136恥目 蟹
「社長、こんにちは」
「菊池さぁん、借りてた本を返しに来ましたよぉ」
今日は生出親子と「菊池寛」とかいう人の所にやって来た。仕事が休みなら付き合ってと言われて、ふたつ返事で了承したら、まさかの荷物持ち。
10冊程本を持たされ、遠足気分の親子に着いてきたって訳だ。
平日の日中、あの平家で中也と司と居たらガミガミ煩くて仕方ねェだろうし、好都合っちゃ好都合かな。
で――初めてお目にかかる菊池さんはでっぷりしていて、如何にも社長のナリをした人という印象を受けた。紙に目を通しながら、オレ達の相手をする様子が仕事の出来る漢って感じがしてカッコいい。あの腹の出方が、金持ってる感あっていいんだよなァ。
初めましての挨拶をすると、俺と尽斗さんの顔を交互に見て「今日は眼鏡の日か」と静かに呟いた。眼鏡の菊池さんから言われたのが可笑しくて、尽斗さんと顔を見合わせる。
「今日はどうした?」
「本を返しに来たんです。社長忙しそうなので、置いたら帰りますね」
「いや」
要が気を遣って用事だけ済まし御暇しようとすれば、静かに紙を伏せ、両肘を立てて口元を隠した。
「あのォ、コレは何処に置いたら?」
「あぁ、そこに置いておいて。それで少年。全部読んだ?」
荷物の置き場所はテキトーに指挿しだけで指示、そんですぐさま要に声をかけんのかい。
さすが社長さん。興味のない雑魚には見向きもしねェのか。
「漢字が読めないって言って辞書ばっか引いてるよなァ? 生憎、うちは学がないやつばっかでねェ」
嫌味っぽく言うが、菊池さんは動じない。
「そっちの眼鏡は帝大通いだろう?」
そっちの眼鏡って。尽斗さんの名前は知ってるはずなのに、覚えていないのか?社長ってのは凄いとウザイが紙一重だ。
「残念! 僕は経済学部なんですぅ!」
「経済学部ぅ? 君が? 尚更読めなきゃいけないだろうに。精進したまえ」
「僕は勉強が嫌いなんですよねぇ・・・・・・別に好きで入った訳じゃないしぃ・・・・・・今は要の成長を見るのが生きがいっていうかぁ」
尽斗さんはくねくね体を動かして、娘である要に頬擦りした。要は鬱陶しそうな顔をしながら、いつも通り「時と場合!」と体を突き押す。
父親である尽斗さんは「これが反抗期かぁ」と嬉しそうに頬擦りを止めない。
いやいや、反抗期はこんなもんじゃねェよ。
「それで少年の金魚のフンか」
呆れた溜息。父親の機嫌を損ねるには十分な台詞だ。
「ハァ!? ちちおっ」
父親、と言い掛けた口を慌てて塞ぐ。尽斗さんとオレの身長が同じくらいだったから良いものの、この人はなんでこう、すぐ父親だと明かしたがるんだか。
要と親子だと信じるヤツなんか居やしねェだろうが、興味を持たれちまっら面倒だとわかんないもんかね?
「まあまあまあまあ! 親の方針で無理矢理大学行けって言われる人も居ますからねェ! そうだ要、本の感想でも言ったらどうだ?」
「か、感想!?」
「確かに、帝大眼鏡がどうだというよりも、少年の感想の方が気になるな」
俺ってば、いつからこんな面倒見の良いキャラになってんだっけ。
要への無茶振りは申し訳なく思った。しかし、これで尽斗さんの失言未遂もなかった事になる。菊池さんの気もそっちへ行ったから良かった。
「えっと、えぇ、うーん。あ、芥川龍之介って絶望的な暗い話ばっかり書く人だと思ってたんですけど、ちょっと違いました」
「何を読んでそう思った?」
「猿蟹合戦です! 社長、僕らも蟹なんですよ。蟹!」
「蟹ぃ?」
要は最初こそ何を言おうか悩んでいたが、パッと電気がついたかのように言いたいことを思いつくと、あっという間に訳のわかんねェ事を言いだした。揃いも揃って首を傾げた。
そりゃそうだ。なんでオレらが蟹なんだよ。
「蟹ぃ? どうして蟹なんだ」
「あれ、読んでないんですか? 本当は怖い猿蟹合戦」
「勝手にタイトル改変すんなよ」
「猿蟹合戦って、猿と蟹がおにぎりと柿の種を交換して、最後猿が懲らしめられる奴だよね? 何が怖いの?」
「芥川は猿蟹合戦なんか書いてたかなぁ」
何が怖いんだかサッパリだ。
特に怪談要素があるわけでもねェし、猿が悪さをしたんだから、同情の余地がない蟹の復讐劇以外の何がある。
悪は裁かれた。めでたし、めでたし――で、終わりのはずだろう?
猿にとっちゃ恐ろしい物語ってなら納得が行くと言うと、要は人差し指を左右に3回動かして同じ回数舌を鳴らした。
「猿蟹合戦の後の話ですよ。蟹が猿を殺した後のね。猿を殺した蟹は死刑になって、その家族もメチャメチャになるんです。猿殺しを手伝ったハチたちは無期懲役で捕まっちゃうし」
「えぇ? でも猿が悪いんでしょう? 蟹が死刑になる必要なんかないと思うけどなぁ・・・・・・確かに蟹は仲間引き連れて卑怯だなぁと思ったけどねぇ」
尽斗さんの言う事も一理ある。要は嬉しそうに机を一度叩くと、キラキラ目を輝かせた。
「そう! そこ! 父さ・・・・・・じゃなかった、檀さんのいう通り、裁判にかけられて蟹はやりすぎだよねって判決が下るんです。猿との間に契約書はあったのかとか、猿が投げた青柿の悪意ののレベルも他人に口なしで、事実がわからないだろって。蟹に味方はいなくて、さっき言た重罪になっちゃうんだよ」
「胸糞悪い話だなァ」
後出しの屁理屈を並べただけだろうに。俺は圧倒的に悪いのは猿だと思う。蟹は悪くない。
「僕らは全てを見ているから蟹の味方をしたくなるのかも。でもさあ、猿蟹合戦の続きが考えるなんて面白いよね。芥川さんって、羅生門みたいな暗い話ばかり書く人のイメージがあったので、正義の話をしてる気がして面白いと思ったんです」
「ふむ」
要の雑なあらすじを聞き、菊池さんは返した本の山を漁った。掲載されている本を見つけると、何か腑に落ちたようで、1人で何度も頷いている。
「まあ、要するに大正デモクラシーの影響で書いたんだろう。蟹は自分の家族を殺された敵討ちをしたが、結局、猿――つまりは国家権力には逆らえない。蟹が正義だと思っていたって、誰かが理不尽に耐えながら生きていって強気が保たれる、とでも言いいたかったんじゃないか? 少年の言う通り、世間への皮肉を混ぜた"正義"の話だね」
猿蟹合戦の話で盛り上がる場に、モヤモヤと感じるものがあった。
御伽噺の二次創作でしかないはずなのに、なぜか心あたりがある気がしたのだ。蟹は悪いことをした悪い奴を懲らしめたのだから、裁かれる必要がないと思う。政治への皮肉とかはどうだっていい。
俺も「蟹」だった気がする。そうだ。
平成で死んだ理由に繋がった原因を思い出せないでいたが、なんだか思い出してきた。
オレはインターネットの中で崇められていた事がある。沢山のユーザーから寄せられる、叩けそうな案件を選別して世のため人と"私刑"にしていた。
非道な行いを起こす人間達を寄せられた情報を元にネット上で懲らしめては、それが正義だと疑わなかったのだ。
それで確か、最期に俺が追い込まれた出来事はとある企業の息子のSNSだった覚えがある。
その息子と同じ会社で働く、同僚と名乗る女性のメッセージが目に止まった。
"社長の息子だかで、コミニケーションもクソで愛想もないし、毎日見下してくるんです。あの冷ややかな目と無言の威圧感に社員はストレスを抱えています。そうしたら今、会社をサボってネット恋愛してるんですよ。繁忙期なのに信じられません"
最初はただの愚痴だと思った。
しかし好奇心が勝って調べてみたら、ブラックに近いグレーで有名な大企業様ではございませんか。
外食産業、IT、アパレルと、とにかく金になりそうな事は手を出す会社だ。俺は学生時代にこの会社の外食チェーンでアルバイトをしていたが、シフトの融通が利かないからという理由だけでクビにされた経験がある。
それを思い出したら、腹が立って来た。
バイトをクビになったせいで、当時付き合っていた彼女のプレゼントが買えなくて別れるハメになった事も思い出した。
どうやらその"息子くん"も女の事で悩んでるみたいだし、ここはチャンスだと思って昔の仕返しをしてやろうと考えたのだ。
思い立ったら即行動。あらゆるネットワークを駆使して、息子くんの個人情報や生活環境を調べまくってやった。同僚の女も協力してくれたので、案外簡単に色々なことが分かっていく。
それが面白くって、息子のサボりが原因で会社のホームページが荒らされたり、電話が繋がらなくなったり、株がどうたらとか、復讐は意図も簡単になされたのだ。
それで確かその後、息子が自殺しただか未遂だったかで、1番最初に個人情報を出したオレが晒されるようになって。
ネット上の連中は最初こそオレの味方でいたくせに、相手が金を使ってこの騒動に白黒つけようとした途端、掌を返して非難を浴びせて来たんだった。
ほら、まさに猿蟹合戦だったんじゃねぇの。
自分の正義のために戦ったのに、結局正義どうこうでなく権力が勝つのだ。
どの時代もそうか。結局弱者は強者に勝てない。結局、金と地位のある奴が何度人の人生を狂わすような悪い事をしたって許されるのに、俺の一回は許されない。
自分がやった事を認めないわけじゃないが、十分俺は蟹だった。
猿に喧嘩を売った時点で負け――確かになァ。芥川センセイは面白いように書いたもんだ。
「文人! なんだよ、ずっと黙っちゃってさ」
「体調がよくないのかい?」
物思いに耽っていると要と尽斗さんが心配そうに顔を覗き込んでいて、やっと気がついた。意識がどこかにポヤァっと飛んでいっていて、今此処に帰ってきたように感じる。
「あ、あれ? 菊池さんは?」
「何言ってんだよ。とっくに会社から出て来てるだろ? 周り見ろって」
言われるがまま辺りを見ると、日は傾いてとっくに菊池さんが居た会社を出て駅周辺まで歩いて来ていた。
考え事で周りが見えなくなるなんて久々だな。
「体調が悪いなら無理しないでおくれよ。文人くんを担ぐ程の体力は戻ってないんだからねぇ」
「いいや、大丈夫。ちょっと考え事してた、悪い」
後頭部を掻いて、なんでもないと歩き出す。
尽斗さんが折角だからご飯でも食べていこうと提案したが、要は腹を鳴らしながら遠慮する。
それはまるで他人のようだ。親子とは思えないやりとりが要が大人なだけなのか。
親子の2人の間にある見えない壁に思う。
要は父親を殺したと言っても過言ではない、母親を殺そうと考えたことはないのだろうか。
要はどう過ごしてきて、こうなったのだろう。
父親にすらワガママになれない要が可哀想だと、そう思う。
「あら、皆さんお揃いで」
すると、見計らったように馴染みの男が目の前で立ち止まる。ソイツの顔を見たら、ズキン! と心臓を死なない程度に揉まれたように痛んだ。
「富名腰くんだぁ、お仕事?」
「ある意味お仕事かもしれんね」
志蓮だ。朝まで顔を見たってなんて事なかったのに、ちょっと死ぬ前の事を思い出したら、鳥肌が立って寒い。
見つかってしまった――と、恐怖している。
手に持った小さな紙袋には、要の火傷跡に塗る薬が入っているらしい。食べ物じゃないと落ち込む要に、志蓮がそれじゃあ何か食べようかと提案すると、要はさっきとは違って子どもの様にはしゃぎまわる。
志蓮は親や兄弟のような、穏やかで慈愛に満ちた微笑みで要を見るんだ。
母親が子供に全てを捧げるような慈愛。好きな女に優しくする男の顔とは違う。
脳裏に、オレが使っていたSNSの書き込みが浮かんだ。アイコンはボロい縁結びのお守り。ジャムという名前のユーザーの最後の投稿。
『ボクは彼女との手紙が全てだった。彼女の黒を飲んであげられるのはボクしかいない。大人は、大人になるしか出来なかった彼女を理解しようとしたのか。強きを得た弱きは滅びろとでも言いたいのか。ボクは彼女を殺し続ける世界が嫌いだ』
あの時は、厨二病を拗らせた痛い根暗社会人のポエムツイートだと思っていた。
そいつの個人情報を載せたのはオレだったから、腹を抱えて笑ったのを思い出してしまった。
それの何が面白かったんだ。何も面白くねェ。
オレがあの時攻撃したユーザーは、きっと、志蓮だったんだ。
そして富名腰志蓮も蟹だった。そして俺はあの時、猿だった。
蟹の仇に会う前に、オレは自死を選んだだけのこと。
謝らなきゃ。そう思っても、俺は猿のフリをした蟹。だから、今度は死なないようにと。気づかないフリをすることに懸命になった。
大きな物の前や、不利な状況である場合は黙り、静かにしているべきだ。
芥川センセイの言う通り、俺たちは蟹だ。
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