156恥目 おばけ煙突


 人力車は浅草の街を走る。成人男性を1人乗せているのにも関わらず、宇吉という男は苦しそうな素振りも見せずに馬鹿でかい車輪を転がし、器用に人混みを縫っていく。


 宇吉の体はガッシリしている訳ではない。そこら辺の男性と変わらない普通体型だ。相当体が丈夫なんだろう。生まれつき体が弱いオレからすると羨ましいと限りだが、羨望するのはそれだけではない。


 出会って間もないというのに、彼はよく話す。浅草の有名どころをわざとらしいけど清々しい豪快な笑い声は今のオレと正反対のところにいる。 


 きっと悩みなんてない人なんすよ。お気楽でいいな。裏表の無さそうな性格が尚そう思わせる。

 裏切られることは無さそうすけど、羨ましいという感情に呑まれて妬んでしまいそうだ。


 頭に巡る、過去の記憶。オレが口を大きく開けて笑ったのはいつだろう。笑うことも要に申し訳なくて、楽しそうなことも避けて来た。いや、何をしたって楽しいとか、嬉しいとか感じられなかったか。

 オレにそう思って良い権利なんかないんすもん。


 浅草の賑やかな街の中でこの世は救いがないと絶望したような暗い顔でダンマリしていると、宇吉は思い出したかのようにオレに質問を投げかけてきた。


「そういえば、学殿。要殿のお兄さんでお聞きしておるが、お間違いないか?」

「あ、はい、種違いの兄すけど」


 独特な話し方、まあそれも浅草っぽいっていうか、なんていうか。そういうキャラ設定なのか。


「俯いた時のお顔がそっくりですなぁ。お二人とも美人さんだ」

「そうすか?」

「宇吉は嘘をつきませぬ故、本当でござる」

「そうすか……」


 悪い気はしなかった。似ていると言われた事が嬉しい。兄妹なのに一緒に外を歩いた事はないし、オレ達を兄妹だと知る人も少なかった。

 だから似ていると言われる事は、認められた気がして気分が高揚し、胸が熱くなる。


 そうだ、また気分が落ちてしまう前に聞いておこう。


「宇吉さんと要はどういう関係なんすか? 要はずっと愛子のところに? ていうか、なんで愛子のところにいるんすか?」


 宇吉は今の要を知っている。愛子には夜まで待てと言われたすけど、どうしても聞きたくなって、宇吉に尋ねた。

 人力車の車輪がカタカタと煩さくなると思ったので、出来れば人の邪魔にならないところに停車してゆっくり聞かせて欲しいと添えて。


「それはそれは、大きな声でお話できぬ事ですなぁ。さて」


 すると宇吉は「もうすぐ浅草橋です、それまでお待ちくだされ」と言うと、さっきよりもスピードを上げて河川敷の方へと向かう。

 草履が地面を蹴る音、車輪が回る音、それをBGMにただただ揺られ乗って風景を眺めていた。

 

 川へ近づくと、河川敷には川釣りを楽しむ中年男性、川上とは先の尖った船に人が5、6人乗り、掛け声を上げながらそれを漕いでいる。

 その向こうでは、4本の煙突からモクモクと黒い煙が空へと登っている。幸い距離があるからオレの持病には障らなさそうだ。


 それの風景に釘つげでいると、宇吉は人力車を止めて手拭いで汗を拭い、ニカっと笑ってみせた。

 

「あれはおばけ煙突ですなぁ。角度によって本数が違ったり、滅多に稼働しない故、たまぁに煙が出ると火葬場みたいだと言われてるんでござるよ。宇吉的にはあれもある種の観光地だと思いまする」

「確かに印象的っすからね」

「遠方からのお客には喜ばれますぞ」


 軽く観光ガイドをしてもらい、手を差し出され人力車を降ろされた。地面に足をつくと浮遊感というか、まだ人力車に乗っていた感覚が取れず、変な感じがする。

 立っていると不思議な感じがするので近くにあった木のベンチに腰を降ろした。


「それで、先程の質問でござるが――」


 宇吉が手ぬぐいをたたみながら話す。


「要殿とは同居人と言った方が嘘ではない気がしますなぁ。まだ1週間やそこらですがね」

「同居? だって要は白金台に家があるんすよ?」

「と、聞いていますぞ。同居に至った理由は志蓮殿か文人殿に聞いてくだされ。解釈違いがあってはいけませぬ。それと、宇吉は要殿とはお友達と申し上げたものの、きちんと話した事はないでござる。何を聞いても赤ん坊みたいに泣いてしまいますからなぁ。余程辛い事があったのだとお見受けします。宇吉も非常に辛く、要殿を楽しませあげれたら良いのですがなぁ。力及ばす……」

「……」


 要の表情を思い出すと、確かに目が腫れていた。何か言われる度に悲観的に受け取って悲しくなって、死にたくなるんだと思う。


 要に何があったのか気になるすけど、宇吉の言う通り、もっと詳しい人から聞いた方がいいだろう。

 押しつぶされそうな気持ちを抑え、他の質問を投げる。


「愛子と宇吉が一緒に住んでるってことすか」

「いえいえ、宇吉はまた別な方とすんでおります。まさか、愛子殿には学殿がいるのに宇吉めが転がり込む訳ないじゃないですか」

「別にそんな関係じゃないっすよ」

「あれま、宇吉の勘違いですかな。失敬失敬」


 何が失敬、すか。舌を出して後頭部を掻き、お茶目ぶりやがって。なんて突っ込むのも面倒。


「なら要は宇吉と他のもう1人と住んでると?」

「いやいや、志蓮殿と文人殿もいますぞ。それから要殿と宇吉、そして安吾さんですな」

「安吾さん? その人はどんな人?」


 安吾――という珍しい名前に聞き覚えがある。が、決して知り合いではない。出きそうで出ない記憶に頭の中が痒いというか、モヤっとする。


「安吾さんは豪快で細かい事は気にせず、そして頭の冴える人ですな」

「めっちゃいい人そうっすね」


 言葉だけ聞けば安心出来る人だ。実際に会っていないからわかんないすけど、まぁ宇吉と似たりよったりみたいなもんでしょう。

 細かい事は気にしない、困っている人は助けるような人。だから志蓮らその人を頼り、いつかの逃げ場に選んだんすね。


「愛子殿は店のことで悩まされておりますがね、安吾さんは素敵な人でござる。宇吉は安吾さんが大好きですぞ!」

「はぁ、でもなんで宇吉――さんと安吾さんが要を受け入れてくれたんすか? 接点、なかったんすよね?」

「安吾さんが愛子殿のお店の常連でしてな。酒をたらふく飲ませる代わりに、愛子殿が必要な時に一つ言う事を聞く契約をしたと聞きました。それがつまり、今回の事ですな」

「それで宇吉さん達の所に」


 愛子が自分の店の利益以上に要の身を案じてくれている。最初出会った時から、愛子は要を助けるために動いていたけれど、今回は兄として、オレ達家族のために迷惑をかけてすまないと思った。


 そういえば、オレは愛子がどうしてそこまで要を大事に思っているのか知らない。聞こうとした事はあるが、思っただけだった。

 ダメ元で宇吉に聞いてみると「知っとりますぞ!」とデカい声を上げた。


 理由はこうだった。

 

 愛子は体が男だ。地方から上京して来た時、愛子はありのままを話すと気持ち悪がられて職が見つからなかったらしい。偏見の目ってヤツだ。


 職もない、友達もいない、そんな愛子が隅田川で自殺しようとしている時、たまたま要は浅草で工事の仕事をしていたらしい。そして愛子の所を偶然通りかかった要に自殺を止められたと。

 どうやらその時の要は痩せこけていて、何日もまとも食べていなかったらしく、愛子は持っていたキャラメルを渡したという。


 愛子は「世の中にはもっと可哀想な人がいる」と哀れんだけど、要はそうではなさそうだった。友達と仲直りするためだから仕方ない、僕がお金を払えば仲良く出来るんだと明るく笑ったらしい。

 

 そして妹を信頼し、悩みを打ち明けた愛子に要は「あなたは男でも女でも、性別関係無く綺麗な人だ。人に正直に自分の全てを言わなくても、自分がいたい姿でいたらいい」とありのままを認めた。


 それがきっかけで要は愛子に五反田で仕事を紹介してやったんだとか。

 要するに要は愛子の命の恩人。だから要を大切に思ってるってわけか。

 

 ――要はこの時代に来て強くなった。元々我慢強かったけど、今度は人に手を伸ばしてあげられるくらいに強くなった。

 けど、それはこちらに来て過去を忘れていたから――という条件付きのものかもしれない。

 けれどきっと、あの頃とは状況も人間関係も違うから救えると信じたい。


 こうなったら、オレも要と顔を合わせる事も覚悟しないと。ずっと逃げてたらいけない。要が苦しそうなのに、自分を守るために隠れていたら説得力がない。

 過去を思い出した要ならきっと、家族の中でもオレだけは味方だったと――思ってくれる自信はまだないけど、本当に味方だったから。


「愛子は味方でいてくれるんすね」

「左様です! 愛子殿が言ってましたぞ、要殿は誰よりも人の痛みに寄り添ってくれる優しい人――と。良き妹さんですな」

「あ」

「優しい人程傷つきやすいと言いますからな。要殿は相当優しい人なんでしょうな」 


 人の痛みに寄り添う、か。昭和で要はそういう生き方をしているのか。そりゃあ愛子や富名腰も助けようとしてくれるさ。

 人徳は自らを救う。オレも宇吉や安吾さんって人と関係を良くしないと。いつまでも人を疑って、悲観的かつ閉鎖的でいたら救えるのものも救えない。


 悲観するのは保険だ。自分が傷つかない為のね。

 けれど何かを変えなきゃ変わらない。見守るだけでは人任せ。己の何かを犠牲にした先に救いがある、筈だ。


「要の事、良くしてくださって本当にありがとうございます」


 オレは頭を深々と下げた。愛子との約束とはいえ、精神が不安的な要を住まわせてくれている事がありがたかった。

 宇吉は「お礼を言われる程ではないでござる」と明るく笑い、頭を上げろと言ってくれた。


「そうだ学殿、宇吉めとも仲良くしてくだされ。きっと宇吉は友達の友達の助けになりますぞ! 宇吉は要殿が元気になるのが楽しみでござる!」

「勿論、本当にありがとうございます。愛子あっての縁っすね」

「その通り! 愛子殿を救った要殿には感謝ですな!」


 宇吉と話すと元気が出る。前を向こうと背中を押される気がする。多分、オレは味方が欲しかった。自分だけでなんとかしようとするからダメだったのかもしれない。


 富名腰から話を聞いて、何もかもが上手くいったら、思い切って要を観光にでも誘ってみようか。その時はオレがおばけ煙突の話をしてやろうかな。


 

 

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