113恥目 痛み
「オトーサン、しぶとい。アト、物壊しすギ! 怒られルヨー!」
和室の部屋が並ぶ、洋館の2階。
赤が基調とされた部屋を変えながら、狂人相手に悪戦苦闘している。
金田が持つノコギリに切りつけられぬように箪笥や姿見、倒せるものはとことん薙ぎ倒した。足元にある火鉢を蹴り倒し、枕灯も蹴飛ばした。ぶつかろうが何しようが、鬼ごっこを楽しむように追いかけて来る。
ここまでの死人と騒ぎがあれば修復することなんかないと思うが、確かに高価、安価問わずに物は壊していた。破壊神と呼ばれたら、元気よく返事をしてしまうかもしれないな。
電気行火を振り回していれば、当然、辺り一面は荒れる。
突き破った障子に張り付いた紙がボロボロになって、乾いた紙がはらはらと宙を舞う。
この舞い方、何かに似ているな。雪という例えは綺麗過ぎて、違う。
ああ、そうだ。ズボンにティッシュを入れたまま洗濯機に入れ、そのズボンを干す時にシワを伸ばす為にバサバサと振るでしょう。その時、細切れになったティッシュが舞う感じに似ている。生前、よくこれをやって要に怒られた事を不意に思い出した。
父さんのバカ! といわれるのが、生意気だなと思いつつ、可愛くて、娘に鼻の下を伸ばしてデレデレだった時の事を。
こんな事、何故こんな時に思い出すのだろう。
金田から攻撃を受ける度に一つ、二つと小さな思い出が脳裏に浮かんでくる。
なんでもなかった日々を懐かしむ度に、死に近づいてる気がしてならないよ。
死ぬ間際に起きるという、走馬灯現象というやつか。既に「私達」は2度死ぬ事が決まってるのかもしれない。
そりゃあそうか。
自称凶悪殺人鬼が語った過去の犯行は残酷極まりないものだった。もし「私」が負ければ「尽斗」諸共、地下にあるという調理室でミンチ状になる・・・・・・という未来が決まっている。
「私」が金田を確実に殺さなければ、要達も同じ未来へと道連れにしてしまう。
死んでも殺す。「私達」が死んでも、娘だけは死なせない。
「もう! 旦那が怒ル! 弁償だヨ! イクラになるのカナー」
ジャンプして飛びかかってくる金田のノコギリを顔スレスレで避ける。少しでも刃に引っ掛かってみろ。一気に体を持っていかれるだろうよ。
「そのイクラは魚卵の方の音調だ!」
しかし「私」は避けるのと口だけの応戦が精一杯。電気行火を振り回す距離を取ろうとも、その隙がなかった。
金田の足は速い。「私」に向かってくる時の速さ。殺したいという衝動が、その素早さを輔けているのかもしれない。
それにしても、足の裏にバネでもついているのかと思うくらい瞬発力がいい。筋肉がゴムのように伸び、力強く、そして早く動く。彼の年齢は知らないが、若さってのもあるのかね。30歳手間の「私」よりは若いだろう。
金田の抑揚の付け方も苛立つ。それにツッコミたくなるからか、「私」は奴に一度も攻撃出来ていない。
故に「私」 は既に3回、怪我をしている。足と肩に刃が当たり、軽く出血をしている。太腿は割と深傷。中原を逃した後直ぐにつけられた物だ。
しかし追い詰めてくるのは傷が出来たものよりも、それとはまた別な痛み。
呼吸器の痛みに苦しめられているのだ。彼の速さに圧倒され、避わすのが精一杯。だから呼吸は乱れて酸欠に近い状態でいる。速すぎて、呼吸を整える暇もない。どうにかして呼吸を整える隙を作らなければ、確実に負ける。
今はそれが悟られないように嗚咽も息を呑み込み続けて、なんとか――。
「ッはぁ」
ダメだ。息が漏れた。30歳手前で死んだ体が限界を迎えたのだ。
飲み込み続けた我慢は、刺す様な痛みを伴いながら口から息を吐き出させる。もはや嘔吐に近い。液体こそ出さないが、吐けと言われたら出せる。空気を吐くと、体はすぐに酸素を求めて、吸う、異常な速さで吐くを繰り返した。
もっと体を鍛えておくべきだった。
死ぬより先に、運動やら筋肉トレーニングを行っていれば、こんなに早く息を切らす事もなかったろう。生出家は筋肉が付きやすい血筋だが、呼吸器は人並み。
確実に肺が弱っている。20代はまだ若いなんて言う中年がいるが、それは間違いだ。30歳へ向かう体は衰え、筋肉は落ち、挙句に呼吸器も弱る。
胸の痛みに気を取られていると、金田の姿が確認出来ない。ヤケクソだ。
どこへ行ったのか。姿の見えない敵に電気行火を振り上げる腕へ、雷に打たれた様な激痛が走る。
「グっァッ!」
「ヤッタァ、まず右ウデ!」
そのまま押し倒され、ノコギリの歯のような細かい刻み目が、右腕の肘の内側の肉に食い込んだ。
引いて、押して、まるで木こりのように切り刻もうとしている。生前、自分の体に「愛していた人」の名前を刻み入れたが、その時の何十倍も、いや、比べ物にならない激痛が走るのだ。
「生きタままはハジメテ! 意外と筋肉質! オトーサン鍛えてたノ? カタイー」
もう少し力を入れて、と刃を強く押し付けてノコギリを引く。此奴、足が速いだけでなく力まで強い!
このままだと本気でコマ切れにされてしまう。しかし、例え金田を押し退けて今を凌いだ所で追撃を交わせる確証はない。
一撃で仕留められる場所を探せ。殺せなくてもいい。怯むくらいの急所でいい!
「私」が体にナイフを入れた場所では「首」が1番致命傷だったに違いない。しかし、首は右腕からでは届かない場所にある。起き上がらないと無理だ。
このまま考えているだけじゃ、右腕が切断されてしまう――!
切り刻むのに夢中な金田をギロリと睨みながら、私は太ももに結んだ、手製のレックスホルダーから1番小さくて取り出しやすい簪を左手に握った。
右腕の痛みに耐るために下唇を血が滲むまで噛み、左半身だけを勢いよく起き上がらせる。
さらなる激痛と引き換えに、金田のみぞおちに簪を深く差し込むことが出来た。
「イ、イ、イダイィィイ!!」
ノコギリの柄から手を離し、その痛みに彼は嗚咽を漏らしながら凄まじい声で絶叫する。
人に痛みを与える残忍さはあっても、自らの痛みには耐えられる事が出来ない。意外と懦夫のようだね。人を残忍な攻撃する奴ほど自分に甘いということか。
彼が簪を抜こうとするほど、法被を侵食する血は真黒の中で確実に存在感を主張し始めた。
「私」は右腕に絡まったままの刃を抜き、そのノコギリの柄を握った。みぞおちの痛みに腹を抱えて蹲る彼の無防備な、次の急所を狙って――。
「ヴギィャアァ!」
「お返し、だ」
アキレス腱を切ると人は歩けなくなる。金田にそうされた様に左腕に力を込めてノコギリを引いた。血飛沫が舞い、金田がこれ以上にないほど苦しんで居る事を確認する。もう彼は歩くことはおろか、立ち上がる事すら出来ない。
「ジニダクナイ! ジニダクナイ! イダイ! ダズゲデ! オトーサン!」
着物の裾に纏わりつく金田の手を振り払い、汚物を見るように軽蔑しながら踏みつけた。
「・・・・・・お義父さんと呼ぶなっつったろ」
「ァァッ!」
「潔く死ね」
金田の相手ばかりしていられない。最後に奴の頭を蹴り飛ばしてやった。
全く調理のしがいがあるやつだった。あとは勝手に死ぬだろうから放って置く。
――そろそろ中原は要を助けただろうか。皆は逃げただろうか。結構な時間が経っている筈だ。
怪我した右手で電気行火を拾い上げ、助けを請う金田を無視し続けた。負傷した右腕を抑え、足を引きずり廊下を歩く。
「はぁ、はぁ」
息をするのも一苦労。このまま壁にもたれて休みたい。そんな事をすれば、確実に死ぬ事もわかっている。
「焦げ臭いな・・・・・・」
何かの焼ける匂いを感じ取り、「私」は愛する娘に会いたい一心で元来た階段まで歩いた。一歩踏み出す事に傷口が裂けて顔が引き攣って。腕も足も血でビッショリ濡れて、こんな出血量じゃ貧血にもなる。
それでも階段を降りる。「僕達」は要に会いたいんだ。
想いとは裏腹に、体の自由はあまりない。階段の1段目に足を置いてすぐ、体から意識が飛ぶような浮遊感が「私達」を襲う。怪我をしている方の足は、自身の体重を支えるだけの力を持っていなかったのだ。
今度の死因は――転落死か。
死因を呑気に呟いている場合ではない。電気行火は手から離れていく。落ちていく時間がとてもゆっくり流れている気がする。
やはり死ぬ。また要に何もしてやれずに死ぬのだ。現実を見ないように、そっと視界に瞼という蓋をした。
「っとお! まだ死ぬんじゃねェよ! 要も兄さんも待ってんぜ!」
「・・・・・・え」
誰かが「私達」の体を受け止めてくれた。信じがたいが、確かに誰かが私の体に触れている。
重たい瞼を開けると眼鏡をかけた糸魚川文人が、「私」の体を支えている。同じ背丈の彼の肩を借ればなんとか歩けるかもしれない。
「っておい、焦げ臭ェの此処かよ! めっちゃ燃えてんじゃん! 死ぬ死ぬ!」
見計らったようなタイミング。自分の運の良さとこの眼鏡に感謝するべきだ。
彼の云う通り焦げ臭さは増していく一方。早く逃げねば、本格的に肺が焼け死ぬ。
遠くの部屋から金田が「熱い」と泣き叫ぶ声が聞こえてくる。きっと去り際に蹴り倒した火鉢から漏れた火が、火災を起こしているのだろう。いい気味だ。
アイツのことはもういい。今は――。
「それで、要、は」
「中也が助けたよ・・・・・・んだけどよ、すぐに吉次達探しに飛び出してったよ。ホント、アイツは忙しいねェ」
ああ、良かった。中原が救ってくれたのか。良かったね、要。父さんは寂しいけど、約束通り、アイツが要の手を取ってくれたのだと知ってホッとしているよ。
「それより口抑えろ、煙吸うなよ! 煙は毒だって司ガッ! ウゲェッホ、ウゲェッ! ・・・・・・ほらな」
「汚い咳だな・・・・・・」
しかし、火事だっていうのにあの子はまた居なくなったのか。いや、中原がいるから平気か。アイツは要を死なせないだろう。そこだけは信頼してやる。感謝しろ。
しかし舌を緩く噛むと、弱々しく「尽斗」は「私」の想いに反発した。
「ぼ、僕は、認めないからなぁ・・・・・・」
酷く疲れた。「尽斗」も同じか。力が段々と抜けて来て、もう自分が何をしているのかわからない。意識が朦朧として来た。
「おい、子供も2人も任せて飛び出していくな!」
そら、太宰さんの声がする。幻聴かな。でも確かに聞こえてくるよ。
「この三味線いるのかしら。逃げるのに邪魔ですわ。置いていきませんこと?」
「ばかばかばかばか! 壊すなよ! あいつのなんだから! せっかく助けてやるっていうのに文句ばっかり言いやがって・・・・・・」
「貴方に撃たれましたもの。しっかり支えてくださらないと、歩けないですわ」
そうか。今世は助けに来る仲間がいる。生前のように、もう、独りでは無い。だから太宰さんが居るのだ。支えられながら降りる階段。一段降りるたびに足が痛む。痛いということは、生きているという事。
「僕ら」は死なないだろう。
全てが落ち着いたら要に叱られるだろうな。
その後はきっと、昔みたいに「僕」 と一緒に笑ってくれる日が来ると信じたい。また、親子をやりたいんだ。許して、くれるかな。
「僕ら」には進める未来がある。
――「僕たち」の前途が、どうぞ多難でありますように。多難であればあるほど、実りは大きいのだから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます