108恥目 明けの明星

 2階に上がると騒ぎに慌てた客人や男娼達が勢揃いでお出迎え。


 欲望が溜まった真っ黒な実を丸出しにして、べそをかきながら逃げ出す軍人。

 ただ事ではない異変に「死」を感じている男娼。

 肌を露にしながら生きたいと望む多くの眼差しに、「私」はどう応えるべきだろう。


 戦闘用ナイフと呼ばれる小刀を握り、一つ一つの部屋の障子を開き歩く。

 男が出す、女のような甲高い悲鳴。それが耳に入る度、心が痛んだ。別に要に関係の無い命を脅かすつもりなんてない。しかし、娘を取り戻しに来ただけの父親をまるで殺人鬼のような目で見られては、もしかすると未来を奪ってしまうこともあるかもしれない。それは君たちの行い次第――ということになるね。


 手に持ったナイフ、そしてこの場所に乗り込んで来た事実があっては、「私達」が悪人で、厄介な犯罪者のようなもの。1人の軍人は雄叫びをあげながら襲いかかって来た。

 快楽というエゴイズムを振りかざし、金で買った人形をその利己主義で絶頂まで連れて行った気になっている所に水を差したら、そうしたくもなるか。しかし所詮はその程度。右腕を振り翳した瞬間に泣きっ面で逃げていった。

 

 次に用事があるというのは、この騒ぎを治めようと飛びかかってくる黒法被達。残念ながら彼らにも用事はない。けれど、敵だというのなら命を頂戴することも止む負えない。

 個性のない過激的な集団を蹴散らすには、こんな小刀ではなくてもっと大胆な方が良い。


 攻撃をかわしながら、男娼婦らが逃げた後の部屋に入り本来ならば体を温めるために使う電気コードのついた木製の電気行火を手に取った。これを「明けの明星」と呼ばれる打製武器のようにして振り回し、奴らを蹴散らす。


 顔面に当たれば鼻から血を吹き出して呼吸が乱れる。

 こめかみに当たれば、平衡感覚を失う。額に当たれば、脳が揺らぐ。

 頭部は最も剥き出しになった急所だ。


 急所を狙えば、電気行火一つでゴミが一掃できる。まるで掃除機と言っていい。 こんなに簡単に処理ができるとやりがいがない気もするが、時間に余裕がないのだから致し方ないか。それにしても呆気ない。


「まるで弱いものイジメをした気分だ。元犯罪者といえど人間、か――」


 頭から血を流す黒法被を絨毯の上を歩くように踏みつけて、彼らに屈辱的な想いをさせてやる。 もちろん歩きにくいが、人を踏み付けた時に湧き上がる優越感がクセになるのだ。


「迷いなくやるんだな・・・・・・」

「迷っていたらこちらが殺られるよ。まあ、人を殺した事がないから知らないか」

「殺した事がないのが普通だよ」


 「私」の行動に動揺する中原中也を鼻で笑った。彼は「私」の後ろを歩いているので表情はわからないが、きっとムッとした顔で睨んできているに違いない。

 要を助けると大口を叩いた割には、意外にビビりだ。あの5人の中で1番喧嘩慣れしていると聞いたから使えると思っていたのに、期待外れ。


 だから「手を汚すな」と言ってプライドを傷つけず、さも当たり前な事をそれっぽく言って差し上げたのだ。

 情けないのが、鉄砲を握る手は震えているし、構え方も力が入り過ぎていて危なっかしくて見ていられない。

 あんなんじゃ、玉を出した時に体が支えられずによろめいてしまう。きちんとした構えをしなければ的にも当てられない。下手をすれば身内を危険に晒すかもしれない事を知らないのだろう。


 こんな奴が要の好きな男だなんて思うとムカムカ、イライラ歯軋りが止まらないよ。

 ――っと、これは「私」ではなく「尽斗」の方。


 娘の彼氏と一緒に行動する事に複雑な感情が絡み合って、どうしようも出来ないらしい。

 しかし、ここで「尽斗」に出て来られてはいざと言う時に対処出来ない。「尽斗」と中原じゃあ、この黒い集団に袋叩きになって終わり。「私」が意識をしっかりせねば。「尽斗」が出るのは穏やかな日常が訪れてからだ。少し待っていてくれ。


 舌をグリグリと奥歯で噛みながら、館の2階を彷徨った。客や男娼らはとっくに逃げ出したようで、要に繋がる手がかりも富名腰という男も居ないと見る。息のある敵さんに聞いても居場所を吐くことはないだろう。


「どこに行っても不気味だな。本当に要はこの上に居るんだね?」

「クズ2人を信じるなら、だけどな。でも、この階には居ないだろ。逃げていく人間の顔を見ていたけど、要はいなかった」


 中原は個部屋の押し入れや、人が入れそうな場所を探している。もしかしたら一時的に隠された可能性もあるという事か。「私」も同じようにあらゆる戸や襖を開けて用心深く、要を探した。


「本当にいなかったのか? 見逃したとかではなく?」

「まさか。要が居たら気付くよ。あんなに可愛い子いないでしょ」


 ある襖に手をかけた所で「私」は舌を噛んだ。いや、噛ませられた。「尽斗」だ!

 嫉妬心が抑え切れなくて出て来てしまったのだ。「私」は、そんな事をしている場合じゃないと抑止するが、父親の嫉妬心の強さは尋常じゃない。無理だ。その強い気持ちに「私」は勝てなかった。全く、こんな時ばかり力が強いんだから。


「そ、そりゃあ僕の娘だからねぇ! 可愛いんだよ! 食べちゃいたいくらい可愛いんだよ! 僕は要が赤ちゃんの時から一緒に居たんだ、1番可愛い時を知って――」

「でも死にましたよね」


 「尽斗」マウントを取り始めたと思いきや、撃沈。


「そんな可愛い要を置いて、死にましたよね」

「ンンッ」


 下唇をぎゅうと噛んで目を瞑り、眉毛は八の字。言い負かされている。


「死にましたよね」


 もう一度、念を押すような煽り口調。「尽斗」は今にも泣きそうな子供のように両手をギュッと握りしめて食いしばっている。その手はぷるぷると震えていた。

 負けてる! 1番痛いところを突かれて負けているぞ、「尽斗」!


「で、でもぉ、君だって喧嘩してるじゃないか! 要と喧嘩して、振られてるじゃないか!」

「ふっ、ふ、振られてませんけど.・・・・・・」


 中原はドキッとした表情をして、認めたくないと顔を晒した。


「ほおら、吃った! 晒した! ばあか! 言ってたし! 中也さん嫌い! 檀さんと居た方が幸せかも的な事言ってたし!」


 なんていうわかりやすい嘘! 父親の嫉妬、醜い!

 そして内容のレベルが低い。もう片方の自分が恥ずかしくて、穴があったら入りたいくらいだ。舌を噛んで入れ替わろうとも、「尽斗」の気持ちが強すぎて噛めない。クソ、二重人格やめたい!


「要はそんな事言いません! ああ、お義父さん! 思い出した!」

「ダァカラァ! お前の、お、お義父さんじゃないよ!」


 お義父さんと言われると、すかさず「シャー」と蛇の鳴き真似をした「尽斗」が噛み付いた。蛇というより、ハムスターだ。ちっとも怖くない。


「中也さんのお嫁さんになりたいです、みたいな事言ってたの! 思い出した! はい、俺の勝ち!」


 俺の勝ち、といいながら、呼ばれて返事をするときのように腕を上へ上げた。中原も負けじと嘘くさいことを言ってはムキになっている。

 これは信じても良いだろう。要も女性な訳だし、好きな男とそうなりたいと思っていてもおかしくはない。


 しかし、それで納得しないのが父親というもので。


「ばああか! すっごいばああか! 小さい時に要はねぇ、大きくなったら父さんと結婚するぅ、が口癖だったんだよ! 死んだ父親との運命の再会で感動して、きっと思い出すもんねぇだ! はいっ、僕の勝ち!」


 「尽斗」も負けじと、同じポーズ。そんなことが口癖なわけあるか。虚言も大概にしろ。架空の惚気自慢大会。虚しくないのか、コイツらは。

 足元には黒法被が複数人、お釈迦になったり、気絶していたりするのに。なんなんだこの2人は。

 大人気ないったらありゃしない。初めて「私」は「尽斗」の別人格であることを後悔した。

 そんな勝ち負けのつけようがない勝負は要らない。早く要を見つけ出す事が最優先ではないか、と隙を見て「尽斗」の舌を噛もうとした時だった。


 ミシリ、ミシリと木の階段が鳴いている。


 しかし2人は気付かない。バチバチと睨み合い、閃光を散らす。「私」の意識だけがそれに気づいたのだ。

 そして向かい合って睨み合う2人の間に、顔スレスレで大きな何が通過した。ほんの少し、2人の前髪が細かく切れて、中に舞う。


 その大きな“何か“は壁にぶつかって間も無く、薄い金属が床に落ちる音が2階にこだました。

 さすがの2人も気づき、ほぼ同時に音の方に首の向きを変えると、階段の踊り場にノコギリが落ちている。


「賑やかなお客サンダネ。お腹空いてるのカナ?」


 ヘンテコな日本語のイントネーション。外国人とも地方訛りとも違う。狂った抑揚。語尾が変な時に上がる。それだけで、声の主が一般人ではないと悟るには十分だった。


 「私」は急いで舌をガチンと噛む。人格を入れ替え、直様ナイフを構えた。


 顔を見るだけでマズイとわかる男がいる――吉次が別れ際にそう言っていたのを思い出す。


 真っ黒な目は瞳孔が開いている。胸に巻かれたさらしには、今さっき付着したであろう血液が滲んで、白と赤の境目は最早無くなりそうである。血で手を洗ったように掌や手首に纏わりつく死の香り。生臭い、強烈な匂いを発している。鼻が不快だ。


「家畜でも捌きました? 随分大胆な料理法をなさる人なんですねぇ」

「そうそう。まな板の上デ、悲鳴を聞きながら捌いてタ!」


 挑発すると、嬉しそうに頭の上で猿のように両手を叩いて喜んだ。無邪気にはしゃぐ姿は子供のようだが、その様子がさらに正常ではないことを物語っている。

 さて、この男が「金田」という男なら、いよいよ本格的に中原は足手纏いだ。


 ここで彼に死なれては要が泣く。「尽斗」は認めたくないかもしれないが、娘の心まで守るなら此処は私だけで相手をするべきだろう。

 不幸中の幸い。要は「私達」を実の父親に似ているだけの他人だと認識しているのだから、都合が良い。たとえ此処で死んだとて、要は父親が2度死んだとは思わないのだから。

 まあ――この時代に死んでしまうと「生出尽斗」の存在自体が永久になくなるけれどね。


「私、料理が趣味でしてね・・・・・・是非、貴方の料理法を見てみたいなあ」

「オニィサンもスゴそうダネ。だっテ、ここの黒いノ全部やったデショ」

「ああ、上手くできたかな?」


 金田に微笑みかける。料理法とは殺し方のこと。人殺し同士、仲良く命の奪い合いを始めようじゃないか。彼も真顔になって、体のあちこちの関節をバキ、ボキと鳴らす。骨が折れていてもおかしくない程、大きな音で。


 いつ襲いかかってくるか分からない彼から目を離さぬようにして、中原言う。


「言いたい事はわかるね。要を頼んだよ」

「アンタ1人でやるのか!? やっぱり俺も一緒に」


 足手纏いだとわからない奴だ。自覚がないのか。お前を庇いながらあのイカれた殺人鬼を相手にするなんて、多重人格をなんだと思ってるのやら。

 人格は2つ、目は2つ、耳は2つ、手足も2本ずつ。体は1つ。敵はひとり、味方もひとり。「私」ひとりで2人に構っていられる訳がない。


 さっさと納得して此処から消えてもらいたいのだ。だけどカッコツケなのか知らないが、なかなか行こうとしない。

 しょうがない。中原が行かなければならない理由を教えてやろう。「尽斗」、許せよ。


「要が攫われる時、誰の名前を叫んだか教えてやろうか」


 要は攫われる直前まで「私達」と居て、父親の影を感じながらも、攫われた直後に「檀さん」とも「父さん」とも呼ばなかった。子供は親に救いを求めるものだと思っていた。

 ――しかし、そうか。幼い頃、要が救いを求める前に「私達」は逃げたから、好きな男の名前を叫んだのか。太宰さんや他でもない、助けてくれるに違いない彼の名前を呼んだのだ。


「中也さん――そう言ったよ」


 中原は要があの時、自分に助けを求めたのだと知ってどう思ったのだろうか。悔しいが、それが事実。「尽斗」の代わりに少し唇を噛み締めた。

 「尽斗」よ、怒るのは後だ。今はこの金田とかいう他人に対しての感情が著しく欠けた自己中野郎を殺らなきゃならない。出なければ、太宰さんや吉次達も危ない。


「さっさと行け!」


 いつまで居る気なんだ。足で纏いだとハッキリ言うべきだったか? 優しくしたのがアホらしいぞ。


「・・・・・・ありがとう、お義父さん」


 やっと中原がそう言うと、3階につながる階段へと走って行った。

 誰がお義父さんだ。助けに行けと言っただけで、交際を認めるなんて一言も言っていないし、思っていない。

 

 要にはもっと、要の性別に関係なく大切にしてくれて、要を1番に考えてくれるような、そういう男がいるはずなんだ。

 未来じゃあ「文豪三大ろくでなし」の1人にカウントされている、中原みたいなのじゃない男がな。


「ア、もしかして要のオトーサンなの? あの子も殺そうとしたら、富名腰に邪魔されタ! 殺し甲斐がアリソウ! オレも欲しい! 要欲しい! オトーサン!」


 ――要を殺したい? かわいい娘が欲しいと、目が裂けそうなくらいの殺意を目に宿して何を言ってるんだ。


 要は変な男にしか好かれないのか。可哀想に。異性に運がないのは父親譲りのようだ。

 でも大丈夫。1人は確実に殺してあげよう。存在なんか知らないように、この世には居なかった事にして、娘の涙を減らす。

 父親なら当然思うこと。子を嬲られたなら、仕返しに地獄までも追いかけて、謝っても許してやらない。同じ目に合わせてぶっ殺してやりたいと。そう思うのが普通ってもんだ。


「誰がお義父さんだ!」


 明けの明星――電気灯火を片手に強く握り、大きく振り翳した。生え始めた爪が割れる感覚がしたが、痛みはない。


 娘に好きな男が居るという劈く様な胸の痛みに比べれば、見える傷など痒みでしかないのだ。


 ――しかし、要は変な男に好かれる程、魅力的で輝いているということか。

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