149恥目 山野寺勝、又の名は
「なんや、知り合いか?」
「知り合いも何も、噂の修治ですわ!」
「呼び捨てにすんな」
見慣れない男性に目が行くも、撫子さんが再会を喜んで跳ねるものだから、落ち着いてと声をかけるのが優先だった。
あの館で会った時とは違って、子供らしいというか、明るくなった。小学校教師をしている頃、唯一嬉しかったのが子供の笑顔を見ることだったのを思い出す。
この子はちゃんと救われたんだ。良かった。吉次の時のように引き取ることは出来なかったので気がかりではありましたが、施設へ行ってきちんとした施しを受けたのでしょう。
駅の人混みの中で話混むのは迷惑なので、どこか喫茶店に行こうと提案する、すると撫子さんは連れ2人の意見なんか聞かずに修治さんの手を引いて駆け出してしまうんです。
勝くんは戸惑っていたものの、「あの時はお世話になりました」と軽く会釈してから、連れの男性に「話していた人達です。詳しいことはまた後で」と冷静に説明する。随分対照的な兄妹だな。
しかし、何故兄妹2人とそれから――この男性が此処に? その質問をすべく、ゾロゾロと駅近くの喫茶店に入る。各々注文を取れば、さっきまでスラスラ話せていたのが嘘のように静まり返った。何でしょうね、これ。
「えっと、改めて、お久しぶりです。あの時はお世話に、そしてすみませんでした」
勝くんが代表して一言挨拶をする。特に修治さんを見て、茶色の瞳を輝かせて真剣な眼をする。前回会った時は話したことは数言ばかりだったんですが、まるでずっと近くにあったような近親感があるのは・・・・・・気のせいかな。
「いやいや・・・・・・あの時は俺も・・・・・・お前、怪我はよくなったのか。瀕死だったろ」
修治さんも自分も危機的状況だったとはいえ、発砲してしまったことは申し訳なかったと付け加えて頭を下げた。
「頭を上げてください! お陰様でだいぶ良くなりました。これも彼も、要さんのおかげというか・・・・・紆余曲折ありましたけど、これからは真っ当に生きることができそうです。なのでお礼が言いたいのと、お借りしていたものをお返ししたくて」
「そうですわ! 私も早く会ってお礼を言いたいんですの! 三味線もあるんでしてよ。で、何処にいますの!?」
「おい、撫子! ちょっと落ち着いて・・・・・・」
「兄さんは黙っててくださいな!」
「っふぇえ・・・・・・」
勝くんは机をバンバン叩く撫子さんを優しく叱りつけた。のに、言い返されると弱くなって目を潤ませる。まるで尽斗さんみたいだなぁ、と思った。
確かに、彼らが持つ荷物には三味線と要さんが来ていた緑色の井桁模様の着物がある。三味線は要さんが大切にしていたものだし、見つかって良かった。
それなら早く手元に置いてあげようと思うのが普通ですが、兄――修治さんの顔は険しい。
「悪いが、今のアイツには余裕がないんだ。会うのはもう少し先にしてくれないか」
「余裕が、ない?」
何故、どうしてと質問攻めの撫子さんはまだ幼いし、理解できないこともあるでしょう。
物分かりのよさそうな勝くんだって、僕ら平成人の話をしても首を傾げるだろうし、お連れのお兄さんだって「馬鹿な話だ」と笑うはず。
それに加えて過去に心を蝕まれていると言ったら、彼女を英雄視している2人はどう思うだろう。修治さんの中で、色々踏まえて考えると、合わない方が妥当、という考えになったのでしょう。
「あの館で監禁されてたんだ。心の整理が追いついてないんだよ」
勝くんはハッとする。そして少し口をもごつかせてから、再度口を開いた。
「そう、ですか・・・・・・そうですよね・・・・・・何も考えずに来てしまってすみません」
自分あの洋館の一員だったから、直接の関わりはなくても責任を感じているのでしょう。子供なのにしっかりしているな。そうせざる得なかった環境だったかもしれない。だから大人びているし、迷惑をかけないように配慮している。
修治さんの言う通り、本当に要さんみたいだ。
「いや、知らなかったんだ。しょうがないさ・・・・・・言い方は悪いが、お前ら2人を見て余計気を塞いだらと思ってしまってな。荷物は預かるよ、ありが――」
勝くんの手にあった着物を受け取ろうとする修治さんの手は、白く小さな手で払われる。
「嘘ですわ! ありえないです! あの人はあの時そんなそぶり見せなかったですもの! 子供の私たちだってこんなに元気ですのに! 大人が耐えられない訳ないじゃない!」
「ちょお、何もそんな怒らんでもええやん。理由くらい聞いたっても・・・・・・すんませんね。うちのじゃじゃ馬娘が・・・・・・」
「そうだよ撫子。また日を改めよう」
勝くんと男性が宥めても、聞かないのが撫子さん。店内に響く怒りに満ちた叫び声に修治さんは両手で耳を塞いだ。
「僕が助けるって言ったじゃありませんの! あの言葉はなんだったんですの!? こんなの裏切りです! 大阪に行かされて命からがら東京に来たって言うのに、気が弱くなって会えないだなんて立派な裏切りじゃありませんか!」
「違う! 要は気が弱いんじゃない! アイツは、アイツはずっと1人で耐えてきたんだ! 要は裏切ってなんかいないさ、だってそれは、アイツが最も嫌がることで・・・・・・」
「修治さん、相手は子供ですよ!」
僕が言いすぎそうになる前に静止する。だけどそれがかえって逆効果だったようで、撫子さんの地雷を踏んでしまった。
「人にするのはいいけど、自分がされるのは嫌なだけではなくて!? 少しもお話になりませんわ!」
「撫子! 何処行くん! 撫子!」
注文した食事にも手を付けず、席をさっさと立つと子供の身軽さで店を出ようとする。1人で東京の街へ出たら、彼女こそ人攫いにあってしまうかもしれない。何とかして連れ戻さなければ。
誰よりも早く、勝くんが撫子さんを外に行かせまいとして腕を引く。
「落ち着け! 恩人に向かってそんな口の聞き方あるか!」
「何です・・・・・・本当の兄妹でもないのに兄貴ズラしないで!」
「兄妹とか関係とか関係ないだろ! 余裕がないのは誰にだってあることで、あの人は嘘をついていたかどうかなんかわからないさ!」
一見普通の兄妹喧嘩――にしては空気が重すぎる。撫子さんの黒い前髪の間から、光のない黒目が勝くんを睨んだ。
「何を根拠に言うんですの」
「・・・・・・根拠は、ないけど・・・・・・でも、わかる、わかるんだよ! 要はただ落ち込んでるだけなんだ! 信じろ、俺を!」
勝くんの「信じろ」には要さんに似た、太くて真っ直ぐな芯を感じた・・・・・・気がします。
修治さんも同じだったようで、弟にダブって見えたのか、蜃気楼を見るように「要」と呟く。その姿は修治さんに出会ったばかりの頃の要さんに、そっくりだったから。
撫子さんの心に響いただろうか。言葉の中にある強さに、気づけたでしょうか。
横目で彼女を見ると、勝くんの持っていた鞄を漁って何かを取り出し、再び背を向けた。
「要と似た容姿の兄さんに言われたって、憎悪しか浮かびませんわ」
「・・・・・・っ」
背中から伝わる、冷たく、そして憎しみが嫌と言うほど伝わってくる。彼女は一時的な気持ちの落ち込みだとしても、それを許さない。ずっと自分の理想でいて貰わなくては、裏切りとしか認めない。
子供だからこそ、そう思うのでしょうか。
大人に裏切られた回数が多いから、そう感じるのでしょうか。
そうだと決め付けたら思考はそうにしかならない。
勝くんはそれ以上に何も言わずに妹の背を見送った。
そして彼は撫子さんが漁ったばかりの鞄の中から布の塊を掴み、連れの男性に突き出した。
「織田さん、この金持って行ってください」
「ええんか? って、おれらに見せていた金より多いやん!」
「俺が行っても解決しません。恩もきちんと返さなくてはいけないし、やるべきことが終わって、撫子が納得する答えが見つかったら迎えに行きます」
「迎えって、勝ぅ・・・・・・おれ、意外になんも出来ひんの知っとるやろ?」
「・・・・・・俺は信頼してますよ。東京まで連れてきてくれたのが証拠です。撫子と一緒に居てください。ああ見えて、1人は苦手なんです。今は織田さんにしか頼めません」
「んでも、勝はどないすんのや」
「俺は俺で考えますから。さぁ、行って。あ」
急いで、住所をお借りできますかと言うので、修治さんが持っていたペンを使い、喫茶店のナプキンに僕と白金台の住所を綴る。
何に使うのかわからないけれど、信頼してきた顔に似ていると断れませんでした。
「ここに手紙を送ってください。まだ織田さんを振り回してしまうけど、その恩も必ず返します」
それを一度折り、素早く手渡す。連れの男らそれを受け取って小さく頷いた。
「・・・・・・わかった。兄さんら、勝の事を頼んだで」
「あ、あの、お名前」
僕は撫子さんの後を追う髪の毛で片目を隠したその人に、声を掛けた。美形で関西弁、けれど富名腰くんとは違う、ソースの匂いがする方言を話す人。
「織田作之助って言いますねん。先生に修治、名前は覚えたで、勝の事頼むわ!」
「織田作之助!?」
名前を聞いて驚いた。織田作之助って、それは太宰治と同じ、ええっと、なんとか派の方じゃないですか。
要さんが居たら喜んだでしょうか。ここで出会ったのも、何か必然でしょうか。
当然今は何も聞けるわけがなく、存在だけを知って口をポカンと開けるだけ。
あっという間に姿は無くなっていた。
僕が驚いている横で、修治さんはグスグスと鼻を啜り、そして涙を脱ぐっている。
「裏切ったって、なんだよ。要はただ、やっと本当のアイツを見せてくれてるんじゃないか」
せっかく仕立てた背広が汚れても気にしない。就活に勤しんで、寝る間も惜しんで履歴書や面接のシュミレーションをするのは、紛れもない要さんの為なのに、それをひどい言葉で一蹴りされる。いくら相手は子供だって、今の彼にはどれだけ鋭いナイフだったか。
「撫子が、すみませんでした」
「本当だよ。なんだあの女。薄情者」
「・・・・・・すみません。よっぽど信頼していたようで、感情的になったんだと思います」
「感情的になりすぎだ! 全く、で、なんでお前はいるんだよ」
「修治さん」
言い方あるでしょ! と言っても、子供相手でもムキになるのがこの人だ。
勝くんは冷静な顔で修治さんを見る。同じ「兄」と言う立場なのに、なんでこうも違うんですかねえ。それが修治さんらしいというか、何というか。
「そんなに似ているとは思えないけど、撫子にも、お2人にも、要に似ている言われたのが引っかかって・・・・・・ただの気の持ちようだと思うんですが、その、気が落ち込んでいると聞いて放って置けないんです」
「へえ」
また気のない返事。行儀の悪い音を立てながらコーヒーを啜る。
「あと・・・・・・なんか、胸がざわざわするんですよ。嫌なことが起きそうで・・・・・・その・・・・・・うまく言えないんですけど」
「お前、一体何が言いたいんだ!」
修治さんの怒鳴り声に驚いて目を瞑った勝くんは、それでも負けないと言うかのように、けれど言いにくそうに体を震わせる。
「要、死ぬのかな・・・・・・って、血がゾクゾクして、寒くて、危ないって、そう、言っている気がするんだ」
あくまでも、気がするだけのこと。だけど、似ている顔だから妙に説得力があって、恐ろしい。
信じられないことが起きているのは今に始まったことじゃない。
だからこそ、そうあるような気がしてならないんです。
「そういえば勝くん、どうして君はそんなに要さんに似ているんだい?」
そんなこと、彼に言ってもわかるはずがないのに。でも彼は言うんです。はっきりと、その口で、言うんです。
「俺の本名は山野寺勝――だけど、すっかり忘れていたのに、急に思い出したんだ。母方の苗字が“生出”だってことを」
こんなこと、あっていいんですか。
「だから俺は生出勝とも名乗れる。だから血も騒ぐんだよ」
その目が真っすぐなのも、芯があるところも、やけに冷静なところがあるのも、なんというか、生出親子に似ているということは、そういう事なのかもしれない。
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