138恥目 織田作之助と東京に帰りたい2人

 ここは大阪。

 天下の台所とはよく言ったもんで、子供の俺たちには何の意味も持たなかった。

 東京より、賑やかというよりかはギャンギャンと人の声が混じって煩い。怒られているような方言は耳障りでしか無い。耳を塞いでも、隙間からズカズカと入り込んでくる。嫌だ。


何故嫌かって、関西の方言自体が若干トラウマにもなっている訳ですから、ここの大人に助けられたといえど此処から逃げ出したいと思うのは当たり前の感情ではないでしょうか。

 助けられた? いや、勘違いだ。東京の孤児院に預けられたならよかったのに、定員がギリギリだからと断られたっけ。


 それで連れてこられたのが大阪。こちらの孤児院に連れて行かれるのかと思いきや、祗候館が多少マシになったような場所に売り飛ばされてしまい。


 妹の撫子と共に、東京に戻る為に売られた店を飛び出して、知らぬ街を逃げ回る夜を過ごしていると言う訳です。


「待たんかいコラァ!」


 待てと言われて待つ馬鹿がいるもんか。

がらの悪い大人が数人、たった2人の子供を捕まえられないなんて情けない。威勢がいいだけじゃんか。体に重りでも付けてるのかってくらい、足が遅い。

 いいや、俺たちが速すぎるのか。金田さんに追われるより何倍もマシだと思うんだから、あの館に勝る恐怖はないのかもしれない。こればっかりはあの人に感謝したいくらいだ。


「兄さん! 前!」


 大阪の繁華街の裏路地に逃げ込むと、追手が先回りして俺たちの前に立ち塞がった。

 一本の路しかないこの場所をどう切り抜けるか。後ろも前も人の壁を作られたら、通れないじゃないか。反省しています、許してくださいと泣いてみるか。一晩懲らしめられて済んだら安い方だ。


 さてどうしようか。背中合わせになった撫子の肘を突き、小声で話しかける。


「撫子、アレ持ってきたんだよな」

「えぇ」


 阿吽の呼吸。夜と路地の暗がりを利用し、この場を切り抜ける為にひっそりと俺の着ている学生服の袖口と撫子の袖口をピッタリとくっつける。

 渡された“物”は使い慣れている物よりも小さくて冷たい。上手く扱えるだろうか。


「なんであんなモン持ってんねや!」


 慌てずに、冷静に。追手の方が同様しているんだ。俺たちの方が精神面では有利のはず。

 

 しかしこの拳銃の使い方がわからない。自動拳銃っていうのは、どこをどう持ってどう構えるのか。祗候館で戦った“しゅーさん”って人も、猟銃を使えてたんだ。俺たちが使えない訳がない。


 撫子も同じことを考えているはずさ。背中に感じる体温の面積がさっきよりも広いのだから、お互い後ろに倒れないように支えあっている。


 ――怖くない。俺たちは無表情で拳銃を両手で握り、それぞれ目の前にいる追手に銃口を向ける。皆顔を腕で隠すんだよなあ。顔に当たらなくても、体にあたれば十分だ。怯むくらいでいい。死に追いやる場所は、金田さんが殺していたのを見ていたからわかる。そこはなるべく外したい。


「お前らンこといくらで買うたと思っとんのや!」

「店の金まで持ち出しやがって・・・・・・終いにはチャカまで持ってるってどんなガキやねん」

「なあ、坊主。今やったら許したってもええで。そんなもん置いてまた仲良く仕事しようや、な?」


 大の大人が子供に怯えて腰を抜かす姿。恐怖で怒りをあらわにする姿。

 どちらもあの洋館で見慣れた光景だから、同情する隙間もない。無い・・・・・・はずなのに、怖くなって来た。俺は恐ろしくなると、高下駄を擦って後ろに下がってしまう癖があるんだよ。


「兄さん。躊躇わないでくださいね。いつも肝心な時に引き金を引けないのは悪い癖ですわ」


 それを知っている撫子はピクリと動いて、静かに忠告してくれた。それに「わかってるさ」と何でもないような返事をして下唇を軽く噛んだ。


「こんなの、ちょろいんだからな!」


 やんややんやと酔いどれが騒がしい街に、鉛玉が数発空中を走るノイズが混じった。みんな頭に酒が回ってて、数人の命が散ったことなんか分かりもしない。

 数日経ってからやっと、死んだやつの仲間が騒ぎ出して犯人探しが始まるのさ。表に出られない職業なんかそんなもんだ。


 盗んだ拳銃は後ろと前の血だまりの中に、一丁ずつ置いてあげた。撃ち合いになった末に皆死んでしまったんだと、最初に見つけた奴に思わせるため。


 撫子もやっと落ち着いて東京に行けると思っているらしく、乱れた二つ結いの髪の毛を直し始めた。

 とろみをつけたような絹のように細い黒髪。白い小さな手を櫛がわりにして器用にさっさと結んでいく。


 そうだ。これは毎度の事だけど、撫子が口に赤いヘアゴムを咥えているのをみると、何だか便所に行きたくなるようなムズムズ感が下半身が襲うんです。それに、時より硬くなって――けれど、しばらくすると治っていて変なんだ。絶対におかしい。

 東京に行ったら、一度診てもらった医者に行こう。きとなんかの病気だ。


 体の心配をしていると、撫子は髪を結い終えて軽く笑った。


「勝兄さん、私が髪を結う姿が好きなのね」

「え?」

「だっていつも見てるんですもの」


 確かに左右のどちらも見届けた。見てやろうと思った訳でない。何を勘違いしているんだか。


「そ、そんなことないだろ! 疲れてボーっとしていただけさ」

「・・・・・・まだ自由ではないんですから、気は抜かないでくださいね。東京着いて、あの人に会ったら気を抜いてくださいな」

「あ、ああ。ごめん」


 俺たちが東京に行きたい理由は、祗候館で助けてくれたある人に会うためだ。

 自らも怪我をして監禁された身であるのにも関わらず、俺たちを救い出し、孤児院に入る手続きをしてくれと隊長に頼んでくれたらしい。


 その人にお礼を言うために、東京に行きたい。借りっぱなしの着物と忘れていった三味線を返しに行きたい。と撫子は毎日泣いていた。


 俺は撫子の悲しむ顔を見るのが辛くなって、売られた店の金を盗んで人を殺した。のかもしれない。身勝手だけど、同じクズ同士の殺し合いなら、お天道さんだって大目に見てくれるはずさ。死んでない事を祈るけどね。


 寝台で東京に行こうと三味線を担ぎ、撫子の手を取った。柔らかい感触に少しドキっとしたが、その手はすぐに振り払われる。ドキッからのズキンという痛みは絶望にも似ている。俺ってば、何でこんなに撫子に振り回されてるんだよ。


 嫌われたのかと彼女を見ると、血だまりから拳銃をまた掴んで誰かに銃口を向けている。


「お残ししてましたわ」


 鋭い目つきで誰かを睨む。目線の先には右目を長い前髪で隠した男が、尻餅を追いてブルブル震えてるんである。


「ちゃ、ちゃうねん! たまたま通りかかっただけで、鬼ごっこしとるんかなぁ思て! そしたら見てしもおただけや! おれは別にこん人らの仲間とかやないねんて! ほんまに!」


 皆まで言わないが、殺さないで欲しいということだろう。この弱々しい感じを見ると、害はないだろう。が、万が一こいつを逃して俺たちに危険が迫っては悔やんでも悔やみきれない。ここは撫子のしようとしている通り、殺しておいた方が正解だ。


 撫子の人差し指が引き金に触れる。あとはこれを引くだけで殺せるぞと拳銃自らが音を立てて、死を知らせる。男も馬鹿じゃないようで、必死だ。


「いやいやいや! 君らのいうことなんぼでも聞くから殺さんといて! おれ、織田作之助言いますねん! たまたま実家に帰ってきてただけの酒飲んどった学生なんですわ! 病み上がりやっつーのに、ほんまツイてへんわぁ・・・・・・うっ、うぐぅ・・・・・・」


 死にたくなさすぎて、土下座に近い格好で泣き始めた。撫子も俺も最初は芝居か何かかと思ったが、だんだん本気で泣いていることがわかって居た堪れなくなってきた。

 

 金田さんに脅されている時の気持ちを思い出していたのだ。理不尽に死に晒される恐怖を俺たちは知っている。そして今。あの人と同じことをしているので時はないかと、後ろめたくなった。


 悪い人じゃ、なさそうだな・・・・・・。


「撫子、東京に行くには大人が必要かもしれない。子供だけでは汽車に乗せてくれないみたいだし」

「そうね、それもそうですわ」


 拳銃を下ろすと、織田作之助と名乗る男はすぐに土下座をやめて俺と撫子の間に入り方を組んできた。


「あぁ助かった! 君たち東京に行きたいんやろ? 金も持っとる言うとったし、オトナとして着いて行くさかい、お金んことは君らに頼むで!」


 さっきまでビャービャー泣いていたくせに、ケロッと態度を変えて来ちゃって。俺らはどうしたら良いか、頭の中に宇宙が現れたような感覚に陥った。


 自分も東京に行って見たかったから丁度いいだの勝手を抜かして、空いた口が塞がらない。細かい事はお互いを知ってから話しましょうと言われたら、ハイとしか言えず路地を抜ける。

 撫子も珍しく、目を点にしているらしい。


「とりあえず――」


 これは偏見ですが、大阪人は抜け目がないというか強引というか、慣れるまでに大層時間のかかりそうな性格というか。


「うまいもん、食いに行こか!」


 朗らかな声と共に、その人が頭上に高く上げた拳。俺たちは経験したことのない、行先の振り回されそうな不安に駆られている。

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