第8話 ダメ出しと殴り合い

 「動きが強張りすぎていて、綺麗ですが観客にまで緊張と緊迫が伝わっているのです。そんなことではダメダメなのですよ」


 当然、容赦ない人気偶像アイドルからすれば見逃せない点らしい。


「練習期間はどれほどなのですか?」

「えっと、四時間、ぐらい、ですかね? 合ってますよね、神官マネージャーさん?」

「ああ、合っているが……」


 正直に一夜漬けであることを言うやつがいるか。との窘めは飲み込んだ。この返答に関しては明確に俺のミスだ。事前に行った、『審査員との面接で気を付けること講習』からすっかり抜け落ちていた。

 予想通り、隠野還乃の顔がより険しいものになっている。あどけなさと無垢さと鋭利さが同居した表情。見ていたいけど見ていたくない、そんな感じだ。

 複雑な顔つきは維持しながら、視線を引く唇がこっそり動いた。


「わたしはその何十倍も練習したのに……天才型……消えればいいのに……」


 しかもギリギリ呟きが聞こえてしまった。神官マネージャーになんてならなきゃよかった。身体能力上昇の弊害が思い切り出ている。

 現在人気急上昇中の芸能人から、そんな恨み言は効きたくなかった。

 どれだけ推しでも覚めかねない。


「やった! やりました! 推しに、あの隠野還乃に天才と言われました! これは大きいですね! こうなってしまえは武道館からアリーナまで一本道ですね! さすがは私が推しとした偶像アイドルです、見る目があります! 褒めてつかわしましょう!」


 ここに覚めてない人が、いや神がいるが。

 直接妬みをぶつけられたにも関わらず、童女のテンションは落ち込むことを知らない。

 その反応がますます隠野のいら立ちを加速させる。元担当偶像アイドルが嫉妬や恨みを発するたびに、現担当偶像アイドルはその感情を受けて喜び倒す。また少女がひとり怒る……以下無限ループ。


 隠野はいら立ちを重ねるが、その姿すら撮影の一環のよう。

 よい表情と姿勢を崩さず、彼女は立ち上がって俺たちに一瞥をくれる。


「隠野還乃、一体……どこへ?」


 遠慮のないアテナの問いに、


「見てわからないのですか? 身体の運びと周囲の状況を見て、色々と察するのもアイドルを名乗るのに能力なのです。覚えておくといいのです」


 こんな簡単なこともわからないのか、と言いたげだ。


「別室に向かうのです。付いてこなければ、置いていくのです」


 審査員席を外れて移動を始める少女。


「ちょっと隠野さん! きみ、審査はどうするの!」


 関係者の男たちは彼女の後を追い、必死に暴挙を止めにかかるも、


「審査? もう終わったのです。見込みがあるのは銀髪の子だけ。全員見終えたことも分かっているのです。参加予定リストには事前に目を通して完璧に記憶したので」

「そうは言ってもだね――」

「そういえば、先日、あなたがたからしつこく提案されていたお仕事の件なのですが」


 困り顔をしていた男のひとりが、不純物のない声色に動きを止めた。


「スケジュールの都合で無理とお返事したのですが、あのお仕事受けたいと思うのです。徹夜をすれば、問題ないのですし」


 あっさりと下された判断。

 それだけで男たちが引き留めをやめ、なにやら会議を始めた。無駄に強化された耳で盗み聞きしてみれば、彼女抜きでこのイベントを続けることの算段をつけている。

 無茶苦茶だ。あちらの神官マネージャーのことを思うと泣けるが……。


「……置いていかれたいのですか?」

神官マネージャーさん、急ぎましょう! はやくはやく」


 担当に急かされ、元担当に睨まれたとあっては従わざるをえない。

 わがままな背中を追う途中でも、アテナの高揚はそのままだった。


「あの、どうしてここまでしてくれるんですか? スケジュールの無理までして、いや、わかりますよ? 私という宝石を見つけたら構いたくなるのは当然で……」

「うるさいのです。その自信でしか動かないダメなお口を閉じるのです。こど――そこの愚か者からの指導を受けて、どうしてそんな出来になるのですか、ちびっ子」


 きゃあきゃあとやかましいアテナの妄言は遮られる。人の言葉を断ち切ることに迷いがないところは、前と変わらないか。


「ちびっ子じゃないです、アテナという名前があります! 偉大な名です! あと神官マネージャーさんは神殿こどのというバッチリな名前があって――」

「その人の名は忘れるはずないから――いいのです」


 歩きながら隠野が振り向き、また睨まれる。何度目だ。

 数えようとした瞬間に眉の角度がきつくなる。心が読まれていた。

 隠野は逃げるように前を向きなおして、話を変える。


「アイドル以外の名前など些事なのです。重要なのは、アイドルのこと。わたしがあなたがたに――いえ、アテナさんにこうして時間を割く理由の方が、遥かに重要なのです」


 大部屋を出て廊下を進み、辿り着いたレッスン室。隠野はそこのドアを乱暴に開ける。


「わたしは、アイドル自体の価値を無限に高めたいのです」


 真剣な瞳だった。舐めてかかれば両断されそうで、一方脆くもある。


「好きな概念の価値をどこまでも向上させたいと、常々考えているのですよ。であれば、将来貢献しそうな存在に投資するのは当然のこと」


 静かに熱を籠められた言葉を受けて、アテナはふふんと胸を張る。


「その判断、なにひとつ間違っていません! さすが私の推し! この身は偶像アイドル価値を絶対に上昇させますよ! 爆上げです! 絶対です! 目指すは、偶像アイドルと言えば世の支配者というところまで! 子供たちのなりたい職業ランキングで殿堂入りするまでいきますよ!」


 大言壮語だ。だが、自信を失うよりはよっぽどよいか。

 部屋の中心まで進み、壁一面の大鏡の前で先達は後輩を指さす。


「期待はしないのです。ただ、落胆させられないことを祈るのです」


 突き付けた指と手をクイと手前に曲げ、人気偶像アイドルは同類を誘う。


「さあ、まずはかかってくるのです。アイドルの適性を見るには――まず殴り合いなのです」


 ……どういう、ことだろう?

 とりあえず発言を飲み込み、整理し終えてから俺は問う。


「一体どのような、意味でしょうか? すみません、こちらには意図がわからず――」

「何を言っているのですか、神官マネージャーさん。一発殴ってこいっていう意味ですよ。仮に言葉がなくとも、構えを見ればぴんときます」

「どうやら、アテナさんは分かる側なのですね。少しだけ、見直すのです」


 勝手に理解が進んでいた。偶像アイドルといえば殴り合い? ほんとにどういうことだ。リスクがありすぎる。


「冗談でしょう? 怪我でもさせたら問題どころの騒ぎじゃないぞ」

「そうですね、私の武技では幼子に怪我をさせてしまう……と言いたいところですが、嘘はつけません」


 アテナはシスターと戦ったとき以上に据わった双眸で、目の前の相手を直視した。明らかに敵として。


「彼女は強いですよ。『斂想』の量が違います。アイドルとしての人気が、受け取った感情量が私とは天と地の差です。弱体化している今では、有効打はないでしょう」

「……? よくわからないのですが、身体能力に差があることは承知しているのですね。それを解しているとは、ひとまず合格と言えるのです。さあ、あとは――」

「こっちから仕掛けるだけですよね!」

「おい、待――」


 止める前に乾いた音が響く。拳銃の発砲に酷似した、勢いと鋭さを備えた衝撃だった。

 アテナが突き出した右拳は隠野の左手に易々と受け止められている。

 強化された動体視力でも追いきれない拳に、人気偶像アイドルは平然と反応して見せたのだ。

 理解が追い付かない。だが状況は進む。


「いい拳なのです。もう一発ぐらい、受けてあげないこともないのですが」

「私に向かって、とんでもないことを言いますね! 世が世なら追放ですが、今は望みに応えてあげましょう! サービスですよ!」


 また空気が裂ける。


「二発目も衰えないとはやるのです。いつまでスタミナが続くのですか? 振り付けを完全に行うには、それも重要なのですが」

「無限だと、今ここで証明して見せましょう!」


 衝撃と風を切り裂く音が連続する。。

 様々に繰り出しているのだろうアテナの殴打を、隠野還乃はなんなく受け止めてみせ、


「腕の動きはよくとも、足はどうなのですか? ステップを踏むには、そちらの技術も大事なのです」

「できないわけないでしょう!」


 童女の蹴りもピタリと手のひらで止めた。

 完全には見えなくとも動作は流麗であり、本来はいけないことなのに、この組手をずっと眺めていたいとさえ思う。

 しかし物事に終わりは付き物で、数度足技を繰り出した後に二人は距離を取りあった。なんとか、無事に終わったらしい。


「ふむ、十分なのです。基礎身体能力に問題はなし、新人でこれなら天才……少々苛立つのですが、面白くもあるのです。もっと、成長してくれればいいのですが……期待しすぎは後で落ち込んでしまうのですね」


 大胆不敵な挑発に合わせて、初めて彼女は笑った。それは俺が以前に見た、魅力的な笑顔に近い。

 この子をスカウトしようと決めて声をかけた時の、決め手となった表情を思い出した。

 思い返した途端に現担当から睨まれた気もするが、よい記憶であることには変わりない。


「むむ、なにやら偶像アイドルとしては極めてよくない予感を察知しました。さあ早くレッスンを、厳しいトレーニングを始めましょうか、私の推しよ! この身は一刻も早く偶像アイドルにならねばならないので!」


 ひねた動機から生まれた努力欲求は、たかが数ワードで打ち砕かれる。


「――何を勘違いしているのです。わたし、厳しいレッスンをするつもりなんて、さらさらないのですが」

「「――は?」」


 人と神、神官マネージャー偶像アイドルの意識と言葉が、史上最大に同調した瞬間だった。

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