147恥目 本音はサヨナラの素
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包帯を買いに街に出たけど、やっぱり売っていない。薬局も商店も夕方で閉まる。期待はしていなかったけど、買って帰らないと何か言われそうな気がする。
でも外に出てきてよかった。夜風にあたりながら体を動かすと気が紛れる。さっきまであんなに塞ぎ込んでいたのに、帰ったら文人と中也さんに謝ろうと素直に思えたんだから。
大事なのは今であって、過去ではない。気持ちの上がり下がりが激しいのは誰にでもあること。なりたい自分になるのは簡単じゃないんだ。マイナス面を上手く利用しつつ、過去と向き合って、どうしようも無くなったらこんな風に歩けばいい。
包帯なんかいらないや。夜風が血を乾かしてくれるもの。手を仰ぎながら、きず風を浴びる。
「あれ、要」
「父さん」
街を歩いていると、目の前の居酒屋からほろ酔い気分で暖簾をくくった父さんにばったり出会った。しゅーさんと先生のところへ行ったと思ったけど、真面目にやっているところにただ居るだけでは邪魔をしてしまう気がして帰って来たのだという。
僕も外を歩く理由を話すと、父さんが変えの包帯を持っていると言ってくれたので受け取ることにした。
せっかくだから親子2人で歩こうか。2人同時に口にしたので、顔を見合わせてくすりと笑った。
当てもなく街を歩きながら、しゅーさんの履歴書の話だったり、父さんの卒業後の進路だったりを聞いていた。父さんは「せっかく檀一雄として生きてるんだ、小説家になるよ」と生前の夢でもあったその道へ進むことを決めたらしい。
やがて父さんの話が終わると、妙な沈黙が続き、そして父さんが「ねえ」と切り出した。
空気から、何を問われるかは察しがついた。
「僕が死んだ後、要はどうしていたかちゃんと教えてくれないか」
ほら、当たった。そうだろうと思ったんだ。僕はこの質問の度に人並みだったと言い続けて深く掘られないようにしてきた。
何度も同じことを聞かれるのだから、その答えに納得してない、そして信じていないということだ。さすが父親。嘘をついているのは分かられちゃうモンだな。
けれど事実を全て話したら、父さんはきっと苦しむことになる。自分が死んだことで僕が苦しんだのではないかと疑っているようだから、また涙を流すような思いはして欲しくない。
いやでも、もしかすると「苦しかった」と言わなければ納得してくれないかも。
僕は観念したかのように「わかったよ」と言って、全てを話す素振りをした。
「本当に母さん達と暮らしたんだよ。最初は関係が良くなかったけど、時間が経ったら馴染めて行った」
「えぇっと、それは、喧嘩とか・・・・・・していたのかい?」
「喧嘩にもならないよ。今まで居なかった僕が新たな家族として加わるんだもん。気を使ってギクシャクしたって意味だよ」
「はわぁ。そういうこと」
そう。そういうこと。これだけでやっとわかった、解決した、みたいな顔をするんだから、もう少し本当に嘘を交えれば納得してくれるだろう。
「あとね、高校には行かなかったんだ。僕の他に兄さん達もいたし、僕はよその子だったから遠慮したっていうか。中学卒業したら1人でなんとかしようって決めていたの。仙台の空気は僕に合わなかったんだもん」
「そんな・・・・・・高卒でも大変だったんだよ? ユリさんは許してくれたの?」
「もちろん。僕はこんな性格だろう? 一度決めたら譲らないから母さんも根負けしてたよ。バイト掛け持ちしてたらなんとかなったし、悩みも全然。案外生きていけるもんだよ」
「そっかぁ、要は強いねぇ。他には? 何かなかった?」
「ないない。僕は特別な人間じゃないもん。ただのうのうと生きていただけだよ」
僕は明るく振る舞い、大したことがないとまるで人ごとに喋った。貰った包帯をお手玉のようにして遊びながら、過去を思い起こしても辛くならない為に必死だった。
きっとこれで納得してくれたろう。父さんを見上げる。すると、まだ煮え切らない表情をしている。
必要に後ろを振り返ったりしながら、次に何を言われるか待つ。
「なら、どうして死のうと思ったの?」
「・・・・・・」
この質問にはなんて答えようかな。僕は頭をフル回転させた。父さんを傷つけないような答えは何だろう。でも、死のうとしている時点で傷つけてるか。立ち止まって黙り、父さんの顔を見つめる。不安と覚悟が交互に現れるのは、聞きたいけど聞きたくないから、かな。
僕は父さんの左手を握り、また顔を見上げた。
「父さんに会いたかったんだもん」
こう言えば、父さんは喜んでくれる。会いたかったのは本当だもん、嘘じゃない。僕をおいて死んだことを後悔しているのならそのまま後悔して頂いて、それだけではかわいそうだから喜ばせてもあげる。
出来た娘でしょう。本当に、自分でも感動のお涙頂戴感が凄くて笑いそうになる。
父さんは膝を折って僕の顔と同じ位置に目線を合わせると、八の字眉だったのがキリリと角度が上がり、かけていたメガネを頭の上に乗せた。
「要」
声色も変わった――ということは、この人は父さんではなく檀さんだ。急に背筋が寒くなったのは、ぴゅうと吹いた夜風のせいだ。きっと檀さんに変わったから怒られると怯えている訳じゃない。なのに、目を瞑りたくなる。
「私達が知っているお前は、大人しくて感情を出さない性格だったよ」
檀さんの目は、嘘を見抜いている目だった。僕はその目が怖い。父さんにはバレなくても、檀さんにはバレると思ったからだ。
「大人になったんだよ」
そのまま黙り込んだら負け。声を強めて云ってやった。父さんが死んでから何年も経つんだから、性格も変わる。そう思ってくれたらいいのに。
「それなりに生活が出来て悩みもなくのうのうと生きていたって言う人間が、突然亡き父親を思い出して東京で死ぬのか?」
「そうだよ。死ぬよ」
「・・・・・・」
充分死ねる理由だと思う。玉川上水で太宰治の英才教育を施してくれた父親を思い出し、寂しくなって死ぬ。人の限界なんていつ迎えるかわからないもの。無くは無い、と云う。
でも檀さんはそれを聞いて、映画やお芝居が終わった時のように黙ったと思えば、どれ感想をと思ったが、笑う気にも怒る気にもなれない様な顔をした。
「尽斗とは暫く会わない方がいい。どうやらお前を苦しめるようだ。嘘をつきなれてはいけないよ」
「嘘じゃないもん!」
父さんならば、必ず信じてくれる。
なのに「私」という檀さんは僕を疑い、冷たく遇らう。嘘じゃない、嘘ではないんだ。
「なら寝言はなんだ。母さん許して、殺さないで・・・・・・どれも、ただの夢で済ますのか?」
「それは、そうだよ。夢だからどうしようも出来ないもん。僕は嘘をついてないもん!」
寝言なんか、知るもんか。僕は必死に噛みついた。
僕が吠えても、檀さんは相変わらず冷ややかな目で僕を視る。
「嘘を吐く時、語尾にもんが付くのだけは治っていないようだな」
ギクリ。首筋に刃先を当てられたような恐さが脳内に走る。
クセっていうのは、なかなか治らない。いくら明るくつとめても変えられないのが"クセ"だ。
それには何も言い返せない。下を向いて、前歯で下唇を少し噛んだ。悔しいけど、本当だ。
「過去を話したくないのはわかった。ただならぬ道を歩かせたのは私達だ。それは尽斗も理解している・・・・・・尽斗は納得しているように見えるだろうが、そうではない。これでも父親だ。嘘がどうかくらいは解る」
「本当だもん・・・・・・」
嘘だと言っているようなものなのに、何か言わないと勝てない気がして仕方がない。何に勝ちたいのか。多分、僕の口から出た言葉を全て真実だと飲み込んで欲しい事が勝ちなんだ。
また暫く沈黙が続いた。檀さんと歩く道はとても長く感じる。もう何時間も歩いた気になると、いつの間か家に着いた。檀さんは然りげ無く、送ってくれていたんだ。
冷たいと思っても、隠すようにするのに、確かな優しさをみせてくれるから好きだ。
何もなかったみたいに「またね」と言えば、今日のことはリセットされる。これからも上手く交わしていこう。僕は信じてくれている父さんを信じる。だから檀さんには、ただ「またね」とだけ伝えた。
「――お前が事実を話せるまでは距離をおこう」
「え」
またそんな意地悪を。意地悪するのが好きなんだ。またまたそんな、と顔を見ると、檀さんの表情は哀しそうで、それでいて辛そうだ。
この人のこんな顔は初めて見る。
「尽斗は嘘をつかれた数だけ傷つくんだ。だからお前の本音が聞きたくて仕方ないのさ。嘘は一つの徳もない。私は尽斗を守る人格、だからそう言うんだ。お前を虐めたい訳ではない」
「そんなの檀さんの勝手じゃないか」
「ああ、勝手さ。でもこれはお前の為でもあるんだよ」
どうか言う事を理解してくれと、肩に手を置かれる。それがどうしても気持ち悪くて、払い除けてしまった。
「勝手に死んだくせに、ああしろこうしろばっかり言うな!」
勢いで言ってしまった本心にハッとする。
ヤバイ。本気で嫌われる。どう言い訳しようか、そればっかり考えた。
違うんだ、これはええっと。手振りばかり大袈裟になる。
素直に謝ろうと彼の顔を見た時には、父さんか檀さんか、どちらかわからないけれど、目を潤ませ、声を震わせて云った。
「・・・・・・ごめんね」
寂しそうに呟いた後、くるりと向きを変えて背中を見せられる。
僕は後悔した。けれど呼び止める事も出来ない、弱虫になっていた。
――本音を知りたい。そう言われても、本当の事を伝えたら、悲しい顔しかしてくれないじゃないか。
真実を伝えるのも、伝えないのも凶器。それなら黙っていよう。そう選択するのが僕なんだ。
でもどうしよう。本当に酷いこと言っちゃった。
さあこれで、父さんとの距離が出来てしまった。中也さんと文人に謝ろうと思ったのに、これじゃあダメだ。皆んな皆んな離してしまう。
もう一度街を歩こう。そうしたら、きっとまた悲しいを振り払えるはずだから。
一歩歩み出して、下駄をカランと鳴らす。この下駄をくれた人の顔を目に浮かべて、さっきの出来事を思い出すと、もう潰れてしまいそうで重たくて、苦しい。
こんな時に誰か頼れたらいいのに。何でも言える誰かが居てくれたらいいのに。立ち止まってしまうじゃないか。
独りになったら、また何か思い出しちゃいそうだよ。でもひとりで居たい。変なの、矛盾してる。
グスりと鼻を啜ると、背中が温かくなった。振り向かなくても誰だかすぐにわかる。
「こういう時に出てくる志蓮、嫌い」
「あらま。嫌われてもうた。じゃあ、どこが嫌いか言うてみて? 納得出来たら、スルメあげてもええよ」
いつも何処からかポッと出て来る志蓮。僕は彼の体温を感じた途端、志蓮を思い切り困らせたくなった、
「全部嫌い」と下唇を尖らせる。
「好きと嫌いは同義やよ。好きの反対は無関心、言うやろ? でもねぇ、泣くくらい嫌いなん?」
ポタポタとまた泣いてしまう。だって志蓮なら大丈夫だと思うんだもん。大丈夫に理由なんかないけど、大丈夫なんだもん。
この「もん」は嘘をついている「もん」ではない。我儘になりたい時の「もん」だ。
「嫌い、だいっきらい」
「そっかぁ、なら泣いても仕方がないねぇ」
志蓮に嫌いと何度も言いながら、僕は吐く様に泣いた。
彼はずっと「そっか」とだけ言い、隣で頷いてくれるだけだった。
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