第10話 自信と煽り

「どうしてです? まさか、なにか――」

「いいから指示には従うのです。復唱、わたしは今トレーナーで――」

「私は偶像アイドル、ですか。分かりました」


 積み上げられたナチュラルな美しさが抜け落ちて、ただアテナそのものがこの場に残存する。なるほど、戦神である彼女にとっては単に直立するよりも、戦うことが自然体か。

 隠野はそんなことも知らないだろうに、的確だった。さすがすぎる。


 恥ずかしいが、見習ってみよう。俺も同じように思案してみる。

 アテナの中で、最も核にあるものは何か。

 信仰の中で最も強調された事柄は何か。

 偶像アイドルとして最も役に立つ神格は何か。


「えっと、こう、ですか。敵の存在なしでは緊張感がないですけど……」

「ならば、わたしを仮想敵とすればいいのです。もっと本気で、わたしの命を狙うくらいでちょうどいいのですよ」

「言いますね。では、遠慮しませんよ。手合わせでなく、戦の心構えを用います。気を失っても知りませんからね?」

「遠慮も配慮も要らないのです。倒せるものなら倒してみるのですよ、無理でしょうが」


 差し出した右手を手前に曲げる自称トレーナー。会わないうちに、隠野はかかってこいのジェスチャーを気に入ったらしい。


神官マネージャーさんも動かないでくださいね、何かあったらいけないので。もし怪しい動きをした場合、倒してしまうかもしれません」


 そう告げて童女は息を吸い、目を見開いた。

 瞬間、俺の足がこの場から逃げ出そうと震えだす。悪い夢を見たときの心を、何百倍に悪化させたよう。


「ああ、やっと本気を出してくれたのですね。綺麗なのです。このわたしがその気迫をどう奪い取ろうか、検討するほどなのですよ」


 異常な殺気を放つ子供に対し、隠野はキラキラを通り越してギラギラした目つきで向き合っていた。

 その反応も異常者だが、彼女の気持ちには頷きたい。嫌だが理解できる。


 だって今のアテナは、飛び抜けて綺麗だ。

 これまでの彼女で一番美しいと思いかけて、自分の感性に正直になると――二番目という感想になる。最上の場面は昨日の歌だ。魔術的な美が、あの場面には満ちていた。

 静かな銀に満たされた神々しい瞳が動いて、鏡面に映る童女の――彼女自身の姿を捉える。微動だにしないまま瞳だけをパチクリと動かして、わずかに口角を上げた。


「やはり私には、戦が一番似合っていますね。キラキラには、ほど遠いですか」


 かすかに息が漏れ、空気にじんわりと溶ける。

 それと共に自らを嘲る表情は、皮肉にも彼女を魅力的に彩っていく。この微笑を浮かべるために女神アテナは生まれたのではと思うほど、様になりすぎている。


「ですが、この美には棘があります。ずうっと眺めていられないような毒も、です。こんなモノでは、偶像アイドルは務まらないでしょうね。ね、神官マネージャーさんもそう思いませんか?」 

 

 アテナは首を後ろに傾けたまま、抑揚のない声を俺に向かって投じた。

 隠野還乃の姿と種類は違えど、まったく引けを取らないレベルの優美さ。

 そんな素晴らしい存在を、ただの人ごときが否定的に評価することなんてできない。


 けれども今の俺は単なる人間ではなく、女神にして新人偶像アイドルを担当する神官マネージャーだ。身分や種族よりも優先すべきことがある。

 偶像アイドルのためなら、不敬も許される。


「ああ、その迫力じゃあっという間に街中で注目を集めて――まあ、あれだ。即座にネットでバズってインフルエンサーデビューまで、まったなしだ」


 それは、隠野が人気偶像アイドルになったときに辿った道筋だ。

 俺が以前偶像アイドルと共に歩んだ悪路とは、異なる。

 地道にレッスンを重ねて地下ライブハウスへの出演を重ね、結果を出してより大きなメディアへの露出につなげる――そんなパッとしないやり方とは、違う。


 賢い方法だ。それが成功するのであれば、そして偶像アイドルが望むのであれば。だが、納得できない自分も心のどこかにいる。

 少しの望みと願いを込めて、俺は担当に問う。


「一応、芸能事務所であるウチはそれでもいいんだが、アテナがあくまでやりたいのは偶像アイドルなんだろ?」

「もちろんです! インターネットは信仰を奪う敵ですから!」


 ほっとした。その回答を聞けて、嬉しかった。


「なら、その方向性はなしだ。部分的に良さを取り入れるとか学ぶとかはありにしても、全面的にその要素を押し出していくのは避けたい」


 舌が明らかに滑っていた。口調も軽い。自らの望む言葉を言ってくれたからと、喜んで喋り倒すのは恥ずかしい、でもやはり嬉しい気持ちには抗えない。


「その問いが出来るのですね」


 隠野に睨まれる。時代遅れの大人だと思われているのだろう。それは仕方のないことで、俺が彼女に対して背負わなければならない罪だ。


「マネージャーさん、その顔も必要ないのです。中途半端にわたしのことを思うのは、やめるのです。ただ、次のことのみを考えるべきなのですよ」


 今後は、どうするか。やることなんて決まり切っている。

 

「俺としては、今のアテナの良さを偶像アイドルに活かしたい」

「いいとこどりをさせろと言うのですね。今の苛烈な美を、偶像アイドルに求められる可愛らしさと調和させろと言うのですか。それはひどく困難だと思うのです」

「私もそう、思います。この美と偶像アイドルとしての美は、まったく重なっていません。活かせるのは、身体能力の高さぐらいでしょうか」

「身体能力の、高さ、か……」


 逆にそれが枷になっているのではないだろうか。 

 昨日素晴らしい歌を披露した際、彼女は歌唱にのみ集中していた。振り付けの意識が問題かもしれない。思いついたら、すぐに試すべきだ。


「アテナ、試しに軽く歌ってくれないか? 少し試したいことがある」

「いいですが、またさっきの曲ですか? あまり変わらないと思いますが。歌も踊りもさほど変化しないはずです」

「いや、歌だけでいい。踊りはなしだ。となると、そうだな……振りをしらない曲の方がいいか……こっちで適当に指定するから――」


 部屋に備えられているスピーカーと俺のスマホを接続して、購入していた中から適切な女性偶像アイドルの曲を探す。

 同年代、同ファン層を掴めそうなものへと指が伸びてタッチし、後悔した。この曲の主はすぐそこにいる。隠野還乃の歌をまた選んでしまった。

 無情にもオケは流れる。出だしを聞いて、ひとりの肩が勝手に跳ねて足が微動した。条件反射らしい。


「この曲を選んだのは、課題として一番適していると思ったからだ。そ、それ以上でも以下でもない」


 言い訳をして更に気まずくなった。ついでに体裁である敬語も取れた。みっともないが仕方なし。

 怒られることを覚悟したが、今度は当人に睨まれていない。問題も無し。


「この曲、この声は……ふむ」


 アテナも何やら反応を示しているが、些細なことだ。

 俺が気にしすぎだったらしい。元担当の持ち歌を、今担当の課題曲に選んだことなどなんでもない。今の流行を抑えるなら、この曲が最適なのだから。

 自分に言い聞かせて、曲を停止させようとする指を止める。大音量で軽やかな曲調が拡散され、震えていた人差し指が更に震える。


「私はこれを歌うんですか。なんというか、微妙な難易度ですね」

「お前、気づいててよく言えるな」

「少し煽られすぎているので、仕返ししてやろうと思いまして」

「お前も割と煽っていると思うが」

「そうですか? そうでもないと思います。今だって普通に喋っているだけですよ」

「現在考えていることを言ってみてくれ」

「この曲なら、二度聴けば大体大丈夫でしょうか。振り付け有りなら、三度目の視聴が必要でしたけど」


 常人とは程遠いことをさらりと言いのけて、スクリーンへと集中するアテナ。

 その自信の根底には、曲に対する侮りがあった。それ以上に、絶対にこなしてやるという意気もあった。

 一度聞き終えて、アテナは迷いなく感想を吐き出した。


「これは、逆に難しいですね。歌は簡単で、おそらく技術で差がつきません。むしろ、愛嬌や振る舞いや声質を活かす曲……隠野還乃の曲なら、もっとポテンシャルを引き出せる楽曲にするべきでは?」

 ド直球だった。

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