよろしいのね。こんな杜撰な装いでも――に雑な装いだからこそ、あまりバレたことはないんだけど」

「この瞳に自信はありますが、あなたを見抜くのに視力や観察眼は必要ありません」

「普通に見るだけで分かったと?」

「ええ、そうです。一目瞭然です」

「何故?」

「あなたが、私の推しだからです! キラキラと光り輝く推しゆえです! あなたの背にはたくさんの輝きがありますし!」


 びしっと突き付けた言葉に、降りかかるはひとつまみのため息。

 と同時に、閃くのは良くない直感です。

 呆れと共に継がれる言葉からは、神格たるわたしにとって最凶最悪の気配がします。


「はぁ、薄々分かっていたけれど、あなたも、そういった類か……オーラだの煌めきだの輝きだの……『胡散臭い』」

「なっ⁉ 違いますっ⁉ 全然全く事実と異なります‼」

「先ほどの言葉は、完全にオカルト系のそれ」

「お、オカルトっ⁉ ち、ちがっ――いえ、まるっきり違うわけではないと言えばないですけれども――」

「否定出来ていないの、一体どうなの?」

「こ、これは違くてですね! ともかく、そんな怪しく歴史の浅い代物ではないのです! 信じて、すぐに! びりーぶみー!」

「なにゆえここでカタコト英語」


 クールでシャープな視線が纏う、訝しみ度合がググンと急上昇。

 一応向けられていたはずの――既に残り僅かですが――敬意は途端にゼロへと落ちていきました。代わりに目線に混入するのは、哀れみや憐憫などと呼ばれるやつです。


「あ、悪い大人に、騙されてるのか。あの人、極悪だもの」

「そんな可哀そうな目で私を見ないでください! それに、神官マネージャーさんは不器用ではありますが、断じて悪などではなくて、いい人で――っ⁉」


 知らず知らずのうちに人の子の境界線を踏み越えてしまったと、神々はいつもいつも遅れて気づきます。

 私を襲う突発的な冷気が教えてくれました。すぐそこから、途方もない『斂想』の波が寄せてきているのです。

 なんですかこれは。昨日とは別人です。


 神官マネージャーさんの前だから、猫を被っていたのですか。

 彼女の思いは触れると痛いほど冷たく、異常であることは間違いありません。赤熱の感情を発するのが難しく、それが貴重であるのと同様に――遍く全てを青く凍てつかせる激情もまた、希少極まりないのです。

 好きの反対は嫌いではなく、無関心とはよく言ったもの。

 なれば、懸命な信仰の反対は徹底した無神論ではなく、神という存在への無知や日常的な意識の欠落になるでしょうか。


 嫌悪は意識しているということで、精神をある程度費やしている証拠です。

 ここまで巨大な情動を抱え維持するのに、どれほど心を擦り減らしているのか、私にも想像は容易くありません。常人なら、廃人まっしぐらです。

 未だ減耗しきって消滅していないことから、元々はとても頑強な精神を有していたことぐらいしか、分からないのです。


「あの人が良いだの悪くないだの、一体何を知っているんですか、あなたが」


 私は、マズい部分に足を踏み入れたようです。侵入してしまったのは、隠野還乃にとっての冥界。深くて暗くて、大事な場所。


「知ってますか? あの人、いまだにマネージャーって自称したままなんですよ……プロデューサーのような役割もずっと果たしているのに……人を見る目も、レッスンの指導も、なんでもできるのに……」


 偶像アイドルが言葉を発するたびに、粘度の高い感情が滲みだして、辺りの地表を舐めます。

 この光の動きは神や神官マネージャーにしか見えないはずですが、周囲の人々もうっすらと嫌な気配を感じ取ったらしく、少しずつこの場から去っていました。

 可愛い人の子らは敏感で、賢いですね。

 執拗に纏わりつくような光体は、まるで赤子が手を伸ばすように蠢いているのですから、捕まる前に距離を取るのが単純な正解となります。


「只人の身から偶像アイドルというのも、まったく難儀ですね」


 目の前の光景に私がぼやいても、なんら状況は変わりません。

 当の本人はいつしか盲目で、盲聾で――隠野還乃は人混みに溺れながら、自分だけの底へと急速落下していきます。


「『プロデューサーなんて名乗れない、能力も努力もまるで足りない』と、昔からあの人は、神殿こどのさんは……ずっとそう言い続けたまま……わたしのときも同じで、表情は段々曇っていって、なのにあなたは、あの人を明るくして、変えてしまって……!」


 少女が人の名を呼ぶと、纏う光が露骨に揺らめき始めました。冷たい光は一層激しくのたうち、主の備えていた落ち着きなんて瞬時に消し去ってしまいます。

 とても奇怪な光景ですが、不思議と目が離せません。

 ――よく見ていると、正気を蝕む青色に妙な違和があるのに気づきます。眼を凝らし続け、やっとのことで情感の中に垣間見えるは、どろどろに融けあった異物。

 濃密で冷徹な青に覆われてなお、焦熱の赤を漏出させる少女の心です。

 あれが――隠野還乃という個人が神官マネージャーさんへと向ける、心情の核?


 ならばどうして、根源と末端の性質が反転しているのか。

 何故、プラスがマイナスになっているのか。

 全くもってわかりません。

 親の心を子が知らず、神の心を人間が知らないのですから――逆もまた然り。

 ですが私は、私のするべき行動は知っています。


 推しだろうと、容赦はなしです。せっかく集まった人を散らされるのはいただけません。

 推しだからこそ、遠慮はなしです。人一人に囚われ続ける推しなんて、解釈違いです。

 それに、少女の純粋で濃密な思いは只人にとって毒でしょう。

 ここはとりあえず、彼女こそを追い散らしてしまうか正気に戻すのが最善手。

 私好みなのは、やはり前者ですね。

 女神アテナは、苛烈でもあります。


「一つ、助言をします」


 神は人の子を教え、導くモノでもあるのです。


「隠野還乃――今、あなたはここから去るべきです」


 語気を強く、しかし荒げず。威厳を忘れず、パルテノンにて君臨していた時さながらの発声を意識しながら。


「狂気を捨て去って、この場からさっさと立ち去るのです。私は正気に戻れとは言いません、何があったか聞きません。ただ、今この場にいるだけなのは――誰にとっても良くない選択でしょう」


 強く発声するごとに、人波がますます引いていきます。

 決して好ましくはありませんが、荒療治なので致し方ありません。

 一般人を軽く退かせられない言葉ではダメなのです。相手は、一途な思いを重ねすぎて人気偶像アイドルになるまで拗らせた少女。


 薄く弱い声を、彼女は聞きません。

 ならば強く熱く、圧のある声を。

 可愛く綺麗な偶像アイドルアテナでなく、今は武略と守護と豊穣の神――アテナのお告げを。


「――それでもこの場にとどまりたいのなら、納得がいかないのなら、言いたいことがあるのなら、私に全てぶつけなさい!」


 ようやくです。これほど煽ってやっと、彼女は私のことを見てくれます。


「なんで」


 少女の綺麗な顔が動き、スイッチが入って以降初めて、こちらにある程度の意識が割かれました。


「なんで、何故、どうして! あなたなんかがあの人の隣に! そこはわたしのもので、わたしの場所で! わたしが失ったところで、なら誰にも立ってほしくなんてなくて――」


 吹き荒れるのは、偶像に似合わぬ怨嗟。


「――だから、だから……そこからいなくなって!」

「そう、奪うなら力ずく。偶像アイドルといえば、戦いですよね――あなたがそう言ったんですよ――私の推しよ!」


 鞭のようにしなる『斂想』が、全て私の頭部を狙います。いい仕掛けです。こちらも本気を出しましょう!

 手に一瞬生成するは一振りの槍。相手の感情を切り飛ばし、払いのける瞬間にのみ実体化して、隠蔽と省力を行います。

 ギリギリまで情念の鞭を待ち、先端が身体を打つ前に吹き飛ばしました。右から来る嫉妬は穂先で切り刻み、左下から突き上げる悲しみは石突で打ち据えます。 


「さすがは推しですね、感情の操作も一流ですか!」


 瞬き一つ、息を吸う間に脅威が増加します。槍を一振りすれば迫る『斂想』は二つに増えており、一度跳んで回避すれば三振りの激情が飛んでくるのです。

 戦況は劣勢。全身はくたくた。それがなんですか。ステージ上では弱音が許されません。ここでだって、同じです!」


「さあ、もっときなさい! 隠野還乃!」 



 同時にびくりと細身の身体が跳ねて、じりじりと後ずさりを重ねています。遅れて変じる彼女の表情は困惑一色です。この後退が私の声に怯んだのであれば、この一声が要因であれば、良いのですが――



「アテナ、一体どうした⁉ 今のとんでもない音と、変な方向に流れていく人混みは――」



 より有力な原因が、到来しました。

 神官マネージャーさんの声のする方向へ、感情で出来た光が増殖します。出処は当然、かの少女からです。触腕のようにのたうつ情の塊は、一斉に特定の方角を目指してからギリギリのところで急ブレーキ。

 不安定な先端はしきりにぷるぷると震えた後、まるで自らを戒めるみたいに自身を地面に叩きつけました。


 執拗に何度も何度も、です。

 すると振動が止まり、ぬるりと感情の触手は引いていきます。本体の姿はもうどこにもありません。遠ざかっていく足音と一緒に、今頃は騒めく群衆の中でしょうか。


「はっ、はぁっ、おいアテナ、これは一体――」


 急ぎ走って駆けつけてきた神官マネージャーさんは、ざっと周囲を見渡してから私をじいっと見つめました。

 私を中心とした円形の空白と空間を取り囲む群衆の輪を見て、彼は溜息をつきました。幾人かは弱く拍手をしているところから察するに、一般の方にはパフォーマンスに見えたようでなにより。

 もちろん、これも計算済みでしたよ?


「お前、ほんと、お前、ほんと、はぁ……」


 神官マネージャーさんのため息は冥府の底より浅くとも、それなりに深いものです。

 私から言わせれば、心配性すぎますね。


「その丁寧さや気配りや情熱が、悲しい偶像アイドルを、やばくて重たい女の子を創り出した――ですか。認知を広めて信仰をかき集めても、満たされないことはある……」

「なあ、本当にどうした? なにか厄介な人間に絡まれたとかじゃあないだろうな。いいか、そういう輩からはすぐに逃げて俺に押し付けろ。厄介の相手は偶像アイドルの仕事じゃない、俺の仕事だ。いくらお前の身体能力が高く、危険が少ないと言ってもだな――」


 つらつらと語る彼の表情があまりに真面目過ぎて、不意に綻んでしまいそうです。

 そこらの人より飛びぬけて強い私相手でも、真剣に心配してくれるんですね。

 神に相応しくない、威厳に欠けた表情を浮かべかねないのに、どうしてか神官マネージャーさんから視線が外せません。

 なんとなくじっくり見ていると、おそらく私と同一な視線が返ってきました。


「――さすがに、この話はまともに聞いてくれ……お前の安全に関することでな」

「分かっていますよ」


 莫大かつ純粋な心配、という感情は向けられると非常に心地よいのですね。

 対等でない信仰とはまた異なった、極めて中毒的な代物です。

 これは、人の子であれば囚われたとしても無理もないですか。

 無論、神である私は何ら問題がありません。本当です! びりーぶみー!


「おいだから話を……」 

「聞いています、聞いていますとも‼ すぐに人を誑かしてしまう人の子でも、神である私がしっかりきっかりきっちり導くのでOKで――」

「どうやら俺がやるべきことは説教じゃなく、額にデコピンすることらしいな」


 それから、柔らかく温かみのある衝撃がありました。

 は、反省します……。

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