137恥目 俺が嘘じゃないって証明する

「今回は1人か」


 久方ぶりに見る長兄の顔は完全に観ずっている。何を話したいかわかっているから皆まで言うな、という感じだ。根拠? そりゃ長兄がわざとらしく大きな音を立てて扉を閉めるからさ。


 実家のくせに居心地が悪い。元々過ごしやすい場所ではなかったかもしれないが、一般的に実家と言えば、帰ったら安心して息をしていい場所のはずだ。今の住居に比べたら倍はある大きさで、体も気兼ね無く伸ばせるのが当たり前だと思う。

 しかし、此処はかえって息詰まり、早く東京に帰りたいと怖気ずいてしまう。


 コートも脱がず、石像のように椅子に座る。向かいに座る長兄の顔が見れなくて、何をしに来たんだかわからなくなってる。真夜中に白金台を飛び出して、宇賀神に後を全部放り投げて来たっていうのに。ここに来て何も言えないとは。


 ――重たい沈黙が何時間も続いたような気がした。


「何しに来た」

「あ」


 ついに威圧のある声で追い詰めて来た。怖い、と思う。覚悟を決め出来たはずなのにどうしようかと、首の後ろを撫でて誤魔化そうとした。長兄はそれを見て益々苛立っていく。


「当ててあげようか。金が無くなったから欲しい。手紙で言えるような金額でないから、来たんだろ」


 違う。前の俺なら、そんな理由で来たと思う。

 だから長兄は「うちの金はお前の為だけにあるんではないんだよ」と説教をする。しかし、違う。なので、首を縦にも横にも振らないでやった。


「違うのか・・・・・・ならまた留年かい? 去年はあの2人が一緒だったけど、彼等にも言いにくいか」


 違う。確かに留年しそうなのは誰にも言えないでいるが、そこは肝心ではなかった。仮に留年が決定したら今年はきっぱり退学するつもりでいる。

 だから、また同じように体を動かさずにジッとした。


 すると、長兄はますます怪しんだ。ならばなんだと、顎に手を添えて、髭の剃った跡をゆっくり撫でる。


 そしてハッと目を見開いて、部屋から声が漏れないように静かな声で恐る恐る問いてきた。


「・・・・・・まさか自殺未遂でもして"また"人を殺したか」

「違う!」


 怒鳴るような否定だった。

 鎌倉のあれっきり、少しの自殺未遂なんかしなかった。あの時の事は酷く後悔している。要に何度もしつこく何が行けなかったか教えてもらったんだもの。自分の勝手で人を殺して、また他の誰かの人生を狂わせた背負うべき罪の事を1日だって忘れないで来た。


 俺の顔を見た長兄は冷静に、しかし目を少し大きく開いた。


「見た事のない顔だ」


 どれ、話を聞こう。と、脚を組んだりしながら体制を楽にし始めた。どうやら話は聞いてくれるらしい。


「学校を、辞めたい」

「留年するから・・・・・・か?」


 同じ質問だったが、今度は髪が乱れるくらい首を横に振ってみせた。


「仕事をしたい。仕事しながら金を稼いで、文章を書きたい。嘘みたいだと思うけど、本当だ」

「中原さんにそう言って来いと入れ知恵されたか?」

「アイツは関係ない。ここにも黙って来てんだよ」

「・・・・・・ハァ」


 真面目で厳格、責任感の強い長兄は「きっと何か裏があるんだ」と独り言を呟いた。

 俺のやること為すことは大抵人様に迷惑をかけるようなことでしかないと疑っているんだ。去年留年を許されたのは、信頼してもいいと思える2人がついてきてくれたから。


 どうしたもんか。どうやって、信じてもらおうか。俺は本気でそう思っているのだと伝えられようか。

 正直、ここに1人で来たらきっと承諾してもらえるんじゃないかと高を括っていた。いつも手紙や付き添いを連れてくるのに、今回はよく1人頑張ったねと言われるのではないかと。


 そんなバカな話あるか。子供じゃないんだから。いつも決意がその時限りの期限付き。青森に来るまでに、ころんと落としてきてしまったようだ。長兄に怒られるのが怖くて諦めそうです、なんて言えるかよ。


 ここで諦めたり、食い下がる訳にはいかない。先について考えていることをアピールせねば。


「新聞社で働こうと思ってる」

「採用が決まってるのか」

「いいや、まだ」

「まだ? 1人で来るんだからそのくらい決めてきたんだと思ったよ」

「・・・・・・これから試験を受けようと思ってたところだよ」

「フッ」


 拳を作って、膝を叩いた。あーあ、鼻で笑われた!

 兄弟なのに嫌なやつだ。兄弟だから嫌な奴なのか? ビクビクしながら、確かめるように話す俺を見て笑っている。まるでアイツだ、中原だ!

 俺のいうことにいちいち難癖をつけてきて虐めるんだよ。中原と長兄は話が合うようだから、余計にそう見えてきたぞ。


 ・・・・・・待てよ? 俺は長兄だからビクビクしているだけで、中原には言い返せる。

そっくりだと思うなら、中原だと思えばいいじゃないか! 我ながら名案だ。想像力豊かな頭を集中させて、長兄をフクロウのように見つめる。彼は君が悪いと嫌がるが、止めない。


 長兄を喧嘩っ早くて、短気で太々しいあのチビにだと脳に思い込ませた。足を組んでいるから想像しやすい。あぁ、見えてきた。忌々しいクソ野郎に見えてきた。


 これなら思ったことを言える。あまくせが俺を天才って言ってたのは嘘じゃないな。

 長兄に習い、鏡のように長い脚を組んで体制を楽にしてやった。もうビクビク話す必要はない。


「新聞社に入って金を稼ぐ。それは男としてなんの間違いもないのでは? いつまでも実家を頼ってられないという決意が感じられませんかね、お兄さん」

「人に借金を返してもらっている身のくせに随分大口を叩くな」


「お兄さん」とは言ったものの、目の前に座っているのは大嫌いなアイツ。声もそのまま、中原に言われている気しかしない。

 同じ台詞をまんま長兄に言われていると思ったら、背中を丸めて地べたでも見つめていたろうね。


「それをこれからは自分で返すんだ。もう要に払わせたりしないようにね」

「へえ。新聞社に入れたとして、何日持つか。お前の忍耐はそこらの幼児より脆くて確かじゃないってのにさ」

「いつの話だ。人間ね、よほど難い決意があれば1日も入らずに変われるのさ」

「あんまり笑わせんなよ? しかし、その決意とやらは何がきっかけで修治君を変わらせたんだろうなぁ」


 挑発的な質問はどこかに落としてきたと思っていた「決意」を見つけてくれたみたいだ。無くしてなんかなかった。ちょっと埋もれていただけさ。


 もう、大丈夫――。


「最近、要が死にそうな顔をする。何が原因かはわからないよ。もしかしたら、働けないことを悩んでいるかもしれないし、金が原因かもしれない」

「それはお前のせいだろう」

「だから働くと言ってるんだ。金で解決できるなら働く。俺が努力をしてどうにかなる話なら、何だってする。芥川賞もとるし、文章だって書いてやる。死ぬような真似もしない。アイツが死なないようにするためなら、何だって――」


 日に日に弟の体に増えていく、傷跡やアザ。要の肌色を覆い隠して、アイツを飲み込んでしまう前に、何とかしてやらねばいけないんだ。そうなると、大学を卒業してからは遅い。

 しかし、新聞社は在学中の俺をすぐに雇ってくれるとは思えない。どうせ留年するんだろうし、行動は早い方がいい。


 助けてやらなきゃ。助けてやらなきゃ。そうじゃないと、居なくなってしまいそうだから。アイツが海で溺れていたら、今度は俺が、助けてやるんだから。


「認めてもらえるような行いをします! 嘘じゃないって、行動で証明しますから! 退学させてください! 書くことも、許してください! もし、もし許さないというのであれば――」


 気づいたら、泣きじゃくっていた。椅子から勢いよく膝をついて土下座をすくらい必死なんだ。中原に見えていた目の前の男は、魔法が解けたように長兄に見えるよう戻っていた。

 正気でありながら、こんなに感情をむき出しにして大声をあげる俺に驚いているのだと思う。引いているように見えるんだもの。


 本気だと解らせるために、もう一押し。


 俺の友人には“薫”と“尽斗”という狂った重愛を持った奴がいる。そいつらは常に物を持ち歩いている。訳を聞いたとき、2人揃って同じことを言うんだよ。


 相手に本気だとわからせる為、ってね。


 ならば今がその時さ。コートのポケットに隠しておいた、小刀をの柄を握った。それを、鞘から出して、見様見真似で素早く取り出して、自身の喉仏に先端を突き立てた。


 長兄の気が動転して冷静でない姿を確認したら、こう言ってやる。


「死んでやる」


 首筋にツーと、温かいものが垂れていく。



「本当に修治は手のかかる奴だよ」

「そろそろ慣れたろ? これからは迷惑かけないようにするさ。安心したまえ」

「何が安心だ」


 退学の許しを得た俺は、首に絆創膏を一枚貼って泊まらずに東京に戻ることにした。長兄も無理に引き止めはせず、急いでいるなら帰ればいいと笑顔で快く見送ってくれる。


「実は要さんからの連絡が少なくなっていたから心配ではあったんだ。まあ、色々あった訳だから仕方ないとは思っていたけどね。何かあるなら中原さんにでも相談したらいいのに。彼ならちゃんと聞いてくれるでしょう? ほら彼は要さんの――あ、いや。何でもない」


 うっかり言ってしまうところだった! なんて顔をして、別の話に切り替えようとするが、嘘をつくのが下手な真面目なのでそうも出来ずに目を逸らすだけだ。


 この様子だと長兄も要を女だと分かっている様子に違いない。確かに、俺も同じことを思っていた。中原に相談や話を聞いてもらうなりすれば、受け入れてくれるだろうと。


 しかし、違うんだ。人狼をやった時だって、様子がおかしかった。

 ゲームマスターだった俺に童貞か非童貞か伝える際に、要は「やりたくない」と珍しく本気で嫌がっていたんだから。皆と楽しければいい精神だったアイツにはそういったことがなかった。バカにされるのがやだと言うより、知られたくないという風に見た。

 祗候館で何かされたのかと富名腰に聞いたが、性に関わることは何もなかったとキッパリ断言された。


 アイツの過去に、きっと性に関わる嫌なことがあったんだ。

 だから中原にも言えない。男と偽っているから、俺はもちろん同性の薫やハツコにも言えないんだろう。


 無理に吐かせるのではなく、要の居場所を作ってやろう。辛いことがあっても、今まで俺の文章だけで乗り越えてきた要がもう少しワガママを言えるような場所を。そこで尽斗と俺について語りってくれたらいいんだ。


「なあ、兄さん。この花の花言葉知ってるか?」

「ん?」


 着物からそっと、紫色の小さな花をつけた昭和と平成をつなぐ一輪を取り出してみせた。

 長兄は見たことはあるが知らないと、首を傾ける。


「一つは喜び。それから、もう一つは――」


 これは俺に向けられた花言葉ではない。要がこっちにきた理由が何となく分かってきた気がする。


「あなたの助けになる」


 俺が要にしてやらねばならない、“約束の花”だ。

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