166恥目 ドミノ倒し


 要を送り出してから数時間経った。空の色は嫌なことがあった時のように如何にも重たいグレーで、今にも雪が降り出しそうだった。


 もうすぐ春が来るのに、何故不安にさせるんだ――と、胸がざわざわを天候のせいにするが、落つかない。


 昼過ぎ、次男と三男が帰ってきた。午前中に2人揃って出かけたのは珍しいと思っていたが、話し声が察するに、要を虐める為に悪戯する為の道具を買って来たらしい。

 金を掛けてまで虐めたいのか。オレにはまるで理解できなかったが、そもそも理解する必要もない。


 今すぐ戸を開けて、もうお前らが虐めたい要は居ないよ、と声を掛けてやりたい。けれど、自分からは何も言わず、自然に居なくなったことに気が付くまで待つことにした。

 もし虐めたい相手が欲しいなら、オレがそれになればいいんだもの。

 もう兄弟らが悪事を働いても関係ない。要に何もないのならそれでいい。


 心が無くなりそうだった。感情が心を蝕んで、オレという人格を無くしてしまいそうだった。少しでもそうならないようにと、どうなるわけでもないのに膝を丸めて座る。


 ぼうっと何もせずとも、時間はあっという間に経ち、時計の長い針は14時45分を目指して時を刻んでいた。


 要は女川町に到着しただろう。きっと、阿部さんがなんとかしてくれる。メールも打っておいたから、なんとかなる。

 

 自分を落ちかせるように大きな溜息を吐き出した。

 すると、体は動かしていないのに尻が動いた気がした。部屋の家具がカタカタと音を立てる。ああ、地震か。ここ数日は地震が多かったから、また揺れてるんだ。どうせ震度3、4と大したことないだろう。


 要もこのくらいなら大丈夫だ。怯えたりしない。


 そう思っていた矢先、その考えが砕かれるような、激震と地鳴りが体に響いた。


 ペン立てが音を立てて倒れた。

 本棚がバラバラと声を上げながら飛んだ。

 ベットが跳ねた。

 窓ガラスがバラバラと歪み、パリンと割れそうになった。

 家がミシミシと床や天井が苦しそうに軋む。

 

 地面の唸り声が身体中に響いた。

 細胞を掻き回されるように体が揺られた。

 

「地震だ!」


 兄弟達の慌てる声を聞いて、やっと状況を把握出来た。地震だ。これは普段の地震ではない、大きな地震だ。

 緊急地震速報は鳴っていないと思う。いや、携帯の電源を切っていたかもしれない。

 そんなことはどうでもいい。経験したことない激震に身を守ることで必死だった。


 普段は地震など日常茶飯事だと気に留めず、すぐに収まるだろうと思うくらいだったのに、今回はずっと揺れ続けている。

 何か爆発し、砕けるような轟音を立てながら揺れる。地面が裂けるのではないかと何度も思った。


 もしかして、家が潰れて死んでしまうのか。

 やるべき事をやった今日、死んでしまうのか。


 自然に「死」をチラつかせてくると、急に「生きねば」と正気がみなぎってくる。

 布団にくるまって揺れが収まるのを待つと、大きな揺れは止んだ。


 状況を把握しなければ。しかし、ブレーカーが落ちたのか、テレビは付かない。冷蔵庫の電源も落ちていて、電気の供給は途絶えた。


 余震がカタカタと続くなか、散らかった部屋の中からなんとか乾電池で動くラジオを見つける事が出来た。

 電源を入れ、ラジオのだいやを回しチャンネルを合わせるとザザ...と耳障りの悪い音が聞こえてくる。

 その中に人の声が混じっていて、必死に聞きわけると、耳を疑うような現状が伝えられた。


『大津波警報、大津波警報が発令されております。発令地域は岩手県、宮城県、福島県……』


 大津波警報――? 現実味の無い言葉に思考が止まる。津波は危ない、津波が来たら逃げろと授業や日常でも散々叩き込まれて来た。昔、遠いチリから津波がやって来て、宮城県は大変だったんだよ、なんてよく聞いた。


 それと、津波注意報は何度か聞いた。けれど何も起きなかった。しかし今回は大津波警報。そんなのがあると誰も教えてくれなかったし、予想なんか出来ない。


『沿岸部にお住まいの皆さん、すぐに避難してください。繰り返します。宮城県沿岸部地域に大津波警報が発令されています。すぐに高い場所への避難――』


 失神しそうになった。オレの家は海から遠い。津波はきっと来ない、と思う。しかし、ラジオでは宮城県沿岸部地域と言った。

 海の見える町に住んでいる人間は逃げろ、と。


「要……」


 今朝、要を無理矢理追い出した。その方が幸せだと思ったから。それが正しいと思ったから。


『津波の観測の情報です。宮城県女川町で10メートルを超える津波が観測されたとの事です』


 ラジオから緊張とは違う、怯えるような震えを隠しながら状況を伝えるパーソナリティが言う。

 

 オレが見た美しい港町は海に飲まれている。日が暮れて行くごとに、今起きている事を大袈裟に伝えている。


 津波が繰り返しやってきている、人が行方不明、宮城県のとある海岸では死体が転がっている、波が屋上のスレスレまで来ていて、そこで救助を待っている――。


 素直に、自分も家族も皆安全で、言葉だけなら「大変だね」なんてひと事で終わるのだと思う。日本だけでなく、海外で起きた事も当事者でなければ実際の地獄はわからない。

 酷いだろうが、安全側にいる人間からすれば、これが事実だ。


 しかし、オレは安全側には居なかった。


 10メートルなんていう波の壁が来た時、人はどうなるのか。泳いでどうにかなるものか、いいや、やはり最悪を考える。


 お構いなしに人々を脅かしながら余震が続く。

 

 不幸のドミノ倒しはハッピーエンドではなかった。ラジオから流れる情報に心を刺されながら、ほぼ確定した妹の死を悼むのだった。

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