150恥目 化女沼伝説


「え? そんな、そんな事ってありますか・・・・・・?」

「まあ、そういう反応になりますよね」


 勝くんの母親の旧姓が本当に生出だったとして、要さんと関わりがあるかはわからない。

 ましてや13歳の多感な時期だから、ポッと思いついた嘘の可能性だってある。

 けど、こんな真っ直ぐな目をして嘘を吐くか?


 半信半疑で勝くんを見つめていると、修治さんが立ち上がる。その衝撃で、コーヒーカップが倒れ、飲み掛けの苦く黒い液体が横にテーブルから溢れ落ちた。

 けれど修治さんはそれに構わず、柄にも無く少年の胸ぐらを掴み、自分より弱い立場だとわかっているからか、普段より強い口調で吠えるのです。全く本当に大人気ない。

 大事なことなので何度でも言います。津島修治は本当に大人気ない。

 

「バカ言うな! 俺はなぁ子供の嘘に付き合ってる余裕なんてこれっぽっちもないんだよ! さっさと撫子に頭下げて兄妹仲良く大阪に帰れ!」


 左手で出入り口を指さしたと思ったら、右手で勝くんの背中を押しては帰れ帰れと背押し、帰宅を促す。

 それでも負けまいと勢いよく振り返り、自分より背の高いひょろひょろ男に吠えるのも勝くん。いいぞ、がんばれ勝くん!


「今は苗字が違くても、俺が生出であることは嘘じゃないんだ! もっと深刻に受け止めてくれ!」

「世の中探しゃあ生出なんか何処にでもいるんだよ! 子供の吐きそうな嘘だな、苗字云々で血がどうこうって・・・・・・はー、こうもあんまり馬鹿馬鹿しい兄貴なら妹も愛想つかすわな。可哀想に。俺はあの薄情女にも同情するよ」

「う、うるさい! いいから真面目に聞いてくれよ! もし要が俺と同じ生出でなかったら、血が騒いだりなんかしないはずだろ!?」

「まーだ言ってんだ! 頭おかしいんじゃないか? 病院行け、病院!」


 修治さんが胸ぐら掴むから、勝くんも負けじと言い返す。けれど同じ事をぐるぐると繰り返し言い合うばかりで先には進まない。堂々巡り。


 勝くんが言っていることを信じて欲しいもわかりますし、必死なのも応援したい。けれど冷静に考えて僕は圧倒的に修治さんよりの考え方だ。大人になると色々と酔いも悪いも知ってしまって、非現実的なことは『あり得ないこと』としてあしらったり、流したり、とにかく相手にしない。

 そう考えると修治さんの対応は案外優しいのかもしれない。僕といえばコーヒを啜り、僕の中だけで感情を漏らして、それで話をした気になっているんだから随分酷い。勝くんからしたら、驚いただけで素っ気ない大人か。子供が好きなら味方してあげたらいいのに。


 ではここからは勝くんよりに思考を変えましょう。あり得ないことが沢山起きている僕らになら、あり得る話として考えれば簡単だ。

 

 ーー勝くんが要さんに似てる理由が血筋のある「生出家」だとして、嫌な予感がすると言うのはどう言うことだろう。

 確かに親戚に何か不幸がある気がする、という予感がたまに当たることはある。それと同じようなものかな。

 けれどそれは面識があって、血が繋がっているとわかっていたらの話。今回は同じ血筋である確信はない。


 苗字が同じだから、容姿が似ているから。それだけでは説明がつかないのは勝くんだってわかっているはずだ。もしかすると、もっと納得できる理由を持っているのかもしれない。 そう思ってもあまり期待していないのは飲み込もう。


「あのー・・・・・・」


 僕らは周りそっちのけでさわだりしていると、喫茶店のウェイトレスが引き攣った顔で小手に注文した料理を持ち、耳の近くで声をかけて来た。この様子だとだいぶ前から声がけしてくれていたのでしょう。


「は、はいー」と申し訳なさそうに唇の端を釣り上げながら返事をする。

 そうしたら、「お、料、理、お持ちしました」とドカドカ音を立てて皿を置いていく。まあそうですよね、熱々の料理を持ちながらずっと声をかけているのに、店内でギャンギャン騒ぎながら大人と子供が喧嘩して、連れの男はボーっとしている。腹立たしくなるのもわかります。

 僕は「すみません」と頭を下げてから、睨み合う2人の襟元を掴んで引き摺って席に座らせた。2人は「何すんだよ!」なんて口を揃えて言います。全く惚けちゃって。


「言いたいことはわかりますね?」

「うげっ」


 あらあら、人の顔を見て顔を引き攣らせるなんて。笑顔で聞いたのに酷いじゃありませんか。この笑顔のまま「料理が来たのでおとなしく食べましょう」と言ったら「はい」と小さくなって、手に取ったフォーク震わせながら要さんの大好物であるハンバーグに突き立てる。

 そこからは僕に威圧されないように、静かにテーブルの下で足を蹴り合い始めた。やっていることが要さんと喧嘩している時とほぼ同じ。口いっぱいに食べ物を頬張る食べ方もそっくり。


 すると僕に衝撃が走った。もしかして、もしかすると――。


「もしかして、勝くんは要さんの弟とかですか!?」

「違いますけど」

「ちょっとヤダ、即答じゃないですか」 


 もしかしたら勝くんも平成人で、実は兄妹なんじゃないか説を説いた僕が浅はかでした! にしても即答だなんて可愛げがないじゃありませんか! 自信満々だったので恥ずかしくて、穴があったら入りたいです。


「俺にいる兄弟は兄貴1人だけです。見た目はあんまり似てないし、性格も・・・・・・兄貴には似てるって言われたくないな」 

「へぇ、そんなクソ兄貴なのかい」

「はい。あなたとは違うタイプのクソ兄貴です」

「おい。なんつった今」

「修治さんはこれでも脱クソ兄貴してるので、一応謝った方が良いですよ」

「俺がクソ兄貴だった事なんかないね!」


 修治さんたら、クソ兄貴じゃないなんて本気で言うんですから笑う事も出来ないじゃないですか。

 要さんの金で豪遊したこと、覚えてないんですね。そうですか。それでも優良なお兄様ですか。そうですか。


「・・・・・・勝くんのお兄さんについては触れないでおきますね。表情から見るに、余程嫌いな様子ですから」

「ありがとうございます。必要になったら話します。そんな日は来ないと思いますけど」

「無理に話さなくて大丈夫ですからね? ・・・・・・それで、勝くんは何か引っかかる事があるから修治さんに噛み付くんですよね? 苗字や容姿が似てるだけでは証明出来ない事もわかってるでしょう?」

「・・・・・・」


 勝くんはやっと聞いてもらえると笑顔になった後、また表情を曇らせて手に持っていたフォークを丁寧にテーブルへと置いた。

 膝に手を置いて改まって話すのだから、それ以外の証明材料があるのだ。


「化女沼伝説って知ってますか?」

「伝説ぅ? まーたお前はそんなガキ臭い事を・・・・・・ま、ガキかって痛でででで!」


 またそうやって茶々入れて。隣に座る修治さんの太腿を指先に出来るだけ力を入れて思いっきり抓る。彼は声にならない声で悶絶すると、そのまま黙り込んだ。これで邪魔は入りませんね。


「どこかの都市伝説か何かですか? 僕らは化女沼すらわからないですねぇ」

 

 修治さんが呆れる気持ちもわかる。けれど、勝くんの必死さも無碍にしたくはない。

 昭和に来たばかりの頃、修治さんに近づく為に必死だった要さんに似ているのだから、馬鹿馬鹿しいですねぇと言えない。

 

「化女沼は仙台から北にある湖です。俺も行った事はないんですけど、母ちゃんが爺ちゃんから聞いたって言ってて・・・・・・」


 勝くんが話し始めたのは、遠い遠い、化女沼という湖の伝説。信じるか信じないかはあなた次第的なお話です。


 ――。


 これは遠く昔の話。

 化女沼という湖の近くに住む長者には美しい娘が1人いた。

 その娘は「照夜姫」と言って、毎日のように沼へ来て日を過ごしていた。

 姫が沼へ近づけば、水面に沢山の蛇が集まっていたらしい。


 ある日、一人の旅の美男が娘の家にやって来て、泊めることになった。

 照夜姫とはすぐに恋仲になったものの、また旅を続けると言って男は去って行った。


 男との別れを嘆き悲しんだ姫は、暫くして突然の体調の異常に気づいた。気づいて直ぐに産気づいた姫は、その夜に子供を産んだ。

 けれど生まれたのは人間の赤ん坊ではなく、白蛇。姫は驚き、生まれた白蛇は沼の底へと沈み、そして姫もその後を追うようにして、愛用の機織りの道具を持って沼へ身を投げた・・・・・・という伝説だ。


 どこにでもありそうな地方の伝説というか、昔話というか。この伝説と生出家になんの関係があるのか、さっぱり検討もつかないでいる。


「この話には続きがあるんだ。生出家しか知らないような事だけど・・・・・・」

「ここまで来たら聞いてやるよ。ほぉら話せや。退屈過ぎて眠ったら悪いな」


 勝くんは挑発にも表情を変えずに話を続けた。


「・・・・・・ここまで聞いたらただの悲恋、もしくは子を想った母親が身を投げた可哀想な話だと思うかもしれない。けれどこの話には続きがある。きっと生出家しか知らないし、信じちゃいない。でも、信じて欲しい」


 芯のある静かな声だ。首を横に振ることも、頷きもせず、僕らは彼の目を離さない。

 肯定も否定もしないのは狡いけれど、都市伝説を話されただけでは信じる事は出来ないのが大人。怖がりな子供なら頷いたかもしれない。でも僕らは腐っても事実、大人なのです。


 勝くんは思い出すようにポツリ、ポツリと続きを語り始める。


 ――照夜姫は沼に入った後に子供を、旅人を恨んだ。愛した男が人間ではなく蛇であったことが許せなかったのだ。

 裏切られた、騙された、愛を踏み躙られた、

 どす黒い感情が姫の体内でグツグツ煮えて、その想いは産んだ子供である蛇の体を掴んだ。

 水音が耳元で響くだけの世界の中で、姫の愛は憎悪になって、やがて呪いに変わる。


 そして姫は蛇に言った。

 美しい時間を奪われた。私はあまりの衝撃で死を選んでしまった。取り返しはつかない。

 騙した気分はどうだ、騙されたものの気持ちがわかるか。

 

 死なずに人として生きてみればいい。

 そして決して愛を受け入れられない運命を辿れ。

 例え愛を知っても、必ず奈落の底に落とされたような絶望を味わえばいい。

 繰り返し、繰り返しその血が続く限り苦しみ続ければいい。


 血が幸せに裏切り続けられる運命を――。

 姫の愛は、血が途絶えぬ限り永久に続く。

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