159恥目 海の見える街
それから直ぐに手紙を書いた。いつ買ったかもわからない青色のレターセットを引っ張り出し、暫くなんと書こうか悩み、ペンをまわすだけの時間もあった。
結局、出来るだけ短くシンプルに伝えたいことをだけを書いた方が伝わると信じ、こう書いた。
――貴方の子供に子宮がありません。早く病院へ行ってください。
妹の名前はわからない。なので手紙「子供」と記した。本当に必要なことだけすぎるか、多少は自分のことを名乗るべきか。
しかし、下手に正体を明かすとややこしくなる気がした。世間からしたら被害者家族が加害者に手紙を送るんだから、妹に存在を知られたくても、ここはグッと我慢する。
気持ちが変わる前に宛先を書き、差出人には「宮城県仙台市」とだけにして、住所ですら途中でやめておいた。
匿名性がある方が人は不安になって信じやすいと思う。顔の見える知人より、顔の目ない他人の方が声が大きく届くもんだ。
今すぐポストへ投函したい気持ちはあったし、早く知らせてあげたいのは山々だが、夜も耽った深夜1時に中学生が出歩いたら補導確定だ。
教師の母親、大学教授の父親をもつ息子が家柄に傷をつけるようなことをしてはエリート一家の名が傷つく。投函しに行くのがバレたら厄介だし、ここは大人しく登校時まで待とう。
その夜は手紙を書いたことに満足して、すぐに眠りについた。
*
手紙を投函し、2日後に土曜日が来た。手紙はきちんと届いただろうか。
仙台市から女川町への配達は早くて投函した翌日、もしくはその翌日に配達されるはず。手紙がどうなったか気になって仕方がない。投函後に気づいたことがある。
配達不能になることは考えていなかった。差出人不明となると、届いたかどうかも確認出来ない。
そうなるとソワソワ落ち着かず、居ても立っても居られなくなった。
もしかすると、病気というのも嘘かもしれない。母親の嘘であるかもしれない。元気であれば良いんだ。それが確認出来れば良いのに――と思ったら、オレは「友達と遊んでくる」と、また家族に嘘をついて最寄駅へと歩いていた。
仙台駅近くにある桜の有名な公園の近所に住んでいるので、駅へはすぐだった。
地下にある在来線の10番線ホーム、石巻行きの電車へ乗り三陸の海を目指す。
都市部から離れ、日本三景の松島を通過。その先は訪れた事がなく、あったとしても幼少期に両親の運転で連れられたのだろう。
電車から見える煌めく海に想いを馳せる。一目、妹を見たらオレは満足するのだろうか。元気でいてくれたら、母親の言っていた事は嘘だったと思えるだろうか。
そうしたら、嬉しくなって「兄です」だなんて、妹にとっては突飛な事を言ってしまうんだようか。
どんな自分も何故か恥ずかしくて想像出来なかった。
気持ちが昂ると、飲み込んだ唾液が器官に入り、酷く咳こんでしまった。持病の喘息を誘発してしまうから、女川駅に着くまでの移動時間は大人しく本を読む事にした。
暫くして、石巻駅に到着。それから石巻線へ乗り換えて女川駅を目指す。実家のある仙台はもう随分遠くにあるが怖くはなかった。
そしてまた、電車に乗ると本の続きを読み始めた。
心を穏やかにする時は、宮沢賢治の本を読む。オレは星や天体が好きだったから、銀河鉄道の夜から始まって色々読むようになった。
特に好きなのは「双子の星」だ。ガラス玉のような美しい優しさに心が現れる。この物語を読む度に気持ちを切り替え、双子達のように無私で、嫌な事をされても恨まない心だとか、そういう人になろうと意識する。
しかし、今の状況ならば、妹も人に優しくて、許せる強さを持つ子だったらいいな――と理想像を作り上げてしまう。
さらには容姿も自分そっくりな妹を想像して、口調はどうかな、身長は……と、今まではざっくりとしか考えて居なかった理想像を詳しく妄想し始めてしまった。
意識は別な場所へ出掛けていると、現実に瞬間移動させられる。それは近くにいた乗客に声をかけて来たからだ。
「お兄ちゃん、終点だよ」
「あ」
目が合ったのは歯の少ない浜訛りの男性。妄想に一生懸命で現実を留守にしていたから、終点を知らせてくれたのさありがたい。けれど声がやたらデカいのが気になり、周りの視線が恥ずかしかった。
その熱線から逃れたくて、そそくさとお礼を言って下車する。しかし男性はオレの横にぴったりついて来た。
「ガールフレンドさでも会いに行くのけ?」
でたでた、中年親父の揶揄い癖。口角が上がっていたのは認めるが、彼女とかではないので「そんなんじゃないですけど」鬱陶しさを全面に押し出して歩を早める。駅舎に向かう階段を降り終えると、頬が凹んだ。
「んだが? 顔ぉ、ニコニコって笑ってっと」
頬を人差し指で2度突かれ、男性はオレを置いて改札口を出て行ってしまう。なんだよ、やっぱり揶揄いたかっただけかよ。
駅を出て直ぐ、男性は推定年齢10歳程女児と笑顔で向き合っていた。恐らく親子だろう。顔がそっくりだ。その2人の顔だってオレに負けないくらいニヤニヤして、とんでもなく浮かれている。
親父が駅前から居なくなるのを待ってから外へ出た。初めて訪れる女川町は海の見える田舎町、と言うのが1番しっくりくる表現だと思う。
映画に出てくるような風景。海が女川町へ来た事を歓迎するように駅内からでも見え、優しい海風が体にまとわりついてくすぐったい。
駅前も古いが、味のある店構えの商店や銀行、町立病院への案内板――。生活感のある街並み全てがキラキラして見えた。
この街に妹が住んでいる。きっと物語の主人公みたいな女の子だと、さらに妄想が膨らんだ。
メモをして来た住所を頼りに見知らぬ街を駆け走る。が、所詮は中学生。道に迷うだけ迷い、かと言って誰かに声をかけることも出来ず仕舞い。
出直そうと判断し、駅の方向を戻って行く。正直、満足していた。なんで中途半端なのに満足なんだと言われるたとしても、妹を探しに来たという行動に出た事が勇気だと思う。
よくある事だ。何も不自然ではない。しかし神様って奴は「そりゃ違う」なんて言いたいのか、バッ、バッとラッパのなる様な腫れた音でオレを驚かせる。
「お兄ちゃん、どっか探してんのか?」
「……あ、さっきの」
音の主は先程の男性で、白色の軽トラックを運転していた。知らない人ではあるが、気前の良さそうな笑顔と明るさが信頼しても良いと思わせる。
昔会った友人を探していると嘘を伝え、大まかな住所を教えた。すると「それなら連れてってやる、車に乗れ」と強引に乗車させられた。
誘拐じゃん、とも思ったけど怖さは強くない。こういう事から事件が始まるんだろうな。
しかし男性はオレの期待を裏切らず、伝えた住所へと車を走らせてくれた。
駅から離れ、山の方へと進んでいく。ポツポツと広い間隔を空けて立つ家の中に、一軒だけとてもボロボロな平家が出て来た。
住所があっているかわからないが、男性曰くここら辺だと言う。
車の中から家を見ていると、茶髪の細い子供が玄関からカゴを持って出て来た。緑色のパーカーと7分丈のカーキ色のズボン、髪の毛には緑のヘアピンが2つついていて、カゴを抱えたまま、車からは見えない家の裏へと周っていく。
髪の色はオレの母親と同じ。歳は10歳くらいで、オレの妹と同じくらいだ。けれど男の子に見える。どっちだ、と、胸がバクバクと音を立てて煩い。
しかし姿だけでは妹かどうか判断が付かなかった。暫くし、洗濯物の入ったカゴを持った眼鏡で長身の若い男性と共に戻ってくる。
子供はその後ろでバスタオルを持ちながら着いて歩き、オレ達には気付かない様子で談笑しながら家へ入ってしまった。
すると、男性がふぅと長く深いため息をつきながらタバコに火をつけ、少し涙ぐんでいる。
「あそこの家のヤツは可哀想なんだよなぁ。人の噂ってのは怖いもんでね。親父が犯罪者だって言われてんだ。前科持ちでねぇのになぁ……つっても、おいはあんま詳しくわがんねんだっけ。でもなじょしたって、人は間違いもすっぺ? 噂のせいで親父も娘もどっか震えながら生きてて、おいはほっとけねんだよ」
「父親は、何をしたんですか?」
「先生は乱暴したって聞いだな。そんな事する奴でねんだけどな」
知らないヤツな話なんて興味ないよなと男性は言ったが、オレは話が詳しく聞きたいと言って、母親の被害者かどうか確かめようもした。
が、男性は詳しいことはよく知らない。ただ、町の一部の人からは好かれていないと憐れむだけだった。どうやらシングルファザーなうえに、仕事に就くのも一苦労らしく、男性のツテで職場を紹介したらしい。
オレは生きる事に苦労している親子を、きっと妹親子だろうと認めざる終えなかった。
自分の母親の身勝手のせいで、ボロ屋に住み、貧しい暮らしをしている2人に手紙を送ったのは酷だったかもしれない。
男性には人違いです、と言って駅まで送ってもらった。突然、妹やその父親について知るのが怖くなった。そして、自分の母親こそ犯罪者ではないかと喉に何かがつっかえ始める。
どうか配達不能であって欲しい。朝とは真逆の祈り。
オレが一目見て憧れた海の街は、母親によって汚されている。
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