158恥目 2人を救いたかった兄の話


 周りの子には兄弟がいた。オレにも兄は3人いるけど、羨ましかったのが「妹」を持つ友達だった。


 妹っていう存在が在るだけで、強くなり頼り甲斐があるように見えた友人に憧れた。そうでなくてもその存在は可愛いと思ったし、守ってあげなければいけない存在なんだと強く意識するだろう。


 腹を大きくして身重な母親に連れられ通園した友人を見た幼稚園時代。母親の腹が大きく前に出ると、兄弟ができるのだと知った時は興奮した。他人の母親のそれが羨ましくて、母親に「妹」が欲しいと何度ねだったっけ。


 反応は答えも貰えずに無視されて、かと思えばすごい剣幕で感情的になったりと怯えた記憶がある。けれど「弟」が欲しいと言ってみると、あの人は心底喜んだ。妹はダメなのに、弟はいいのか。

 理由なんて子供だったから検討もつかなかったが、物心ついてから知ることになろうとは思わなんだ。


 大人になった今思い返すと、あの時からあの人は十分本音を出していたと思う。それの一片を知ったのは、妹をねだってから間もなくだった。


 母親は仕事を休むようになり、あまりしなかった家事に関しては一切手をつけなくなったのだ。自室に篭りきり、たまに聞こえてくるヒステリックな悪声はオレを不安にさせた。

 と思ったら、数ヶ月経った頃には家からいなくなっている。父親に何故いないのかと尋ねても、こちらも無視。兄たちも知らん顔で、1人だけ除け者にされているようで寂しかったっけ。


 その生活にも慣れて来た頃、突然母親は帰って来た。大荷物を引っ提げて、何か吹っ切れたような清々しい顔で日常を取り戻していった。どこに行っていたかと聞くと、今度は人が変わったような笑顔で「仕事」とご機嫌に嘘をつく。嘘だと分かったのは、直感だった。


 それを確信したのは幼稚園の夏休みが終わった登園日の事。仲良くしていた友人から「学んちの母ちゃんさ、赤ちゃん産まれたんでしょ?」と思いがけない質問を受けたのだ。そんな訳あるかと流したけれど、妙に胸がざわついた。

 もしかすると母さんはオレに内緒で赤ちゃんを産んだのかもしれない。クリスマスプレゼントだってそうだ。欲しいと言ったものは遅れてやってくる。


 期待を胸に帰宅し、思うまま、感じたままに母親へとぶつける。きっと「バレちゃったか、もうすぐ赤ちゃんに会えるからね」と笑顔で言ってくれると疑わなかった。きっと性別は女の子。妹に違いない。


 子供の純粋さは暗より明の方が勝っている。今思うと羨ましい限りだ。


 けれど現実と理想とは違った。母親が右手を振りかざすと、頬に撥ねた。ジンと熱い痛みが走る。でも、何故打たれたのかわからない。

 パニックになって、泣き出そうなものなら、母親の美しいと噂される顔はみるみるうちに別人へと変わって行った。


「産んでない! 二度と言うな!」


 たった一回の平手打ち、否定と拒絶の二言。幼い子供が受ける衝撃としては充分だった。

 この人を怒らせてはいけない。帰ってきたら人が変わってしまった。そして、こちらが本当だと気づいてしまったのだ。


 その激昂は寧ろ「産んだ」と言っているのと同じ。当時から理解の良い方だったオレは、この時から自分の兄弟の存在を確かめる事に夢中になった。


 子供でも出来ることはなんでもやった。他の家族や親戚に聞く、郵便物を盗み見る、両親の後を可能な限り尾ける。

 家族の誰かがいつかボロを出さないかと、会話を聞き逃さないように聞いていた。


 小学生まではそうやって過ごして来た。だって、財力もなければツテもない。確信へと繋げる証拠もない。

 ただあるのは「そう思っていて、それを信じている」という漠然とした自分への信頼だけ。


 途中で諦めようーーと何度も思ったが、年下の兄弟への憧れは歳を重ねても消えなかった。

 努力すればなんとやら、突然その時はやって来た。


 とある日、確か中3のゴールデンウィークが終わった5月の蒸し暑い夜の事。

 その晩、父親の留守をいいことに、母親が数人の男性を自宅に招いて酒を飲んでいた。


 男性の年齢層は高めで、母親より歳上なのは間違いない。この人達が来るのは初めてではなかった。話を聞く限り、同じ教員だと思う。


 オレは受験も控えていた事もあり、無視して机に向かっていた。会場である居間はオレの部屋のすぐ隣。いやでも話し声が聞こえて来た。

 母親達は隣にオレがいるなんて知らないのか、酔っ払って忘れているのか、大声で話し続けている。


 数分は真面目にペンを握っていたものの、集中出来ないと痺れを切らしてしまった。蹴伸びを一度する。その時、男性のある1人が突然声を潜めた。


「四十九院先生、ちょっと気になる事がありましてね」

「なぁに、改まって。なんでしょう」


 母親は"女"の声で応じた。


「産んだ子は今どうなりました? 女子の」

「えー?」


 電流が走った。母親は惚けているが、確かに男性は「産んだ」と言った。長年追い続けて来た、兄弟の存在が明らかになった。

 慌てて携帯電話のボイスメモ機能を起動しようとしたが、手が止まった。


 ここで物を音を立ててはいけない。気付かれて、話が止んでしまう。記録に残したいのを諦めて、耳を澄ました。


「いやぁね、私の知り合いで10歳いかない子を好んでる子がいまして。何度か警察の厄介になってるもんですから、もし引き取り手がいないなら、そいつの養子にでもと思いまして。ほら、四十九院先生言ってたじゃないですかぁ。金になるなら何処にでもやるって」


 犯罪じゃねぇか。胸糞悪い話に顔が歪む。だけど堪えろ。まだ母親から「女の子供がいる」と言った言葉は聞けていない。

 母親は幼少期のオレを殴ったように、この男性の事もそうする筈だ。


 だが、母親はヒステリックにもならずに会話を取り始めた。


「アソコがないんですよね、それでもいります?」

「アソコがないと?」

「そ。生まれつき子宮がないらしくてぇ。そんな病気持ちでさぁ、金になるなら育てたけど、その価値もないですね」

「だから生出に預けたわけですか」

「そうですぅ。だって教師と生徒と言えど、父親でしょ?」

「まぁ、そうですね。ちなみに生出はこれを知ってるんですか?」

「言わないですよぉ、だって戻されたら困るし? どんな子でも、子供を育てる責任はあると思いまぁす」


 酔っ払って気分が上がっているから、あっさり吐いた。そしてなんだ、その続きは思い出話か。


 家に招いた男性らは過去に勤めた高校の同僚。男子生徒と関係を持ち、妊娠してしまった母親を庇う為、生徒を退学させたと笑い話にしていた。

 母親は被害者ぶるが、自分は性欲が抑えられないモンスターだから仕方がない。あそこは男子生徒が我慢して私を止めるべきだったなんて、責任転嫁までしている。


 子供を産んだ理由は「名誉を守るため」。強姦されても子供に罪はないと聖母を演じ、世間の支持を買う。確かに母親は何故か知らなかったが、模範的な教員、そして母親であると巷では有名人だった。

 家には教育に悩んだ親達が相談しに来たりと、信頼は厚い。まさか世間様にニコニコと微笑んでいる裏で、こんな汚い事をしていたなんて。


 しかもそれを笑い話にして、子供が家にいるのも忘れ、性欲モンスターと言い張るだけあって、居間で乱行騒ぎまでしてーー。


 怒りを通り越し、情けなくて悲しかった。クズなんて言葉は生易しい、外道の極み。


 自分で産んだ子を売春させようとまでして、あげくに病気である事を父親である「生出」という人に知らせていないとは。


 母親を軽蔑して、声を殺して泣いた。いろんな感情が渦巻いている最中、急がなければならない事を気付いてしまった。


 病気なら今すぐ知らせてあげないと、大事に至るかもしれない。でもどうやって? どんな風に? 何処の誰かもわからない「生出さん」にどう知らせたら、妹の体はよくなる?


 その晩は一睡も出来なかった。できる訳がなかった。行為を終えた同僚達は日付が変わった頃、ようやく帰って行き、母親は居間でいびきをかきながら眠っていた。


 やがて朝が来ると、母親はいつも通り仕事へと出掛けて行った。兄達も各々出掛けて行き、父親もいない。

 オレは一度学校へ行って、そしてすぐに仮病を使って帰ってきた。優等生枠に入っていたので仮病だとはバレなかった。親への連絡もしなくて大丈夫だな、なんて教師の怠慢は完全に信頼されている証でもある。


 オレ以外いない自宅へ戻り、新品の服と軍手をつけて母親の部屋へ向かった。

 勝手に家に入った事がバレないようにするため、強盗のように母親がまとめている郵便物の入った複数の箱を漁った。


 何故この箱達かと言うと、遠い記憶の中に「生出」という文字を見た気がするのだ。

 郵便物は捨てない事にしている母親だから、きっとあるに違いない。


 一通一通、目を通す。何箱もあるから、モタモタしていると誰か帰って来てしまう。

 作業開始から何時間も経ち、夕方になってやっと見つける事が出来た。

 

「あった......」


 白色の便箋。差出人に「生出尽斗」とある。住所は宮城県女川町。以前母親が勤めていた石巻市の隣町に住んでいるらしい。だからこの人で間違いない。


 残念ながら、封筒だけで中身はなかった。のんびりしてる場合じゃない。元あった通りに箱を戻すのも時間がかかった。


 ようやく作業を終え、母親の部屋を退出し、トイレに差し掛かったあたりで玄関の鍵が施錠する音が聞こえた。慌ててトイレの中に入り、封筒は折り畳んでポケットに仕舞い込む。用を済ましたと見せかけて水を流したら、扉を開けて体調が悪い演技をした。


「何、帰ってたの」と母親。

「ちょっと腹の調子悪くて」と返し、具合悪いから寝ていると伝えて自室に戻った。


 危なかった。本当に危なかった。念の為、封筒は鍵付きの引き出しに保管しておく。

 あとは病気の事を書いて、生出さんに知らせよう。そしたらきっと、病気と知らなくても病院に連れて行くだろうから大事には至らないと信じたい。


 オレは見知らぬ妹を助けたくて、よかれと思って行動した。それが「兄」としてやってやれる事だと信じていた。


 でも、良くなかった。その一通がきっかけで、崩れる事がなかったものが短期間で消えてしまう事を、オレは想像出来てはいなかったのだ。

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