100恥目 祗候館の看守長

 冬の長夜、今日は一段と客の入りがある。


 ここでは俗世と違った、自分の思い通りに好みの人間と遊べるとだけあって、どんな大金を叩いてでも足繁く通う客が幾人もいる。有名な推理小説家、それなりの階級を持った軍人、事業に成功した富人、そして意外にも僧侶までもが来館する。

 歪んだ性癖を持つものが、わざわざ山奥までその欲を満たしにくるのだ。


 今晩は旦那はんの部屋で月に数度の会議が行われる。

 要チャンのイビキをかいて寝たのを確認してから部屋へと向かう。右手に酒瓶一本持って行く。


 部屋の扉を開ければ、会議とは名ばかりの飲み会がはじまっとる。

 酒の匂いと旦那はんの体臭が混じり合って充満し、居心地が悪い。それでもニコニコと笑ってなんでもないようなフリをする。

 ボクは無言で席につき、酒を飲む3人の会話を聞き何を話していたか探った。


「あーあ、旦那ァ、また殺しチャッタノ?」

「そろそろ飽きた頃だから良かったんだ。女はどうせ売れないからなぁ」

「今回は早カッタネー」


 恐らく、娼婦が1人死んだ。


 歪んでいるのは客だけじゃない。この洋館を牛耳る「旦那」と呼ばれる男も例外ではない。

 痛みから逃れたい女の泣きつく顔を見るのが大好きなのだ。お客用の娼婦として買っても、全ての女が旦那はんの相手になって、やがて行為の最中に殺されていく。そうでなくても毎晩相手をさせられるから、結局疲労で死んでしまう。


「ンジャ、いつも通りヤッテおくネ」


 この館は死んだ人間は弔わない。金田善雄という元犯罪者によって、その体は惨たらしい姿に変わる。壊れたら物は細かくして捨ててしまわれるようにだ。


 その惨さはここにくる前かららしく、隅田川に殺害した老夫婦の体を細かくして捨てたと聞く。

 ボクはこの男が大嫌いや。イントネーションおかしいし、話が通じず、それに反りが合わんのやもの。


「僕もやりたいなぁ。旦那、たまには僕にも回してよ。最近むしゃくしゃして仕方ないんだ」

「何がむしゃくしゃだ、女とヤリたいだけだろ?」

「失礼だなぁ、僕は作品を作りたいんだ。血が鮮やかに出るのは生きてるうちだろ? それを見たらスッキリするのさ」


 赤ワインの入ったグラスをクルクルと回し、血のようだと高揚する声。もう1人の黒髪で長髪の男もまた元犯罪者。谷崎富士郎という。

 この男も人を殺している。客から求められることがあるような整った顔立ちでも、その名を聞くと皆震えて敬遠する。有名な犯罪者だ。


 旦那はんの部屋に集められたボクを含めた3人は「黒法被」と呼ばれる守衛たちを束ねる守衛長。金田、谷崎、そしてボク。

 守衛はエキストラのようにごろごろ居て、その全員が旦那はんが警察から買った元々犯罪者。檻から出す代わりに、ここの守衛として働かされる。

 主な仕事は館内の運営や厄介を起こした客への対応だ。

正直、ボクは守衛らから好かれていない。しかし、旦那はんには1番信頼し、好かれているのがボクだ。


「おお志蓮、来ていたなら声くらい出せよ」


 話に夢中になっていた旦那はんがボクに気が付き声をかけてくれた。

 酒はどうかと勧められるが、気分でないと断る。するとそれを面白くなさそうに見るのが他の2人。一般人には出来ないような凶悪な顔つきで、ボクを睨みつけてくる。


 えらい嫌われようやなあ。かと言って好かれる気は毛頭ないんやけど。


「すんませんね、お喋りが楽しそうやったから、邪魔しとうなくて」 


 2人の視線を無視して、持ってきた旦那はんの好みの酒をテーブルに置いた。 


「未来人ってのは物で旦那の機嫌をとるのかい? それとも、外出が許されていない僕らへの当て付けかい?」

「ふふ、考えすぎなんとちゃいます? ご自分らの立場を理解してから言って欲しいどすなあ」


 突っかかってきたのは谷崎。外出が許されないことに腹を立てているが、もと犯罪者として顔が割れている以上それが出来ないってわからんのやろうか。


「志蓮の言うとおりだ。お前や金田を下におろしたら、問題を起こしてくるに違いない。何、数年経って世間の奴らがお前らのことを忘れた頃に出してやるさ」


 旦那はんがそういえば2人は納得したふりをする。

 自由が欲しいのは皆同じ。しかしここにはまともな奴がいない。常識が欠落しているから、ただ刑務所に戻りたくないという理由だけで旦那はんに従っているだけのこと。この館で許されていることだけで、己の心を満たさなくてはならない。

 

 ボクのことが気に食わんのはわかるけど、八つ当たりはあかんよねえ。


 さっきまで和気藹々としていた部屋の中は、一気に殺伐とした空気になった。

 旦那はんはお構いなしに持ってきた酒をラッパ飲みし、上機嫌。何かとボクを褒めてくれるが、嬉しいなんて気持ちは微塵もない。それでも笑顔は絶やさないのが絶対や。


「それより、あれの調子はどうだ。暮には間に合いそうか」


 褒め飽きたのか、話す頃合いだと思ったのか。

 本題であろう要チャンの事を聞いてくる。年の瀬にある人身売買の同等の行為に間に合うかどうか心配なのだ。


「まあ、今んとこは」


 答えは慎重に。間違えると取り返しのつかないことになる。傷が多いから間に合わないと言えば過酷な労働を強いられるかもしれないし、女だとバレたら旦那はんに壊される。

 だから曖昧に答える。今は安定しているから、手は出さないでほしいという意味だ。


「ほう。なら見てみようか、女みたいな顔をしてるからアイツならイけると思ったんだよ。試しに食ってみようか――」


 旦那はんの軽い興味にプチッと何が切れた。


「それは旦那はんでもさせへんわ」


 ボクはテーブルの上にあったグラスを右手でに限り潰し、その掌を血に染める。

 自分でも何をしているんやろうと、すぐに旦那はんの顔を見た。驚いただけで、怒りの感情はないようだ。いつも人の顔を伺ってしまう癖はこの時代に来ても抜けない。


「いつもハイハイ言うことを聞くだけの操り人形富名腰くんが吠えるなんて、驚きだねぇ。もしかして気に入っちゃったのかな」


 谷崎はしめた! という顔でボクを見る。“売り物“を看守個人の所有物にしようなんて、たとえボクでも許されない。それがこの館史上一番高く買われた子であるなら尚更だ。

 確かに要チャンは気に入っている。それを悟られんようにするには、表情を変えずにお得意の作り笑顔で谷崎の挑発に応えるしかない。


「谷崎はん、寒おして頭凍ってんのとちゃいます? いくら旦那はんでも、高値で売ろうとしとる商品を味見しようなんて値が下がるだけやろ。せっかく状態がようなってきたんに、旦那はんのねちっこい愛撫で犯されたら台無しやわ」

「本当嫌味な奴だね。しかし、僕ならもっと早くいい具合に出来るよ。なんせシューパーマンだからね。やろうとすれば、なんだってできるのさ」

「根拠のない自信やわ。カナヅチ捨てて喧嘩出来るようになってから言うてや。片腹痛とうなってきたで」


 売り言葉に買い言葉。谷崎はお気に入りの彫刻用のカナヅチを素早く取り、ボクの顔目掛けて振り投げた。慌てて避けなくても、この人に怒りのスイッチが入った時は変な

方向に飛んでいく。

 ガシャンと音がした方向を見ると、ステンドガラス張りに扉に穴が空き、その下に原色のガラスがキラキラと光り輝いている。


「アーア、旦那のお気にのドアがー」

「う、うるさい! お前ら片付けておけ!」


 自分の感情が抑えられない彼は、旦那はんにも挨拶一つせず雄叫びを上げながら自室へけって言った。彼の班の看守が片付けを言いつけられるのを見るのは初めてのことではない。


 旦那はんや彼の部下も、彼の癇癪には手を焼いているがどう使用もできない。普段は穏やか気取った優等生のような振る舞いをするし、問題を起こしても大目に見られているという点を見れば看守からは好かれている方だろう。


 「少しは負けてやったらどうだ?」と旦那はんも谷崎を庇う。手は焼けるがお気に入りというこっちゃ。酒が入った状態であれば、なお庇う。


「俺もオマエ嫌い。ナンカ、鼻が痛くナル! 酒もメシもマズくなった! カエル!」


 金田も同様にボクを嫌っているから、谷崎がいなくなれば姿を消す。

 彼は残虐的だが、元犯罪者たちの看守共からは一番人気がある。周囲を気味悪がらせるその話し方や、彼の殺り方に憧れるといった頭のおかしい看守が目を輝かせている。

悪のスペシャリスト、と言うたら喜ばれてまうやろか。日常的な会話は抑揚がおかしくとも、社交的でリアクションが多彩なことから好かれやすいと言っていい。


 2人がいなくなると旦那はため息をついて、手元にあったチーズをくちゃくちゃと音を立てながら咀嚼した。コッテリとした食事を好む旦那はんの体はだるまのように丸い。早よ死んだってくれたらええのに、と毎日思っているが口が裂けても言えない。


「随分嫌われとるようで」

「志蓮は何を考えているかわからない節があるからなあ。感情的にもならないし、争闘にも強い。まあ、妬みだろうな」

「どっちでもええけど、あの子には手ェ出さんといてくださいよ。やっと大人しくなってきたんやから」

「ああ、わかった。私はニコニコしてるお前が一番恐ろしいよ」

「ふふ、おおきに」


 部屋を後にして3階へ戻る。廊下には看守があちこちで客や男娼を見張って、この館に都合の悪いことがないかと瞬きを忘れているようだ。売られて来た男娼たちは何を思って、快楽に溺れる振りをするのだろう。逆らうものは容赦なく殺される。


 要チャンは例外やけど。

 旦那はんは金になることになら寛容だ。だから彼女に殴られても怒らなかったし、殺さなかった。この世の中で一番好きなのは金、と言う人だから当たり前か。あれだけ言えば何もしてこない。ある意味はっきりした人だ。


 けれど旦那はんが甘い汁を啜るのも今だけ。中也サンたちがきたらその神話も崩れる。

 犯罪者は刑務所へ、男娼は家族の元へ帰るべきだ。それが金で許されるなんてどうかしている。こんな館は崩れてしまえばいい。


 この館に対する憎悪を頭に回らせ、3階の階段を登り切ると金田が覗き穴から要チャンのいる部屋の中を凝視している。


「何しとんのや」

「・・・・・・どんな奴か見てるダケ」


 そんな目で見ているだけだと言われても納得できない。

人を殺したくてウズウズしているんだ。彼女が来た時、あの子はその対象になってしまった。金田は自らの運命に抗う人間程殺したくなると以前言っていた。

 

 そのほうが殺りがいがあっていいと。要チャンはたった1人であの場にいた全員を倒して、この館から出ようとしたのだから、例外じゃない。


「イイナーお前。沢山いたぶれて。アイツ、欲しい。オレが世話係やりたかったヨ」

「金田はんに任したら死んでまいますわ。ボクも我慢するん大変なんやから」


 金田の前では同じ人間のふりをするようにしている。

ボクも本当は殴りたくてしゃあないけど、我慢しるんやで! と言ってやるのだ。

 金田にはここにいて欲しくない。さっさと帰れと言っても動こうとしない。


「お前、この間何しに街に出たノ?」

「何って、薬を買いに行っただけや。あくまで売り物なんやから言われた通りに傷を治してやっとるだけやん」

「嘘はヨクナイヨー。本当は白金台に行ったクセに。知ってるんダァ、あいつの家族に会いにいったノ! お前、この館嫌いだもんネー」

「っ!」


 どうして知ってるんや。旦那はんにも言ってないし、要ちゃんにも伝えていないことを!

 ましてや外出のできない人間が知り得るはずもない。考えを巡らせても、情報の出どころは検討すらつかない。

 いつもの作り笑顔を向ける余裕もなかった。もしこれが旦那はんの耳に入ったら、中也サンたちが危ないかもしれない。外で起きたことは、ボクにはどうしようも出来ない。


 額から冷や汗がたらりと垂れる。


「ア、その顔。なんで知ってるか気になる? オレの看守に隠れて行かせたんだヨ。あいつが来てから、旦那の意見に噛み付くようになったからおかしいなと思ってサ」

「勝手に外出させて、自分がどうなるんかわかっとるん?」


 そう言うことか。だとしたらボクに勝ち目がある。万が一金田が情報を漏らしても、罰を受けるのはコイツ。ルールを無視しているのはそっちやから、ボクに非はない。金田は余裕な顔で続ける。


「知ってるのはその看守だけだシ、もうこの世には居ないから平気。オレの方が看守たちからは好かれてるし、その気になれば隠蔽も余裕ダヨー。それからね、旦那には言わないヨ。だって、この館にそいつらがくれば、必然と殺し合いになるんじゃナイ? きっと骨のある奴らデショ? 殺りガイありそー」


 ケタケタと理解不能の高らかな笑い声。人を殺したいだけの男だ。

 その悪意のない非情な言葉や行いはとことん軽蔑する。ましてや要チャンの命を狙って、物欲しそうに彼女を見ているのがムカつく。何も知らんくせに、ただの壊れにくい人形だとしか思ってないのが腹立たしい。


 ボクは金田の腹に横蹴りで一撃入れた。

 彼はすぐそばの階段をゴロゴロと転がっていき、下で大の字になって倒れた。その姿に階段の上からとびっきりの侮蔑的視線を向けて一言言い放った。


「そんなに殺したいんならテメェを殺せや」


 気絶しているのか返事はない。ボクは部屋の南京錠を開けて、赤い檻に入る。

 

 そしてまた、要チャンを守るためも南京錠をかける。旦那はんが用心深い人でほんまよかったわ。

 金田を落とした音が起きかったからか、要チャンが布団から上半身を起こして目を擦りあくびをしていた。


「地震?」

「なんやろね。なんの心配もせんでええから、おやすみ」


 なんの心配もしないで、なんて嘘や。

 それでも、彼女がこんなところで命の火を絶やすことがないようにこの館を裏切り続けるだけ。


 誰の意見にも振り回されず、ボク自身で全部決めた、初めてのことだから。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る