139恥目 兄妹は兄妹ではない
俺たちは“織田作之助”と名乗る男と一緒に行動することになってしまった。
提案したのは自分だけど、撫子に人を殺させるのが嫌だったのと、この男があの連中とは関わりがないと信じた上での判断だった。
けれどそれが波乱の始まり。もっと上手いことやれたらよかったのに。
美味いものを食べに行こうと言われるがままに連れてこられたのは寿司屋。
時刻も遅いというのに、寿司を食うより、酒を浴びるように呑む客で席が埋まっている。酢飯の匂いに酒の臭いも混じって、微妙に食がそそられない。
ちょうど3人分の席に案内されると、織田は「さっき夜行で着いたばっかでな。攫いやないで」と、聞かれてもいないのに陽気に笑いながら店員に説明した。
変な誤解をされないよう、俺も“兄”について来た兄弟を装ってお腹が空いて仕方がないとごねる演技で合わせる。
撫子は表情を変えず、織田の背中に鋭い視線を向けていた。怖い。絶対に怒っているんだ。
構わず酒と寿司を注文する織田と、お茶を口にして湯呑みを叩くように置き、怒りをぶつける撫子の間に座って体を縮こまらせて。どちらに話しかけても爆弾の導火線に火をつけるようなもので、俺は怖くて何も口に出来ない。
だってだって、しょうがなかったじゃんか。
子供だけで汽車に乗れないのは本当だし、東京に2人で行くのはとても不安だったし、かといって“要“って人の顔はうろ覚えだし、病院でお世話になった、吉次さんやしゅーさんの連絡先も知らないし。
人を殺す度胸はあるのに、他のことは優柔不断で決められない。
13歳になっても子供は子供だ。いつだって大人に守られていたい。
恐らく合わない2人と、これからどうして東京に行こうか考える。本当はこう言うところを頼りたかったんだけど、それはしないほうがいいか。
はぁーーとため息を出し掛けた時だ。
「いやー、人の金で食う寿司は美味いなぁ!」
「クソ野郎過ぎますわ!」
俺の両隣が騒がしくなった。酒と寿司で気分が良くなった織田の高笑いが撫子の導火線に火をつけてしまったのだ。
こりゃ大変だ。撫子は怒るとおっかないんだもの。
「支払うのはご自分で! 私達のお金は遊ぶためにあるんじゃあないんですの! 貴方の酒代なんか、一銭も支払いませんわ!」
「何いうてんの、この金かて盗んで来たもんなんやろ? 人にあーだこーだ言える立場やないと思うけど?」
2人とも声が大きい。確かに盗んだ金だから、良い金とは言えない。金の入っているカバンを抱きしめて、周りの客の様子を見ながら、2人に落ち着くよう静かに詰め寄ってみたけど、見事に無視された。
「努力して盗んだ金となんの努力も無く使う金は雲泥の差があります! それに貴方、私等を利用して東京に行けると喜ぶなんて、どんな神経してますの!?」
「利用やなくて利害の一致、言うやつやろ?とりあえず何か食うたら?寿司屋に来て茶だけぇいうんはどうかと思うわ。ほれ!」
「ん!」
織田は撫子の口にイカの握りを捩じ込んだ。
撫子な口を2度咀嚼をしてから、すぐに嗚咽を漏らして口に入った物を戻してしまう。
「生物は苦手なんですの! やっぱり撃ってしまえばよかったですわ!」
嫌いな物を食べさせられた撫子は、目に涙を溜めて一滴も溢すまいと我慢している。
背中をさすってあげたら、ありがとうと早口で言ってくれた。
潤んだ目、赤くなった頬、ちょっと苦しそうな顔。
そんな撫子を見ると、また下半身に違和感があって思わず摩りたくなった。痒いのか痛いのかわからない。けれど、そう思った。摩れば良くなる気がしたが、此処で思う通りにしたら行けない気がする。
だからこのまま、違和感が過ぎ去るのを待とう。時間が経てば治るんだから。
出来るだけ撫子を見ない様にしたら平気な筈だ。お茶を飲みまくって、気が行かないようにしないと。
「おーおー、そりゃ悪い事したわ。で、お兄ちゃんは何で顔赤くしとんのや」
「ぶぇっ」
気を紛らわそうとして飲んだお茶が口の隙間から垂れ出た。織田ったら人を揶揄うのを楽しそうにニマニマと笑ってやがる。
「さっきから一人で難しそうな顔してるなぁ思ったら、次は顔真っ赤にしとるやろ」
「してないよ!」
頬を両手で触ると、確かに熱い。ということは、顔が真っ赤なのか。それでも、何故赤いんだと問われたら答えられないから否定を続けた。
「いえ、してますわ。というか勝兄さんも何か言ってやってくださいな!」
「な、何かって・・・・・・?」
「この人の態度のお話です!」
気の強い撫子はまだ怒っている。俺は撫子程この男を嫌だと思っていない。揶揄われたのはムッとしたけど、お金の事だって一理あるし、東京まで着いてきて貰えるなら、寿司と酒を奢るくらいで済むって事で有難いことこの上ないし。
どちらの話題に答えても、どちらかに敵視される。最悪だよ。ダンマリを決め込んだ方がマシだ。
そう決めたら、店員を引き止めた。
「あの、玉子とタコもらえませんか」
「話聞けや!」
「うげっ」
寿司屋に来て寿司を注文しただけなのに怒られた! しかと2人に! 結局どこに行っても怒られ役かぁ、と諦める。祗候館でもそうだった。金田さん程じゃないけど、やっぱり大人も撫子も怒ると怖い。
観念して、2人の質問に答える事にする。
「俺は東京への行き方を考えてたの。地理を知らないから、汽車一本で行けるのかなって。それから、顔が赤かったのは酒の匂いのせいだと思う」
「確かに。兄さんお酒苦手ですものね。祗候館でもよく体調崩してましたわ」
「ほうか。匂いも子供にはキツかったんか。そりゃゴメンやわ、来ない所に連れて来てしもて」
「いや、俺も寿司は好きだから」
顔が赤い理由は嘘をついた。酒の匂いが苦手な事を利用して、思い出したみたいに嘘をつく。
今は気持ち悪いと思う程じゃないけど。怒っていた撫子も落ち付いたようだし、良かった良かった。
織田だってそうさ。俺たちが子供だという事を思い出したら、急に遠慮し始めて気を遣ってくれるようになった。
注文した寿司が運ばれて来たら、玉子なら食べれる撫子に皿を流した。撫子だった子供だ。好きな物を食べれたら多少機嫌も良くなる。
「金の事は貴方の言う通りだ。これは素直に俺たちだけで使っていい金じゃない。相手が悪人だとは言え盗んだ物だし、それに人を殺してる。それなら余り残さず使った方がいいんだよ。勿論、使い方は考えるけどね」
「でも」と撫子は納得行かないと被せて来た。
「けれど今は俺たちの金である事には違いない。東京に連れて行ってくれるなら、飲み食いや必要な金は出すよ。だから、何かしたい時は相談して欲しい。そうしたら喧嘩も起きないし、撫子が怒るような無駄遣いもしないだろ」
「まぁ・・・・・・・そうか。でも金は少しくらい使わせたってや」
「必要な時は渡しますから。撫子も、一応世話になる人なんだから噛みつきっぱなしはダメだよ。仲良くとまでは行かなくても、上手くやっていこう。これからは日の下で生きるだから」
日の下で生きるーーと言うと、撫子もハッと目を大きくして、そろから、寿司を食べていた箸を置いた。
「気を抜いていたのは私でしたわ・・・・・・・」
これからは命の取り合いで生きるのではなく、気配りで生きていく。あの館で殺気立ちながら、常に死に怯え、世の中に希望を見出せなかった撫子を救ってくれた気配り。
撫子は東京を経つ前から、要という人の所に行きたいと言っていた。彼の優しさが、撫子の荒んだ心に活力を与え、生きたいと思わせてくれた。
撫子が生きたいと思ってくれたなら、それに寄り添って行く。守って行くって決めたんだ。今は力がないから、大人の力を借りないと何も出来ない。今は持っている力だけで周りを"頼りながら"生きていく術を身に付けて行かなければいけない。
だから売られた店からも逃げ出したし、人も殺した。良い事だとは思わない。けれど、普通に戻るには必要な犠牲だったんだ。
そう、これから誰かを信じる為の必要な犠牲。
俺が日の下に出て、1番最初に信じようと思う大人を今決めた。
人を守るには、人を信じることが必要不可欠。織が飲んでいる酒を追加で瓶一本丸々頼んで、突き出してやる。
「なんや」と引き気味になるのは当然か。
「貴方は一応人質だ。何か裏切る様な事をしたらその時はーー」
他の客に見えないよう、こっそり拾って来た血のついた拳銃を織田に見せてやった。
「容赦しないよ」
脅す事でしか、信用する事は出来ないけど。これから少しずつ、人との繋がりを築いて行けたらなと思っている。そんな時に出会った人だから、運命なんだろう。
「どえらい物騒な子供に捕まってもうたわ」
織田はそう言うけど、あるだけの酒を飲んで、すくりと立ち上がって外に出た。
代わりに勘定を済ませて、彼に続く。夜はまだ開けておらず、春の近い夜空が頭上に広がっている。
少し肌寒いので、撫子にマントを着せてやるけど、自分が寒い。でもこういう時にこうないと、撫子が何処かに行ってしまいそうで怖かった。
俺はひ弱だ。目の前の大人の背中が大きく見えて、外に出たら何も敵わないと悟って下手な事はおっかなくて出来ないんだから。
「どちらへ行くの?」
足早に歩く織田の跡をちょこちょこと付いていく。さっきまで走り回っていた大阪の街も、今は気持ちが落ち着いているから恐ろしい街に見える。わかってる、あの館よりマシだって。
撫子の問いかけに、織田は余裕な顔で振り返る。その表情でまた傷つくんだ。
「駅やろ? だってさっさと君らを東京に連れてかんと、バァン撃たれてお釈迦になる言われたし」
「変な事しなけりゃ撃ちませんよ。貴方を人質とは言ったけど、普通に連れてってくれればいいんだから。それに貴方と出会ったのもーー」
「あぁもう! 貴方貴方って痒くてしゃぁないわ! 織田作之助っちゅう名前があるんやて!何でもええから名前で呼んでくれ! で、君ら名前のは? 」
そういえば言っていなかったっけ。2人で顔を見合わせる。撫子の言いたいことはすぐにわかった。
俺たちは兄妹ではない。血の繋がりもなければ、生まれも違う。
館では纏めて呼ぶためにそれぞれの苗字から一文字ずつとって、“山本”と名乗っていただけのこと。
もう兄妹でいる必要はない。それぞれの名前を名乗って生きていける。それに、俺の場合は兄妹でないほうが都合がいいんだ。
撫子が“山本”を名乗る前に、言わねばならない。
「山野寺勝です。出身は北海道、13になります」
「本村撫子、11歳です。あ、生まれは福岡ですわ」
久々に口にする、本当の名前、いざ名乗ってみると、撫子と離れたみたいで胸が苦しい。
いいもん、大人になったらまた同じ苗字にーーって、なんでこんなこと考えてるんだ? 下半身に違和感はないけど、何でこんな気持ちになるんだ?
「なんや兄妹やなかったんか? 兄さんいうから、そうやと思ったけど」
「その理由は旅路にでも話しますわ。まぁ、長いんですのよ。それより“織田さん”」
「ん?」
撫子が遠くを見つめて狩人のような目をしている。しかし、織田さんと呼んだ口元はニヤリといたずらに微笑んでいた。両手に抱えた三味線の袋から、予備に盗んで置いた拳銃一丁を取り出し、そして返事をした彼の手にすかさず拳銃を握らせた。
銃口の先には、さっき殺した奴らの仲間が俺たちを探している姿がある。そいつらが見つけたと言って、大きく吹く風と共に向かって来ると、撫子は三味線を俺に預けて織田さんの両手に手を添えた。
何でこの人の手なんかーーとモヤモヤしている間に、乾いた音が聞こえて、遠くから肉塊が倒れる音がするんだから、織田さんが握っている拳銃から出た玉が1人をこの世から退場させたんだ。
「え・・・・・・・?えと、え・・・・・・・?」
何が起こったかわからず、半笑いで煙の出る拳銃を見つめている。
膝が笑っているのか、フラフラして真っ直ぐ立てないようだ。撫子ったら、強引に信頼しようっていうのか。
「これで共犯ですわ! 人質解放おめでとうございます! お金も自由に使えましてよ?」
「んな、これ、え、あん、は?」
動揺する織田さんのことなんか知らずに、追手の奴らは「仲間が増えている」と怒号を飛ばしながらまた追いかけてくる。懲りないなぁ。
俺と撫子は状況が理解できない織田さんの手を強引に引いて走り出した。
「さあ、行きますよ! 織田さん!」
「大阪から出れたらお酒を飲みましょう、それまで全力で走ってくださいな!」
荒々しい仲間の増やし方だけれど、これでちゃんと信頼できる。だって俺たちと同じで、人を撃っているんだから。
「コレは聞いてへんてぇ! ちょ、もう解放してぇ!」
再度大人の情けない声を聞くと、何だかおかしくて笑ってしまう。織田さんには悪いと思う。東京に行きたい、金も自由に使いたい。その願いを叶えるには同じ立場になっていただかないと、やはり納得できないのが子供というものです。
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