167恥目 偽善的エゴイスト殺人

 あの地震から1日経ち、家族が揃った。相変わらずライフラインは寸断され、行動が出来るのは日中のみ。


 要が死んだ、ということに頭は支配されていたが、その事で落ち込むとまた何か余計な事をされると思い、余震が続く中、黙って部屋を片付けた。すっかり気は紛れなかったが、何もしないよりマシだ。


 兄弟達は揺れに怯えて家の中には入らず、広い庭にテントを建てて過ごしていた。

 外でも内でも粋がっているくせに、こうなるとどちらもピィピィ泣くだけのただのヘタレで、血が繋がっていると思うとますます恥ずかしくなった。


 また夜がくる。揺れやラジオから聞こえてくる悲しい事実の中に要が含まれているのだと思うと胸が苦しい。昨日、無理矢理送り出さなければ助かったかもしれないのに。


 解決しない生死の問題は一生付き纏うだろう。ただ自分を責め続け、いっそのこと亡くなった要がオレを呪ってくれたら楽になるのにと、いつまでも自分1人で感情の整理が出来ないままで思考は回る。


 時計も壊れ、明かりのない夜は永遠そのものだった。このまま夜に溶けて、独りになって許されたい。眠れず、起きれず。地震で配置のずれたベットに横たわりながら、ただ一点、天井を見つめている。


 すると扉が動く音がした。揺れている感じはないが、きっと地震になれてしまった、余震だと信じて頭と体も動かない。

 

「なんだ。怯えてるかと思ったのに、意外と平気そう」


 地震よりも嫌な奴の声に、体は勢いよく跳ね起きた。母親だ。手に小洒落たアロマキャンドルを持ち、こんな状況なのに顔には普段通りの化粧、不自然に口角を上げながら、ずかずかと部屋に入ってくる。

 

「入ってくんなよ……」

「母親が息子の心配をしに来たんじゃない。何が悪いのよ」


 風呂に入れないから体臭を誤魔化すためか、香水がキツめにふっている。ヘーゼルナッツやチョコレート、バニラ、甘ったるい匂いが鼻を刺す。

 その匂いを纏った憎たらしい母親は当たり前のようにベットに腰をかけ、ふうと一息吐いて、長い髪を耳に掛けた。


「学、私に何か言わなきゃいけない事があるんじゃない? そうねぇ、1つや2つじゃないわ。小さな事も混ぜたら数えきれないわね」


 スッと引かれた黒のアイライン。その目は母親ではなく、蛇のように鋭い。言っているのはすぐに要の事だとわかった。死んでしまったかもしれない妹の事をこれ以上悪く言われたくないと、口を固く結んだ。


「……あぁ、そう。黙りを決め込むならそれでもいいわ――妹を殺したのに、懺悔ってのはないのかしらね」


 銃で撃たれた気がした。自分が思っている事を一番憎たらしい相手が知っている。


「オレは殺してない! 逃したかっただけだ!」


 親だというのに感情的に肩を押すと、母親は何の抵抗もなくベットの上に倒れた。

 そして笑いが抑えきれないのを誤魔化すように話だす。


「家から出したかったのは知ってる。上の子らがアイツをオモチャにして遊んでたのもね。だから学は親に嘘をついてまで働いたんでしょう? 健気ねぇ。けれど働くうちに気持ち良くなっちゃって借金塗れ。慌てて妹を逃すための金をかき集めたと思ったら、今度は私の電話を聞いて要が殺されるかもしれないと思ったんでしょう。そして逃したら津波に飲まれて死んでしまった――間違ってないでしょう?」


 バレないように動いていたつもりでも、やはりいつまでもツメが甘い。全部知られていて、知られていた。しかし邪魔も何もされず、泳がされ、オレがどん底に居る時に追い詰める為に黙っていたとしか思えない。

 

「殺して……ない…………」


 覇気のない否定。


「エゴで殺したんでしょ?」


 キッパリと容赦なく向けられた言葉。首を絞められたのかと錯覚した。気道は塞がれ、息苦しくなり、目が回る。


「……故意でなくとも殺したと思った方がいいわ。いい? 学が好き勝手して後始末するのは親である私なの。アイツは私が産んだけど、私の子供だという認識はない。けれど遺体を引き取るのも私なのよ。仙台に住んでいる中学生がその日に女川に1人でいたなんてなった時、監督責任を問われるのは私。学じゃ責任取れないの、わからないの?」


 わからないの? わかるわけがない。送り出す時、こんな災害が起きるなんて思わなかった。だから殺したなんて、自分で思っても他人に言われたくない。

 そもそも要を地獄へ落としたのは母親だ。母親がこんな道徳もないクソ野郎じゃなかったら、要は家を出なくて済んだ。もっと言えば――


「じゃあ、尽斗さんを殺したのはアンタだろ! 尽斗さんが死ななきゃ、要は死ななかった! 現況はアンタだ! だからオレは殺してない!」


 今まで言わなかった、触れてこなかった其れに、ついに触れてしまった。

 しかし母親は酷薄な顔をし、やれやれとわざとらしく溜息をついた。


「尽斗を殺したのも学でしょ? アイツの体の事を知らせなきゃ死ななかったんじゃないの。子供が子供のまま親になると追い込まれるだけで、育てる事なんか出来やしないのよ。

 生活がいっぱいいっぱいのところにそんな手紙が来てパニックになったのかしらねぇ。私に金の無心とアイツの面倒見てくれなんて馬鹿みたいな量の手紙が来たもの。それまで手紙も電話も数えるくらいだったのに、よ。

 最も尽斗は私が娘の心配をしてわざわざ知らせてくれたと思ってるんでしょうけどね。

 あんまりしつこいし、お父さんの機嫌は悪くなるし、金を含めた諸々の協力は諦めろって意味で一通返事したらその後に、たまたま自殺しただけ。そんなに苦しいなら仙台まで来りゃいいじゃない。それも出来ない小さい男だったのよ。よかったのは背の高さだけね」


 母親は種明かし完了と言わんばかりに話を終えた。


 一昨日までのオレなら、言い返せたかな。嘘かもしれないというのに、言われた全てを本当だと飲み込んでしまうのは、要が来る前はこの家に尽斗さんの影がなかった事、記憶の中に手紙が来て不機嫌になる父親がいた事、住所を知っているのに尽斗さんが尋ねて来なかった――等、裏付ける記憶にあるからだ。


 そうか、助けたかったとか言って、ただ2人を追い詰めて死なせただけだったのか。要の為と働いたのは、自分が良い人になりたかったからか。


 全部エゴだった。頼まれてもいないのに、それがいいと疑わずに勝手に行動して、自分がヒーローになりたくて、結果死なさせただだけだった。偽善と言われてもおかしくはない。


「大変ね、親子2人も殺してしまって」


 母親はオレの耳元で、人殺しと何度も唱えた。良かれと思ってしたことが、助けたい人達を追い詰めた。直接手を掛けなくとも、オレが殺したとしか思えなくなってしまった。

 その自覚が芽生えると急に恐ろしくなって、自分の未来を案じた。


 さっきまで憎たらしくて仕方なかった“母親“に安全を求めるように涙を流してしまう。

 

「可哀想に。母さんが助けてあげましょうね」


 頭を肩に寄せられ、無抵抗な体はベットに倒される。


「けれどね、ただとは言わない。どうしたらいいかわかるでしょう?」


 このひとに助けて貰うにはどうしたら良いか。この先をどう生きていくか。罪から逃れるにはどうしたら良いか。


 答えは決まっている。自分が救われるには、母親を“女“として見なければいけないということだ。

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