第2話 マネージャーとアイドル志望者
『アイドル募集! キミでもきっと、輝ける』
この手に握ったポスターの文字さえ、俺を笑っているように見えた。
もちろん錯覚だ。
担当アイドルのいない、ポンコツマネージャー特有の幻覚。
すべて自業自得だ。己のミスのせい。
新興芸能事務所が開いたライブに惚れ込み、その情熱に従ってそこに入社したことが終わりのきっかけだった。
俺が所属してしまった先は、金持ちが道楽で作った芸能事務所。社長はアイドルに飽きたらしく、現在は俺が一人で会社を回している。
――単身で回せるということは、その程度の規模だ。今は実体すらあるか怪しいが。
もちろん実績があるはずなく、それでスカウトが成功するはずもなし。
仕方なしに様々な音楽イベントの手伝いをしている間に、裏方の経験値だけが空しく溜まっていく始末。
今日も電気街での地下ライブハウスにて裏方をした後で、あちこちに募集ポスターを張るお仕事。
今時こんなアナログな手法も流行らない。
ネットで既に輝いている
その手法を行って既に失敗している俺に出来ることは、こういう地道な活動だけだった。
「ありがとうございました」
ポスター張りを快く許諾してくれた店主の方に頭を下げて、店を出る。
これで、協力してくれそうな店舗は全て回り終えてしまった。
頭の中をどれだけ検索しても、スマホの地図と散々睨めっこしようと、近くでこれ以上広告できそうな場所はない。この手で存在感を放つ、余りの紙束は一体どうしてくれようか。もう夜と呼んで差し支えない時間帯だが、残業をしていってもいい。いつも仕事はないのだから、たまにはいいだろう。
違法な設置は論外だし、さて……。
悩みをぼんやりと頭に留めながら、騒がしい都会を歩く。いくら歩を進めてみても、別の地域に移動するという、真っ当かつ面白くもない案しか浮かばない。
自分でも自己をユニークな人間だとは思っていないが、それにしても、どうしようもないつまらなさだった。
とんでもない逸材美少女でも転がり込んでこないかと、夢とすら呼べないような妄想を頭の中で広げてしまうくらいには。
笑い事だ。神様だってこんな願いは聞き入れてくれないだろう。
ちょうど教会前を通り過ぎていたからか、また無意味な考えをしてしまった。電気街にある宗教施設なんて、ご利益があるはずもないのに。
十字のついた古い建物を通り過ぎながら眺めていると、その中に二人の修道女が入るところだった。片方は赤毛で、もう片方がブロンド。見覚えがある。この街で炊き出しや布教活動をしているのを見たことがある。
あの姿は売れない地下アイドルのビラ配りに似ていたから、よく覚えていた。彼女らが呼びかける声は張りがあって透き通っていたし、容姿も可愛らしかったから、それこそアイドルにでもなれば――素質はあるのだから、俺が担当できればワンチャン――。
「はっ、バカらしい。あほか」
失礼すぎる思考を、音にして戒める。声に出さねば自戒出来ないともいう。
それに俺は一度、ダイヤモンドの原石を手にしたというのに――無駄にした。二度目があろうとまた腐らせるだけだ。
タイミング悪く視界に入ってくる巨大街頭パネルも、明白にそう告げている。画面内ではかつて俺が輝かせられなかった宝石が、それまでの燻りを取り戻さんと煌めいていた。
眩しくなって目をそらした。現実逃避代わりに、余計なことが脳内を埋めていく。
才のない俺が、エンタメの世界にいてもよいのか。
もし芸能界の隅にでも存在してはいけないとして、どうするべきなのか。
こんな自分自身が、まだこの場所にに居続けるためには。
「ちょっと、ちょっとあなた!」
解決しそうにない問題に没頭していると、外部の刺激が案外気にならないものだ。
キャッチやらメイドさんやらの声掛けに、日ごろからストレスを抱いている身としては、この状態は割と良いかもしれない。
――嘘だ。
悩みなんてない方が良いに決まっている。
街からもたらされる色々な刺激から逃げるため、俺は足早に移動して――
「待ってください!」
右腕を、掴まれた。
おいおい、迷惑防止条例違反だぞ――なんて杓子定規な言葉は発さずに、ただ力に任せて振り切ろうとするも、俺の体はまったく前に進みはしない。
常識では考えられないほどの膂力。
どれほどのヤバい奴に絡まれてしまったんだと、厄介者の方へと目を向けると、
「――ぁ?」
現実が、上手く認識できなくなる。
驚愕で声が喉から抜け出したのは、初めての経験だった。現実のものと思える存在は視界に一ミリもなく、驚きすぎてこれ以上のリアクションが取れない。
眼前にあるのは、空想と理想と妄想を濃縮した美少女だ――現状逃避代わりに浮かんできた単語を繋ぎ合わせると、ますます何も掴めなくなった。
「やっと気づきましたね。――って、一体どうしました? ケルベロスが熟睡したところを目撃したような顔をして」
俺の右腕をがっしり掴んでいるのは、外国人の童女。
この子の姿を視界に収めた瞬間、脳に叩き込まれるのは『白銀』という二文字。
最初に視覚を制圧したのは、冷たい銀色だ。
短く整えられた銀髪は、電気街の眩い電光に負けないほど明るく輝いていた。
続いてこの瞳へ殺到するのは、圧倒的な純白。
俺の右腕を掴む五指から、よいとしか言いようのない顔、ひらひらとした服装から飛び出す手足に至るまで――彫刻のように白い。本当に生きているのかと疑問を抱きたくなるくらいには、白皙に一切の穢れが存在しない。
身に纏う衣服も全体的に白で統一されており、例外は腰をきゅっと結ぶ紺のベルトぐらいか。腰を締め付けることで生まれる優美なひだは、世界史の授業のどこかで見覚えのある形だった。肩口の布を止める金のピンだって、彼女と一緒なら違和感がない。歴史の絵本から飛び出してきたと言っても、十分真実味がある。
立て続けに見る者へ衝撃を与えるのは、ヨーロッパをルーツにすると思われる顔立ち。ぱっちりとして大きな瞳は理知の輝きを宿しており、宝石を眼窩に埋め込んだかのような美しさを備えていた。
だが、それだけではない。
そのように美麗でありながらも、低年齢特有の無垢さはしっかりと兼ね備えている。細かな年齢までは分からないが、幼いという印象が前面に出ていた。
この子をスカウトできれば、どれだけ――いや、こんな逸材を逃す愚か者などこの世に存在しているはずがなくて――
「何をぼーっとして……私の声、ちゃんと聞こえてます?」
「…………」
音は聞き取れてはいるのだが、脳が理解という処理を終えていない。両目から注ぎこまれる、膨大かつ常識外の情報が俺のキャパシティを上回っている。
「ひょっとして、言語が通じていない? 神の言葉はすべての人間たちに通じるはずですが、そんなことあるのでしょうか。ガチャとやらに祈りが奪われた影響が、こんなところにも出ている……?」
音は次々と流れ込んでくるが、まず片付けるのは視覚から。
気づけば、俺たちは随分と周囲の注目を集めていた。いや正確にはこの童女が、余程のことがなければ忙しなく歩いていくはずの、都会人の視線を吸い寄せている。
小さな美童女が、冴えないスーツ姿の青年を腕一本でその場に留めている光景。
こう表すだけで随分特異な光景であるのだが、彼女の神がかった容貌も相まって、俺と彼女の周辺はとんでもないことになっていた。
我々を円の中心として、観衆がドーナツ状に群れを形成していた。
まるで盛大に路上ライブでも行っているかのような有様だ。人が人を呼び、こうしている間にも現状は惨状へ。無数の人の切れ間から、ついさっき遭遇したシスターたちも見えた。見世物になど興味のなさそうな彼女たちが群衆に巻き込まれるくらいには、人だかりが大きくなっているらしい。
「――もう! あの! ちょっと‼」
「っ⁉」
体が大音量にのけぞってから、大音声が童女のものだと知る。喉から飛び出たとは信じられない、衝撃と表現すべき大声だった。理由は不明だが、未だに肌がひりついている。
「あ、よかった。聞こえてはいるみたいですね……言葉の意味は、分かってますか?」
「あ、ああ……」
「それはよかったです。言語が通じなければ、私の予定が狂ってしまいますからね」
ほっと胸をなでおろす童女。些細な動作の端々まで流麗で、指先一つの行方にも意識が吸い寄せられる。
だが、ただぼーっと見惚れているわけにもいかない。目の前にある多くの謎を、放置したままこの場を離れることはできない。なんなんだ、こいつは。
「それで、何の用だ? キャッチはそもそもお断りだし――第一、子供が一人でほっつき歩くにはお勧めできない時間帯だが」
「私は子供ではありませんよ、と言っても無駄でしょうね。見た目だけでは完全にそう捉えられて然るべきですし、そう在らなくてはいけないのが、私ですから」
要件は短くいきましょう、と付け加えてから、童女は一旦言葉を区切ってこちらを凝視する。眼光で縛り付けられた俺に、不敵な笑みが向けられた。
「私、『推し』とやらになりたいのです!」
童女が指さす先は、巨大ディスプレイ。
俺の元担当アイドルが輝く、煌めく舞台。
「あれ、正しく伝わっていますよね? 今の世界では、信仰対象のことを『推し』と呼ぶのでしょう?」
何を言っているのだろう、この子は。
ふざけている。常識的に考えてれば、大人をからかって遊んでいるだけだ。
されど、真摯に語る姿勢と瞳からは魅力が溢れている。
「あそこで輝く女の子のように見事な
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