157恥目 打ち明ける決意
陽も落ちて夜になった。愛子に言われた通り家に戻ると、小さい子を宥めるような富名腰の声がした。
昼間に要に会う決心をしたはずなのに、思い切りがつかずコソコソと隙間の空いた窓から様子を伺う。癖づいちまってるけど仕方ない。
「宇吉は要殿を別所に送って参ります。要殿達がいなくなったら中にお入りいただくでござる」
「了解っす。その後、宇吉さんは?」
「宇吉は要殿とお家に帰るでござるよ。必要な時は愛子殿に言ってくだされ。宇吉は友達を大事にする、自称いいヤツですぞ」
宇吉はそれじゃあと言い足して、いつまでも明るい電球みたいな笑顔で店の中へ消えて行った。
店内から「さぁ要殿! 宇吉が迎えに来ました故、我が家に帰りますぞぉ!」と聴こえ、やんややんや複数人で話したと思ったら、泣き声が始まって、反射的に耳を塞いだ。
耳も目を逸らしていると、あっという間に富名腰が要を抱き抱えて店から出て来ている。
愛子の話だと、富名腰から話を聞けるらしかったすけど、どうやらお帰りみたいで。約束を忘れられているのか、はたまたうまく話が伝わっていないのか。
不安になったけれど、まさか要の前に姿を表す訳にもいかず、ジッと人力車が居なくなるのを待った。
彼らの姿が豆粒ほどの大きさになるのを見届けると、立ち上がって店内に入ろうか否か、窓の辺りをに右往左往する。
「あの」
オレの不審な動きに用心したのか、男の声が声をかけて来た。男はメガネをかけた長身の男で、春を目前にしてもまだ寒い夜空の下、ワイシャツ一枚で平然と立っていた。しかも、履き物は裸足に下駄。
あんまり薄着なんで、飲み屋街を彷徨くならず者かもしれない。オレは返事をせず、ただ男の顔から目を離さないでいた。
「学さん――であってますかねェ」
「そうすけど」
男に名前を問われて素直に答えてしまう。ちゃんと声を聞いて見た所、頭の片隅にあった小さな小さな砂利みたいな記憶が「耳が懐かしいと言っている」なんて誤作動を起こす。会った事なんてないんすけどね。
「宇吉さんから聞いてると思うんですけど、志蓮の奴はちょっと用事がありましてェ」
「あ、もしかして――文人、さん、すか?」
「あーそうそう! 聞いてます? マァ、とりあえず中にはいりましょうや」
男の正体は文人だった。要の同居人で間違いない。ならず者だなんて疑った事を悪く思った。
肩から落ちたマフラーを巻き直し、文人と2人、愛子の店の扉を潜る。
店内には愛子以外誰もおらず、オレが入った途端、文人は扉に付いている営業状態を知らせるプレートを「close」に変えた。
「何か、飲む?」
愛子は疲労を誤魔化せず、無理に微笑んだ。これで好意を無碍にしては良くないので、温かいお茶をと、軽く会釈。
カウンター席に腰を掛けるよう案内されたら、文人と平成人であること含めた自己紹介を交わした。
要の兄ですと正体を明かすと、富名腰がとっくに伝えていたようで「確かに似てるわな」と言ってくれた。
照れ臭くなり、マフラーで口元を隠しなが「あの、富名腰は」と早口で訊く。
聞かなくって、あいつがいない理由はわかる。けど一応言っておかないと、盗み聞きをしていたと思われるのがなんとなく嫌で聞いた。
「富名腰にあなたが来た事は伝えてあるんだわ。でも、今の要には彼しかいないから……」
「……言葉は悪いが、廃人になっちまってさ」
廃人――。確かに言葉悪い。けど、それ以外に要の状況を現す言葉なんてわからない。生きているに死んでいる。光のない部屋に鍵をつけられて閉じ込められているような、それはそれは深く永遠な絶望だろう。
宇吉の明るさに前をむかされたのに、愛子と文人の深刻な顔を見ると、だめかもしれないと諦めそうだ。
「どうして、ああなっちまったんすか」
「……オレもよくわかんねェ。けどよォ、薫と司――所謂、オレ達の友達が突然要を責め立てたんだよ。嘘つき、自己中って、一方的に」
「喧嘩とか?」
聞くと文人は大きく首を振り、シラフで話せる気がしないとウイスキーをコップいっぱいに次、押し込むように喉へ流した。
「喧嘩ならいいぜ? でも本当に、一方的に責められてたんだ。司の話はなんとなァくならわかった。ざっくり言うと、中也の将来を考えた結果だと思う。司にとっちゃァ中也は1番最初の理解者でさ、親友っつってるくれェだし、大事なんだと思うよ。アイツ不器用だから、言い方間違えたんだ、きっと」
「要は、なんて」
「多少は言い返してたよ。でも薫ともう2人が来てから壊れちまった」
文人も辛そうだ。椅子に座っていて、ソワソワと落ち着かない。無理に話をさせるのは申し訳なかった。が、オレには必要で知らなければいけない事。
次に文人は薫という女性の話をしてくれた。聞く限り、身勝手で執着心の強い人だと思う。オレが相手にして来た女性達を思い出して吐きそうになった。女の嫌な所を煮詰めたような人で、要が男だと偽っていた事を必要以上に咎めるらしい。
嘘はよくない。けど、その薫とかいう人がやって来た事と比べれば、些細な事じゃないだろうか。
その人の気持ちは理解できないし、したくない。自分の事を棚に上げ、他人を非難する馬鹿には軽蔑しかない。そういう奴程のらりくらりと勝者のように笑い、当たり前に自分優位の生活をする。虫唾が走りますわ。
特に苦手な女性ともなると、その気持ちはますます強くなるばかりで、話を続けようとする文人には「薫って人はもういい」と冷たく突っぱねた。
「悪い奴じゃないんだけどなァ」
「そりゃ文人は友達だからそう言うでしょうけど...話を聞いてると悪い人にしか思えないんだわよ」
「んまァ、そうか」
胃の辺りがムカムカする。愛子が出してくれたお茶では、そのムカムカは収まらない。なんでもいいからアルコール度数の高い酒をーーと、頼み、カウンターテーブルに置かれてすぐ勢いよく飲み干した。
昭和に来て酒を飲むのは初めてに近い。甘酒は飲んだから、そういう表現だ。
文人が次を話す前に酔いたい。何度も追加で酒を飲む。出来るだけ深く、記憶をすっ飛ばすくらいまで。そうはなれないが、酒を飲んで強くなりたかった。普段の精神力より強く。
飲まないと、負の感情に飲まれて死にそうなんすわ。薫って人の話が過去の記憶に手招きをして、オレを地獄へ引き摺ろうと嘲笑うのがわかる。
2人は「そんなに飲んで大丈夫なの?」と心配してくれた。そう言われる頃には頭がポーッとして、頭中に風呂が沸いたようだった。
「んで、要を追い詰めた決定打はなんすか。友達って奴らが追い詰めたから? クソかよ」
酒を飲むと口が悪くなる。普段は波風立てないように静かにいるが、酒を飲むと強気になれるからいい。
「確実に追い詰めたのはガキだろうよ。直とかって知らないガキが乗り込んで来てよォ」
「直……?」
「東北訛りのクソガキ。ポッと出て来て訳わかんねェ事言ってさ」
「た、例えば――?」
直、と聞いて、事は最悪な状況なのだと確信してしまった。
その先は聞きたくない。耳を塞ぎたくなった。けど、文人は続ける。
「要が精神病院にいたとか、問題児だっとか――要が1番嫌がってたのは家族とヤってとかって話だな。顔を見る限り、直の話が嘘って訳じゃなさそうだったな..」
やっぱり、対象は要の所へ行ってしまった。最悪だ。文人の話だと、要は「四十九院」の名を聞いて顔色と変えたともいう。
文人は大将を酷く嫌っていた。理由はわかる。隠すのは厳しいので、オレの対象者は大将である事も告げた。愛子はなんの事かと首を傾げたが、今はそんな話じゃないんだと、頭を下げた。
けど、大将は悪気があって要を追い詰めた訳じゃない。正義感のある人だから、いつも冷めた顔してるオレを思っての事だったんだと思う。
「オレは直の事を責められないです」
「ま、クソでもガキでも対象だからな」
それだけじゃないけど。対象者がいなければオレは困る。平成に戻りたい訳じゃないのに、居なくなられたりしては、希望が消えるとも思っている。
にしても――そっか、全部思い出しちゃったか。オレが自殺を決意した時、あの親父と交わした契約は少しの間だけ夢を見せただけで、もっと酷な事をしてしまったみたいだ。
やっぱりどうにもならない。オレには変えてあげられない。生きてても、死んでも、いや死んではいないんだけど、何をしても過去は影のように切って離せない。
もう限界だ。もう苦しい。
「要は、なんにも悪くないのに」
今まで我慢して来た涙が、濁流となって押し寄せて、あっという間に着物を濡らした。
大人の男が急に泣き出したら気持ち悪いかもしれませんが、オレはもう潰れそうです。
でもここで投げ出すわけにはいかない。“過去には戻れないし、未来があるかどうかも定かではない“、けど、やり切るまでは投げ出せない。
やり尽くして、それでもダメなら諦める。だから今は、今まで黙り、一人で耐え続けて来た事を吐き出したい。
隣に座る文人の太ももに右手を置き、指先に力を入れて訴えた。文人も愛子もただ事ではないと、何も言わずにオレを見る。
「オレの話を聞いてくれやしませんか。尽斗さんと、要を殺したのは、オレなんです」
オレが大将を責められない理由。
当人が良かれと思ってやった事。それは時に、人を追い詰めるお節介である――。
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