104恥目 親子と死の香り
「はあ、やだなあ」
ぬかるんだ上野の山の土の上、先生は珍しく着物姿だ。しかも女性物。髪型はいつもと同じだけど、着ているものが普段と違うだけで見た目は大きく変わる。
「が、頑張りましょう、先生! 僕達が時間を稼がないとですから!」
「わかってはいるんだけどね・・・・・・でも女装はねぇ」
修治さんと文人さんの次は、僕達の番。
帰って来たお2人に中の様子を聞いてみると、要さんがいるのは最上階の部屋。そこには富名腰という男の人があんなことやこんなことを要さんに教え込んでいるという。そんな事言ったらどうなるかわかる筈なのに、なんで言っちゃうんだろう。
「殺そう。その富名腰とかいう男、絶対殺そう」
「まだそうされていると決まった訳じゃないですから! 要さんを信じましょう! ね!」
当然、中也さんや檀さんは怒る訳で。
檀さんはナイフを構え、中也さんは手の関節をバキバキっと鳴らしながら、目に怒りに満ちて輝いている。
僕も薫さんが同じようにされたら眠れなくなるだろうし、体が自分のものじゃないみたいに落ち着かなくて、常時吐き気に襲われると思うんです。
皆さんのこと、本当に凄いなあと思ってます。大人だから耐えられるのかなぁ。どうすれば要さんを救えるか冷静に考えて行動してるから、尊敬する。皆さんのそういう姿を見る度に、僕は子供なのだと思い知らされる。皆さんより年下で無力だから、やれる事は全力でやり遂げたい。
確かに女装は恥ずかしいけど、それで要さんを救えるなら迷わない。きっと要さんだって同じようになればこうするはず。ってあの人は常日頃から男装してました。
頭の中でぶつぶつ独り言。
濡れた髪の毛に雑に櫛を通し、わざと逆立てた。命からがら男娼になりたい一心で山を登って来たように見せるために、着物を少し着崩す。雨が降る山の中でわざと泥だらけになりながら、せっせと女性用の着物を身につけて、男娼になりたい男の子を演じるのです。
よし、ばっちりだ。
帯をしっかり締めて気合充分! しかし、僕の気持ちとは真逆なのが先生だ。大きな溜息をついている。
「おお、いいじゃないか」
「修治さんは当事者じゃないから呑気なこと言えるんですよ」
「あのブス共より全然いい! 未亡人感があっていいぞぉ! 拓実で口直しさせてくれよ」
「やめてください! 一体いつまで半裸なんですか! ああもう、吉次行くよ!」
「はいっ」
髪型を女性らしいお団子にして、口紅にサッと一塗。先生はもともと顔が綺麗な人だから、薄紫色の着物を着ると色っぽく見えた。文人さんの言うことも頷ける。
準備ができれば、これからのおさらい。僕達が館に入るのを確認したら、中也さん達は裏口に回ると言っていた。さっき裏口を確認しにいくと、見張りはいなかったそうだ。
理由は恐らく、すぐ側が崖だから。落ちたら一溜りもないでしょう。わざとギリギリ建物を建てる理由はなんでしょう・・・・・・?
「あ、あの、中也さんと尽斗さ・・・・・・気をつけてくださいね」
2人は崖の方に向かうし、尚且つ館の中を歩き回らなきゃいけない人達。きっと法被を着た人達と喧嘩になったら、怪我なしで帰ってくるなんてゼロに近いと思う。
「吉次くんたちもね。あっ、そうだ」
尽斗さんが肩掛けの小さな鞄から何かを取り出すと、茶色の紙袋に入った何かを僕と先生に差し出してくれた。
「これから沢山疲れるだろうから、餡子玉。嫌いじゃなければ食べて」
「あ、ありがとうございますっ・・・・・・!」
「えへへ、どういたしまして」
照れたデレッとした笑顔。この人のもう一つの人格が要さんを売ろうとしたなんて考えられない。何かの間違えな気がするけれど、事実なんですよね。
「あの、尽斗さん」
「ん? なあに?」
「要さん、戻ってきますよね」
もうずっと帰らない、憧れの人。
真っ直ぐで優しいあの人に、まだ教えて欲しいことが沢山ある。気合いは入れても、戻ってくる確信がないと足が震える。今まで雨に濡れているせいにしていたけど、やっぱり怖い。
俯き、下ろしたての足袋に泥がついているのを見つめた。すると頭にポンと優しく、掌が乗る。
「必ず助けるって約束するよ」
「あ・・・・・・」
見上げた顔は、要さんが修治さんを守る時にする顔と同じ、強くて優しい表情だった。
この人は本当に要さんのお父さん。2人の顔を重ねると、やっぱりそっくりだ。そしてすぐに優しい表情を、寂しいような顔に変えてしまう。
「吉次くん、巻き込んでごめんね・・・・・・僕は君を頼りにしてる。要に憧れてるって言ってくれた。それだけで、要がどんな子に育ってくれたかわかるから、安心してるんだ」
「・・・・・・強くて優しい人です。人を頼れない、お人好しで・・・・・・だからこそ、絶対に戻って来て欲しいんです」
「うん」
心がじんわり温かい。これが、要さんが欲しかったお父さんの温もりなんだ。
すごいなぁ。僕のお父さんじゃないのに、涙がボロボロ落ちてくる。苦しかったこの人を助けてあげたい。寂しかった要さん親子を会わせてあげたい。
なら温かい雨粒は着物で拭って、早く行かなきゃ。 餡子玉を2つ取り、一気に頬張る。
「行ってきます!」
「うん、いってらっしゃい」
メガネをかけた尽斗さんが手を振り、見送ってくれた。先生と2人、館へと向かう。
頑張らなきゃ。いつも助けてくれるあの人を――僕の憧れた要さんを助けるために!
その決意が自然と山道を登る足に力が入る。
「あまり力んじゃダメだよ。構えすぎるとうまく行かないこともある。僕も腹を括りましたから。吉次は勇気があってすごいね。真似できないのは若さの違いかなぁ」
「先生・・・・・・」
僕の悪い癖は、力みすぎて周りを見ずに突っ走ること。それを知っている先生は僕をリラックスさせようと、アドバイスをくれる。
――でも、この人が戸籍上は僕のお父さんなのだと思うと変な感じがするなあ。さっきの尽斗さんみたいな雰囲気は、申し訳ないけど、今まで感じられなかった。
ずっと聞きたかった事を急に思い出してしまえば、僕の性格上我慢は出来ずに吐いてしまう。
「先生は、僕の事を自分の子だと思ってくれていますか?」
「え?」
なれない女物の草履で山道を歩くきながら、先生は「急にどうしたの」とハテナマークを沢山頭から出しているように見えた。
「先生が僕を拾ってくれて、戸籍上は親子ですよね。でも、僕は先生の事をお父さんって呼んでないので・・・・・・どう思ってるのかなって」
「・・・・・・」
突然の質問、困らせてしまっただろうか。これから非日常な事をする為にとんでもない体力を使うのに、また僕は余計な事を。
先生は無言のまま歩き、少し平らな場所に出ると立ち止まり、後ろを歩いていた僕の方を向いてくれた。
「思ってるよ、自分の子だって・・・・・・誰よりも吉次が心配だし、大事だと思ってる。吉次を村から連れてきて、勝手に一緒に暮らす手続きまでして、それが正しかったのかなって考えることもありますよ。新しい母親が居た方がいいに決まってると頭ではわかっていました。それでも僕はやっぱり、自分のエゴでも、村で吉次が助けを求めてきた時から守りたいって思ったんです。この子を助けなかったら、一生後悔するって。僕は尽斗さんのような父親にはなれません。あんな優しい顔も出来ません。せいぜい兄くらいの振る舞いしかしてこれなかったでしょう・・・・・・でも、やっぱり吉次は僕の子だって思ってますよ」
先生も僕と同じように、一方的な親子関係なのではないかと思っていたんだ。
先生は今まで僕のためにいろんな愛情をくれた。風邪を引いた時は仕事を休んで看病してくれた。誕生日には少し豪華なご飯と贈り物をしてくれて、夜は毎日欠かさず一緒に眠ってくれた。
「僕は血の繋がりだけが全てじゃないと思ってます。それが間違えないと思えたのは、修治さんと要さんが本当の兄弟のように過ごしているからなんですよ。今だって、要さんを助けたい気持ちはもちろんありますけど、吉次の安全が最優先なのは譲れません」
「・・・・・・」
いつも言わないだけでこんなに想っていてくれてるんだ。
血の繋がりって何かよくわからないけど、繋がっている事が大事だなんて誰が決めたんだろう。
僕は確かに「宇賀神拓実」という人に育てられた「宇賀神吉次」なんだ。
お父さんと呼ばないだけで、ちゃんと親子じゃないか。
先生が照れ臭いと笑うから、僕は今言わないと後悔すると思って、ずっと言ってみたかった台詞を口に出した。
「お、お父さん!」
普段はなんでも言うくせに肝心なことは言えない。だけど先生はちゃんと僕を見て。
「なんだい、吉次」
女性のような顔をして、先生はちゃんと僕のお父さんだって証明してくれる。
*
「あ、あのぉ・・・・・・ここで働きたいかなぁ、なんて思ってるんですが・・・・・・」
「お父さん」と2人。入り口前の法被姿の人に声をかけると「男娼志望か」と問われた。
声を出さずに何度も頷き、全身をじっくり見られると中に入れられて、泥を落とすように手拭いを渡される。
修治さんや文人さんの言う通り、法被姿の男性が入り口だけでも3人は居る。あまりにあっけなく館に入れたことに安堵しつつ、中也さんに言われた事を思い出していた。
まず、館主に会うまでは黙る事。余計な事を言って締め出されたらいけない。僕らはそれをきっちり守って案内人の後を着いて歩いた。広い館の中を歩き回ると、色のついたガラス扉の前で止まるよう指示される。
案内人が中へ入ると中から話し声がして、そして部屋へ通された。
――いよいよだ。お父さんの方を振り返ると、蚊を見合わせてコクンと首を縦に振り、部屋へ一歩入る。
「自らを売りにくるなんて、随分と淫乱なオトコオンナなのかな」
「ウッ・・・・・・」
目の前に広がる光景は、例えるなら処刑場だ。酷く痛ぶられた若い男の人達。女物の着物を着ているから、男娼に違いない。
死ぬに死ねない苦しそうな呻き声。顔は腫れ上がって、腕は変な方に向いている。
なんて残酷な――!
惨すぎる現実に言葉も出ない。口に手を当てて、吐き出さないようにするけど、鼻に血生臭い匂いがこびりついてどうしようもない。
「アララ、マア、最悪な日に来ちゃったネ。ダメだよ、親父がキゲン悪い日にきちゃさア」
歯を出して不気味な笑みを浮かべながら、光のない真っ黒な目。胸には血のついたさらしを巻いてその上から法被を着た、偏見かもしれないけれど、本当に凶悪な顔をした男が僕らの前に現れる。
下を見ると男は白目を向いた男娼の前髪を物のように掴んでいる。彼は明かに死んでいる。
「丁度客を取る人員が足りなくなった所だよ。歯向かったり、お客に失礼をしなきゃこうはしないさ」
「ソウソウ。コイツらは、罰を受けただけだからネ」
「まあ驚いたろ。金田、あとは任せたよ」
「アイヨ」
2人はケラケラ笑いながら、床に転がる男性達を他の法被に運ばせた。何が楽しいんだ。理解できない状況に、恐怖しか勝らない!
ここに来てやっぱり辞めますなんて言えば僕らも同じようにされる。
お父さんも同じ。信じられないという顔で立ち尽くしている。作戦なんか通用しない。呆然としていると、金田と呼ばれていた不気味な男は部屋を出て何処かへ消えた。
こんな場所で、要さんは本当に生きているのか。あの人の事だからきっとここへ来て逆らったり、暴れたりしたに決まってる。
ガラス扉が閉められた音がすると、もう僕らは逃げられない。
「祗候館へようこそ。さてさて、君達はどのくらいの価値があるのかな」
それでもやらなきゃ。館主のが外へ出ないように、僕らが時間を稼がないと。何か、何か言わなきゃいけないのに。
死の香りが漂う部屋で酷い吐き気が込み上げる。それを我慢するだけで、精一杯だ。
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