第12話 偶像の性質

「はぁ、はぁ……疲れました……。でも、し、進歩はしました!」

「そう、進歩はした。自信を持っていこう」

「あと、推しにも会えました! 人の身にしては、中々やる少女でしたね! すごい! やばかったです! 可愛いし! かっこいいし!でも私の方がもっとすごくなります! 今のところは負けてますけど!」

「お前のメンタルどうなってるんだよ、壊れかけのジェットコースターみたいだぞ」

「レールの外へ飛び出すのが目標です! 目指せ型にハマらない生き方とトップ偶像アイドル!」


 スタジオから事務所までの短い帰り道で、俺たちは無理矢理に気勢を上げていた。アテナは本気で発言しているかもしれないが、少なくとも俺の言葉には無理がある。

 人を超えた存在が担当でも、無条件に夢を見ることは出来ない。自分を催眠する勢いで夢を見ていくしかない。


 神といえど、少しの努力で理想通りの技術を習得できるわけではないからだ。

 それが、ここ十数時間で得た知識である。

 人と同じように――それは常人と同じ速度というわけではないが――神の能力は習練によってのみ向上するらしい。

 まあ、そんな当然の事実で折れたり折れなかったりするのが、うちの偶像アイドルだ。

 強いのか弱いのか、よく分かっていない。


「道は遠いですが、遠いからこそ燃えるものです! 困難があればあるほど、達成時の名声も高まるのですから! あのヘラクレスが証明したことが、私に適用されないはずがありません! あの、下手すると私よりも人気のあるヘラクレス……なんで、なんで……私はピュアな神なのに……私の方がさすがに絶対可愛いのに……」


 途中から何かの闇を掘り起してしまったらしく、せっかく上向きになっていた目線がコンクリートへと注がれている。

 下を向いたまま歩くのは神であろうと人であろうと危険なので、やめてほしい。

 転んで怪我でもしたら大変だ――なんて考えではなく、精神的な意味での話だ。


 昨夜見せた異常な身体能力からして、耐久力も相当だと考えられるが、メンタルも同じとは思えない。むしろ心は貧弱というオチも待っていそうだ。ただ脆弱ならば良い方で、あらぬ方向に暴走する性質であれば手も付けられない。

 俺の知る限り、ギリシャの神々は大抵が気性や素行に問題のあるやつらばかりで――


「んん? 神官マネージャーさん、今、良からぬことを考えました?」

「いいや、なんにも。全然全くこれっぽっちも? 俺は清い人間だからな」

「私の故郷にいた乱暴者と私のことを重ね合わせている気配がしたのですが、気のせいですかね? うーむ、むむむむ……私の推しもきっとそう言うと思います。私は正しい」

「いやな付け足しをするな」


 偶像アイドル神官マネージャーの繋がりでは、漠然としたことしか伝わらないとは何だったのか。

 諸々筒抜けだったせいでさぞ崩れているだろう表情を見て、アテナは察したらしい。


「これはただの経験です。勘とも言います。そういった懐疑の目には――ろくでなしヒド女神なのではという疑いには、慣れ過ぎて分かるようになってしまいました。私の親族は揃いも揃ってアレですからね!」


 まったくもうまったくもうもう……と、触れてはならないスイッチがまた入ってしまったらしい。あまり落ち込まれるのも良くない。こういうときにフォローするのも、神官マネージャーの仕事の一つか。


「そういう飛び抜けた要素も、この業界では必要かもしれないぞ。パッと見で狂っ――目立っていると、当然目立つからな。どれだけお上品だろうと、目を向けられなきゃおしまいだ」


 クオリティがどんなに高くとも、内容が唯一無二であろうと、その存在やパフォーマンスをまずは見てもらわねばならない。

 鑑賞されなければ、信仰を向けられなければ、偶像アイドルたりえない。


 こんな初歩の初歩に気付かなかった、いや見て見ぬふりをしていたのが過去の俺で、気付いた頃にはもう手遅れだった。偶然神様が手を差し伸べてきたから、こうして挑戦する権利を得ているが。

 今度こそ失敗しないようにせねば――という意識は、神官マネージャーと繋がっている神にも伝わっているはずなのだが、


「そういえば、ヘラクレスにも発狂の逸話が――」

「いい加減そいつから離れろ。お前はお前だから。アテナはアテナとして魅力的だから」

「じゃあ、隠野還乃よりも魅力的ですか⁉」

「――」


 積み重ねた記憶と罪悪感が即答を拒んだ。


「あたりま――」

「やっぱり、私の方がダメですよね。だって私の推しですし、仕方なしですけど! 推しはすごいので!」

「人の話は最後まで聞け。確かにあの偶像アイドルは魅力的だが、アテナの方が勝っている」

「具体的には?」

「困ることを言うなよ……悪いが、言語化は出来ない。とにかく、だな……俺はアテナの方が好きだ。恨むなら、語彙の足りない感想しか言えない信者ファンを作った自分を恨め」

「感謝こそすれど、恨みなんかしませんとも! そうですか、私の方が好き、ですか……ずっとずっと好き、ですか!」


 急にメンタルが復調した。困ったものだが、この調子を維持できるなら偶像アイドル活動も問題ないだろう。


 そう、アテナはアテナとして十二分にやっていける。問題は裏方の方だ。まったくもって才のない、俺の方。自然と零れたため息に対して、アテナはむっとした目線を送る。


「そんなことありませんよ! 何故ならあなたは、私がこの目で見て、この手で選び取った神官マネージャーさんなのですから!」


 俺の内心、ちゃんと覗いてんじゃねえか。


「心を読めるんだったら、お前こそ自分のことを心配するな、な?」

「私は心配などしていません! 神ですから! ただ習練が足りないのではと、もっと高みを目指すべきではと、向上心を露わにしているのです!」

「それはいいことだな」

「常に改善を忘れず、驕らない! 神たる存在の必須要件です!」

「その自称がもう、事情を知らないやつからすれば驕りの濃縮だが……まあ、いいか」


 シンプルにネガティブであるよりは、よっぽどましだ。頑張れる人間――いやこいつは人ではないが――は、それだけで輝きを放っているように見えるから。

 出来るのならば、もっと伸ばしてみてもいいかもしれない、隠野の時のように――


「――っ」


 思い出と呼ぶには足りない記憶が、思考と思考の切れ目に挟まった。目を逸らしても逸らしても、顔を背けても背を向けても瞼を閉じても向き合わなくてはいけない偶像アイドルが、まだ記憶に居座っている。


 無理な練習。完璧主義。ステージ上のパフォーマンスが全てで、努力は裏。偶像アイドルとはそういうもの。姿見よりは少し大きいくらいの鏡に、ぼろいスピーカー、古びたタイル数枚分をステージ代わりにして、事務所の空き部屋で――。

 過去をこれ以上思い出さないように、俺の口は動く。喋って誤魔化そうとした。


「えっと、なあ……」

「練習場所、事務所にあるんですか? いいですね、やりましょう!」

「は?」

「ですから、あるんですよね練習場所が! ないとは言わせませんよ、私にはキラキラが見えたのです! あなたの記憶が流れてきたのですよ、価値ある光景と素晴らしい場所が!」


 宝石じみた瞳を輝かせておきながら、人のトラウマを確認したと、正直に言い放つのかこいつは。よりにもよって、キラキラだなんて軽い言葉で装飾して。

 どんなに魅力的に輝いていようと、見られてなければ意味はないのだ。他人がその光輝を享受できなければ、そもそも準備行為に価値なんて。


「価値ならあります! だって、見ていたじゃないですか!」

「そりゃ、お前は俺の記憶を目にしただろうが……あのやり方には意味が――」

「私じゃなくて、あなたが、神官マネージャーさんが、隠野還乃を見ていたじゃないですか!」

「お――むぐっ」


 喋れない。口を塞がれた。足が止まる。柔らかな手のくせして、わずかたりとも俺が喋れるような隙間を残してはいない。

 人の自由を奪っておきながら悪びれる様子など一切なしに、むしろ俺を説教するように童女は声を張り上げた。熱の籠ったお説教の弾みに拘束が外れる。自由になってから俺は抗議をしようとして、剣幕に意思を砕かれた。


「『俺が見ていても意味がない』、なんて言わせません! あなたが見ていることに一番価値があるんですよ! いっちばん身近な人が、喜んでパフォーマンスを見てくれたら最高じゃないですかっ! じゃなきゃ――神官マネージャーさんの記憶にいる推しは、あんなにもボロボロになるまでレッスンをしません‼ 疲れ果てているはずなのに、あんなに良い顔をするはずがないでしょう⁉ ただでさえよい顔が、最高になっていました!」


 空気が震えた。可憐にして苛烈な大音声が大気を思い切り揺さぶって、振動と共に激情を伝わせる。街の騒がしさが消えていることに、こうして後から気づくぐらいには、脳内が彼女の言葉で埋まっていた。


 弱音や嘲りが退けられて、眩い感情ですぐに置換されていく。眩しくても直視できない類ではなく、真正面から相対できる気持ちだ、これは。 

 はっ、これでは思わず信仰してしまいそうになる。


「もうしているでしょう、まったく……」

「気づいた頃にはこの様とか、どうなってんだ……新手のカルトか?」

「こらっ! そういうの、私たちが一番使っちゃダメな言葉です!」

「冗談だ」

「……そんな軽口をいつでも叩けるように、しておくことです」


 くるりと身体の向きを入れ替えて、アテナは事務所の方へと歩き始める。随分と早足なペースに俺が軽い駆け足で追いつくと、彼女は歩幅を更に大きくした。


神官マネージャーさん、練習いつまでできますか?」

「お前が嫌になるまで」

「よくぞ言いました! 後悔はなしです! 夜もありません! 取り消しもダメです!」

「誰がするか」


 そんなもの、この職に就いた時点で諦めている。もう引き返せはしないのだから。


 同伴者の歩行速度につられているうちに、事務所の扉が見えてくる。先にドアノブへと手を触れたのは、アテナではなく俺だった。

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