111恥目 兄弟は雑草のように

 私は死んだ――? いいえ、まだ生きてますわ。

 足に撃たれた銃弾が痛くて、痛くて、仕方ないの。猟銃って、当たるとこんなに痛いなんて知らなかった。右足の脛に当たったのだから、そこだけ傷めばいいのに、体の全部が痛いの。

 私達、負けたのかしら。それとも、相打ちになってでも、私達、ちゃんとやり遂げたのかしら。

 ねえ、兄さん。どっちなの? 


「勝、兄さん・・・・・・」


 目玉だけゆっくり動かして兄さんを探すと、私の腹の上に彼の頭が倒れている。

 兄さんと呼んでも、ちっとも動かない。体温はどうかしら。わからないわ。でもきっと、兄さんは死んでしまったのね。富名腰さん達に、撃たれてしまったのね。


 そっか。私達、負けたんだわ。負けたのは悔しい事のはずなのに、なんだかとっても安心しているの。だって、怖い思いはもうしなくていいんだもの。かろうじて動くのは、目玉とそれから指先。それだけじゃ、何も出来ないわ。


 もう何も考えたくない。余計な事を考える前に死にたい。誰かきちんと殺して欲しい。どうせ中途半端に生きていても、この館に縛り付けられるだけなの。こんなことなら、両親を殺さずに「女」として買ってくれるかもしれなかった誰かの所へ飛び込むんだった。


 そもそもこんな地獄へ来てしまったのは、両親の見栄っ張りが原因で貧乏になってしまったのが始まりだった。

 あの家は事業に失敗してその日食うのもやっとになったクセに、借金をしてまで見栄を張り続ける。立派な洋服だけがあって、食べるものはない。その生活に耐えられなかった。けれど、その後に待っていたのは更なる地獄。ご飯は食べれても、命の保証がない生活。毎日冷たい洞窟にいる気分。うんざりだった。

 そして遂に、金のある時はあんなに仲が良かったのに、無くなった途端に喧嘩の絶えない両親に絶望し、それが憎たらしくて、殺ってしまった。


 その後に希望を持って外へ出たのに、結局たどり着いたのは更なる地獄。祗候館。

 犯罪者と変態が蠢く生き地獄。怯えて、恐れて、泣いて、打たれて、蔑まれて――。 

 でも怯えから、やっと解放されるの。こんなに嬉しいことはないわ。死ぬの、死ねるの。良かった、良かった。

 私は死を待ちながら、2階に続く階段を見つめていた。

 だんだんと温もりが無くなっていく勝兄さんをどうする事も出来ない。人の命が消えていくのは、蝋燭の火が消えていくのと似ているのね。


 兄さんはまた命の火を灯して欲しいかしら。いいえ、兄さんも死にたいだろうから2人で死にましょう。

 目を瞑って、その時を待つ。


 ――すると、上階の方が騒がしくなって来た。死ぬ時くらい静かで居たいのに。


「なんだこの階段! 降りずらいなぁ!」

「要、静かに! 少しは警戒しろ!」


 ああ、誰か来たわ。

 階段を降りるのが下手なのかしら。ドタドタとわざとらしい音を立てて、こちらに降りてくる。

 要、と呼ぶんだから、きっと富名腰さん達が3階の男を解放したんだわ。


 やはり生きるのは許されない。私達、トドメを刺されて殺されるのね。


「うわっ」


 勢いよく降りてきた女の様な顔をした男が、倒れている私を見て後ろ2歩戻った。

 そしてすぐに私の顔に手の甲を当て、体温を確かめている。そんなことして、どうするっていうのかしら。


「おい、大丈夫か!? 中也さん、上の子見てやって」

「あ、うん」


 腹に上から、兄さんが離れていく。やめて、兄さんと離さないで。私達は貴方の敵なのだから、早く殺して。兄さんはもう死んでしまったの。

 せめて最期は信じていた人のそばで死にたい。それを望むくらい、許してくださらないのかしら。非情ね。


「男の方は胸に近い肩か・・・・・・痛そうだな」

「と、とりあえず血を止めないと! あーっと、襷紐で・・・・・・コレ! 袴についてる紐を使ってください!」


 道やら介抱してくれているみたい。何をしてるの。止血したってもう無理なのに。

 余計なお節介はやめて頂戴。敵に同情されることほど惨めな事はないわ。


「やめ・・・・・・て・・・・・・」


 精一杯、声を振り絞る。


「ごめんな。痛いよな、大丈夫、僕が死なせないからな」

「そう、じゃ、な、い」


 私は貴方を助けに来た人達を撃ってやった、館側の人間なのよ。貴方は愚かだから、それを知らないのかしら。スカートの中にナイフが入ってるはず。手に入る力を全て注ぎ、スカートのポケットに手を入れた。

 人差し指に刃先がツンと当たる。あった。殺してくれないなら、殺すように仕向けてやればいいんだわ。この男が足の止血に夢中になっている隙に、1番近くて刺しやすい横腹に突き刺してやりますわ。

 ナイフをポケットから取り出すと、力の入らない手からするりと零れ落ちた。

 がたんと、固いナイフが落ちる音が大きく聞こえる。


 ――悔しい。最期の最期に復讐する事も出来ないなんて!

 男は違和感を感じたのか、私の落としたナイフと、1階を覗き見てから、私の顔を見た。


「そっか。君もこの館の人なんだね」

「・・・・・・そう、よ。だから、助けない、で・・・・・・」


 本当に惨めな気持ちになるだけなのよ。人殺しと言って、軽蔑するためだけに生かすつもりなの? 生かされたら、また地獄を見るじゃない!

 天井裏に入れられて、いつの日か人を殺せと指示が下る。

 あの肉団子に毎日犯される日が来るかもしれない。何にしても屈辱だわ。それを勝兄さんが側に居てくれないのに、どう1人で乗り越えていけというの?


「館の人だから助けない――それは理由にはならないよ。生きてるなら生きるように助けるだけ。話や何やらは後で聞くさ・・・・・・よし!」


 私の願いを聞いてくれない。どうしてこの人は私を助けようとするの。

 足に襷紐結び終わると脇を締めて、汚れた着物を私の体にかけたら、細い両腕で私を横抱きする。


「うっへぇ、体力落ちたなぁ。酔ったらごめんな」


 確かに体を抱き抱える腕は小刻みに震えている。これは、不安にさせないように笑っているのかしら。

 あまり真っ直ぐ見られると疑えなくなってしまいますわ。


 その証拠に私は無意識のうちに腕を彼の首に回した。顔を肩と首の間に埋め、体を任せきっている。


「よし、降りるぞ」


 ゆっくり一歩、一歩。不安定だけれど、下段に降りている。


「参ったなぁ。中也さん、ここにくるまでに救護室とか見ました?」

「すぐ2階に行ったからわからない。そもそも救護室なんかあるのか?」

「わかんないけど・・・・・・こんなでかい建物なのに、そういう部屋が無いって頭悪くないですか?」

「・・・・・・たしかに」


 勝兄さんはどうなったのか。遠くなって行く踊り場に視線だけをやると、姿はなかった。

 どこに行ったの!? 死体になってしまったから、何処かへ捨てられたの!?

 兄さんの姿を探す。まさかと思い、急いで背広の男の方を見た。


「ぁ・・・・・・にい、さ、ん・・・・・・」


 よかった。兄さんも一緒ね。マントは血だらけだけど、指先がピクピクと動いている様に見えた。目の奥がジンと熱くなって、鼻がツンと痛い。

 この人達は私達兄妹の命を平等にみてくれてるの? もう助からないで片付けずに、生かそうとしてくれているの? 金田さんや谷口さん達からは感じたことのない暖かさ。この頼りない細い腕が、そうしようとしてくれているの?

 救護室が無いかと話し続ける「3階の男」の耳元で、「1階を、左、そのまま、まっすぐ」と、囁いた。

 すると彼は、「ありがとう」と優しい声で囁き返してくる。

 初めて言われる「ありがとう」に、私はなんと言ったらいいか、恥ずかしい、と思った。

 同時に体が熱を帯びて、引いていた血の気が戻ったような感じがするわ。


「痛いよな、もうちょっとだ! もうちょっと、頑張れ!」


 体を支える腕にさらに力が入る。

 貴方だって酷い事をされていたのに。まるで人を恨むということを知らないみたいですわ。



「兄さああああん」


 すぐ近くの部屋から文人の情けない声がした。

 しゅーさんの事を叫んでいる。僕は彼に何か良くないことがあったのだと、声の聞こえる扉を蹴飛ばし、強引に開けた。


「しゅーさん!」


 部屋に入ると平成時代でいうなら、学校の保健室のような場所に辿り着いた。保健室にありそうな枕元と足元にアーチ上の柵がベッドが4つ並んでいる。

 そのうちの1つのベットの上に白い顔で目を瞑り、横たわるしゅーさんが居た。文人は目をパンパンに腫らして、何度も何度も兄さんと呼び続けている。


 富名腰さんも血が流れる手首を押さえながら俯いていた。

 文人は僕が部屋の奥へ入ると、ようやくこちらを向いて、青褪めた顔。そして何かを言いにくそうに目を泳がせる。


 僕は抱き抱えた女の子を開いたベッドに置き、眠る兄貴に近づく。


「ごめん・・・・・・ごめん、ごめん、要・・・・・・ごめんって・・・・・・」


 その泣き方、謝り方、まるで死んだような雰囲気。まさか。本当に、しゅーさんが死んだとでも言いたいのか?

そんな筈ない。死ぬなら自殺。自殺志願者のしゅーさんが、こんな館で自殺なんてセンスがないだろ。


「腕を、撃たれて、止血したんやけど・・・・・・」

「俺が撃たれてたら、よかったのになァ・・・・・・本当にごめんな・・・・・・」


 確かに顔は安らかに見えた。苦しんだような感じはない。体に脚と腕が冷たく、脈はないようだ。


「要ェ、兄さん、死んじゃったんだァ」


 文人はそういう。まさか。そんな筈はない。でも、顔に触れても動かない。いつもは髭が生えていると言って、そのザラザラを掌で楽しむと怒るのに。何も言ってくれないよ。


「私、その人を殺したのね」


 少女がポツリと、感情のない一言を呟いた。


「そうだよ! お前が、お前らが殺したんだろォ! なんで、足撃たれたお前は生きてて、兄さんは死ぬんだよ!」

「・・・・・・ごめんなさい、だから、だから、私を殺して、欲しいの」


 文人が少女に怒号を浴びせても、しゅーさんは目を開けない。そして、少女は死にたがろうとする。誰がどうしたとか、ああしたとか、そんな話はどうでもいい。

 いつも「うらさい」って言って、尻とか、頭とか小突いてくるのに、それがない。


 しゅーさんが死んだ。僕を死なせてくれない君は、いつも死を願ってあの世行きの切符を欲しがっていた。


 勝手に逝くなよ。葡萄狩り、まだ行ってないじゃん。

 大学も留年したままじゃん。借金も返し終わってない。まだちゃんと小説家として有名になれてない。鎌倉で、ちゃんと償うって約束したじゃんか。

 しゅーさんの胸を叩きながら、やり残した事を思い出しては泣いた。


 貴方を愛している人は沢山いるよ。その人達に、なんて言ったらいいの? 僕を助けに来たら死んじゃったって、言ったらどうなるの。どんな顔で生きていけばいい。どう償えばいい。僕が家でなんかしなければこうはならなかった。

 初代さんや、青森の文治さん、中畑さん達にはなんて言ったらいいんだ。

僕はそれこそ死んで償うしかない。愛した人を奪った罪を償うために、首に縄をかけるしかないんだ。


 しゅーさんに関わりのある人達の顔を頭に浮かべると、もう随分会っていない中畑さんの顔が、僕の脳内に留まりつつけた。


 何故この人――?

 理由を考えてみる。お目付役を奪ったから、このタイミングで恨まれてると思った? いいや、違う。今更過ぎる。


 鎌倉。鎌倉で起きた事を思い出せ。シメ子さんが亡くなった時の事。あの人が何か言ってたか――?


「遺体に親近者が近づくと鼻血を流すって言うんです」


 あ――そうだ。


 あの時、シメ子さんの遺体は田部さんが来た時に鼻血を出したと言っていた。昭和にはそれが当たり前と言うような迷信がある。

 そう言うことか、中畑さん。今はあの時は聞き流した「迷信」を信じたい!


「死んでない」


 僕は疑わない。


「要、兄さんは・・・・・・」

「死んでねぇよ! だって鼻血が出てねぇからな!」


 僕は津島修治の死を大声で全否定した。まず、怪我をしたという腕の具合を見た。傷はそう深くない。血も大体止まっているし、弾はない。


「接着剤か裁縫道具ないか!」

「んなもん何に使うんだよ!」

「いいから探してくれ!」


 乱暴な言い方だけど許してくれ。なんだよ、と文人のため息まじりな声の後、すぐに戸棚や引き出しを開ける音が聞こえた。


「あ、あった、あったよ、要! 接着剤!」

「頂戴!」


 中也さんが見つけてくれた接着剤の蓋を開けて床に投げ、出てきた液体を患部に刷り込む。これ以上血が外に出ないようにするためだ。

 戦時中は瞬間接着剤を応急処置で使っていたと聞いたことがあるし、似たようなもんだろう。

 それが終われば心臓に耳を当てた。ドクンドクンと、遅くて本人同様ナヨナヨした鼓動が微かに聞こえる。


「ほらみろ」


 しゅーさんの顎を上げて、頭を後ろに反らす。口を開いて、口内に何もない事を確認。

 あ、コイツ歯医者行ってない。虫歯がそのまま残ってる。歯は自然治癒できないんだから、あれほど行けって言ったのに!

 いいや、そんな事は後でだ。そのまま気道の確保。脈はあるが呼吸をしていない。ならば、そうするしかない。


 手でしゅーさんの鼻をつまみ、僕は大きく息を吸い込んだ。その口でしゅーさんの口を覆い、息をあげる。横目で胸が膨らんでいる事を確認しながら、何度かやる。


「要チャン、もう」


 富名腰さんは僕のことを無駄な悪あがきをしているバカだと思っているようだ。

 そう思われていようとも、人工呼吸器を続ける。一度口を離れて、周りについた唾液を腕で拭う。

 しぶといやつだ。僕はまた大きく息を吸って、叫んだ。


「死ぬなら僕の顔を見てから死ね!」


 そして目覚めない兄の頬を力一杯抓ると、小さく咳き込む音が一回聞こえた。

 それから、徐々に大きくなる咳。痰が絡んだような、いや、飲み物が器官に入っていったような咳をして。


 その咳の苦しさに彼は目を覚まし、慌てて起き上がった。


「おお・・・・・・!」

「兄さん!」


 中也さんと文人は奇蹟が起きたと歓声をあげた。


「ああ苦し、死ぬかと思った」


 咳き込んで涙目。

 ほらな。まさか、しゅーさんが死ぬわけないだろ? 死にたがりのくせに、雑草並みの生命力を持ってるんだ。

 

 腕を打たれたって、薬中だってなんだって、大丈夫だよ。自殺したがる奴ほど死ねないのさ。だからこの人は、人一倍頑丈に出来ている。僕も同じ。バールで殴られても死ななかった。しぶといね。同じ雑草だ。


 だから僕ら兄弟は簡単には、死なない。


 しゅーさんは半目のまま、顔を横にずらし僕に気付くと、信じられないという顔をしている。


「要・・・・・・!」


 僕の名前を呼んで、嬉しそうに笑う。


「ばか」


 その笑顔に泣きそうになるから、誤魔化すために対象であるしゅーさんを力一杯抱きしめた。貴方は死なない。他の人とは違う、僕の大事な大事な掛け替えのない人。


「もう会えないかと思ったよ」

「僕が死にたがりのしゅーさんを置いて死んだりすると思う?」


 しゅーさんの声は震えている。もちろん、僕も同じ。


「うらさい奴だな」


 絶望しなかった、僕らの勝ちだ。

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