168恥目 あの頃へ



 あの夜から4年が経った。オレは何も変わらない。月日は流れ、時が止まったまま、自分を嫌いながら呼吸をして時間が通り過ぎるのを待っていた。


 震災で傷ついた街は元の姿を取り戻そうと必死だったが、不謹慎にもオレにはそれすら眩しく映った。非情にも、失っても平気な人間がいる。自分が助かったからよかったと、口に出さずともそう思う人間というのはいる。だから眩しい。光に向かって歩く人が眩しくて、昼間は歩けなかった。


 夜の仕事は続けていた。バーにしていた借金は母親が解決してくれたのだ。

 解決したとて働けるか、と思うだろう。しかし、顔が好きだから、という理由で絶えず来てくれる客のお陰で引き続き働けるようになり、再び金には困らなくなった。

 

 金に困らなくなっても、もう使い所がない。要は居ないし、欲もない。築きたい関係とか、やりたい事とか、叶えたい事とか。

 何も無いのに、死にたく無い。死んでしまったら、あの世にいる要や尽斗さんに謝らなくちゃいけないから。

 死んだ後、会えるかも分からないのに、死んだ後が怖くて死ねない。


 その恐怖から逃げる為には、仕事で女性達を満たし、家では母親を女として愛し、この顔で異性を味方につけて安心する事しか出来なかった。やはり母親の子なんだと血の濃さを思い知らされている。


 あれから女川町へは行けていない。母親から要は死んだと聞いたし、阿部さんがどうなったかも知らない。兎に角もう関係ない街だと、自分に言い聞かせていた。


 しかし神様というのは、きちんと見ているモノらしい。


 ある日、同僚からドライブをしないかと誘われ、休みを合わせて同行する事になった。たまにはそういうのも良いのかと思い、行き先もわからぬまま車の助手席へと乗り込んで、たわいもない話をしながら傷ついた県内の海岸沿いを北へ進む。


 妙な胸騒ぎがした。久々のドライブだと楽しんでいる様子の同僚らに水を差す訳にもいかず、“もしかして“という胸の違和感を、温くなったミネラルウォーターで流し込むようにして誤魔化すしか出来なかった。


 さあ着いた、と降ろされた先は姿を変えた「女川町」だった。女川駅前は商業施設が出来上がり、田舎の港町とは思えぬほど人が居る。

 新しいスタートを切る街には活気が湧き、眩しくて避けてきたこの空気に目眩がした。


「今日オープンなんだっていうからさ、飯食いたいなと思って! 海鮮には目がなくて――」


 はしゃぐ同僚、青空、そして何もなかったかのように煌めく青い海。顔が引き攣らないように、無理にはしゃぎ、商業施設のグランドオープンに併せて行われたテープカットに歓喜し、街の門出を祝った。

 

 その後は普通の遊びのように飯を食べ、観光して歩いた。正直、楽しいとは思えなかった。

 殺してしまった生出親子が住んでいた街で笑顔でいるなんて、正気でないと思ったからだ。

 

 時間は流れ、帰る前に土産を買おうということになった。特段買う相手も居ないので、駅で待っていると言い、駅前のベンチに腰を掛けた。


 駅から真っ直ぐ伸びる道の先には海がある。ただその海を眺めた。すると、要を助けたい一心だった頃の事を思いだし出していた。

 子供で何も出来ない無力さを感じながらも、必死だった。無茶も出来た。けれど何故今は出来ないのだろう。人殺しの自負があるから。

 これで要が生きていたら、オレはあの頃みたいに足掻いて、大人になった今なら救えると、妹を迎えに行くのだろうか。

 多分行くんだろう。尽斗さんの事は話せるかわからないけれど、家族になるためにまた色々準備をするんだと思う。


 もしも生きていたら。そんな兄妹2人で暮らす生活を妄想してしまう。


「会いたいな」


 ポロリと本音が口から溢れた。声が大きかったかとハッとし、あたりを見渡すと、近くで箒で道を履く若い清掃員が1人いるだけだった。特に気づいた様子もないようだ。恥ずかしい思いをするところだったと胸を撫で下ろし、頭を垂れて地面を見つめた。


 しばらくボーっとしていたかったが、そろそろ友人らの買い物も終わる頃だろうと腰を上げ、土産物やへと歩き始めた時だった。


「生出さん、上がりだよ」

「あっ、はい」


 さっきの清掃員に制服を着た中年の男性が声をかけた。かけた言葉の中にあった聞き覚えのある苗字に、思わず首が動いてしまう。


 見ると、清掃員は女性で頭に帽子を被って、マスクもしている。まさか、苗字が一緒なだけだ。わかっているのに、その顔を確認したいと目が離れない。


 2人は駅内へ向かって会話を交わしている。勿論聞き耳を立てた。


「今からは?」

「次は石巻にバイトに行きます。夜間のバイト、女川より高いので……」

「へぇ、自転車で?」

「はい」

「気をつけなよ。ほら、餞別」


 男性はズボンのポケットから何かを取り出すと、清掃員へ渡した。


「あっ、あの、ありがとうございます!」

「そんな飴一つで深々頭下げなくたっていいんだよ。頑張んな」


 折り畳み携帯のように腰を曲げ、深々とお礼を言う清掃員。要が生きていたら、ああなっていたかなと、また妄想を繰り返す。


 上がりと言っていた。彼女の顔を見るために、オレはその場で待っていることにした。別な出口から出てしまうかもしれないが、きっとオレの目の前を通る事を信じてやまなかった。


 5分、10分……と経ち、読み通り彼女が私服姿になって出てきた。ボロボロの緑色のトートバッグと小学生が履きそうな、ポケットのたくさんついた7部丈のズボン、それから上は随分と着こなされた黒色のアウターを羽織っている。


 そして、マスクが外された顔を見た。


 茶色のぱっちりとした目、髪、顔に薄ら残るアザの跡。


 声はかけられなかった。しかし、アザの跡で確信した。他の兄弟達に悪戯された際に付けられたものと同じ位置にあったからだ。


 生きている――


 母親にオレは人を殺したと言われたあの日から、ずっとずっと要は死んでしまったと信じていた。

 あの母親だ、死んだなんて嘘も平気で吐くに違いない。


 要は生きてる。要は、生きている。


 オレなんかには目もくれず、次のバイト先へと小走りに急ぐ要の後ろ姿を見て、唇を噛み締め、声を漏らさぬように、感涙した。

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