101恥目 雨にて、決行
「頑張れ、頑張れ、しゅっうっじ!」
「金借り、すごいぞ、しゅっうっじ!」
囃し立てるは拓実さんと文人。
津島を借金のスペシャリストと呼び、満額になるまでの間はこうやって応援し続けると意気込んでいた。
しかし、当の応援される側は違った。
「なんで他からは借りて来れんのに、実家には言えないんだよ」
「いやぁ・・・・・・その・・・・・・」
さすがに2日で1000円は無理があったが、3日でここまで来れるとは大したもの。6人も居ればなんとかなるもんだ。
それでもあと100円。それだけ足りない。
それだけという金額ではない事は分かっている。だがしかし、周り周って借りるところが尽きた今、頼れるところはあと一箇所。
もう津島の実家を頼るしかない。
文治さんに頼んで金を貸してくれと、借金する事に長けた津島に言ってもらうしない。
電話の前で受話器を取っては、また戻し。何度繰り返す、その動作。苛々する。
「もうお前しか居ないんだよ! 青森から金が来るまで何日かかる!? 時間がないんだ、腹括れ!」
「はあああ!? お前は何にもわかってない! 兄から金を借りることがどれだけ苦行か! どうせ要の為とか言ったって疑われるんだよ!」
「煩ぇ! お前の日頃の行いだろ! 爪剥がせんだから電話しろクソ野郎!」
胸ぐらの掴み合い。
本当にコイツとは馬が合わない。一つ感心すると、また期待外れな事ばかりする。
金を借りる事に長けてるくせに、いざって時に怖気付く。お返しに俺の胸ぐらの掴んで揺さぶってくる元気はあるくせに。
周りにやめろと止められても、気にしない。一刻を争うのだ。津島は涙ぐんだ目で「うるせえ、うるせえ」と騒ぐだけ。ぶん殴ってやろうと思ったが、もうそういう気も起きない。
「あーあ! もういい! お前には心底呆れた! 金借りるくらいしか脳がねぇくせに、ピィピィ、ピィピィ! 便所にも一人で行けねぇ、大学は留年、治らない自殺癖! お前は! 金借りる以外に! 何が出来んだよ!」
呆れて津島の胸ぐらを投げるように離した。
お互いに息切れする程暴れてやったが、進展なし。煽った所で電話も取りやしない。
仕方がない、ほかに金を貸してくれそうな人を当たるしかなさそうだ。
ここにいる全員、もう出せるだけだした。あとは誰だろう。
山口の母親を頼ったが、用意出来ないと言われた。そりゃそうか。俺が本を出そうとして300円使ったわけだし、あの時に貰わなきゃよかった。
考えろ。頭の中で思い浮かぶ顔は大体あたった。
諦めるな、誰か他にあたっていない人間が誰か必ず、必ずいるはずだ。
「畜生! 誰か居ないのか!」
金が集まらない苛立ちが大きい声となって荒々しく、感情を吐き出した。
自分でも引く程デカイ声で、切羽詰まっているのが嫌なくらいわかる。
しんとする場の空気、それに何も言えない男5人。要を助けるために男が6人いるのに事が進まない。もう正面から考えなしに突っ込むしかないのか。
中にいる用心棒とやらは殺人や暴漢を犯した凶悪犯だと聞く。
か弱い民衆を脅かした悪魔を飼い慣らすために、金をたんまり仕込ませれば彼らは忠実な犬になる。大金をだせば善も悪もなくなる。欲は正義すら殺せる。
そんな奴らがウジャウジャいる館に、中の様子もわからないまま、喧嘩慣れしていない俺達が突っ込んでみろ。そんなことしたら、誰か死ぬぞ。
とにかく中の事を知りたい。出来るだけ確実に、最短距離で要の所へ行けるように。金を集める以外の考えが浮かばない。
もう誰を頼ればいいんだ・・・・・・。万策尽きた。ここまでなのか。
「――あの、多分要さんが嫌がると思ったので言わなかったんですけど・・・・・・」
沈黙を破る吉次の小さな声。次に出す言葉を躊躇う姿が、なんとなく察しがついた。
俺もあの名簿に唯一、名前を入れなかった人がいる。
「でも、その人から借りたら、その、なんというか・・・・・・」
確かに、要はその人から金を借りることを嫌がるだろう。それは吉次だって同じに違いない。出来れば行きたくない。今後、その人と顔を合わせにくくなるだろう。
しかし、もう頼れる人が居ない俺達にとって、やむ終えない選択だった。
「わかってる。俺が行くよ」
言い出したのは俺だから。帰ってきたら、要は酷く怒るだろうな。
そうわかっていながら、要が昭和に来て初めて就いた仕事先に駆けていく。
――。
今日は定休日なのか、臨時休業なのか。
飴屋は閉まっていた。いつも要や吉次が居るとわかっている時は、ガラス戸を2回叩いて訪ねている。
さっきの津島の気持ちが今になってわかる。少しだけ、アイツに悪い事をしたなと思った。
この戸を叩きたいのに、叩けないもどかしさ。コンコンと2回叩けばいいだけなのに、それが出来ない。こんな事で躊躇ったりしている場合じゃない。勢いで、予定より1つ多く戸を3回叩いた。
「はあい」
中の部屋からハッキリと力強い老父の声がする。こちらに向かってくる足音が徐々に近づくてくると、戸がゆっくり開けられ、強面の店主の顔見て会釈した。
「おぉ・・・・・・誰もいないのに、珍しいな」
俺1人での訪問に驚いている。この店の「爺さん」と呼ばれる店主と初めて2人きりで対面するのだ。
彼に話をさっさと切り出そうとすると、中へ入るように促された。軽く会釈すると、囲炉裏のある部屋へ通される。ここで要達とすいとんを食べたっけ。あの時が懐かしく感じる。
「それで、要は見つかったのか」
「まだ、です」
老父が酒はと、お猪口を渡してくるが丁重に断った。重くのしかかるこの事態を、酒でなんとか忘れたいのは俺も同じだ。どうも本題を切り出せなくて、黙ってしまう。
「あいつがこの店に働かせて欲しいって来たとき、1週間くらい土下座されてよ。真っ直ぐな目で俺を見るんだよ。修治を助けたいんだって。根負けしたや」
いつもは寡黙でいるか、怒鳴るかの老父が酒を啜りながら話始める。要との思い出を語り始める老父の話を黙って聞いた。酒を飲みながら、あいつは本当にいいやつだと褒めちぎるんだ。
子供と遊んでやる時は兄のような顔つきで、本気で笑ったり叱ったり。
学生の相手をする時は少年のようにカラッと明るく振る舞って。
大人を相手する時は商売人の顔で営業をかけてみたり。
困っている誰かに声をかける時は、迷わず駆けよって行く。
ダメな事はダメ、間違いを正せる真っ直ぐな人間だと。
「俺はね、時々、アイツがダメになる時が来るんじゃないかと思ってるんだよ。人のために生きるっていうのは、自分のために生きるよりも気を使う。思考の違う人間の気持ちを理解するのはね、容易い事じゃない。要は必死に理解しようとする。だから心配。でも、お前さんが居てくれるから安心していたんだよ」
「俺?」
酒を飲み、饒舌になる店主は俺を指差してニタリと笑う。
「お前といる時の要ってのはぁ、とてもいい顔をする。顔がますます明るくなって、普段は甘える素振りなんか絶対見せやしないのに、そういう素振りをするんだ。いやあ、安心したね、素を出せる人間がいるんだってさ」
「似たような事を津島のお兄さんにも言われましたよ。そんなに変わりますか」
「変わる変わる! 店の前で、お前さんを捜したりするんだよ。まるで旦那の帰りを待つ嫁みたいにさ」
それは薫と吉次を見ているからじゃ、と口から出かけた。事実なら嬉しい。
仕事が終わったら、此処に来て2人で家に帰る事もあった。要は必ず通る路地で控えめに小指だけ繋いで来る。
照れ隠しに下手くそな空気の漏れた口笛を吹いてごまかしながら、ヒューヒュー言わせて。
「俺はきっともう先が短いから、せめて要と中也が2人で籍を入れて幸せになってから逝きたいと思ってんだ。もう要は娘みたいなもんだよ」
「・・・・・・それは、出来ません。要の戸籍は男だから、無理なんです」
「やはり出生の届け出を間違えたのか・・・・・・」
未来から来たと言っても信じないだろうから、そういうことにして頷いた。
籍を入れる事が全てじゃない。要は男でも女でも、性別に捉われずに好きなんだ。
どれだけ倒れても立ち上がって、走り続ける諦めない姿に見惚れたのが最初で。そんな要だから喧嘩をしている今でも、挫けずに俺を待ってくれていると信じている。
「ずっとそばに居たいとは思ってます。だから、と言ってはなんですが・・・・・・その」
俺はようやく、本題を切り出した。
要が攫われて上野にある祗候館という場所にいるかもしれないということや、要を救うために立てた作戦を全て話した。勿論、あと100円必要な事も告げた。
すると店主は立ち上がり、神棚に飾ってある蛇腹カメラを取って、箪笥や仏壇の死角から封筒をいくつか持って来た。
「封筒に20円ずつ入っている。足りない分はこのカメラを質に入れて補ってくれ。100円になるかはわからないが・・・・・・」
無駄遣いと言われた外国製のカメラを惜しみなく出してくれる姿、顔――。あれだけ気に入っていたカメラを託してくれるなんて。まさに娘を思う父親の顔のようだった。
それから俺の両手を強く握りしめて、額を当ててくる。まるで神や仏に拝むように。額をグリグリとして「頼む」と何度も言っている、
「金で解決するなら用意しておく。だから中也、要を助けてやってくれ」
酒に力を借りて泣いているのだろう。いつもはヘソを曲げたみたいな表情で強面な顔なのに、今はぐしゃぐしゃに涙や鼻水を垂らしている。
「はい・・・・・・」
借りた金で必ず取り返そう。
老人を泣かせてまで貰った金なのだから、津島と文人には必ずや使命を果たしてもらう。
泣きじゃくる店主の背中をさすりながら外を見ると、雨が降っている。さっきまでは晴れていたはずなのに、突然ざあざあと降り始めた。
決行は今晩にしよう。
雨ならば音が誤魔化せるはずだ。普段より一段と深い黒を魅せる冬夜の雨空なら、動き回ってもバレにくい。
誰の想いも無駄にはしない。今晩に決まりだ。
*
花街の人間に調べてもらった情報を頼りに、上野の山の麓まで来た。この先に祗候館という洋式の屋敷があるという。
まずは正装の津島と文人が初陣を切る。
僅かに居るという娼婦に要の居場所を聞き出してもらい、それから館内の様子を探って来てもらう。客として行けば、館を歩き回ってもおかしくない。
そして頃合いを見て、どちらかに現状報告のために外に出てもらう。一度出たら戻れない場合は、そのまま2人で出てもらう事にした。
二陣は吉次と拓実さん。
男娼希望の男して祗候館を訪ねた設定だ。売り物になるか選定する時間がかなり長いと聞いたから、その時間内に俺とお義父さんで裏口から侵入。
簡単に行くとは思わないが、人目を気にしながら要のいる部屋へ向かい、連れ帰ってくるのが作戦。
作戦というには雑破で無鉄砲に近いが、正面突破より全然良い。俺は着慣れた動きやすい茶色の背広を来て、念のためにと司から借りた鉄砲を上着の内側に隠し持った。
「さて、準備は出来たか?」
皆に問いかけると、力強い返事が返ってくる。
失敗したら大事になる。下手したら死ぬ。リスクが高い事は重々承知だ。
「行くぞ!」
明日の朝には、きっと要がそばに居るはずだから。
不安と恐怖、そして何よりも大きな決意を胸に、俺達は祗候館の入り口へ続く泥だらけの道に一歩足を踏み入れた。
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