第13話 ゲリラライブ

「午後九時からー、ライブハウス・デルフォイでー、ライブやりまーす! 新人でキラキラフレッシュ偶像アイドルー、みんなの神様アテナでーす! よろしくー!」


 休日の電気街は人混みで溺れられる。真っ昼間の駅前広場は足を止める人間たちにより、行き交いの流れが澱んでいた。待ち合わせをするにも一苦労だろう。

 こんな混雑なら、俺たちも安心して活動できる。変な不審者にも絡まれないはずだ。人の目しかない以上、一昨日みたいな物騒な目には合わないはず。


「だが、目立つは目立つな……」


 人間が多数すれ違う場で今もなお――その麗しい銀のボブカットと、凛とした声は一層煌めいていた。白で統一されたアイドル衣装の中でも、純白のフリルスカートが微風に揺れて、多数の意識を不意に誘う。


 強力な輝きは注目と人を集め、大多数の歩行を止める。遅滞した足の動きは連鎖し、渋滞の原因を知ろうと通行人は周囲に目を向ける。

 都合の良い夢と遜色ないほどに、立ち上がりは上々だ。あまりに上手くいき過ぎて、交通妨害を引き起こしていることに目を瞑れば。

 このままだと警察を招いてもおかしくない。


「まったく……どうだ、調子は」


 偶像アイドルを隠さないよう意識しつつ、俺は傍に近づいてそっとぼやく。ぼやかざるをえない。こいつの熱量と身体性能が異次元すぎて、言わなきゃ停止しない。

 ちなみに、はっきり言葉にしても内容を聞いてくれるか不明だった。


「ご覧の通り、大成功です! この場所は大変良い土地ということもあってですね、こうして人の子らと触れ合うだけで、たくさんの微量な感情が信仰に変換されていますので!」

「やっぱり数が大事か?」

「いえ、良い土地というのは宗教的、神秘的にです! もちろん信仰の大元となる人の量も重要ですが、ここは位置的に空白という感じがします! この国に敷かれている、極薄の神道や仏教が、別の宗教や熱量に打ち消されているみたいです!」

「そりゃ、電気街の人間はそういうのとは無縁だろうしな……」


 宗教よりも、別のモノに熱心な人間が多い。この街を往く人々のほとんどは常に忙しなく、なにかのコンテンツに対して常に熱を挙げている。

 ずっと発熱しているに等しい。有り余るエネルギーを一体どこにぶつけようかと、探し求めている人ばかりだ。心という大切なモノを注ぎ過ぎて、壊れてしまう者も何人か知り合いにいたくらいには。


 それ故か、新たな熱の受け入れ先であるアテナにも、ぐっと多量の視線が集中していた。常人なら致死量の衆目を集めてテンションが上がったのか、


「もっともっと人気を得て、ここをパルテノンにしてしまいましょう!」


 童女はきゅっと拳を握りしめてそう意気込んでいた。ナチュラルな侵略宣言だ。


「文化侵略は困るんだよ……いや真面目に、これ以上はまずい」

「どうしてです? こんなに信者オタク候補が集まってくれているのに……」

「オタク言うな」

「なぜです? インターネットには、オタクと呼ばれると人の子らは喜ぶと書いてあったのですが」

「悪影響受けてるな」


 事務所のパソコンを勝手に使ったらしい。あとでパスワードを変えておこう。

 それよりも問題は……。


「明らかに通行の邪魔になりつつある。大事になって警察に指導されたら厄介だし、小休止を挟みたい。いや今から挟むぞ」


 持ち運びできる椅子を用意した甲斐があった。ぱっと組み立て、アテナをそこに座らせる。白磁の肌を覆い、足先を覗かせるサンダル近くに、喫茶店の店先にあるような看板も添えた。


「なんです、それ?」

「ハッシュタグ――一定のネット上で物事を共有するための合言葉、とでも言えばいいか――ともかく、それを一言書いただけの手抜き広告だよ。広がるかどうかは神様次第だ」

「ならば、広告の成功は間違いなしですね!」

「いつまでもその調子で頼むぞ」

「言われなくとも‼」


 凛とした美声が思いきり、辺りに響く。集めすぎた注目をある程度抑えるはずが、茫漠とした多数の意識が吸い寄せられた。すぐに散逸するはずの極小の興味は、そのままある一人の姿へ向かう。

 簡易的な小さいチェアーに、これまた小さな体躯がちょこんと乗っかっている光景。ちんまりした両手をきゅっと握って、太もものあたりに添えているのもまたキュート。そよ風に揺れる銀の美髪に、その同色で満ちた瞳がぱちくり動くだけで、チートやズルだと叫びたくなる。


 ため息が出る……こいつの見た目の良さで……顔よすぎだろ……というか全身よすぎだろ……いやこれは犯罪っぽい。

 生来的な性質もそうだが、出会ったころとは外面な魅力が断然異なっている。昨日のレッスンが効果的だったのは明白だ。

 在るだけで広告になっている。見るだけでコンテンツになっている。


 言祝ぐべきだが、過ぎたるはなんとやら。とりあえず俺たちに一番近い観衆を、単なる人の壁にする。偶像アイドル稼業だというのに、まさか目線を切ることが必要になろうとは。

 昔は、路上でたった一人の目を引くにも苦労したというのに……。


「はぁ……」

「どうしたのです?」

「お前の見目が良すぎて嘆息してるんだよ」

「それはどうも! まあ常識ですが! 太陽と月が交互に昇るぐらいのことですが!」

「褒め……たいんだが、うざくて褒めたくなくなってきたな……でも」


「でもでも、それでも?」

「――褒めざるを得ない」

「ふふん。なんだかんだ、神官マネージャーさんは正直でよい子ですね」


 抑えめの声でこそこそ喋ると、うっすら興味を持っていた遠くの連中が遠のいていく。最前列の方々は依然としてアテナに釘付けで、無意識にバリケードの役割を果たしていた。

 良い兆候だ、あともう少し待てばよい塩梅になるだろうか。


「にしても、昨日の今日で振りと歌を習得するとはな……しかも五曲」

「私ですからね、それくらいは当然です。推し直々の指導というのもあります。神官マネージャーさんのサポートのおかげも、もちろん!」

「色々手配しながらではあるが、徹夜を超してついさっきまで練習に付き沿ったんだ――それぐらい出来てないと困る」

「安心してください、昨日の今日でも、むしろ今朝でもばっちりですから。というかほんと、場所などの色々をよく確保できましたね……無茶を言った私が言うのもあれですが」

「本当にあれだよ。……まあ、準備が間に合ったのは俺の力じゃない。仕事先が偶々暇していた幸運と、無理を言ってもなんとかなる社長と隠野のコネだ。にしても鳥巣社長、一体何者なんだか……」

「機会があれば、口を割らせましょうか」

「社長の口を割らせる偶像アイドルなんざいねぇよ。お前が割って砕くのは自分の心だ、信者ファンになってくれるかもしれない人のために、な」

「そんなこと、百も承知です」 


 きゅっと口を結んで、前をじっと見つめる童女。そのまま足元の箱からマイクを取り出しながらすっと立ち、力強い双眸で俺に目配せする。


「まだ十二分に人は散ってないぞ」

「ここが勝負時です。信仰を奪い合う大戦の、正念場です」

「根拠は?」

「直感です。女神の、戦略を司る私が告げています」

「了解」


 世知辛いことに神官マネージャー偶像アイドルに逆らえはしないのだ――なんてことは冗談で、俺は担当を信じただけ。

 戦女神アテナの宣告を、むやみに跳ね除けるなんて端から選択肢にもない。


 俺が厨二の頃合いに少し患っていたのも相まって、その言葉に宿る説得力と強制力は絶大だった。

 要請に応じてスピーカーに接続されたタブレットを操作すると、軽快な音楽が流れ始める。ポップでキュートで明るく愉快な、王道とも言えるアイドルソング。


 俺の前担当偶像アイドルが歌うはずだった楽曲だ。歌詞も曲調も振りも、彼女の理想と願望と夢に合わせて、たかが二人の事務所全員で作り上げたモノ。

 だが懸命に練り上げたその全ては、アテナにもマッチしていた。この適合を神の奇跡と呼ぶのは簡単だ。だから、俺はそういう風に捉えない。捉えてやるものか。


 全力で作り上げた楽曲たちだからこそ、偶像アイドルとして力の限り輝こうとする存在であれば、誰にだって応える。そしてアテナは、一日とはいえ曲を存分に活かせるよう休みなく練習を積み上げた。なれば条件に合うのも当然だ。

 加えて隠野還乃当人から教えられ、託されたとなればミスるわけにはいかない。


 習練の最中に発していた、目を見張るほどの光輝をここでも知らしめるだけ。

 練習で良くても本番はどうなのか、なんて心配はない。憂慮の席には既に期待が居座っている。群衆の前で歌う担当偶像アイドルの姿が、楽しみで仕方ない。

 ――イントロが流れていく間、俺の足は忙しなく動く。セットアップを終えたら、偶像アイドルの近くから存在を消すのが神官マネージャーの仕事だ。

 こうして懸命に走るのはいつぶりか。この馬鹿げた期待がなければ、わざわざ疲労を溜めようなんてしないだろうに。


「はぁっ、はぁっ、はは……くそっ、ワクワクとかいう感情、俺の中にまだあったのかよ」


 偶像アイドル神殿ステージは、当人だけのもの。街行く人にアテナのみを見てほしいというのが、こうしてすぐに離れた一番の理由。

 もう一つの動機は、至極単純なコトだ。

 今この時だけは、観客でありたいという私利私欲。神官マネージャー失格で第一の信者ファンとしては大正解と言える、シンプルで愚かにも過ぎる欲求。


 逸りを抑えながら、俺は分厚い人のバリケードを抜けて近くのビルの非常階段を上り、上方から見下ろせる場所を確保した。

 前奏が終わる。楽し気にリズムを刻む童女の足が、ぴたりと止まって――綺麗な形の唇が動いた。



「――『神頼みなんてNO ノー‼ さあさ自分頼りにGO ゴー‼』」



 力強さと可愛さの同居する歌声が、雑踏を風のごとく駆け抜ける。技術は付け焼刃で甘いが、よく通る声質は強みだった。

 雑多な電子音で満たされている電気街にあっても女神の歌唱は響き渡っており、多数を引きつけ始めている。紡がれる詞はベタであるが純な応援であり、耳に入ると胸の奥がふわりと暖かくなるはずだ。俺がそうだから、他にもそういうやつがいる。



「『ステップ踏んでみようよ 自然と足の動くところへと』」



 漂う歌に気を引かれ、足を止める通行人は確実に増加していた。彼らは人の流れを伝って音源へと目を向け、その結果アテナのダンスを見ることになる。

 丸みのある細身の身体が、アスファルト上で躍動していた。マイクの位置と発声を意識しながらも、一つ一つの動作は丁寧で華麗。ぴんと指先まで伸びる、白魚のような手の動きに魅了される。すらりとした足が、時には小刻みに、ある時には大胆にステップを踏む様子に舌を巻く。


 そしていつしか――きらびやかな微笑みに心を奪われてしまう。

 真っ先に俺が、そうなっていた。

 他の人がどうかなんて、全く分からない。面白がって軽い気持ちで足を止め、ただ見ているだけかもしれない。 

 でも、ここにいる一人の人間は、感情を彼女への気持ちで満たしてしまった。あとはそう、俺と似たように感動している者を、この群衆の中から探せばいい。


 それが俺の仕事だ――いや、仕事ですらない。好きなモノに衝撃を受けた後、共有できる奴を探すのはオタクにしみついた習性だ。

 信者ファン候補の存在を疑いなぞしない。

 これだけの観衆がいれば、アテナを推す人間は必ずいる。



「『わたしは、背中を押すだけだよ あなたの向く先が、大事、なの!』」



 心躍る唱歌を聞きながら、俺は両目に全神経を集中させる。注視するのは、動きを止めている人間だ。アテナを凝視していれば、なおよし。

 有力なのはやはり、先ほど築かれた人のバリケードだろう。神官マネージャーとなって手に入れた視力を使うときは今。



「『ねぇ どこに行きたいの? もう、ここでは生きれないの? なら 明かりを浴びれる場所へ 光を振り撒けるとこで 思うまま!』」



 サビ前。

 盛り上がっていくメロディラインと膨らんでいく女神の意気に、人の群れは沈黙と不動を崩し始める。心が揺れれば、身体も揺れる。

 そして止めとばかりに、アテナは大きく息を吸い込み、


「応援、お願いしまーすっ‼」


 マイクをオーディエンスへ傾け、思いきり声を張り上げた。

 さながら、混乱した戦場に響き渡る大号令。刹那の内に、かつ明瞭に、呼びかけは空間を突き抜けていく。


「ほんと、よくやる……」


 自分の口から思わず漏れ出たものは、感嘆か嘆息か。敬意と呆れが綯い交ぜになって混乱を極め、俺は行く末を見守る。

 街頭ゲリラライブでの煽りは賭けだ。

 上手く盛り上がれば熱狂と信仰を獲得できるが、大抵なら受け手が困惑して熱を失うだけのギャンブル。

 いくら容姿と歌と踊りに自信があると言っても、初顔見せかつ曲の初披露でやるべきことではない。こういった攻めは、ボルテージをどんどん上げていって、終わりに近づいた頃仕掛けるが定石だ。


 さて、分の悪い賭博の様相はどうなるか――。

 俺の眼下には、なんとも評し難い景色が広がっている。

 たまたま通りがかった広場で路上ライブをしていただけの、初見偶像アイドルのフリに応えるか否か。反応に困っている騒めきが、人混みに波として伝播していく。

 このどよめきは、呼応するかどうかの逡巡だ。ハナから興味がないというリアクションよりはよほどマシだが、依然として厳しい状況。


 ライブで観客にノってもらうには、最初の着火が必要不可欠。はっきりと周囲に伝わるカタチで、初めの一歩を踏み出すやつが必要になる。呼びかけからサビに入り最高潮へと至るまでの、三秒間で勇者が出てこなければそれでおしまい。

 思わず客を無謀に走らせられるかが、偶像アイドルとして試されているポイントだ。


 いかにあの童女が極めて高いスペックを誇り、異常な修錬を積んでいたと言っても、物事には限度がある。

 いざとなれば、俺が起爆剤となるしかないか。その程度の行いで爆発してくれれば御の字だ。外部から見ればサクラもいいとこだが、咲かないよりは何倍もましだ。

 それに、神官マネージャーは第一の信者ファンである。


 俺からすれば仕込みでも何でもない、シンプルな応援だ。

 手拍子を生み出すために両手を構え、応援のために声を張り上げようと空気をたっぷり吸いこんだところで――。

 快い柏手の音が、ビル街に木霊した。

 それも二つだ。最初は一音かと思ったのだが、わずかなズレが存在する。


 二つの拍手は楽曲のリズムに合わせて乾いた音を打ち鳴らし、簡素な響きがこの空間の流れを変えていく。

 火蓋は切られた。堰も崩された。

 この後、待ち受けているのは爆発だけ。

 マイクの先を自らの方へと傾け、偶像アイドルはありったけを込める。


 

「『生きることは輝くこと! 煌めくことは歌い踊ること! 太陽が隠れたって わたしが代わりになればいい‼』」



 一気に解き放たれるは、溜めに溜めた熱量。溢れる奉唱は辺り一面に広がり、熱狂が人を飲み込んでいく。魔力の宿る狂騒が成立した証として、この場を席巻する音楽がもう一歩先へと至った。

 サビに突入し音の厚みが増していく旋律に、加わり混じるのは観衆による数多のクラップ。初めはたった二つきりだった手拍子は二倍三倍と増え続け、瞬く間に群衆の興奮を示していた。


 偶像アイドルが綺羅星となって聴衆に光輝を振りまき、ステージ下から応援やコールといった形で同種の光彩が――『斂想』が注がれる。何倍にも膨れ上がった返礼を受け取って、アテナは煌々と魅力を解き放つ。



「『望むことは、輝くこと! 光を受けて舞い唱えること! 月光が届かなくても 星明りで世界を照らせばいい!』」


 

 エールを送ることに躊躇する聴衆は、誰一人としてこの場にはいなかった。手拍子、声援、手を振って、誰もが目の前の童女へと熱烈に思いを放っている。

 輝きを幾度も循環せしめた果てに――偶像アイドルは上げるのだ、位階ステージを。


 

「『超新星についてきて! すぐに一等星を見せてあげるからっ‼』」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る