105恥目 綺麗な手で

 雨が降る中、宇賀神親子が館の中へ入るのを見届ければ、いよいよ俺達の番が来た。


 お義父さんは優しい顔をした「尽斗さん」から舌を噛んで「檀」になり、眼鏡を外す。

 殺し屋のように羽織や着物のあちこちにナイフを仕込で涼しい顔をする。さっきまで怖いと怯え、メソメソしながら餡子玉をむしゃむしゃ食べていた人と同じ体だとは思えない。


 一方、俺は背広の中にいつか使うかもしれないからと、司から借りていた鉄砲と弾を数個入れているだけ。

 これを持っているだけで勝てる気がする。扱いは慣れていないが、なるようになれ。思い通りに動かなかったらぶっ壊してやる。


「最上階に繋がる階段は2つのうち、どちらか1つでいいんだな? 2人バラバラにいけばどちらかには当たるだろ」

「単体行動すんのか!?」

「時間を掛けてられないからな」

「そうか・・・・・・気をつけてな」


 津島と文人の言われた事を頭のメモに書き留めた。2人には外で待機してもらい、いよいよ中へ入る。


 檀と裏口に回り込むと、断崖絶壁がすぐ目の前に現れた。足を滑らせれば崖の下に真っ逆さま。不安定な足場は雨で更に泥濘んでいた。上野にこんな場所があったなんて知りもしなかったな。

 用心深く歩を進め、裏口の扉の前まで来た。扉をそっと開けると、特に用心棒はいない。崖があるから警備を甘くしていると見た。


「入るのは簡単だったな」


 小声で檀に声をかけると、黒革手袋を口では嵌めながら館内を見渡している。


「広いな。館内の案内図でも有ればいいが・・・・・・あるわけないか」

「隠れつつ階段を探そう」

「ああ」


 赤絨毯な眩しい館の廊下を抜き足差し足で進む。

 どこに監視が居るかわからないので、襖に影のない、誰も居なさそうな部屋に入ったりしながら階段を探した。

 津島達は一階の和室に案内されたと言っていた。しかし和室だらけでどの部屋で情報を得たのかわかりやしない。本当に役立たずだな、アイツら。


 しかし、どの部屋に入っても人が居た形跡があるだけで人が居ない。転がっている化粧道具。直近に寝た気配のない布団。火が灯ったまま、炭だけが息をしている火鉢。


 一階は客間ではなく男娼達の控え部屋なのかもしれないとみるのがいいだろうか。これだけ立派な洋館の一階に人っ気が無い事に薄気味悪さを感じる。見張りも入り口に数人いるだけのようで、彼らは外を見ているもんだから、俺達には気付きもしない。


 あまり緊張感が続いてもよくないと、一番暗い和室に身を潜めて、少し休むことにした。このまま何事もなく要を救えたらいいのに。

 最も最悪な結果意外なら、なんだっていい。傷付いていてもいいから、生きていてくれたら、それだけで。

 

 こんな所に連れてこられてしまったから、もしかすると望んでいない行為を無理強いされている可能性だってある。現にさっき、津島達が得た情報の一つに夜伽の教育係がいると言われんだから。

 もしそれが事実だと知ったら体が張り裂けそうになるだろう。なのに最終的には体を許したのかもしれないと思うと、妙な感情を持った。

 "裏切られた"と思うのはおかしい。最近はつくづく自分が最低な人間だと思い知らされるよ。それでも今の気持ちを誰かにわかって欲しいと思っている。


「望まない行為をして、子供とか出来てたらどうしましょうね」


 起きてもいない事を妄想するだけで胸が苦しいんだ。それは父親である檀も一緒の筈だから、この気持ち悪い胸の不快感を共有しようと、半分笑って言ってみた。


「・・・・・・それはない」


 神妙な面持ちで、そう答える。そうなっては心苦しいから、目を背けたいのだろう。お前も同じか。


「最悪ありえるだろ。そういう心の準備もしておかないと、尽斗さんだってまた気をおかしくするんじゃないか?」

「いや」


 檀は食い気味に言葉を被せてきた。顔を見ると眉間にシワを寄せて難しい表情をする。やはり父親にも考えたくもない話題だったようだ。


「要には子を宿す場所がない」

「は・・・・・・? どういう事だよ」


 言っている意味がわからない。宿す場所がない? すぐに聞き返した。しかし、檀はなかなか答えてはくれない。時間だけが過ぎていくのは御免だ。


「おい」


 痺れを切らし声かけた。しつこく催促してやっと話し出す。


「私が生きていた時点で要自身も知らない事だ。あの子には臓器が足りない。子を宿すための臓器がね――こんな時に悪いが、要を好いていても先の子孫は残せないよ。この時代は子を残してなんぼの時代だろう。君は他と家庭を作りなさい」


 一方的もいい所だ。

 娘を取られたくない一心でついた嘘かと思ったが、真剣な顔を見るとそうでもないらしい。


 臓器が足りないのは重要な事だが、何故か不思議にホッとしている。先程までの心配の必要がないことに安堵しているのと、もう一つ。

 今まで以上に大切に出来ると確信した。他に取られる心配が全くないんだから、疑り深くなったりする必要がない。体の快楽っていうのは気持ちまで掻っ攫って行くから、それが出来ないのなら疑う必要はない。

 

 本当に俺は酷い奴だ。守るとか大それた事言っても、結局自分が一番可愛いのだから。


「別に、子供が出来なくても構わないさ」


 自信満々にそう答えた。そうだ別に要らない。プラトニックを誓ったのだから、居なくたって平気さ。

 しかし檀は「何もわかっていない」と大きな溜息を吐いた。


「あのね、君にも親がいるだろ。親は子孫を残してほしいもんなんだよ。人って言うのは命を繋いで行くのが本来の」

「自殺した人間が言うことか?」


 クドクドと説教じみた持論を展開されたところで、所詮は持論。そして命がどうこうと言われても、幼い娘を1人残して自殺した奴の言うことには説得力がない。

 檀は痛い所を突かれたと罰の悪い顔をした。


「俺は結婚や子供を残す事が一番偉い事とは思わない。要と約束したんだ、俺達は俺達の在り方でいようって」

「でもね、女には女の喜びってのがあるんだよ。要が自分の体が一般的ではない事を知った時、地獄に落とされたかのようにとてつもなく悩むだろう。その時に君はどうするんだ? 私達でさえ伝えるのを恐れていたのに」


 果たして壇の言う通り、女は結婚して、子供を産むことに喜びを感じるのだろうか。それが全ての幸せなのか。

 これは要も望んでいるかも知れない。もちろん彼女が吉次と薫を羨んでいる事は知っている。


 でも思うんだ。

 ただ苗字を一緒にするだけで一体感が生まれるなら、それは薄い繋がりなんじゃないかって。

 徐々に繋がりは濃くなるにしても、ただ同じ苗字というだけの鎖に過ぎないか?

 臓器が足りなくたって、要は要。男でも女でも要。要がもしもその壁にぶつかったら、彼女が何と言おうと側を離れる気はない。


 きっとまた1人で抱え込んでしまうから。今回の事も、助けてと言わせてあげられない未熟さが招いた事だ。その時はちゃんと、もう要が1人で寂しくならないように居場所になっていたい。

 彼女が辛い時には八つ当たりでもいいから、素直な気持ちを恥ずかしがらずに吐き出せる居場所でありたいんだ。


「その時は一緒に地獄に落ちるよ」


 一緒に苦しむ。人の気持ちや感情はそう簡単に変えられるものではないし、綺麗な事を言って解決する訳でもない。

だからこれからは決して側を離れずに、2人でいる事を選び続けよう。

 

「なんかムカつくな」

「お義父さんよりも、要を愛している自信ありますからねぇ」

「尽斗も言っていたが、お前の父親じゃない!」


 檀が父親の顔をして気に食わないと怒る。そりゃそうか。檀は要を大切だと思ってはいても、結局は要を独りにした。

だからこそ、今から親子の時間を取り戻そうと命懸けでここに来ている。

 きっと本当の父親だったと知ったら、彼女は喜ぶだろうな。津島を慕い守りたいと思う要も、お人好しで苦労する要も全部、全部、要なんだから。


 2人で居ると照れてはにかむ、要が好き。助け出して落ちついたら、沢山揶揄って、その表情をお腹いっぱいになるまで見せてもらおう。


 そんな事を考えていると、今まで聞こえなかった音がして、不意に現実に引き戻される。

 何か重たいものを引きづる音――檀もそれに気がついて、耳を済ませていた。


「・・・・・・何か聞こえたよな」

「ああ、何かを引き摺るような――それから微かだが呻き声のようなものも聞こえた」


 呻き声までは聞に取れなかった。また神経を研ぎ澄まして耳に集中する。


「ぁ・・・・・・あ・・・・・・うぁ・・・・・・」


 確かに若い男の声がした。襖を開けて様子を見ようとする檀の手を止めて、気づかれぬように息を殺す。


 呻き声、引きずるような音が複数、そして靴を履いて踵を摩る様な足音――。この館に入って初めての人の気配に息を呑んだ。この部屋に来られたらという事を考えて、背広の中の鉄砲に手を添える。


「ダイジョウブ。お前らの代わりが来たカラ。お前らと違ってぇ、聞き分けの良さそうな2人だったネ・・・・・・ネェ、聞いてんノ」


 声は遠いが、男の感情の篭っていない言葉。それに変なアクセントが入っている。男が誰かに問いかけた後、「ゲ」という短い叫び声が聞こえた。

 その後、少し静かになってから「あーあ、もう死んじゃっタ」とつまらなさそうに台詞を吐いて、それからは引きずる音だけ以外何も聞こえなくなった。


 まさかとは思うが、人を引きずっていて殺したのか? 気配がない事を確認して声がした方を見ると、階段の下に赤い絨毯の上に赤黒い血がだまりが出来ている。


「思った以上に不味そうな館だ」


 檀は一本の軍用ナイフを着物から素早く取り出して握りしめていた。俺も鉄砲を取り出すと、檀は「いい」と言った。


「手を汚すのは私だけでいい。お前のその手は要の手を取るためだけに使いなさい」

「でも」


 1人だけで戦おうとするのは危険だ。人を殺さなくても、脅しの道具くらいにはと思っていたが、彼はそれすらさせてくれない。


「それとも、私と地獄に落ちたいのかい?」


 口は笑っているが目は冷淡。娘を救いたいのに、既に人を殺してしまっているから自分の手は汚れているとでも言いたそうだ。


 要の手を握るなら綺麗な手の方がいい。言われた通り鉄砲を背広にしまいこむ。この手は綺麗なままでいよう。


「二分の一の確率。とりあえずこの階段から行ってみよう」


 檀が先に立ち階段に足をかけた時だった。

 次はガラスの割れた音と、誰かが走ってくる音が忙しなく聞こえてくる。


 まさか、さっきの奴に気付かれたのか!? 身構えて音の方向を探すと、吉次と拓実さんが着物を乱しながら走って来ている。


「中也さん! ダメです、バレてました!」

「なんっ・・・・・・」


 息を切らす吉次がバレたと確かに言った。


 何故だ、この2人が言ったのか? 確かに吉次は思った事をボロっと言ってしまうが、今回はそれをしつこく注意して、極力喋るなと指示を出した筈。だから話すとしたら、拓実さんが――?


「修治さんが、要さんの事を弟だと言っていたって、娼婦が言ったみたいなんです! 先の2人がここに来た時から、見られていたんですよ!」

「うわぁ、来ます!」


 息を切らして状況を早口で話す2人は緊張と恐怖からか、ガタガタ震えていた。

 吉次が後ろを振り返ると、黒法被を着た男が2人を追って来ている。手には薙刀を持って、まるで合戦場だ。


「もうコソコソ隠れる必要もないようだ」


 檀が深く息を吸い、ナイフを構える。そうこうしているうちに、入り口の方も慌ただしくなっていた。


「兄さん走れ!」

「言われなくたってやってるよ!」


 津島と文人も見つかってしまったようだ。山から黒法被に追われて館の中へ追い込まれ、望まぬ再入館。

 階段に6人が集まると背中合わせになり、追ってきた4人の黒法被と睨み合いになる。


「うわああ! どうしましょうっ、どうしましょうっ!」

「僕ら喧嘩なんか無理ですよ! これじゃあ正面から突っ込んだのとなんら代わりないじゃないですかあ!」


 宇賀神親子が泣き叫んだ。無理もない。普段は温厚で優しい親子で通っている2人が喧嘩なんてする訳がない。逃してやりたいが、そんなことが出来たらやっている。


 やはり撃ち殺すしかない! 再び拳銃を持ち、1人に狙いを定めた。上手く打て、上手く、限られた玉の数の中で確実に! 両手で鉄砲を握って目をキツく瞑る。


 4発――乾いた発砲音が館中に響き渡る。


 しかし、引き金を引いた気がしない。指は少しも動かしていないはずだ。目を開けると、手に握っていたはずのそれはなかった。

  すぐ目の前には額から血を流した黒法被の男達が倒れ込み、もう動く気配はない。


「薙刀、4人分ね」


 銃口から出る煙に息を吹きかけ、引き金にナイフをかけて鉄砲を返してくるのは檀。


 格好つけやがって。

 手を汚すのほ自分だけでいい。その言葉は嘘でなかった。彼は迷わず人を殺められる、非道さと残酷さを持っている。しかし無闇矢鱈に人を殺すのではない。これこそ、誰かを守るための必要な殺生というヤツだ。


 銃声を聞きつけてか、どこからともなく無数の足音が聞こえてくる。恐れていた事が現実になってしまった。


「本当かどうか知りませんけど、要さんのいる部屋は南京錠がついた部屋です! あのメタボリック館主がそう言っていました! 鍵はやっぱり富名腰って人が持っているようです、上に行っても鍵がなきゃ助けられません!」

 

 拓実さんが早口で要点だけ伝えてくれる。メタボリックって何だ? メタボリック・・・・・・? いやいや、言葉の意味なんか後だ!


「それから金田という男に気をつけてください。彼と会ったらコマ切れにされてしまうかもしれませんから!」

「見れば不味いってわかります!」

「なんだって、あまくせ1人助けるのに命が何個あっても足りないね!」


 後は各々死なない様に!

  そう言って三手に分かれた。皆逃れる方向へ一目散に走り出す。


 階段に足をかけていた、檀と俺は上へ。

 吉次と拓実さんは逃てきた方とは別の方向へ。

 何故なのか、津島と文人は拓実さん達がきた方へ走っていった。あのバカ!


 ――下手をすると死人が出る。それが自分がかもしれなくとも、死ぬ気で殺し合うしかない。迷っていられない。やられる前に、殺る。まずは富名腰という男から鍵を奪わねば。


 ――そういえば、前に会った京都の男はここにいるのだろうか?

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