146恥目 やったモン勝ち

 怖い夢を見た。

 まだ夜は明けていないから外は闇のままで、それがかえって恐怖を増幅させる。


 吉次くんは、隣で寝息をすやすやと立てて眠っている。行為の後は疲れ果ててしまって、眠ったら朝まで起きない。寝ている時に擦り寄っても無反応なのは当たり前だけど、かえって気分が落ち込みそうなので、彼に背を向けるように体の置き方を変える。


 布団が温かくて良かった。自分の温度で温まったと物だとしても、人の温もりに変わりはない。その温さが増幅させた怖さを和らげてくれる。


 怖い夢、と言っても、ホラーやサスペンスみたいな怖さじゃない。そんなのよりもっともっと恐ろしいの。

 嘘がバレる怖さ。鍵付きの引き出しに閉まって置いた隠し物が暴かれた怖さ。ひとりへの第一歩。


 夢は幻覚の筈だから、ありもしないことだけを見せ続けてくれたら良いのに。それは確かに記憶の発掘だった。

 どうして今更思い出しちゃうの。昭和に来た時なんて、ちっとも記憶になかったのに。それが薫だけが知っている事なら怯えずに済んだよ。でもこの記憶は「もう1人」知っている人がいる。その人がうっかり話してしまったら、薫はきっと仲間外れにされて、今の生活を失うと思う。

 過去についた些細な嘘が、その人を自殺に導いたかもしれないのだから。


 その思い出した薫のついた嘘というのは、年齢の事だ。薫は18歳で昭和に来たと言っているけど、本当は成人なんてとっくに超えた24歳だ。年齢を偽り始めたのはこちらに来てからではなく、平成からのこと。好きになった男の人が10代の子が好きだっていうからそう言って近づいた。

 年齢の事は知られたくない。吉次くんを裏切ることになるし、他のみんなも薫を痛い人だと白い目で見ると思う。


 そんなのは嫌だ。年齢だけなら大したことないと思われるかもしれないけど、それはついていた嘘であって、誰かを追い詰めた理由ではない。


 思い出したのは、薫は平成で要くんと会っている。ということ。

 あの人は薫の年齢を知っている。大学在学中に付き合っていた人がボランティアに出かけると言ってついて行った、東日本大震災の被災地で出会ったのが最初だった。


 瓦礫に埋もれた街で1人、お父さんのお墓を探していた要くんに声を掛けて、友達もいない“彼女“が可哀想だったのと、弱っている人を助ける良い人になれた気がして連絡先を交換したの。我ながら最低だなぁとは思うけど、今より若かったんだもん。仕方ない。


 それで、いつも連絡をくれるのは彼女からで、その場限りの社交辞令みたいなもので交換しただけなのに「遊ぼう」とたった三文字を頻繁に送って来るのが正直面倒臭かった。


 数年間、誘いを交わし続けた薫は、2018年の2月頃まで付き合っていた人と別れた。死にたくなるくらいのショックはなかったけれど、付き合っていれば情が溢れてくるから凹んだ。


 もう男なんか・・・・・・と鼻を啜りながら恋愛をしないと決めた日もあった。

 毎日泣いて枕を濡らしていると、当然寂しさを埋めたくなる。そんな時にまた連絡が来ると普段の鬱陶しいと思っている人にでも縋りたくなるから、6月に薫が住んでいる東京の三鷹市で"要ちゃん"と会う約束をした。


 けれど、それも傷ついている時の話。約束してから1ヶ月も経てば失恋の傷も癒えて、性懲りも無くまた新しい男性とお付き合いを始める。

 この男性が年齢詐称の原因なんだけど。散々要望に応えて来たのに、結果振られるなんて悔しくて、惨めで自殺したんだった。皆に結構盛って自殺の理由を話しちゃってたや。まあいっか、これは墓場まで持って行こう。


 つまり、恋愛体質で性欲が強い薫には、女友達で寂しさを埋めるのは不可能だった。

 新しい恋愛を始めたら、要ちゃんとの約束も忘れて、とうとう会う日を迎えてしまったの。


 その日に約束を思い出したのも最低だけど、もっと最低なのはドタキャンした事。

 貧乏の要ちゃんが大金はたいて宮城から三鷹まで来てくれたのに申し訳ないなぁと思ったけど、そこまで彼女に思い入れもないし、彼氏と都合が合うならばそっちを優先するのが薫ってわけで。


 自分勝手な理由でドタキャンはしたけど、まさかその日に自殺しようとしていたなんて思わなかった。自殺の理由は知らない。きっと薫のせいじゃない。と、思いたい。

 けれど、この事が知れて、薫が原因かもしれないと皆から疑われたりしたら、絶対に居場所が無くなっちゃう。


 この記憶が要ちゃんにもあるのなら、何がなんでも口止めしなくちゃ。もしくは、記憶が著しく欠けているらしいから、思い出す前になんとかしないと。

 体のあちこちからじんわりと汗が滲み出てくる。どうしよう、どうしよう、どうしよう。どうやって話さないでもらおう。解決策は見当たらない。


 自分の今を守るにはどうしたらいいだろう。

 素直に謝ろうか。それが最も良い事だとは思うけど、それでも他の誰かに薫の嘘がバラされるのが怖い。それにバラさないという保証がないから不安で気が狂いそう。

 

 頭を掻きむしり、掌で頬を覆い、必死に考える。

 考えれば考える程、思考は偏っていく。薫は狡いから、自分が悪者になりたくない一心で「要ちゃんを追い出す方法」だけを考え始めちゃっている。だってその方が確実なんだもん。


 薫を苦しい立場に追いやる存在が近くに居られたら生きた心地がしない。だから彼女の粗を探して、やんわりと関係を薄めようと思うの。今までは楽しかったけど、こんな記憶を思い出したら、もうどうでも良い。

 

 そうなの、要ちゃんだって嘘をついているの。

 やっぱり“彼“は女の子だったって事。皆知らないだろうから、これをバラして責め立てよう。先に言ったもん勝ち。

 それから本当の性格は地味で根暗で、コミュニュケーション能力が無くて、かまってちゃんであることも言ってやる。昭和の彼女は、男性と偽って出来た偽りの"要くん"でしかない。


 これを理由に要ちゃんとは縁を切ろう。同性といるより異性といた方が楽だし、騙されて傷ついたことを武器にすれば守ってもらえるだろうから、一石二鳥だ。

 つっくんあたりに言えば、すぐに思い通りになりそうだな。


 そうと決めたら、胃のモヤモヤも汗もぴたりと止まる。不安が安心に変わると急に睡魔が襲って来た。今日はもう眠って、明日にでもつっくんに連絡しよう。


 自分の身は自分で守る。当たり前の事だもん、薫は悪くない。

 隣で眠る“旦那”の肌に頬を擦り付ける。すると今日は珍しく、吉次くんが目を覚ましてくれた。


「どうかしました?」


 眠たそうにふにゃふにゃとした声で云った。


「怖い夢を見たの。薫が1人になる夢」


 瞳に溜まっていた涙をここでポロリと一粒こぼしてみた。彼は寝ぼけ眼を見開いて、血管の浮き出た腕で薫の体を力強く締めた。


「まさか、1人になんかしませんよ」


 暗闇で見つめ合った後、彼は首筋に顔を埋めてくれる。言葉はないけれど、薫が不安や寂しさに飲まれないように夢中にさせてくれるんだ。

 

 ――嬉しい。余計なことは考えずに今夜はただ啼いて、女としての幸せを噛み締めた。

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