第6話 元担当アイドルと今担当

「レッスンなんて要りません! なにせ私は神ですので! この身の数千分の一しか生きていない、人の子に教えてもらうことなぞありません!」

偶像アイドルを始めたのは人が先だぞ」

「いやそれは……むぅ。例の聖母とやらを恨むのも……ぐぬぬ」

「それに、今回のレッスンは他事務所のやつらも集めた企画だ。イベントに近い。発掘オーディションも兼ねているしな。結構大事な機会だ。一夜漬けで課題曲の振り付けを覚えてもらったのには理由がある」

「確かに、やりましたが……けっこー大変でしたが……それはそれです。大体、オーディションというだけで神に対する不敬じゃないですか? 審査なし一発で合格するべきで……」

「それは無茶だろ。誰だって新興事務所のド新人偶像アイドルの正体が、実は有名どころの神様だったから一発合格なんて話信じないないからな」 


 俺が神とやらと出会ってしまい、それを一流の偶像アイドルにすることになってから翌日。その昼下がり。

 俺たちは今、事務所からそう遠くはない場所にあるスタジオにいた。廊下を歩きながら軽口を叩いている。

 他人に聞かれてしまえば正気と病気を疑われかねない内容の会話だ。いくら雑談と言えど、冗談の一言では済まされない。登場する単語が異常すぎるし。


「他に人がいる時は、神や信仰の話はなしだぞ。良くても仕事やライブの話はなくなるだろうし、最悪精神病院を紹介されるからな」

「失礼な」


 念のための釘刺しに、予想通りの反応を返してくるアテナ。ただ、次に飛び出してくる童女の言葉は俺の予想外だった。


「そんなことぐらい分かっていますよ。私はお馬鹿さんではありません。それどころか知恵の女神でもありますから」


 何を言っているんですか? と言わんばかりの目で、こちらをじっと見つめてくる。昨日のやり取りからは、知恵の神を堂々名乗れるほどの知性は感じなかったのだが……。


「まあいいか。勘違いおバカキャラというのも一周回ってありかもしれないしな。十数年前に流行ったものが一定周期で戻ってくるとも言われているし」

「失礼なっ!」


 アテナが可愛らしくも強く声を上げたところで、丁度よく目的地だったレッスン室の前へと到着。

 昨日の今日でレッスン参加権を得られたのは、今まであちこちのイベントを手伝ってコツコツ積み上げてきた信頼のおかげだ。もちろん我らが社長の力も絡んでいて、本当に頭が上がらない。諸々の助けがなければ、いくらイベントに空きがあったとしても、普通はここまでの速さで参加までこぎつけられていないだろう。


 それにしても我が事務所の代表は顔をまったく見せに来ないが一体どこで何をしているのか……道楽とはいえ、一社員に任せ過ぎではと心配になってしまう。

 とびきり良い新人が見つかったと連絡しても、会いに来る素振りすらないし――。


神官マネージャーさん、もう入ってもいいんですか?」

「ん、ああ。もう時間もぴったりだ。参加者も準備を終えて待機しているだろうし、いいんじゃないか」


 呼びかけに考えを中断し、腕時計で時刻を確認してから担当の後に続く。


「ん? なんでしょう、この気配……」


 ドアノブに手をかけたアテナは、全身の動きをぴたりと止めた。


「どうした?」

「少し下がっていてください。荒事になるかもしれませんから。昨日襲撃してきたシスターのような、いえそれ以上の力を感じます。」


 いつのまにか、童女の小さな右手には一振りの槍。鋭利な穂先は所有者の髪色と変わりない輝きを放ち、天井を指し示している。


「おい、なにしてる⁉ 物騒なものはしまえ、やめ――」


 俺の制止は遅すぎた。

 アテナが勢いよくドアが開け放った瞬間、槍先は前方へ向けられた。一切の乱れはおろか、重さすらも感じさせない軽快な槍裁きだ。

 扉の向こうには多くの偶像アイドル達。その奥の奥で椅子に座る少女を切っ先で捉えながら、アテナは口を開く。


「神にも近しい莫大な『斂想』――人々からの信仰を抱く者よ! そこで一体何をしているのですかっ⁉ 理由次第では――」


 勢いよく流れ出た言葉が、途端に勢いを失って途絶えてしまう。そこで初めて戦神の得物が揺らぎ、頼りなさを帯びて消えうせた。

 それもそうだ。

 だって、俺たちの前には――大人気偶像アイドルが、存在しているのだから。


かくれ還乃かえの……⁉」


 アテナが偶像アイドルになりたいと宣言したときに、街頭のディスプレイを占領していた少女。

 落ちぶれた女神様が、電気街の広場で指さし見上げた相手。

 有名な会場は大体ソロで制覇し、次はアリーナを目標に掲げる女の子。


 そして、俺の元担当偶像アイドル

 そんな人間が、今目の前にいた。


「分かってはいたけど、やっぱビビるな……」


 前を真っすぐ向いて、俺は震えた。

 圧倒的だ。

 彼女の腰まで届く、色の深い黒髪が空間の中心だった。トレードマークたる前髪は単純に切りそろえられているだけなのに、妙な幼さと清楚さが見る者の心を掴む。光を宿すまあるい眼も相まって第一印象は抜群にいい。

 瞳の黒はやけに深くて底がないのに、不安とは無縁だった。


「わ、きれい、ですね……」


 アテナに同意だ。

 隠野は座っているだけで様になる。メディアには公開されないイベントの審査員だというのに、まったく隙のない座り姿だ。いつも彼女がライブで用いている、ウェディングドレスじみた衣装まで着ているし。


 周囲にいる有名プロデューサーやらスカウトやらなんてどうでもよくなるくらい、隠野還乃は辺りを制圧していた。

 審査員席の前にずらりと並んだ十数名ほどの偶像アイドルたちは、目の前にいる大物がどんな言葉を発するのか、緊張した面持ちで待っている。

 形のいい唇が動き出した瞬間、全員の肩がぴくりと震えたくらいだ。


「おや随分と、元気いっぱいな子が来たのです。大抵は元気しかない空っぽダメ人間が多いのですが、今回は元気さに見合う見た目はあるのですね。あとは、中身がスカスカでないことを祈るのです」


 恐ろしいことを次々に述べて、


「わたし、アイドルが好きなのです。だから、中途半端な人がアイドルを名乗ったりしていると――怒ってしまうのですよ」


 愛嬌たっぷりの作られた声で美少女は人を潰さんと圧をかけた。

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