169恥目 星が死ぬ夜

 同僚らと話す気になれず、1人外れて電車にゆられた。紅い夕暮れが海へ消えゆく影を見つめながら、色んな事を思い出していた。

 

 目を背け続けていた罪は、無いものだった。母親に「妹は死んだと」一言告げられ、そればかり信じていた。勿論、要が生きていることは夢ではないかとも考えたが、疑えなかったのは「怒り」の感情がオレを支配したからであった。


 大きく言えば嘘を吐かれていた事が一番の理由だが、オレと要とそこまでして離したいのかと苛ついた。ましてや「死んだ」なんて、冗談として笑えない。

 何が目的だったか考えて真っ先に浮かんだのは「息子とそういう関係になりたかった」だった。


 気持ち悪い。吐き気がする。それを平然と受け入れられていたのは、この嘘のせいだった。

 

 母親を殺してやりたくなった。ナイフを腹に刺して、抉るように掻いて回して、二度と要やオレに顔を見せられないようにしてやりたいと、頭の中で幾度と殺した。


 このまま家に帰れば実行しかねない。落ち付きを取り戻す為、今日は出勤日ではないものの店に向かい、接客をとカウンターに立つ。


「あれぇ、今日は学くん居るんだぁ」


 酒に酔った母親と同年代の常連は甘えた声を出しながら、オレの右手に手を絡めて来た。


「うっ」


 肌触れた途端、嗚咽と共に手を引っ込めてしまう。いけないと解っているのに、触れられた右手は震え、プツプツとイボのような、白い湿疹が見られる。


「あら、なぁに? 体調が悪いの? 学くんに何かあったら、アァシ何してでも助けちゃうのに」


 常連客は気を悪くした様子はない。が、次は前のめりになって手を伸ばし、カウンターを挟んで反対側にいるオレの左腕に指先だけ触れる。


 堪えられない。酷く寒気がした。ゾワゾワと恐怖に炙られるような、生命の危機に直面しているようだった。すぐに走り、手洗い場へ向かう。

 汚れた鏡に映るのは白と薄ピンク色の湿疹に追われた顔、首――着ていたシャツを脱ぎ、体を見ると、それは全身に回っていた。

 体が痒い。触れられた箇所が痒い。


 上着を羽織り、何も言わずに店を出る。その足で薬局へ行って痒み止めを買おうと女性の店員に話しかけると、その顔が母親に変わり、また吐き気が襲う。道ですれ違い、女性と肩がぶつかると、落ち着いたかと思った蕁麻疹は再びはワァっと広がっていく。


 様子がおかしい、早く自室で1人になりたい。自宅へ帰ると、家は暗く、誰も居ない様だった。  

 思い出したかの様に喘息のゴホゴホと乾いた咳が出ると、ヘタリと座り込む。


 呼吸を整えて、体が落ち着くと、蕁麻疹も消えていた。今日はもう眠りたい。のろり立ち上がり、自室に歩みを進めた。

 ベットに身を投げて項垂れ、携帯の着信が随分溜まっていることもわかっていたが、無視をする。


 誰か帰ったのだろうか。2人分の足跡が聞こえる。会話が聞こえた後、バタンと玄関の扉の音が閉まると、すぐに部屋の扉が空いた。


「何、帰ってたの? 探したのに居ないから余計なお金使ったじゃない」


 入って来たのは母親。いかにもな白いバスローブを巻き、汗をかいて髪を顔に貼り付け、満足そうな顔をしている。

 自分が満足する行為をする為に金で男を連れ込んで楽しんでいたらしい。


 気持ち悪い。此れが親なんて信じられない。真実を知ったオレは止まらなかった。


「要が生きてた」と、投げ吐くように言う。


「...まだ覚えていたの?」


 またその話と、母親は額に右手を添えて首を2度振る。


「よく要が死んだなんて嘘つけたな。自分の子だろう? お前本当に親かよ。それでも教師なんだよな? 股ばっか開きやがって、気色悪いんだよ。もう付き合いきれない。要と2人で暮らせるくらいの余裕はある。もうアンタの好きになんかさせない、縁を切ってくれ!」


 枕を投げ、母親としてはもう見ない事を告げる。彼女はショックを受けるわけでもなければ、驚く様子もない。


「借金の恩も忘れたってわけね。別に構わないけど、学が出て行くっていうなら母さんだってやる事はやるわよ」

「は?」


 バスローブのポケットからスマートフォンを取り出し、誰かに電話をかけ始めた。すると、要が働いているかどうか確認した後、「大変申し上げにくいのですが、実は万引きを何度か……」と言いだした。それを3回繰り返し、意味がわからなかったので、電話が終わった後に尋ねる。


「学が出て行くって言うから、要のバイト先に電話してクビにするよう仕向けたんじゃない。貧乏でバイト掛け持ちしてる中卒が万引きってリアルじゃない?」


 キャハハ――若いと勘違いしたババアが、道徳のない行動を起こしては愉快愉快と笑う。

 ブチっと血管が切れたのか何なのか、言葉ではなく、手が伸び、母親の首を絞めようとしている。


 ――しかし、さっきと同様、ブツブツと蕁麻疹が体中に姿を現した。すぐに手をひっこめると、母親は勝ち誇った顔で笑う。

 

「要の職場は全部把握してる。学がこうやって私から離れようとしたら要に危害を加えればいい。今みたいに働き口を無くすことも出来れば、普通じゃ会えない様な危ないオニイチャン達にお願いして、要を骨にすることも出来る」

「そんなの犯罪行為だ!」

「罪を犯してでも満たされたい欲があるのよ。私は学を手放さない。学が居る限りは要を脅しの道具として使う」


 女はベットに横たわるオレに馬乗りになった。獣のような顔をして、舌で口元を舐めまわし、プチプチと上着のボタンを取って行く。


「やめろ、やめろって!」


 抵抗すればするほど、肌が触れる。痒みが走り、熱っぽくなる体、四肢に手を伸ばす悪魔の手。


「私ね、学に大切にされている要って女がね」


 そして、声が出せない様にタオルを口に押し込められた。

 

「大っ嫌いなの」


✳︎


 女に拒否反応が出るようになった。アレルギーという雑破な括りで片付けられたが、母親に無理矢理犯された事で、男としての部分は機能しなくなった。翌日に店も辞めた。


 それでもあの人は毎晩求めてくる。奉仕しなければ、要をどうにかすると言ってオレを脅す。

 

 もう嫌だ。こんな体も、自分も、家も、全部全部嫌だ。この数日で女が怖くなった。皆そうで無いと言われても、手段を選ばない女が怖い。女が女に憎悪を燃やす時、酷い事を平気でやるんだと気づいてしまった。

 過去の客同士のイザコザなんかも思い出したりしては、吐きそうになる。


 目的を無くしたオレは交通機関を乗り継いで、導かれるように角田市へとやってきていた。

 宇宙センターのあるこの街で働きたいと思ったこともある。


 宮沢賢治の作品に影響され、未知の空間に想いを馳せていた。


 銀河鉄道の夜を初めて読んだ時、死とは旅の始まりなのだと前向きな解釈が出来たのも、彼の作品だったからだ。

 人は死んだら星になる。だから、生き終えた後の宇宙を知りたかった。


 オレは賢治さんみたいに綺麗な体でないし、ファンタジーを思い描けるような純粋さもない。人一人助けられない。何もない。


 角田の街を靴が擦れるまで歩いていれば、夜を迎えた。頭の上には仙台で見れない美しい冬の大三角が星空に浮かぶ。

 

 カムパネルラはいい奴だった。授業中、先生の質問に答えられなかったジョバンニに恥をかかせない様、自分も答えられないフリをした。

 彼はいじめっ子のザネリを助ける為に死んでしまったが、その自己犠牲が、誰かの為に力を尽くす姿が格好良く見えた。

 彼がそれを望んだか知らない。けれど、オレはそうなりたかった。


 自分を犠牲にしてでも助けたい人がいた。でも、出来なかった。結局自分が大事だった。今だって、どうにか出来るかもしれないのに、考えるのすら辞めた。

 オレの魂は死んでいる。どう足掻いてもどうにもならないと諦めたから。


 体は冬の冷たい川の中に居た。標識を頼りに川へを目指し、無意識に「死」を選んでいるのだ。

 下半身の感覚はない。寒さに耐え、上半身も浸かれば死ねるだろう。


 もし何かの間違いで時が戻って、最初からやり直せるなら、オレはどう行動するのかな。母親を殺すかな。それとも尽斗さんに会いに行って、死なないでと叫ぶかな。見知らぬ子供を受け入れてくれる訳ないのに、都合よく「わかった、死なない」と言ってくれると信じている。


 不安から守りたかった。心残りはそれだけだ。もうやれる事はない。


 最期にもう一度空を見上げた。ふっと一筋、また一筋と空に煌めく。流れ星だ。最期のチャンスだから大盤振る舞いでもしてくれているのだろうか。かなりの数が流れる。


 どうせ最期だもの。寒さを声色に乗せながら、らしくない大声で願いを叫ぶ。


 ――どうか、どうか、要にとって、唯一の兄であれますように


 

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