123恥目 数人集まりゃ騒ぎの元

 ツンツンとつま先を石畳につける音。

 それは軽やかで、まだ見ぬ春を感じさせるような期待の音。

 ガラス越しに差し込む冬の柔らかい暖かな日差しは、まさにお出かけ日和だ。


「じゃあ行ってくるね!」

「待て! 襟が変だ」


 急ぐ弟の後ろ首元を鷲掴んで、背負ったリュックで捲れてしまった襟を直してやる。


 吉次からもらった学生服と平成から履いて来たというスニーカーが弟の正装。

 前の晩に、布団の下に学生服を敷いて、寝押ししたから皺がない。張り切り過ぎて、今日は普段被りもしない学生帽まで被っている。

 これは男にしては長い髪をしまう為の帽子。髪の毛を結び、横の髪だけぴょろんと出す。帽子も被り慣れていないから、こちらも曲がっていると直してやるのだ。

 着なれていない学生服はピッシリと整っていても、何処か抜けが出る。


 菊池寛という賞の設立者に会いに行くのだから、きちんとした格好でなければ笑われてしまうかもしれない。

 きっと芥川賞を取るのはしゅーさんに決まってる。だから、弟が変なやつだったと言われないようにしなくちゃ! と、昨日の夕飯の時に張り切っていたから、顔はニコニコだ。


 「奇書」と呼ばれた本を読んで泣いた夜の次の日。今まで書いた文字の落書きを見せてやったら、薬を飲んだようにすっかり顔色も良くなった。

 書き物をする横でゴロゴロと転がり、書き損じの何にもならない原稿用紙を読み返してゴキゲンな要に、こちらも気分が良くなる。


 その時から「これは芥川賞、これも芥川賞」と騒いで、まあ嬉しいプレッシャーを掛けてくるのである。


 ゴキゲンなのは今朝も変わらない。

 好きな男から貰った、趣味の悪いイカのブローチを学生服につける。

 無くした事をずっと黙っていて、昨日の夜に素直に吐いたら家にあったというオチ。実際は檀が持っていたものだが、誰もそれは言わずに中原から手渡していた。

 それも相まって兎に角、弟はすこぶる機嫌が良い。


「あんまりはしゃぐな」

「はしゃいでないよ。これもしゅーさんのためだもーん」

「ったく恩着せがましいやつだな」


 体をゆらゆら動かし、ソワソワが抑えられない。

 すると上機嫌な弟の目の前に、嫁が割って入る。嫁は体を屈ませて目線を合わせ、真剣に大きな目で弟を捕らえた。


「要ちゃん、ちゃんと中也さん達の言うこと聞くのよ」

「わかってますって! 初代さんは急に子供扱いするんだから・・・・・・僕はもう大人だって言ってるじゃないですか」


 浮かれた所にこれでもかと口酸っぱく同じことを繰り返し言いつけている。

 知らない人について行かない、周りはよく見る、1人にならない、エトセトラ。

 ハツコはあまくせが外に出ると言うと、まるで母親のようにこうやって何をしてはいけないと、事細かに言って聞かせる。


「あなたは一度攫われてるんだから。大人でも男の子でも危ない時は危ないの。ほら、私と約束した事言ってごらん」


 要は面倒くさそうに、またか、とブー垂れる。


「1人にならない、走らない、喧嘩しない」

「もう一個。忘れてるでしょ」

「・・・・・・自分のご飯はケチらない」

「はい。ちゃんとお昼代渡したからね。これは借金じゃない、私が要ちゃんにあげたお金だからね。好きな物を食べるの。体に肉をつけなきゃ」

「え」


 ハツコは攫われる前よりも綺麗になった要の掌に、数枚の紙幣を握らせた。

 慌てて遠する弟は金を返すが、やはり無理矢理握らされる。女給の仕事を前より長く始めたのも、あの事があってから。

 洋館での一部始終を説明した時、怪我をした俺よりも要の事を心配して、わんわん泣いた。それこそ、子を攫われた母親のように。


「痩せたままでは皆心配なのよ。申し訳ないと思うなら、食べなさいね」

「・・・・・・はい・・・・・・」


 それからハツコは、中原と富名腰を深刻な顔で見た。2人は不意を突かれたように、眉をピクリと動かす。


「ちゃんと見ててあげてね。お手洗いも一緒に行って、1人にさせちゃダメよ」

「初代さんは心配性やねぇ」

「ま、姉さんもそれくらい要の姉さんってこったな」

「心配だもの。要ちゃん、頭より体で動くから・・・・・・」

「要は脳みそ全身に散らばってんだよ。俺は下半身にしかねえけど」


 文人の自虐に皆ワアっと笑う。家中のあちこちに声がぶつかって跳ね返り、反響する。

 あまくせはどうかと顔を見ると、しっかり心から笑っているようだ。


 しかし、俺とて笑いながらも気になる事がある。「もう1人」がなかなか顔を見せない。せっかく呼んでやったのに。馬鹿なヤツだ。

 

 ハツコがあんまり要を心配するもんだから、こっそり、とっておきの護衛をつけてやったのだ。 なのに何故来ない。不自然に、開いた戸の先を見るために首を伸ばす。


「ギャンっ」

「ん?」


 ――と、思っていたら来た。

 家の外から人が転ぶ音と何がが、潰れたような声がする。

 アイツは間抜けだからすっ転びながら此処に向かっていたのだろう。それからすぐに最強の護衛は泥や砂をつけて、見窄らしい格好で姿を現した。


「大事な大事な大事な大事な一人娘――じゃなかった、一人息子が何処の馬の骨とも知れない男と出かけるって聞いたんだけど!」


 檀一雄――あ、コイツは鈍臭いから、尽斗の方か。

 度数のキツそうな丸いメガネを斜めにかけ、片方の鼻の穴から血をトロリと垂らす。

 着物も砂埃を浴びたように汚れていて、まるで戦場から帰ってきた兵士のようだ。


「父さっ・・・・・・じゃなかった、檀さん!?」


 ハツコに悟られぬように、実の父親だという事は伏せる。ヒヤリとさせるな。


「俺が呼んだんだ。いざとなれば殺るタイプの護衛も必要かなってね」

「太宰さんから聞いてねぇ、要が危ないから皆ボコボコにしてもいいって」

「んなことは言ってない」


 嘘付くなよ、タコ。


「僕が連れ去られないように守ってあげるからね、要ぇ」

「ちょっと近いよ、檀さん!」

「そもそもあの時の元凶はお前だろうが・・・・・・」


 あまくせが攫われた原因は尽斗自身なのに、奴は「僕じゃなくて、"私"だもーん」としらばっくれる。

 言い方はさっきの要と同じ言い方。話を聞かずに話し続けるのもそっくりだ。

 なんだか変な感じだが、立ち位置を取られたと思った。この変な感情は自分でも良く分からない。


「――要に触れる奴は殺せばいいんだろう?」


 いつの間に、というかどのタイミングで。

 突然尽斗の目つきが変わった。いつの間にか舌を噛んで血が口から垂れてあるから、コイツは檀だ。

 突然人格を変えるな! 全く面倒な男だな。


「過激派過ぎる・・・・・・」

「尽斗は要がお前らに触られるのが嫌なんだと。私は尽斗の希望を叶えるだけさ」

「お義父さんよりもお前の方がそう思ってそうだし、すぐ殺しそうな顔してるけどな」

「・・・・・・んまあ、間違いではないな」


 涼しい顔をして、太腿に括り付けた刃物をチラリと見せつけてくる。

 本当に何かあれば、また人を殺す覚悟のつもりだ。確かに守ってくれと読んだが、何もそこまでしなくとも・・・・・・なんて言っても、あくまで「尽斗の感情」が優先の「檀」にそれが通じる気はしなかった。

 何にせよもう命を賭けるのは御免だ。あとは檀がなんとかしてくれりゃあいい。


「さあ行こう。夜になったらより一層危険が伴う。敵も雲隠れしてしまうよ」

「俺達は別に敵地に乗り込む訳じゃないぞ」


 呆れた様子で中原が言うと、檀は「はて」と呟いた。


「太宰さんが必ず賞を取れるように、要がどうにかこうにかして相手の命と引き換えにしてでも、受賞の約束を取り付けに行くんじゃ無いのか?」

「あえェ・・・・・・」


 檀は惚けた様子で首を傾げて、沢山のクエスチョンマークを図上に浮かべる。

 本当にやりかねないので、かなり危うい。


 こうなると、菊池ってヤツが気の毒だ。そもそも直接会いに行くこともどうかと思う。何をしに行くのか知らんが、行くと行ったら行く! という要にこの父親なら止めも出来まい。


「何はともかく――しゅーさん、芥川賞が必ず取れるように菊池さんを純文学でボコボコにしてくるよ!」

「混ぜるな混ぜるな」


 この生出家っていうのは、こう、いろんな方向に過激が過ぎる。



 肉汁ダラダラ、湯気もくもく。鉄板ジュウジュウ、涎ダラダラ。

 昼食を取るために入った洋食屋。メニューの一冊で白米一杯食べられる気がした。豊富なメニューの中から、僕は悩みに悩んで、王道のハンバーグを選んだ。

 運ばれて来た鉄板は、僕の想像を遥かに超える、洋食の王様が寝そべっている。


 真ん中にぷっくりツヤツヤの黄色があって、その周りはぷるんぷるんの白。僕の目の前に現れた肉の塊は「目玉焼き」という布団をかぶっている。その魅惑の塊が被る布団を剥いで、起こしてやった。

 起こすな! と怒っているのか、パチパチと音を立てながら細かな肉汁は踊る。

 塊の真ん中に銀色のナイフの先を少し刺せば、我慢が解けたように、トロトロの肉汁をジュワっと溢れ出す。


 肉汁に感動しつつ、ナイフで肉を切り、一口大。鉄板で唇に触れるには熱すぎるほど熱せられたソレを、フウフウと、息をかけて冷ましてやる。

 ようやく口に入れられるようになって、パクリ。

 口中に染み渡る肉汁はやがて、血液になって全身を駆け巡っているように思えた。今、僕の血は肉汁で出来ている。


 美味すぎて、天を仰いだ。店の天井を見つめながら、肉を噛む。ジュワっ、ジュワっ。こんなのはもう、飲み物だ。噛み締めて、細切れになる程噛み締めて。

 ごくんと飲み込んで、ハンバーグがなくなっても口の中は幸せだ。


「うっま」


 目玉が出そうなくらい目を見開いた。メニュー1冊で白米が1杯食べられるなら、このハンバーグで10杯食べられる。真っ白な皿に取られたご飯は瞬く間に無くなった。


「いっぱい食べるねぇ。父さんのもあげるよぉ」

「いいの?」

「うん! 沢山お食べ」


 父さんのまだ手をつけていない白米を遠慮なく受け取った。親子だから気を遣わないで、ガツガツ頬ばれる。それでも、まだ米が足りない気がする。


「男の子みたいに食べるね・・・・・・そういえば、何故要は男の子のフリをしているの? こんなに可愛いのに、勿体ない」


 隣に座る父さんに、口元についたデミグラスソースをお絞りで拭われる。

 父さんの何気ない質問。無意識に僕の右手に握られたフォークの動きを止めた。


「人攫いに合わないためにだよ。先生が提案してくれたんだ。まあ、攫われたけど」

「え・・・・・・あの、えっとぉ・・・・・・」


 理由を知れば、ハッとする。口をモゴモゴ動かして、眉を顰め、申し訳なさそうに涙目。

 この間攫われたのは、自分のせいだと自覚しているからこの反応だ。着物をぎゅっと掴んで、下を向いたまま「ごめんね」と言う。


「だーから! もういいって、僕には謝んなくて。父さんも昔は大変だったでしょ」

「そうだけどさぁ・・・・・・ああ、そうだ、昔と言えば要は僕が死んだ後どうしてたの?」


 間髪入れずに志蓮がすかさず、「それは後で聞いた方がええんやないの?」と、言ったけど、僕は父さんの潤んだ目に答えないのが心苦しくて、嘘をつくことにした。


「母さんのとこに、居たよ」

「そう・・・・・・あのさ、ええと、その、・・・・・・ちゃんと幸せだった?」


 酷なことを聞いてくる。僕ら生出だけで過ごして居るわけではないのに。中也さんや志蓮が居る前で聞いてくるということは、少しでも責任を感じたくないからだろうな。


「うん、ちゃんと幸せだった。家族、多かったから」


 本当は幸せとは思えなかったけど、僕よりもっと辛い理由で自殺を志願したかも知れない志蓮がいる前では、そう言うしかなかった。それに、父さんに心配かけるのも苦しい。


「そっかぁ、よかったぁ。流石に僕の事は嫌いでも、娘の事は守ってくれたんだ! 後で話、聞かせてね」

「うん」


 あれだけ嫌われていたのに、好きな人の話を聞けると喜ぶ父さんは純粋だ。

 何がいいんだ、あの人の。本気でそう思った。

 あの恐ろしい素顔を知っているはずなのに。思い出さないように、舌を噛んだ。僕は父さんじゃないから、人格は変わらないけれど。


 手が震えるのも、ハンバーグが美味過ぎる故の変な踊りだと誤魔化した。

 笑顔で頷きはしたけれど、その後から、口に入れるハンバーグの味がしない。


「ねえねえ、要ぇ。やっぱり今聞きたいや」

「それは・・・・・・」


 父さんのお願いに、笑顔で直様応えられる自信はない。


「あかんよ。今はしゅーさんの事が1番やもんね」


 すると唯一過去を話していた志蓮が止めた。

 彼はポーカーフェイスを保っているけど、どこか僕を心配そうに見ている気がする。自意識過剰かな。


 それよりも彼のいう通り、今はしゅーさんが優先だ。僕の終わった過去なんて、嘘を沢山盛り込んで、父さんが安心するようなシナリオを考えれば解決するんだから。


「そうだよ、芥川賞を買いに行かないと」

「買えるもんじゃないだろ。どこに食わせてんだ」


  中也さんがすかさずツッコむ。それから、僕の学生服についた米に気づいて取り、そのままソレを口に運んだ。

 やだもう、何。急に恥ずかしい。お礼を言うのも照れくさい。


「中也さんは買えたら芥川賞を買います?」


 恥ずかしいから、そのまま話を続けてみる。

 あのぉ、すいません。この店、暖房効きすぎていませんかね。のぼせるんですけど。


「賞を買う金で、君に服を買ってあげたいけどね」

「この間買ったばっかりですよ」

「女物の服。ワンピースでもなんでも、要がもっと可愛くなれる服だよ。もちろん、今も可愛いけどね」


 はーあ。始まった。始まった。

 僕は今学生服を着ているからね、男の子なんですよ。なのにこの人は、油断するとすぐ女の子にしようとしてくる。

 私は恥ずかしくて恥ずかしくて、旬の林檎のように顔を赤くして、その場にいられなかった。


「ちょっ、ちょっとゴメン、お手洗い」


 心臓が口から出そうなので立ち上がると、彼もまた僕の前に立ち塞がる。

 出会った時は小さく感じた身長も、いつの間にか目線が全然違っていて、僕は目を見ることができない。

 父さんがいる前でこんな風にされちゃうの、いつもの5倍は"恥ずかしい"よ。


「ねぇ要。顔真っ赤だけど。体調悪いの?」

「ちっ、違います!」

「心配だから熱があるか診てあげるよ」


 人前で、しかも昼間から、そんな! 照れ吐きしそう。緊張すると吐く。あの時に似ている。体温を確かめると、おでことおでこをくっつけられそうになる。

 逃げたいほど恥ずかしいのに、実際は嬉しくて堪らない。全てひっくるめていうと嬉死にしそうなくらいには、幸せでございます。


 しかし、前はされるがままだったのも――。


「お前また! アァむかつく!」


 父さんという、最大の壁が僕らの間に割って入るのでそうもいかない。ホッとしたようなしないような。


 「お義父さん、邪魔しないでくださいよ」と中也さんが真顔で言う。

 父さんはそれに憤懣やるかたないらしい。そっか、父さんは中也さんを認めていないのか・・・・・・。なら仕方ないと、喧嘩する2人の間に僕が入ろうとする。


「父さんのバカ! しゅーさんに言うから!」

「なんでぇ!」


 喧嘩を止めるどころか、思っていたこととは違う言葉が出た。父さんもびっくりしている。


「要チャン。それ、なんも解決せんと思うよ・・・・・・」


 グラタンに砂糖をかけて食べる志蓮はひとり呆れていた。何故砂糖をかけているのかは聞きづらい。

 恐らくどんな理由を何を聞いても「不味そう」しか出てこないからだ。

 そういや志蓮って、なんでも砂糖かけて食べてるな。なんでだろう。


「三大ろくでなしのくせに! くせに!」

「それは俺じゃない俺の事だっつってんだろ! いい加減覚えろ、この毛玉野郎!」

「毛玉ぁ!? 天然パーマって言うんですぅ! んなこともわかんないくせに! チビ! チビ! チビ!」

「お客さん! 店で暴れるの止めてください!」


 父さんと中也さんが喧嘩している。店員に止められてもお構いなしだ。連れとして止めに入るが、めっちゃ"恥ずかしい"。

 僕らは集まると、どうしてもワチャワチャ騒がないと気が済まないらしいや。


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