第7話 初披露と圧倒
それだけで空気がぴりついている。同じ審査員席にいる年上の男たちですら竦んでいた。
怯んでいないのは、
「やば、やばいです! やばいですよ! 隠野還乃がいます! 街の高いとこに映っていた人ですよ! やば! かわい! 顔が良!」
うちの
アテナだけはいつも通りのテンションで、きゃっきゃとはしゃいでいる。ある意味大物だ。
「ね、ね!
「
「そこの可愛いアイドルさん、わたしはあなたの歌と踊りを望むのです」
俺たちのやりとりを断ち切り、澄んだ要求が部屋を分断する。
どうするべきか。悩んでいると、
「課題曲を披露してほしいのです」
逃げ場を封じる続きが発せられる。
これは、どう答えるべきだ? 今回のイベントにはパフォーマンスの発表順がある。それを無視してアテナが一番に披露するというのは、さすがにまずいか。
「すみません、事前の予定を遵守したほうが良いのではないかと――」
俺の舌が迷っていた。
何を言うべきか、体面や周囲など気にせずチャンスとみるべきか、そも
苦慮を重ねたあげくに絞り出した声は、
「いいから、やるのです」
シンプルな言葉に潰される。あと死ぬほど睨まれた。心が弱い人なら見据えられただけで帰りたくなるはずだ。俺も逃げたい。アテナがいなければとっくにそうしている。
「わわ、私すっごく睨まれているんですけど⁉ な、なにかマズいことしちゃいましたかね……? でも推しに睨まれているというのは、それはそれで視線の独占で良いかもです!」
マズいことはとっくにしているし、結果的にはネガティブなんだかポジティブなんだかわからない。
だがそれに一々ツッコんでいる余裕もなかった。
慌てているのは俺だけでなく、審査する側の大人たちも同じだ。誰もがどうするか悩んでいる中で、ベテランと思しき中年の男は人気偶像を宥めにかかる。
「隠野さん、さすがにそれはマズいでしょ……順番とかあるからさ、ね? 我々の進行通りにやってもらって、コメント添える形で――」
「有象無象の順番を待つ必要があるのです?」
懸命な大人の判断も、子どもの無垢な本音に形無しだ。会場の雰囲気は完全完璧に凍っていたし、更なる追い打ちがくる。
「わたしも一応、それなりのアイドルなのです。立ち姿ひとつ見ればわかるのですよ。今まで入ってきた子たちはみんな体幹がブレブレ、重心もなっていないのです」
しかし、と一言おいてしばし。じいっとアテナを、そして気のせいでなければそれ以上に俺のことを睨みつけて、
「ですが、そこの銀髪の少女は違うのです。見目の良さ、憎たらしいほど素晴らしい容姿というだけで思考停止してはならないのです。その子は――違う」
そう、静かに述べた。
十代の
アテナは人でないから、かまわず俺に耳打ちしてくるが。
「ね、ね、
「わからん。少なくとも俺が知ってる隠野還乃はあんなのじゃないはずだ」
そうだ。俺が担当していた時は、レッスンしか頭にない少女だった。それは現在の彼女の基礎であり、鍛錬にだけ注力していなかったからこそ芽が出なかったとも言える。
つまりは俺の失態だ。
忘れたくはないが、忘れてはならない過去。
だからこそ記憶しているし、言える。言ってはならないのに、口にしてしまう。
「あんな風に育てた覚えはないんだけどな……」
「きちんと最後まで育ててくれなかったから、こんな風になってしまったのですが」
恨み言がしっかり飛んでくる。
呼吸に限りなく近い小言だったのに、聞こえていたのか。どんな地獄耳だ。
「彼女は『斂想』――多くの感情を集めていますから。人気を得れば得るほど、身体能力が高くなっています。例えこしょこしょ話でも迂闊なことを言えば、聞こえてしまうでしょう」
ということは、先ほどの性格がやばいうんぬんの囁きもバッチリ聞こえていたのでは?
もう一度前を見ると、睨みは一層強まっている気がした。こわい。絶対怒っている。怒っているところはよく知っているから、わかる。
だが逃げ場もない。
俺と嫌な形で目を合わせると、隠野は再度口を開いた。
「歌い踊らないのですか? それならば、何のためにあなたはここにいるのですか? やるきないのですか?」
声だけは愛らしい。口を開く姿も可愛らしい。
だが内容の苛烈さで頭がおかしくなりそうだ。
「いえ、いえ! やる気しかありません! 推しに見られて歌って踊るなんて、とっても興奮して――やる気にしかなりません!」
テンションが上がったのか緊張したのかおかしなことを口走るアテナに、まったく顔色を変えずにスタッフへ合図を送る隠野。
ぽっかり空いた審査員席前へと、童女が飛び込む。
同時に音楽が流れだす。
それは昨日の夜を徹して、アテナが記憶した課題曲。
隠野還乃がスターダムを駆けあがる、切っ掛けとなった再デビュー曲。
「じゃあ、いきますよ! 推しより輝く神の姿、見せてあげます!」
肥大した自信と共に口上を述べて、
軽快な音に合わせて二度三度。ミスがなく、リズム感もバッチリ。数拍待ってから放たれるされる歌声は見た目を裏切る力強さ。それでも声質には幼さが残っていて、新しい。
フリにミスもなく、身体の運び方もこなれている。
歌唱で音を外すこともなく、呼吸のタイミングだって問題はない。
一晩でこのレベルまで持って行ったのだから、天才だ。アテナの能力に問題があると判じる審査員はいないだろう。
しかし、見定める側は才能の上に長い努力と経験を積み上げてきた人間たちだ。
曲が終わる。
童女の口が閉じ、身体がぴたりと彫刻さながらに制止し、数秒。
スピーカーから流れる音楽が止まると、ざわめきがその跡地に広がった。
「……きれい」「――すご」「ね、あんな人デビューしてた?」「あとで写真撮ってもらおうかな」「逆にこわい」「ほんとにあたしと同じ人間?」「存在が違う」「もはや変。いやきれいだけどさ……」「不気味かも」
周囲にいる
審査員たちも、驚きや唸りを隠せていない。
よし、呆れはないな。とりあえず興味を抱いてもらえたなら、最初にしては上々――
「――
「ばか。俺の方見るな。こっちくるな。審査員席の方を見ろ。でもまあ――よかったよ」
「やった! やりました!」
昨日今日の姿を見るに、ここで「当然です!」と言うと思ったのだが……今ばかりはアテナも素直に安心している。
となれば、緊張があったということ。
ところどころの動きと声に残っていた硬さは、それか。
さてこのマイナスポイントが、審査員にはどの程度重大に映るか。
「いいパフォーマンスなのです。でも、もしわたし自身がその程度のパフォーマンスを晒したら……ひどすぎて寝込むのです」
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