160恥目 芽生える自覚



 女川町を訪ねてから、恐らく二月程経った頃だった。8月になり、蒸し暑い日々の中、受験勉強に明け暮れる。

 受験生と言う事もあって家族から離れていたオレに無視出来ない出来事が起きた。


 側から見れば何ら変哲もない家庭に、一報が舞い込んで来たらしかった。


 理由も分からずバタバタと忙しくなった我が家。どうしたのと聞いたって、血相を変えてヒステリックになる母親からは何も聞けるはずがなかった。

 こんな人が外では聖母や教育者として名を馳せている事が不思議でたまらない。


 どうせまた男関係でしくじったんだ。そう自己完結させた。いつかそのクソっぷりが世間に暴かれてしまえばいいと思っていたから、母親が何かに苦しめられる姿を見るのは気持ちの良いものだった。


 なんて、呑気に考えていた日から数日後。夜遅くまで机に向かっていたので、朝方に眠り、昼のチャイムが鳴る頃目が覚めた。


 自然に目が覚めたというより、車が駐車する音に起こされたと言っていい。いつもとは違う雰囲気を不思議に思い、自室の窓のはじから様子を伺う。


 白いワゴン車のエンジンが止まり、母親が運転席から降りたと思うと凄い勢いでドアを叩くように閉める。

 いつもは気合いの入った化粧をして外に行くのに、今日はそうでない。化粧を取っても鬼の面は剥がれず、今までに見た顔の中で1番恐ろしい表情でいるのだ。


 後部座席のドアも同じ勢いで開け、数箱の段ボールを地面に叩き置く。

 一体何をしてるんだ? 面倒な仕事を引き受けてイラついてるのか? 外では良い格好しているから、家の中でモンスターと化す。本当に迷惑な話だ。


 いつもの事だと窓から目を話し、もう1時間眠ってから勉強しようと目覚まし時計のアラームをかけた。

 

 身をベットの上に転がす。すると次は人目も気にしない荒々しい怒号が聞こえて来たのだ。


「いつまでも泣いてんじゃねぇよ!」


 家の中でならまだしも、外であんな声を出すのは珍しい。珍しがって外を覗くと、後部座席から小学生くらいの子の腕を乱暴に掴み、引き摺り下ろす母親の姿があった。


 オレは目を疑った。茶色の髪の毛の小学生に見覚えがあったからだ。

 アルミサッシの窓枠に手を掛け、身を乗り出して2人を見た。

 気が動転して体が思うように動かない。全身震えているんだ。


 何故、あの子が此処に? 胸騒ぎしかしない。母親の態度といい、嫌な予感しかしなかった。直ぐに浮かんだ事は「これからどう守っていこう」なんていう不幸を決めつける不安。

 

 居ても立っても居られず、忍足で居間へ向かった。けれど母親もその子も居ない。玄関を見ても靴はない。車から降りたはずだから、家の中でないとすれば庭にいるのか。


 玄関にあったサンダルに足を通し、母親に気付かれないように庭へ歩いた。

 車の後ろ抜け、几帳面に手入れされた日本庭園をそろりそろりと歩く。庭には母親達が歩いた形跡も、声もない。が、庭に行ったのは間違いない。


 母親の剣幕からして、あの子が邪魔で仕方ないのだと思う。例えば、本当にあの小学生が教え子との間に出来てしまった子だとしたら、母親は穏やかには迎えない。

 臭い物には蓋をする。それが母親のやり方であれば、恐らく、庭奥にある古い蔵へ向かうだろう。蔵は倉庫として扱われているが、用事がないので家族の誰も近寄らない場所。


 重厚で頑丈な倉庫へ閉じ込めておけば、ご近所にバレる心配もない。あの人の考えそうな事だ。


 心臓をドコドコと叩く心音に耳が支配される。蔵へ近づけば、やはり予想通り母親と子供が居て、悲痛な泣き声が蔵の中に響いていた。

 オレは暴力の瞬間を目の当たりにするのが怖くなり、その場を離れてしまった。


 所詮は中学生。その怒りが自分に向いて傷付くのが怖かった。

 情けないと思う。ダサい。そんなことはわかっている。


 ひけらかすように存在する日本庭園を小走りし、家へ入り自室へ滑り込むと静かに、しかし素早く扉を閉めた。


 不安が体を蝕む。タイミングが良いのか悪いのか、自室へ戻るや否や持病の喘息の発作が起きてしまった。咳き込み、吸引機を加えて横になる。


 容態が治ると、後をついて行って咳が出たとバレないように布団をかぶった。


✳︎


 その晩、家族揃って夕飯を囲む。男兄弟4人、父と母。計6人の食事。そこに昼間見た小学生の姿はない。

 他の兄弟や父親は、小学生の存在を知らないようだった。オレだけがたまたま家に居たんだろう。

 おもうままに尋ねればまた厄介になる。


 学歴エリート思考の両親とその子供。経歴や四十九院家に傷がつくような事はご法度だ。大学教授と高校教師。その何が偉いのかさっぱり理解できない。けれど人はそう言って持て囃す。

 しかし、人格者である事を語っても、その腹の中は常に人を見下している。兄3人もそうだった。学はあっても道徳がない。


 長男は何にも興味を持たない氷のような人。

 次男は典型的な俺様気質の我田引水。

 三男は得体の知れない不気味な人。1番苦手な人で、家族と言っても他人のように感じる兄だ。


 家族なのに誰も信用出来ない。外面ばっかりがいい家庭なんてこんなもんだ。だから尚更、あの子の事は聞けなかった。

 

 会話もなく居心地の悪い食卓から離脱する為、さっさと飯をかきこむ。ご馳走様と一言、流し台に皿を下げて食卓から離れようとした。茶碗についた米の滑りが乾かないように水道を捻ると、三男が口を開いた。


「あのさぁ」


 ボソボソしているのにねっとりとした、湿っぽくて不気味な声。振り返ると、三男はニヤニヤと薄ら笑いを浮かべて続けた。


「蔵にさぁ、何かさぁ、あるの?」


 オレ以外は知らないと思っていた事を三男も知っているような口ぶりだ。あの子の姿を見たかはわからないが、兎に角何かあると高まった好奇心が我慢出来なかったんだ。


 オレは生唾を飲み、黙って母親の回答を待つ。


「別にないわよ」とぶっきらぼうに返した母親に、三男は「あ、そう」とそれだけで終わった。


 良かった。何を考えているかわからない三男には近づいて欲しくない。歳は近いが、分かり合えない存在に「妹」かもしれない子を近付けたくない。


 その場を去り、家族が寝静まる深夜を待つばかり。それまでは机に向かって勉強したが、どうも身に入らなかった。


 やがて時は過ぎて時計の針が12時を超えた。キャンプ用のランタンがあったので、それを片手に持ち部屋を出る。

 家族はそれぞれ自室にいるようだし、起きている気配もない。昼間同様、忍足で玄関へ向かい、庭を通って蔵へ行く。


 蔵の前つくと、鍵に手をかけた。昔から使っていま古く錆びた鍵は壊れたのだろう。鍵には木材が刺さっていて、それを横に引き抜けば簡単に開けられた。


 鍵は開けたが、蔵の中にいるかもしれないあの子に会う覚悟はあるか。そう言われたら、ない。

 けれど開けねばならない。


 本当にオレが「お兄ちゃん」なら、「妹」を守ってやらなくちゃ。幼少期に憧れた友人達のよう「お兄ちゃん」になるんだ。


 蔵の重い扉を音を立てないようにゆっくりと引く。ランタンの明かりが蔵に差し込むと、小さな埃が宙を漂っている。久々に入る蔵を見渡した。すると溢れる荷物の隙間に、微かに動く何かを見つけた。


「……こんばんは……」


 自然と出た言葉は、夜の挨拶。ランタンの灯りと見知らぬ男に怯えるその子は、確かに女川町で見かけたあの子だった。

 泣き腫らしたのか、顔は浮腫んでいる。


 その子は何も言わずに膝を抱え、声を殺して泣き始めてしまった。怖がらせてしまったと後悔するが、どうしようも出来ない。


 この子が「妹」かもわからない。なのにオレは泣いてほしくなくて、幼少期に友人が妹達にしていた事を見様見真似で試していた。


 頭の背中に手を添えて、腕を回したら体を寄せる。抱きしめたら何とかなるかなって、思ったんだ。


 この子は抵抗せずにただ泣くばかり。怖かったら突き放して、と言ったがうんともすんとも言われなかった。


 オレはこの子の体温に根拠のない安心感を持った。ああ、この子は「妹」だ――と、体の細胞までもが納得しているような感覚であった。

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