165恥目 君は悪魔達の奴隷じゃない


 この国は、行方不明者が年に何万人という単位で消えてゆくらしい。ニュースかネット記事か忘れてしまったが、そんな事を思い出した。


 認知症や誘拐が多いらしいが、その中には「表沙汰になっていない事実」もあるのではないだろうか。身体の在り方を知っているのに、知らないと目を隠すようなやり方を許されている人間が存在するのではないだろうか。


 その被害者の1人に、要はなってしまうのではないだろうか。


 泣いている場合ではなかった。考える暇もなかった。パソコンの画面を点けたまま財布を握りしめ、涙で揺れる視界の中、芯の無くなったような足を前に出しつつけた。

 妹が消されてしまう前になんとかしなくては。


 杜の都の3月はよく冷える。足元も見ずに履いて来たサンダルはつま先が開いていて、悴んだ。小さな衝撃を激痛に感じさせる。

 涙も冷気に触れると氷水のように冷たい。しかし、寒さなんてどうでもよかった。


 家から街中まで走り、とある建物に駆け込んだ。中には24時間営業無人ローンの自動貸付機がある。

 借金している消費者金融から今借りられる上限まで目一杯借りた。借りられたのは3万ぽっち。何をそんなに使う事があって借りたのか。無駄遣いはしていないのに、何故。


 ならば他の消費者金融と契約すればいい。再び別会社の貸付機へと走る。しかし、身分証明書を提示しても金を借りる権利は得られなかった。

 理由なんかどうだっていい。金がなきゃいけないのに、どうしようも出来ない。


 暁――白い靄がかるような空は朝日を昇る気配を感じさせる。途方に暮れながら、なんとか引き降ろせた3万円を抱えて帰路を行く。


 家の自室に戻り、財布をベッドの上に投げて、敷いてあるカーペットの一点を見つめた。

 ――金、金、金、金。金がないと助けてやれない。金がなきゃ逃してやれない。

 

 何が2人で生活だ。何が本当の家族だ。結局全部が自分の為。準備をするという事実に満足して、無意識のうちに金に余裕があると思い、安い家具ではなくリサイクルでも良いものを購入していたんだ。

 金遣いの荒さは簡単に変えられない。目を背けたくなるが、それが現実だ。


 せめて要だけでも。1ヶ月だけ、いや2ヶ月。1人でも生活出来るくらいの金を集めないと。でもどうやって。金色に染めた髪の毛を引っ張っり、わしゃわしゃと掻き回しても金は増えない。


 また涙を流した。真面目に働けばよかった。幼い頃から貯蓄が趣味の計画性ある人間でありたかった。

 ないないのないものねだり。ダメ元で襖を開け、幼い頃の思い出達に触れてみた。片付けが苦手で何も捨てられないがために、色々な物が残っている。


 その中の一つに、ポーチがあった。地方銀行のキャラクターが描かれていて、中を見る。


 すると一通の通帳とキャッシュカードが顔をだす。中を開くと何百円、何千円と細かい金額が預入されている。


 あ――と思い出す。借金までしているのに、手をつけていない口座がある事を思い出した。これは小中学生の頃、貰ったお年玉や小遣いを貯めておくための通帳だ。

 幼い頃は意外と物欲がなかったのか、そこそこの金額が貯まっている。


 迷う事なくコンビニへ走り、その金を引き出した。さっきの金と合わせて18万。メイン口座にあった2万円と数千円も引き出して、約20万円となった。


 再び自宅に戻ると、家族は忙しく朝の準備をしている。今日は中学校の卒業式だからと高校教師の母親は早めに出て行った。きっと昨日の電話の相手に会いに行くんだ。「出るわ」と声をかけられたが、あんな奴が母親なのが気持ち悪くてたまらず無視をする。

 他の兄弟達も要を虐めた後の満足気な顔でいたので、オレの居ない早朝に悪戯をしたのだろう。

 父親も例外じゃない。弱い立場の女の子を傷つけて遊ぶ。


 こんな地獄から、早く出してやる。口内を噛み、怒りをおさえた。 

 家族が誰も居なくなったのを確認してから、金を持ち、要の居る蔵と向かう。

 名前を呼び、コンコンと扉をノックする。


「……はい」


 すると、中から力のない返事が返ってきた。重い扉を押し開けて入る蔵の中は、相変わらず汚くて埃臭い。その中でオレのお下がりの中学校の制服を着て、ネクタイを締めていた。


「今日、卒業式か」

「……一応」


 おめでとうと言うべきか。決して良い思い出はないだろう。問題児として扱われていたのだから、苦しくてたまらなかったろう。

 高校にも行かせてもらえない彼女に待つ未来はどんな日々なのだろう。明日からどうなるのだろう。


「明日からどうするか決めた?」

「決められる、立場じゃ……ない、ので」

「どうしたいかとかないのか?」

「……」


 要は問いに答えずにネクタイをキュッと締め、光のない目でオレを見た。

 傷とあざの多い顔を見ると思わず顔が引き攣ってしまう。要はオレの小さな表情の変化を見逃さなかった。視線を逸らされたから、そう思った。


「母さんの気の済むようになればいい。母さんが喜べば、父さんが喜んでくれるから。私は、母さんを通して、父さんに喜んで欲しい」

 

 そして静かに、諦めたようにそう言った。本心だと


「なら極論だけどさ、アイツに死ねって言われたら、死ぬのか?」

「勿論」


 即答。迷いのない返事。要の感情は完全になくなっていた。生きている事は死んでいるのと同義だから、それでも構わないと。母親に命を支配される人生を受け入れている。


「それで母さんが喜んでくれるなら、いい」

 

 こっちが本気に救おうとしても、そっちが望まない。今から殺されるかもしれないのに危機感もない。

 メラメラと怒りが湧いてくる。自分の親切を無碍にされている様で気に食わない。


「悲劇のヒロイン気取ってんなよ」


 財布から乱暴に20万円を取り出し、要の胸元へ突き付けた。要はよろめいて尻餅をついては、オレを見上げて目を丸くしている。


「お前が来てから家の中ぐちゃぐちゃなんだよ! 問題ばっか起こしやがって、オレだって普通に生活したかった、大学行きたかったんだぞ!」


 大学に行きたかったのは嘘ではない。天体の勉強をしたかった。宮沢賢治に魅せられた宇宙を知りたかった。夜の街で働く前はそう思っていた。天体学者か何かになりたかったんだっけ。ただ「知りたい」と漠然とした欲だけでそう思っていたのかもしれない。過去の自分がわからない。哀しいけれど、道を間違えてしまったから忘れちゃった。

 何か叶えたいことがあったのは確かだ。でも、要の事を助けたかったから勉強する時間がなかった。大学に行けなかったのは自分の責任だ。わかってる。わかっているが、要のせいにしたかった。そうしたら、2人で救われると思ったから。


「優しくしてやったのに死んでもいいとかふざけんなよ。人の人生まで荒らして、そのくせ恩を仇でばっか返すくせに、自分ばっかり辛いですみたいな顔して――その金やるから出ていけよ。中卒でも生きていけんだろ」


 思ってもいないことだった。要は可哀想だよ。自分ばかりが辛いという顔をしていいんだよ。誰かのいいなりになって、命を奪われなくていい。自分を失わなくていい。

 財布から丁寧に折り畳まれた真っ白な紙を一枚取り出し、尻餅をついたまま顔の引き攣った要に投げ渡した。彼女はゆっくりと指先を震わせながら紙を拾い、折り目を開いた。

 中に書いてあるのはオレが借りたアパートの住所と、女川の阿部さんの電話番号。


「お前の知り合いだか親戚だか何だか知らねえけど、この住所に空き家があるから住まわせてもいいって連絡があったんだ。あの人は言わなかったけど、あるんだよ。女川にいれるんだからいいだろ」

「親戚なんて、聞いたことないです」

「お前が子供だから知らないだけだよ。行けよ」

「行けません」

「何でだよ、なんで行けないんだよ」


 自分は道を決められる立場でないと言う割に、拒む。あの人が帰ってくる前に行って欲しい。オレの優しさが無駄にならないように、駆け出してほしい。なのに要はぶらんと垂れるオレの左手に、爪の割れた痛々しい右手を触れさせては、ツウと一線の涙を頬に伝わせる。


「独りになるのが、怖い、から」


 この家に来てから自分の気持ちを吐いたのは初めてかもしれない。どんな酷い目に遭って、良いように利用されて、本人が知らないだけでも命が奪われようとしているのに、それでもここに居たいという。どんな外道でも、人の近くにいないと壊れてしまうと訴える目だ。


 そんな顔すんなよ。一緒に逃げようって、手を取りそうになるだろ。妹を思う気持ちがあっても、金がないから結局救えないことをわかっている。金の催促に怯える生活なんてさせたくない。下手くそだから、不器用だから、汚れたから、突き放してやることしかできないよ。


 要の手を払い除けて、砂埃のついた金を要の服が入っているボストンバックに詰め込み、糸くずが穂ずれて穴の空いたマウンテンパーカーを片手に持ち、もう片方の手で要の首根っこを掴んで蔵の外に引き摺り出した。


「犯罪者の子供がなんだから黙って居なくなれよ! その金は手切金だ。もう二度と四十九院家に近づくな。自殺なんかするなよ、胸糞悪いから! お前はオレ達から離れてのうのうと生きて、どっかで自然に死んでくれたら良いんだよ!」


 随分最低なことを言う口だ。でも良いんだ。このくらい言ってやらないとわからないだろうから。要はバックと服を抱え、涙で顔をぐしゃぐしゃにしながらオレを見ていた。暫く見つめあった。最後だから、妹の顔を目に焼き付けた。

 

「行け」


 オレの目から涙が溢れそうになったので、そう言った。要は深々と頭を下げて走り出して言った。四十九院の敷地を出て行くのを見送る。熱い塩水の玉は、要と同じ意味だろうか。寂しくて、怖くて泣いているけれど、要はそうだろうか。

 卒業式には出られないけれど、これで良いんだ。ここを出れば、新しい出会いがあるから。父親の匂いが濃く残る場所にいた方が良いから。過去なんか気にしない仲間ができるはずだから。新しい家族を作れば良いから。独りで怖いのなんて、ほんの最初だけだから。


 絶望するな、元気でいこう。お前の大好きな太宰もそう言ってたろう。


 要をこの家から解放させることが出来た。訳のわからない殺人からも救うことが出来た。ホッとしたオレはその場に座り込み、要の名前を何度も呟いた。

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