傾国狐のまつりごと-食われて始まる建国物語- 第1部 サエイレム編
つね
第1話 序章-城塞都市サエイレム
『 サエイレム 』という名の都市がある。
東西6km、南北4kmの市街に約7万人が暮らす城塞都市は、人間と、人間が一般に『魔族』と呼ぶ人外の種族が混在して暮らす唯一の都市として知られていた。
遙か南方から流れてくる大河ホルムスが、その流れを大きく西に変える場所に位置するサエイレムは、人間の国である『帝国』と、帝国の東に位置する魔族が住む『魔王国』との境界でもある。
サエイレムは、両国の緩衝地域として独立と中立を保っていたが、それは決して卓越した外交手腕の産物ではなく、サエイレムを挟んで対峙する帝国と魔王国の勢力の均衡によって生み出されたものに過ぎなかった。
そしてそれはどちらかの国がその気になれば、容易に崩れるものだった。
人間の版図を広げようと帝国の軍勢が魔王国に攻め込んだのは今から10年前のこと。サエイレムとのその近郊を主戦場に、一進一退の戦いが続いた。
しかし、長年に渡る戦争は次第に両国を疲弊させていく。侵攻を命令した帝国皇帝が崩御したことを機会に、跡を継いだ新皇帝は魔王国に対し和睦を申し込んだ。
当時の戦況は帝国がやや優勢の状態だったが、帝国が出した条件は、サエイレムとその支配地域を帝国の属州とすることだけだった。
人間と魔族が共に暮らすサエイレムは、人間との共存を嫌う魔王国の魔族たちから疎まれていた上、元々魔王国の領土でもない。帝国の条件はさほどの抵抗なく受け入れられた。欲しければ持っていけという程度の感覚だったのだろう。
そして、和睦によって新たに帝国属州となったサエイレムには、魔王国との戦争で長年にわたり活躍した帝国の将軍、アルヴィン・バレリアス・エルフォリアが属州総督として着任すると布告された。
その布告から3ヶ月ほどがたったある日の朝、まだ閉じられたサエイレムの城門の前に、二人の小さな人影が立った。
一人は金髪、一人は栗色の髪をした、まだ10代前半の少女だった。ふたりとも粗末なワンピースに身を包み、金髪の少女は腰に剣を下げ、栗色の髪の少女は背嚢を背負っている。
「あの、…フィル様、本当に大丈夫なんでしょうか?」
少し不安げな声で栗色の髪の少女が、隣に立つ金髪の少女にたずねる。
栗色の髪からはピコリと獣耳が突き出しており、服の裾からは見事な毛並みの尻尾の先が覗いている。彼女は魔族の種族のひとつ、狐人族の娘だった。
彼女からフィルと呼ばれた人間の少女は、紅い瞳を向けて微笑む。
「リネア、大丈夫だから、任せておいて」
すぅっ、と息を吸い込むと、フィルは腹の底から声を上げる。
「開門!サエイレム総督、フィル・ユリス・エルフォリアが到着した!開門せよ!」
少女とは思えない大音声に、慌てて数人の衛兵が飛び出してくる。
「な、なんだ貴様ら!」
ひっ、と小さく声を上げてリネアがフィルの腕につかまり、身をすくませる。
「言った通りだ。わたしは帝国皇帝よりサエイレム総督に任じられたフィル・ユリス・エルフォリアである。直ちに門を開け」
胸を張り、フィルは衛兵をじろりと見やる。
一瞬、呆気にとられた衛兵たちだったが、すぐに厳しい表情でフィルに槍をつきつける。
「ふざけるな!総督閣下を騙るなど、如何に子供でも、悪戯では済まされんぞ!」
「騙ってなどいない。わたしがお前たちの主、サエイレム総督だ。皇帝陛下から頂いたの信任状もある」
「信任状?なんだそれは?身分証か通行証は持っていないのか?」
衛兵たちは、帝国が発行する通行証や身分証は知っていても、総督に発出される信任状など知らない。下々の者がそんな文書を見る機会などあるはずもなかった。
彼らにしてみれば、総督を名乗る者が、まだ年端も行かない少女、着ている服は粗末で、供回りは魔族の少女が一人、そんなことがあるはずがない…衛兵たちが、そんな至極真っ当な常識にとらわれるのも致し方ないことではあった。
「通行証がないならここは通すわけにはいかん。これ以上騒ぐのなら捕らえて牢に入れてやるぞ」
「まったく…、仕方ない」
フィルは、小さくため息をついた。
「どうしても開門しないなら、押し通る!」
フィルが右手を空中に差し出すと、手のひらの上にボッ、と青白い火の玉が生まれた。
そして、無造作に城門を閉ざす大扉に向けて投げつける。
火の玉が城門に触れると、あっという間に青白い炎が燃え広がり、カッと閃光を発した。
ドンッ!と地響きが足元を震わせる。一瞬で、巨大な扉が砕け散り、きれいに燃え尽きた。
「…!」
衛兵たちは声も出ない。まず自分が見たものが信じられない。理解の範疇を全く超えている。
「さぁ、リネア、行きましょう」
「はい、フィル様」
固まっている衛兵たちを横目にフィルは、開けっ放しとなった城門へと足を運ぶ。リネアは、衛兵たちにペコリと頭を下げると、小走りにフィルの後を追った。
「何事だ!」
フィルとリネアがちょうど城門をくぐったところに、城門が砕ける音を聞きつけた兵士の一団がやってきた。先頭で馬にまたがるのは、革製の軽鎧を身に着け、長剣を腰に下げた銀髪碧眼の若い女性。
その姿に気が付いたフィルは、にっこり笑って声をかける。
「出迎え、ご苦労様。エリン」
「…フィ、フィル様ですか?!」
見覚えのあるその顔に気付いたエリンは、慌てて馬から降り、フィルの前に跪く。
「驚かせてごめんなさい。ここまでの道中、色々あって…ちゃんと説明するから、許してね」
「いいえ、無事のご到着、安心しました。ようこそ、サエイレムへ」
心底ホッとしたような顔でフィルを見上げたエリンは、フィルの後ろに隠れて小さくなっているリネアに気付き、不思議そうに尋ねる。
「…フィル様、その狐人の娘は?」
「この娘はリネア。わたしの命の恩人なの。わたしの側付になってもらうから、仲良くしてね」
フィルは、後ろに隠れているリネアをエリンの前に押し出す。
「あ、あの…リネアです。よろしくお願いします」
遠慮がちに頭を下げるリネアに、エリンも相好を崩す。たとえ魔族であろうとフィルが命の恩人だと言うならば、臣下にとっても大恩人だ。
「私はエリン・メリディアス。エルフォリア軍の第二軍団長だ。リネア、こちらこそよろしく頼む」
「はい、エリン様」
リネアも顔を上げ、ふわりと笑った。
やっと我に返ってフィルたちを追いかけてきた城門の衛兵たちが、エリンの姿を見つけ、慌てて姿勢を正す。
「メリディアス軍団長、そ、その娘が総督を騙り、城門を破壊しました!お気を付けください!」
「城門を壊したのはフィル様だったのですか?!」
「まぁ、ね…」
驚きのあまり口が半開きになっているエリンに、フィルは苦笑いする。
見れば、城門が破壊された音を聞きつけた街の住民たちが、遠巻きにフィルやエリンの様子をうかがっている。
「あの、…メリディアス軍団長?」
エリンがフィルを捕縛しようとしないので、衛兵の一人が不安そうに声を上げた。
エリンは、周囲を一瞥するとフィルの隣に立ち、衛兵や住民たちにも聞こえるように声を上げる。
「聞け!こちらの方は、このサエイレムを治める総督、フィル・ユリス・エルフォリア様だ!」
エリンの言葉で、フィルの話が本当だったと知った衛兵たちが慌てて平伏する。
フィルは、穏やかな笑みを浮かべながら、市民たちの視線を一身に受け止めていた。
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