第11話 偶像に必要なものは

「…………」


 厄介なオタクと化したアテナに、隠野は何も言わない。彼女自身も、何か思うことがあるのだろうか。

 実際のところ、この楽曲は安易で無理のない音程だ。振り付けだって同じ。


 注目度の高い公開オーディションで原石の学生を引っ張ってきて、学業の合間に一、二か月レッスンすれば公に出せるレベルの内容。

 その選択は間違いじゃない。

 納得いかなくても、これが最適解だ。


 難易度の高いダンスに歌唱力が求められる歌、そんなものを身に着けようと努力している間に、偶像アイドルの旬は過ぎていく。

 余程それら芸能に関する資質が高くても――いや高いからこそ、その優秀な基礎能力でこなせる最低限の曲と振りを見せた方がいい。


 練習を浮かせた分だけライブは多く行えるし、メディアに出演する機会も増える。その上ファンとの交流も豊富になるとくれば、才能を伸ばす必要なんてない。

 偶像アイドルはより多くの人に応援されることがすべてで、見てもらえなければ何の意味もない。

 見てもらえるはずの時間を費やして練習するなんて、愚行の極み。


「――――」


 また、俺と隠野の視線がぶつかる。トラウマが蘇る。さっきだって悪夢を殺したのに、何度だって蘇生する。

 粘ついた感情が、俺の思考を絡めとっていく。気付いた時にはもう手遅れ。外界から入ってくる情報に意味はなく、ただ自分の内面へと自己が沈み込んでいって――。


「――さん、神官マネージャーさん!」


 両頬を、包み込むように軽くたたかれる。ほのかな熱と軽い衝撃が、落ちていく思考を上方へと引っ張りあげた。


「今度は思考が真っ黒になっていますよ。あなたの偶像アイドルが歌うのです。そんな考えではいけません。もっと晴れやかな気持ちで、私の姿を楽しんでください」


 自己嫌悪と後悔の沼にとらわれていたうちに、アテナは一曲分の主旋律を頭に叩き込んだらしい。

 二度視聴するとのから、四分弱が経過したことになる。体感からしてそんな時間が経ったとは到底思えないが、部屋の壁時計に嘘をつけるはずもなく。


「いいですか、いきますよ! ――――」


 荒い音が鳴りだして、可憐な声が俺の鼓膜を震わせる。

 童女の細く白い手が反射で動きそうになり、小さな足はステップを踏みかけて止まる。

 やはり身体に癖が染み付いているらしい。


 確認もとれたところで、、歌唱の方はどうか。

 声量は文句なしであり、主旋律を大きく外れるようなミスもない。圧のある歌声は聞く者を高揚させ、ライブ向きであるのは間違いないだろう。


 このごく短時間で音程を把握して歌いこなすのは、さすが神といったところか。初披露にも関わらず、才能ある人間の領域に踏み込んでいることは確かだ。何より聞いていて元気づけられる点は、大きい。

 アテナが何らかの応援団であれば、大量の喝采を浴びることが約束されている。

 しかし――


「ダメね、これでは」


 担当神官マネージャーよりも早く口を開いたのは先輩だ。飛び出したのは短刀みたいな言葉。あっさりと、そしてざっくりと言葉の刃が突き立てられて。


「アテナさん、いくらなんでも力が入り過ぎなのです。見ている方が気圧されるようでは、いけないのです。あなたが行うのは鼓舞ではなく、ライブなのです」

「そう、ですか……私なりの、精一杯だったのですが」

「精一杯で全力は大前提なのです。そのうえで、適切な全力が必要なのです」


 つい昨日まで素人とは思えないほどの力強く正確な動きは、武術のそれに近い。

 マイクなしでも遠方へ届くだろう声は、戦場での伝令を想起させた。

 武道に詳しくなくとも、争いの経験が無くとも、問答無用で受け手にイメージを押し付ける演技。


 いや、この特徴は武器になりうる。圧で客を引かせるかもしれないが、地下偶像アイドルという聞き手と距離が近い現場では有効な気がするのだ。後は、剣呑さと楽しさのバランスを取ることが課題か。


「――これは俺個人の意見なんだが、今の欠点は十分長所になると思う。意識の転換さえあれば、なんとかなるんじゃないか?」

「随分と簡単そうに言うのです。それらの条件を満たすこと、わたしはとても困難だと思うのです。どうやら生来の性質のように見えるので。身内に甘いようでは、今後大変なのですよ」

「身内だからこそ――神官マネージャーだからこそ、俺はそう思ったんですよ」

「よく言うのです。あなたは人の気持ちなど何もわからない、典型的な大人なのです」


 そうは言っても、相手は神だ。直感がある。


「アテナ、意識の転換はできないか? 歌うことに真剣さを絡めすぎないように、意識してもう一度だ」

「はい、わかりました。もう、一度ですね」


 らしくない神妙な顔をして応答するアテナに、俺は表しようのない違和感を覚えた。まだ出会って一日すら経っていないにも関わらず、『彼女はそうあるべきでない』という、強い断定の感情が芽生えてくる。これが厄介オタクか。


神官マネージャーさん、曲を流してください。カウントダウンも一緒にお願いしますね」

「分かった。3、2、1……」


 数分前と全く同じ音が再生されはじめる。

 けれどもアテナの歌は、お世辞でも再演とは呼べなかった。


「――……はぁ」


 声が途絶え、動きが止まり、音が止んで――残されたのは女神の溜息のみ。


「へたくそ」


 なのです、と遅れて語尾を付け足した隠野は、ゆっくりと首を横に振って目を伏せた。

 心底残念がるように。

 期待していた存在が、予想を下回ったことを悲しんでいる。


「私だって、鏡に映し出された自分自身を見て、分かっていましたとも……正直に言うと、自信をちょっ……いえほんのすこし、薄らいだというか……」


 肩を落として、視線も床に落とすアテナ。

 その姿は失敗して落ち込んでいる童女以外の何物でもなく、ここで初めて、俺には彼女が子供であると認識できた。

 神であっても、全治全能と言った類ではないのだと。


 否応なく絶え間なく伝達される心の状態も、童女が完璧でないことを表している。そして何よりも――今しがた終えたパフォーマンスが証拠だ。

 先ほどの歌声は心配になるほど弱く、全身にはまるで力が感じられなかった。


「私にとって、強く偉大な存在であることは核です。見た者が緊張し、威圧されるそんざいこそが私です。それを切り離そうと意識すれば、わたしですらなくなるのでしょう。何物でもなくなって、中途半端な普通の子供に……いえ、今は過去と違い、そもそも偉大さを失った子供ですか」


 特別は一体どこへ行ったのでしょうね、と。

 彼女は、悔しそうに零した。

 アテナが一つの失敗に、そこまでの感情を抱く理由は分からない。

 偶像アイドル神官マネージャーの繋がりから押し寄せてくるのは、己の無力さを恥じ悔いる気持ちだけだ。漠然だが、激情よりひどい奔流。

 だとしても、俺は言い続けなくちゃいけない。


「それでも俺の目指す先は、アテナの持ち味を維持したままの方向性だ……」

「先も言った通り、わたしは難しいと思うのです。アイドル価値上昇のためなら無限に頑張れますが、芽の出ない誰かのために費やす時間はないのですよ」

「私に、出来るのでしょうか……いえ、やらねばならない、やる、やりたいです。やりたいのは確かですが……可能か、どうか」


 打って変わって俯く童女に向けて、俺は言う。こっぱずかしいが、言うかどうか散々迷ったが、それでも腹から声を出す。


「今出来なくとも、将来どうにかなるように支えるのが――神官おれの仕事だ」


 俺の恥と決意を受け止めると、偶像アイドルは顔を上げた。

 銀に輝く瞳はうっすらと濡れ、双眸と同様に輝く髪が揺れる。


「その目、その言葉……神官マネージャーさんは、私を信じるんですね」

「信じないという選択肢がない。今の俺は、担当偶像アイドル神官マネージャーだからな。お前が俺を、こうしたんだ。だからウザいとかもう諦めたいとか言われても、知らん。俺の夢と道連れだ」

「ええ――ええ、はい! はい……」


 一度盛り返したと思えば、


「……あなたは、神官マネージャーさんですもんね。私が、あなたを神官マネージャーさんにしたんですもんね。あなたは自分からなったのではなく、私の祝福によって……そうされた……そう、私が……」


 再度、視線の先と意識が地に落ちていく。その言葉は確かに正しくはあるが、全てではないと思うから――。

 俺は渦巻く心をねじ伏せて、口を開いた。


「まあな。でも俺は、生まれたときから神官マネージャーってだけじゃない。正直に言おう。昨日の時点の俺は、アテナの信者ファンだったから――どうしようもない一目ぼれだったから、お前を信じられる。昨日出会って一発で、この子を俺が担当出来たらどれだけ幸運かと思ったのは、紛れもなく神官マネージャーになる前の信者おれだから――信じたいんだ。信じさせてくれ、頼む」


 本気の発話には呼吸だけでなく感情も必要なようで、すぐに息と心が苦しくなる。

 感情を吐き出すと、自分が空っぽになっていく。

 でも、続ける。続けたい。昨夜の歌声を聞いた時、抱いた感情を伝えたい。


「俺は今まで失敗ばかりで、自分の夢を信じることすら臆病になっていた。だから偶像アイドルという勝負の世界で怯えることも、きっとまたあるだろう。戦争みたいな芸能界で恐れることが、何度だってあるはずだ。でもそんな時でも、俺がアテナを信じ続けられるように――アテナも俺を応援してはくれないか? 昨日みたいな一人の信者ファンを励ますような歌が、聴きたいんだ」

信者ファンを励ます……戦場での、鼓舞……!」


 ありったけの言葉と空気を吐き出し終えると、一気に心情が崩壊しそうになる。主に恥と羞恥と赤恥で。

 しかし、不思議と後悔は全くなかった。

 自爆に近い行為を微塵も悔いていないのは、目の前にいる女の子の表情が明るく転じたからか。光明を捉え切った碧眼は、俺の心をも照らし出す。


 好意を伝えずにいたのはわずか一日だけだったはずなのに、ここまで随分と長かった――ような気がする。

 何かを振り切るように頭を横に揺らしてから、アテナはすんなりとこちらへ顔を向けた。

 ブレない白銀の視線には、ついさっき見せた弱さが含まれたまま。だがその弱みを乗り越えようという意思が、新たに目にした希望が、不安の余地をかき消している。

 それから不敵に笑って、その美貌を輝かせた。


「――こう弱気ではいけませんね! 何せ私はアテナなんですから! 不可能なことなんて――ないのです‼ さあ、神官マネージャーさん! もう一度曲をお願いします‼」


 請われて、従う。

 音が流れて、歌が旋律に乗る。

 それは背を全力で突き飛ばされるような、しかし弾みで笑顔になれるような、無茶苦茶だけど綺麗な歌声だ。


「――これは」


 先輩偶像アイドルが、初めて負の感情抜きでアテナを見る。

 鏡面に映る新人偶像アイドルは、反射した自分自身でなくて、聞いてくれる人――俺や隠野の方をじっと見て、笑っていた。

 圧倒されたまま、曲が終わる。時が消し飛ばされたみたいだった。


「どうでしたか! さあ隠野還乃、まだまだやりましょう!」

「少しだけ、ましになったのです。ですが、それだけですね。磨けばまだ光るのです。わたしとしては壊れるまで、研磨してみたいのですが」

「ええ、望むところですとも! 困難に打ち勝ってこその私ですから! すぐにライブができるようになるまで、ガンガン鍛えますよ!」

「それ、いいのです。ライブをこなせるようにしてやるのです」


 目標は高いに越したことはない。現実と折り合いをつけるのは、俺の仕事で――。


「明日にもミニライブを開けるようにしてやるのです」

「ちょっと待ってくれ、それはどう考えても無理で……」


 隠野の狂気的な瞳が、発言を嘘だと感じさせない。どう考えても本気だ。かつて彼女を担当していたときの嫌な予感しかなかった。

 そして、新しい担当偶像アイドルに関わる悪い流れも感じている。


「無理ではないのです」「無理じゃないです!」


 つまりは二倍だ。胃が痛い。


「不可能でないこと、わたしは知っているのです。会場の手配、宣伝、機材のセット――全て可能でしょう、マネージャーさん」

「ならやりましょう! がんがんやりましょう!」


 元担当は復讐者の瞳で、現担当は誕生日の子供のような目で、俺と向き合っていた。


 頑張るしか、ない。 

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