122恥目 君を救うおこげ


 真夜中の事。ふと、目が覚めた。


 青い花の原稿も提出し、明日からは次の創作に取り掛かるために早めに床についた。

 やけに体が痛むのは昼間も寝たからきっと寝疲れだろう。隣でハツコはすやすやと大人しい寝息を立てている。時計は見えないが、もう深夜も深夜。いい時間だ。


 寝疲れでも目は眠いと言う。とろんとする瞼。何度も寝落ちしそうになるのに、何故我慢しているのか。

 その理由は程なくしてわかった。ゆっくり、静かに、音を立てぬようにして襖が空いたのだ。

 そして小声で「しゅーさん」と呼ばれる。上半身だけを起こし、枕元の襖へと体を捻った。するとまるで少女のように、両腕で枕を抱き抱えたあまくせが襖から顔を覗かせている。


「起こしてごめんなさい。あの・・・・・・一緒に寝てもいい?」

「あ、ああ」


 中原達がいるだろうにと思ったが、声が鼻声な事を気がつくといつものように邪険には出来なかった。息を殺して泣いていたのだろう。しゃっくりが出ていて、抑えきれないでいる。暗がりでもわかる程、顔がぐしゃぐしゃだ。

 それでも悟られないように鼻を啜るのがコイツらしいや。


「布団いらないから、ここでいい」


 あまくせは布団の敷かれていない冷えたゴザの上に枕だけを置いて寝転んだ。

 今夜は冷え込むから、浴衣だけでは風邪をひいてしまう。さすがに可哀想だと布団に招き入れるが、「初めてじゃないから」と訳のわからない返事が返ってきた。


 堪らずこっちから近づいて布団を掛けてやる。自分の体温で温まった布団から出ただけで目がぱっちり覚めるほど、冷えた部屋の中、よくコイツは何もかけずに寝れるもんだ。

 それから無理矢理布団に引きづり込んで、一瞬で冷えた足を布団で擦った。


「なんかしたか」

「・・・・・・」


 何も言わないで泣いているという事は、話したく無いという解釈でいいだろうか。それとも喧嘩でもして機嫌が悪いのか。こういう時、相手が女であれば力強く抱きしめて、甘い物の一つ差し出せば機嫌が治るかもしれない。

 あまくせも一応「女」――なのだが、気付かないふりをしてるから、それも違う。ならば弟としてと考えるが、どうも上手くできない。とにかく隣にいて、泣きやむまで黙ってやる。


「なあ、檀の所にいくか?」

「行かない・・・・・・父さんのこと傷つけちゃう・・・・・・」

「そうか」


 実の父親を傷つけてしまうような何か。やはり安易に聞いてはいけない事だ。そして、いつだったか、こいつの昔話を聞いた時、言った言葉を思い出した。


 ――寂しくなかったよ。しゅーさんが居てくれたもん。


 恐らく、尽斗が死んだ後の何かがコイツの心を蝕んでいる。何がきっかけなのかはわからない。昼間はずっと寝ていたから、明日にでも中原にこっそり聞いてみよう。

 間も無くして泣き疲れたのか眠り始める。寝相の悪い要はおらず、右半身を余す事なくピッタリと俺にくっつけて。

頬を一度撫でてやる。すると眠っていても顰めたままの眉は通常に戻った。


「しゅーさん・・・・・・」


 寝言で呼ばれる。寝言に返事をするとあの世に連れて行かれるから、何も返さない。ここが安心する場所なら好きなだけ居たらいい。

 父親も恋人も、気の知れた友人も頼れないような事。要が生きて来た人生の中で、俺の文章とはどれだけの救いだったのだろう。つまりコイツを救えるものは、まだ生み出せていないのか。



 翌日、昼過ぎの事。

 富名腰から受け取った金と、引き金となった本を持って大家を訪ねた。

 大家に訳を話して両方を手渡す。すると「読破なされた!」と喜んだ顔をしたので、慌てて、読み切っていない事を訂正した。


「どうやら要は本の影響を受けやすいみたいで、取り乱してしまいまして。ご希望には添えませんでした」


 中原に聞いた事をそのまま伝える。だから家賃を納めに来たと言えば、今回はいいからと受け取りを拒否された。そんなバカな話はない。家賃なのに、どういうことだ。


「アラァ、それは悪い事をしたね・・・・・・あれは文学的にみたらすごい作品なんだろうけど、我々のように、安心した物ばかりを読みなれていると挫折してしまうんだよ。年末、生出さんはイロイロ大変だったんでしょう? 追い討ちかけちゃったかなあ」

「今は平気ですよ」

「そう。ならいいんだけどね、私も噂は聞いていたから、今月はどうにかして払わないでいいよと言ってやりたかったんだ。裏目にでたなあ」

「何故、払わなくていいと?」


 大家のくせに随分気前がいい。

 五反田の大家はその日の夕刻までに支払いがなければすっ飛んで来ていた。とにかく払え払えと催促の嵐で、1日でも送れようものなら金額は跳ね上がる。そんな大家を見て来たから、逆に気持ち悪い。

 しかし、大家は「そうだよね、不思議だよね」と笑った。


「生出さん、いい人だから。あの人、1人で仕事に行く時に必ず私の家に寄るんだよね。私が独り身だから心配してくれるのさ。それで、よく話すようになって、作家と住んでると聞いて・・・・・・あ、そうだ。気になってたんだけど、津島さんはどういうのを書く人? なんの為に書いてるの?」


 でた。あいつは1人を見過ごせないお人好し。言われてみたら、この大家、最初会った時はだいぶ気難しくて面倒だと思った節がある。

 それを数年かけて角を取り、家賃を払わなくていいとまで言わせるように丸くしたのはあいつ。過去のあまくせは、未来のあまくせを救う。関心するばかりだ。


 さて、大家の質問にどう答えようか。


「俺は・・・・・・」


 いつだったか、要に同じような質問を帝大の帰り道に聞いたことがあった。確か学校からの帰り道、だったか。


 ――。


「しゅーさんの作品の特徴?うーんとね、なんか、太宰治! って感じだよ」

「答えになってねぇよ」


 語彙力のない回答。質問を答えにして返してくるバカだ。しかし、あまくせも負けじとそれが正解だと言いはる。


「いやでも、本当にそうなんだってば! なんでわかんないの?」

「なんでわかると思ってるんだよ。お前の思考と俺の思考は違うんだぞ・・・・・・それになあ」

「読むとね、ああこれは太宰だねーってなるような奴ばっかりなんだよ! 解れ!」

「話聞け馬鹿!」


 突っ込みを入れても無視された。あの時は本当に腹立たしかったのを覚えている。しかし、あまくせは気にもせず自分の言いたいことを続けた。


「つまり何が言いたいかって言うとさ、しゅーさんは好きなように書けばいい。それが君の良さで、悪さだよ」

「悪さは余計だろ」

「わかってないなあ、ちょっと苦い方が美味しい時とかあるでしょ。しゅーさんの悪さはね、そうだなあ。あ、おこげと一緒。釜飯の上の部分も、少し焦げた苦いおこげも美味いでしょ。しゅーさんはね、おこげがメインなんだよ」

「バカにしてんのか」

「してないだろ! おこげ好きだって言ってるだろ!」


 あの時はカチンと来たが、あれは褒め言葉だったのか。

 その時のあいつの言葉をそのまま大家に伝えてみる。伝わるだろうか、こんな滅茶苦茶な例え。思い出すとおかしくなって、小さく吹き出して笑った。


「おこげ、みたいな話らしいですよ」

「おこげ・・・・・・?」


 理解出来ないだろう。俺にだって出来ない。大家は変な人だと笑った。

 しかし、笑われようとも、とびきりの褒め言葉だ。だってほら、泣いていたあいつを救い続けてきたのだから。

 俺は何のために文章を書くのですか、と問われたら。俺じゃ無い俺なら、なんと言うのだろう。書きたいから書く。そういうかな。


 今を生きる俺は、中原が別人になっていくというように、俺もそうなんだろうか。しかし、要達に会わなければ、もっともっと死にたがりであった気がしたよ。もっと我儘で、自由でそれこそ歯もボロボロだったろう。

 再度、俺は何の為に文章を書くのかと言われたら、ハッキリこう答える。たった1人、お人好しな死に急ぎを救うために書きます、と。


「芥川賞を取るので、家賃はその時にでも」


 そう格好つけて大家の家の敷地を出た。副賞は500円。余裕で家賃なんか返せる。借金も返せるに違いない。

 期待しているよ、と声援を背中に感じては、振り向かずに手を振った。


 家賃を払う為にも、必ず取る。芥川賞を、必ず。そうしたら、今年こそは葡萄狩りに連れてってやるか。

 その時は、尽斗と中原も連れて行こう。その方が「弟」は、よく笑うはずだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る