152恥目 正義の誤解は罪の始まり


「金がない? アンタねえ、子供だからってそりゃあ通じないんだよ」

「無いんじゃなくて盗まれたつってっぺ!」

「所持金が無いのも盗まれたのも無いのと変わらないんだよ」


 しくじった。憧れの東京、見慣れないモノ、空気、街、どれも新しくて目移りが激しい。

 それだけで目的を忘れてしいまそうになったから、口内を噛んだりしながら欲に打ち勝とうとしていたのに。

 ちょっと浅草に寄り道したら、田舎じゃ見られない白玉のような肌を持った女に一瞬で視線も気持ちも奪われた。

 声をかけられて気分が良くなり、喫茶店だと思ってついて行ったら、喫茶店の形をした女遊びをする御座敷。


 最初は不味いと頭では思ったのに、なんと言うか、男だから、その、早い話が女と遊ぶのに夢中になってしまって、それでその、財布をいつの間にか擦られていたって話だ。


 遊んだ金も払えなければ、故郷にも帰れない。これは詰んだ。学に連絡したら迎えに来てくれっかや・・・・・・なんて考えた。

 が、この店の主人が顔つきといい、どうも善い人ではなさそうで、何日も待ってくれなんて頭を下げても聞いちゃくれなさそうだ。

 今はこの主人1人だけど、ワシが金を返せる当てがないとわかれば何をされるかわからない。今は子供だから手加減されて、手を控えられているだけのこと。


 強気に金があると言ったり、返す当てがあると言い続けて、なんとかこの場を凌ごうとしているわけだ。強気なガキ大将でなかったら挫けていたかもしれねえや。


「さあどうすんだい? 誰か金のある大人はいないのかい」

「頼れる大人ってもなぁ・・・・・・」


 学しか浮かばなかった。けれど頼れるわけがない。遠方にいるにはもちろん、親の金をくすねて東京に来てんだし、そもそも東京に来ていることを言っていない。


 しかし仮に来てくれたとして、その後は大将として見てくれなくなるし、会ってくれなくなる。と思う。

 それは嫌だ。なんとかして、どうしても、どうしてもなんとかして金を払わねぇと。


 心臓が早く音を鳴らす。ドッ、ドッ、ドッーー・・・・・・血が煮立つ音はこんなに煩いというのに、今すぐにでも鼓動は止まりそうだ。


 東京にいる知り合いはいない。会った事のない要になんとかしてもらおうか。それで、要の事は許してやろうか。

 そうだ。学を困らせているんだべ、これくらいしてもらうのは良いじゃねぇか。兄貴への迷惑料を俺に払う。それで行こう。後の事は学にバレないようになんとかしたらいい。よし決めた。


「わぁったよ。白金台に生出要っていう知り合いがいるんだけど、そいつを頼ってくれ。子分の兄妹なんだ」


 店の主人は目を細めて、鼻の頭がくっ付く距離まで顔を近づけて来た。オッサンの鼻息は臭ぇな。圧にも匂いにも怯まぬよう、拳を作ってぎっしりと握り、目を大きく見開いてやった。


「詳しい住所は」

「まあ待て。今出す」


 まだ解決していないってぇのに、ワシは安堵した。後はソイツがなんとかしてくれると思ったから、急に笑みが溢れた。

 気持ちが落ち着いたので、盗んできた封筒に書いてある白金台の住所を別紙にそれはそれは丁寧に書き写す。


 "ただの"喫茶店に鼻の下を伸ばして入ってくる客を横目で見ては「いい餌になるんだべな」と、少し見下したような気持ちでいた。行きは良い良い帰りは怖い。まさにその通りだ。俺はキチンと帰れるが他はどうかな。


 こちらが気前よく金を払うように住所の書いた紙を渡そうとすると、突然、台を拳で叩く音と共に、幼い女が憤怒する声が場の空気を支配した。


「誰がこんな店に連れて来いって言ったんですの!」

「なぁん、そんな怒らんでもええやん! 普通の喫茶店やと思ったんやって! 店の前のオネェちゃんも安くするぅ言うとったやろ!」

「バカなんですの!? 安い訳ないじゃありませんか!」

「ば――! バカはないやろ、バカは!」


 髪の毛を耳のあたりで2つに結った10歳くらいの女といい大人の男が本気で喧嘩している。

 学とワシのじゃれ合いも、側から見ればあんな風に滑稽なんだろうか。


 主人は女を見て「顔はいいが品が無い」と言って、その後にモゴモゴと言葉を食っていた。きっと食っているのは迷惑客に対する文句とみる。


「全く、要といい織田さんといい、大人ってば無責任で困りますの!」


 全身に電気が走った。あの女は確かに要と言った。無責任な要といえば、ワシの探す要と同じか?

 右耳に小指をつっこんで、耳が良く聞こえるようにした。2人の会話を盗み聞きしていると、どうやら女は要に裏切られたらしく、酷く怒っているらしい。

 そうかそうか。やはりノートの通り、学を困らせるくらいだし、家族を不幸へと貶めるに止まらず、まさか子供まで不幸にするとは。


 噴火した山の如く、女の怒りは止まらない。


「とりあえずぶん殴りたいですわ。私を裏切ったんですもの。出ないと気なんて収まりません! 決めました! きっと探し出して殴りますわ!」

「探すぅ言うてもなぁ。東京はぎょうさん人がおるから・・・・・・」


 ふむ。ふむふむ。ワシは運が良いな。盗み聞きの会話にいい事を思いついた。

 金も払えて、要もシバける。一石二鳥な素晴らしい案。


 まずは主人に渡すはずの紙を引っ込める。主人は独り言を終えてワシをドヤそうとしたところに、すかさず言葉を入れた。


「早急に金が払えるようになったわ。今払うから待っててけろ」


 何も逃げる訳じゃない。無言で騒がしい2人を指差して悪戯に笑って見せた。そしてまあ見てろと闊歩する。

 

「要ってぇのは、生出要って奴が?」

「・・・・・・なんや、にいちゃん」


 返事をしたのは子供にボロクソ言われて凹んだ大人。その姿は学と何処か被る。

 大人の向い座る女は腕を組みながら口を尖らせて舐められないと必死そうだ。


「そうですわ。盗み聞きなんてお行儀が悪いですこと」

「まあまあーー。で、生出要の場所とか知りたいのか?」

「ええ、知りたいですとも!」

「・・・・・・んじゃ、買うか? ワシはアイツの住所を知ってるぞ。ワシの分の代金を支払うのが条件でーー」

「買いましたわ! 織田さん、金を出して頂戴!」

「ちょいちょいちょい! 待ってぇや、キミ、ここ座り!」


 女は即答した。それなのに大人は慌ててワシを座らせるのだ。

 つべこべ言わずに買えばいいのに。ワシは織田という大人が弱っちい神経質な臆病者にしか見えないでいる。


「要さんにも事情ってもんがあんねん。ぶん殴りたいとか居場所を売るとか言うたらアカンよ。キミは金が払えないで困ってんなら払うてあげるから、場所は言うたらアカンよ」

「その金は兄さんから貰ったものでしょ。織田さんの金ではなくってよ?」

「勝に頼まれてるから言うてんねや。お日様の当たる所で生きて行く子供がそんなん言うたらアカンの」

「フンッ!」 


 この2人何か訳がありそうな匂いがプンプンする。織田は支払いをしてくれると言っちゃくれたが、それでは貸しを作る事になる。困るんだよなぁ。

 折角場所を売ってなんとかしようとしたのに、他の案が浮かばない。女が不貞腐れる最中、織田は主人へワシの分も金を払い、あっという間に店外へ引きづり出された。


 つまりワシは貸しを作ったと。


「キミ、名前は? ご両親はどこにおるん」

「直だ。田舎から飛び出して来たんで帰る所はねえよ。だからおめだずに場所を売ろうとしたんだべ! はーあ、おめのせいで一文無しだ!」


 ワシは居場所を売ったら、店の代金の他に東京で必要な費用や角田へ帰る費用を貰う気でいた。

 手っ取り早く金を稼ぐのはそれが良いと思ったのに、大人は変に臆病だ。織田は真っ当な事を言っているのだから、強く言い返すのはお門違いだともわかっちゃいる。

 それでも、先の事を考えると不安が勝って八つ当たりせずにはいられない。


「織田さんはいつも余計なんですの」

「な、撫子ぉ・・・・・・最近の子供は強いなぁ」

「織田さんが臆病なだけですわ!」


 この撫子って女は強気でツンツンしている。上手く取り込めば東京の仲間に出来るかもしれない。

 金が無いと人を利用しなければいけないのは辛いが、東京での目的を果たすには致し方ない。

 その為にはまず信頼されなければ。さてどうするか。女と話すのはあんまり慣れてないから、妹に声を掛けるように話せばいいのか?


「・・・・・・貴方、要の事を知ってるんですの?」


 賑わう街の中で、手を軽く触れられた。それに気付き横を見ると、そう話を切り出して来たのは女の方からだった。


「タダでは言わねぇど」

「一つ聞く事にお支払いしますわ」

「・・・・・・よし」


 理解の早い奴だ。街の活気ある賑わいのお陰で織田はワシらが話をしている事に気づいちゃあいない。


 ワシは撫子に知っている事を全て話した。

 学の妹である事、学を悩ませる種である事。

 他の兄妹を誑かし女を魅せていた事。

 母親を困らせて精神病院に入るような問題児だった事。

 家族に金を無心する最低な人間だという事。


 撫子は黙って聞いていた。光の無い目は浅草の街を映すだけでいた。何かを思いだしているのだと思う。雨雲のように闇を呼んで、目に復讐の感情が宿る。あんなに腹を立てていたんだから、関係が悪い原因は好きな男でも取られたとかだろうか? 

 思うままに訊いたら金が得られなくなって困るので、ここは仕事だと割り切って口を閉じることにする。

 いつもの調子で話していたらいい事は起きない。東京ではおとなしくしているのが吉だ。


 なので撫子と要はどんな関係であるかは聞けなかった。そろそろ人の波も引くから、織田も会話に気付くだろう。人の道が途切れる頃、撫子は「今までで1番の屈辱ですわ」と歯を食いしばりながら言った。


「なあ、今からどないする? 日も暮れとるし宿でも探そうか?」

「えぇ、そうしましょう。来たければ直さんもどうぞ」


 織田の問いかけに、撫子はツンツンした口調で答える。くるりと半分回り織田に背を向けたので、ワシには復讐を宿した顔を見せた。宿は織田に選んでもらうと言う事なので、彼はそれに舞い上がり、軽やかに踊る鳥のように足を上げて歩いた。


「訳は後で話しますけど、私、要を地獄に落としてやりたくなりましたわ。明日落としに行きます」


 耳元でそう囁かれた。子供とは思えぬ殺意の篭った息吹。言葉だけだと言うのに、罪への入り口に立たされた気がして不安が襲いかかってくる。

 ワシが何も答えないでいると、そっと札束を握らせて来た。金は渡しましたわと、薄く笑う撫子が死神にも見えた。


 ワシは学を困らせるなとガツンと言いに来ただけだ。要がちゃんと真っ当に生きてくれたら、学は飯をちゃんと食って、活きてくれると思ったんだ。

 地獄ってなんだや。子供の言う事だから、本気に受け取る方が馬鹿だと思わねぇか。


 馬鹿馬鹿しい、全部嘘だ、金は返す。そう言った方がいいんじゃないのか。


 要が地獄に落とされるかもしれないと思うとなんとも思わない。けれど、学の妹が地獄に落とされると思うと、歯がカタカタと上下にぶつかり始めた。

 カバンに入ったノートの事は黙っていよう。


 自分を守るためには着いて行かなくてはならない。帰るためには戻ることが出来ない。自己責任なんだ。仮に要が地獄へ落ちても――学には話さなければいい事なんだから。


 東京へは、啄木のノートを探しに行ったんだと言おう。



 『大雪の影響で運転を見合わせています――』


 上野行きの列車に流れる車内アナウンス。大将を追っている途中すけど、自然が相手なら仕方がない。割り切っても焦りは隠せないが。

 

 それもそうだ。大将が東京へ行った理由は要のことで間違いない。要の事が書いてあるノートがなくなっていたんだから間違いない。

 オレだけがわかるように書いていたから、もしかすると内容を誤解されてしまう恐れがある。


 さらに厄介なのが富名腰から来た手紙も一通無くなっていた事。書かれた住所を辿り、要は忘れているかもしれないことを大将が話に行ったとしたら最悪だ。

 なんとかして大将より先に要に会うか、富名腰に会わなければ。オレに会って思いだしてしまうこともあるかもしれないが、変な誤解を含んだ伝わり方よりよっぽどいい。


 ――早く、早く動いてくれ。

 でなくては要の身が死なずとも心が死んでしまうかもしれない。心は死にすぎた。何度も何度も死んでいた。死なせたくない、だから慎重でいたのに。


 また負けるのか。また救えないで殺してしまうのか。

 結局人は頑張ったところで運命には“勝てない“のだろうか。

 四十九院の名を持っても「奇跡」なんて起こせない。


 列車の外で、白い粉を踊らせた細い風が無数に吹く。幾多も聞こえる風音は、オレを嘲笑う母親の声に似ていた。

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