96恥目 君のための花言葉

 要チャンの過去を聞いた日から数日後――。


「半日で帰ってくるさかい、ええ子にしとってや」

「どこに行くの?」

「要チャンに使う薬やら買いに行くんやで。ちゃんと戻ってくるから、安心してや」


 出かけると言うと、ボクの可愛いお嬢さんは小さい子供みたいに不安そうな顔をして袖を掴んでくる。


 かれこれ2週間、いやもっとかもしれない。

 彼女とボクは一緒に過ごしている。最初はどうなるかと思ったが、今は消えそうな蝋燭の火のようにギリギリを生きているようだ。

 少しでも傷つくようなこと言ったら、きっとこの子はもう2度と立ち直れない。


 ただの世話係なのに、異常な程の感情移入してしまっている。だけではない気もするなぁ。


 ともかく、俯く彼女に「行ってきます」と言って、南京錠の鍵を開ける。内側と外側、全部で6個の南京錠が彼女を閉じ込めている。ボクが中にいるときは、外にいる警備の兄チャン達が鍵をかけて、内側からはボク自身がかける。


 用心深い旦那はんの異常なまでに行きすぎた施錠。

 あの人は金庫にも何重と鍵をかけている。悲劇で生まれた金を、少年らには決して落とさない。館に連れてこられた女の子は、飽きるまで旦那はんの相手をさせられて、飽きられたら“金田”に殺される。


 ボクはずっと隣でそれを見ていた。

 旦那はんたら、ボクの事はえらく信頼しているようで、全部話すし、見せる。

 金田と一緒になって、小さな子供が虫やカエルを殺すように無邪気に楽しんで命を奪う。


 胸糞悪いこっちゃ。人って言うのは、黙ってればいいことを1人では抱えきれないようだ。誰かに話さないと何かが満たされないんやろか。


 “知らない間に此処に居た“ボクを拾った旦那はんは、男娼としてではなく用心棒として仕わせた。要チャンみたいに、旦那はんと殴りあったのが最初。

 喧嘩の腕を見込まれ、拾われたと思ったら道場へ稽古へ行かされたり、元犯罪者からは人の殺し方や盗みのやり方を教わる日々を送った。


 どれだけ信頼してるんだか。

 唯一、1人での外出を許されているのも祗候館の中じゃあ、ボク1人。だから今日は外出許可を取った。


 予定は要チャンに使う薬を買いに――というのは嘘。

 さっさと下山して上野の街に辿り着くと、すぐ駅に向かった。


 さあ、ボクは何をしに行くんでしょうか。


「すいません、この電車、白金台行きます?」


 車掌に尋ねて、頷かれるとすぐに乗り込んだ。確か要チャンの家は白金台だったハズ。

 実は旦那はんには内緒で、人攫いの男のうち、生き残った1人を殺すと偽って地下に連れ込み吐き出させた。殺さずに逃したけど、あの館に関わってしまったことを悔やんでいた。

 そのあとはどうなったか、知らん、また懲りずに人攫いでもするんやろうか。娘を助けたくて、人を売るのかもしれない。最後はヒィヒィ全身で息をして、2度蹴ってしまったから、その時に肺でも潰してしまったかもしれない。


 要チャンは白金台の平家に住んでいて、帝大近くで複数のアルバイトの掛け持ちをしている。誘拐を依頼したのはやはり檀一雄。


 ボクは要チャンの過去を聞いた後、なんとかして彼女をあの腐り切った館から出してあげたいと思っていた。


 父親が死んで、実の母親からの虐待を受けて、身内からの性暴力、劣悪な人間関係――。

 特に母親の話。これまた胸糞悪いったらありゃしない。


 彼女は人に過去を話すのは初めてだと言った。嫌われたくないから、話せなかった。お父さんの話は出来ても、その他の話は誰にも言えなかった、と。


「母さんは、僕の顔見ると父さんを思い出すからずっと外の倉庫に僕を住まわせてたよ。母さんが好きだって言ってた、しゅーさんの本も、父さんを思い出すから、殆ど捨てられちゃった。でも、仕事をし始めてから、集めたんだ・・・・・・父さんが遺したそのうちの一つがこれ」


 要チャンが着物の中に大事にしまっていたのは、「津軽」と書かれた単行本。


 年季の入ったボロボロの表紙。黄ばんだ紙。中は真っさらだったから、何が大事かはわからないけど、ただ、1文だけ残っていて、そこには「元気で行こう、絶望するな」と記載されていた。

 僕はそれを読むと懐かしいなぁと不思議な気持ちになったが、何故そう思わせるのかはわからない。


 要チャンはそれを読むとまた顔をぐしゃぐしゃにして泣いた。


「不思議だね、何回も絶望した、死にたいと思うのに、この文を見たら、皆の所に帰りたいって思うんだよ。なんでかなぁ、しゅーさんが死なせてくれないよ」


 死にたいと生きたいの狭間にいる。体が普通とは違っても、彼女の希望はまだ消えていない。

 ボクも死にたくて堪らなかった事がある――が、要チャンを見たらそう思わなくなった。


 たった1人で生きてきたあの子の最期があの場所だなんて可哀想過ぎる。「喜び」を知らぬまま死んでいくなんて。

 要チャンを救う、そのためには多額の金と地位が必要だ。

 で、その中也サンとかいう王子様にその財力があるか確認しに来たっちゅう訳で。

 白金代の駅を降りてあっちやこっちや。詳しい住所は聞き忘れた。石畳の階段、とか言うてたかなぁ。もっと聞いとくんやった。


 扇子を地面に立てて、手を離し、倒れた方に進む。

 こっちは――東? 西? とりあえず進もうか。初めましての白銀台。半日のうちに見つかるやろうか。


「修治さん、要さん、居ましたか?」

「居だっきゃデカい声でおめの事呼んでらおん!」

「なんて言ったわかんないですよぉ! 津軽弁禁止! しゅーさん、メッ!」

「あまくせの真似するな!」


 すれ違った長髪の男と、痩せた背の高い男。今、要チャンの事言ってたか? 振り返って耳を澄ましてみるが、もう聞こえなかった。


 気のせいだと歩みを進めると、次は眼鏡を掛けた薄着の男と、おかっぱの少年とすれ違う。


「アイツ、何処にいんだよ! 死んだんじゃねぇだろうな!」

「絶対生きてます! ほら、さっき上野で見かけたって人が居たんですから!」


 人を探しているんだ。もしかして要チャンかな。けれど、あの子の場所を知ってる人なんか数が知れてる。人違いか。


 後ろ歩きで彼等の姿を見送る。またくるんと周って東だか、西だか。どっちかに進んでみる。


「お、アレかな?」


 割とあっさり、それらしい平家が見つかった。石畳の階段がある平家は、周りを見廻してもそこしかない。その階段の上に、1人の男性が膝を座り込んでいる。


 アレが噂の王子様かいな。いきなり声をかけると怪しいので、この辺に迷い込んだ客を装う。気配を消すのはやめておく。歩き方を踵をする様に変えて、近づいた。


「こんにちは。駅の場所聞いてもええどすか? 友人を尋ねたら、迷うてもうて」


 声をかけられて体を跳ねさせた彼は、「要じゃないのか・・・・・・」とがっかりした様子。

 間違いないな、この人が中也サンや。まあ、要チャンと一緒で泣き腫らした目は蚊に刺されたみたいに腫れぼったい。


「今アンタが来た方だよ。戻れば着く」


 目を合わさず、駅はあっちだと指を挿す。


「そうどすか。おおきに・・・・・・お兄サン、誰か待ってるん?」

「え?」


 彼の精神もまた、すり減り、ギリギリのようだ。喧嘩したまま離れ離れなら、そうなるもんなのか。


「ああ。人を、待ってる」

「ほーん・・・・・・もしかして行方不明、どすか?」


 わざと意地悪してやった。すると彼はボクを睨む。おお、怖い。「必ず帰ってくるんだよ!」と怒鳴る姿、八つ当たり。ボクは何かを聞き出せると思い、もう少し仕掛けた。


「最近は人攫いが多いようやし、気ぃつけなあかんね。特に祗候館やら言うとこに連れてかれると、ようないって。上野の山奥にあって、最近可愛らしい男の子入ったって有名どすえ。傷だらけやさかい、年の瀬迄はお客を取り始めるとか。ただの家出やとええどすな」


 得意のニコニコ、掴めない笑顔を作る。

 中也サンは歯を食い縛ったようで、ギシと、歯が軋む音がした。やっぱり、と今度は憎悪にまみれた顔。どうやら要チャンが拐われたのは知っているようだ。


「その祗候館って、どうしたら入れるか知ってるか?」

「さあ、多額の金と地位があらへんと入れへんやらね。一般市民じゃ入れまへんよ」

「金って、どんくらい!」

「最低でも500円からじゃないどすか? 高おして払われへんで」


 一般市民じゃ用意できる金じゃない。しかし、祗候館に入るにはこのくらい必要や。それは絶対に。大体、家族を取り戻そうとする人らはこの金額を聞いて諦める。 

 所詮心は、金に勝てない。金が1番の正義。身を粉にしてまで、その人を救えないというのがこの時代の実態なのだ。


 さあ、どうする。 

 ボクは中也さんが要チャンを助けたいのなら、少し手を貸そうと考えていた。

 しかしそれは金を用意出来てからの話。ここで少しでも諦めた顔をするなら、要チャンには悪いがあの館を終の住処にしてもらうしかない。

 それとも、ボクが――いや、そないな覚悟はあらへんわ。


「500円あれば、入れるんだな?」

「えっ、ああ、らしいおすえ」


 彼の目に迷いはない。この目、どっかで見たことがある。


「そこに要がいるかも知れないなら、行く。要を助けになるって、約束したんだ」


 ボクは何も言ってない。だけどこの男は、祗候館に要チャンがいると信じている。

 この真っ直ぐな目と真っ直ぐな意思。


 “皆助けに来てくれるかもしれないんだ!絶対に此処を出ていく!“


 あそこから出ようとした要ちゃんと、同じ目や――。


 そうかそうか、やっぱり苦しんだ子には幸せが訪れた方がええよね。ボクはあの地獄に一筋の光を見いだした気がした。この人なら、潰してくれる。あの館を終わらせてくれる。


 希望はその“目“だけではなかった。彼の手を見ると、握り締められている何か。それは要チャンが持つ花と同じ物をこの人も持っている。


 ああ、なるほど。

 “やっぱり”要チャンもボクと一緒の人なんやね。ならますます助けたくなるわ。去り際に黒い法被のうちポケットから、肉厚な葉を持った、お星さんたっぷりのカランコエを出して、彼に見せた。


「あんまり詳しい事は言えへんけど、生出要、生出要ね! 年の瀬までに来いひんと、食べられてまうで、王子様!」

「あっ!」


 これ以上は話せない。ボクの身も危ない。すぐ走り出した。

 彼も何か気付いていた。さあ、ボクの役目は決まった。彼が来るその日まで要チャンを守るだけ。あの子が攫われて来た時に思ったんや。攫われてきた子は大体、泣き叫んで失禁する。けれど、彼女は違った。

戦おうとした。運命を変えようと抗った。味方がいない状況でも怯まなかった。

 この子はボクを救ってくれるかもしれないと、期待したんや。


 だからまずは「あなたを守る」、それがボクのできること。


 白金台の駅に到着している電車に飛び乗って、急いで祗候館へ帰る。


 大丈夫、大丈夫。要チャンはその文を信じてええよ。


 ――絶望するな、元気でいこう! しゅーさんとやら、随分ええ言葉やないの!



 同日の初更、新宿――。

 私はずっと人攫いの男を探していた。もう何日探したろうか。しかし、しつこく探すと必ず見つかるのだ。執念深く絶対に見つけるという念を込めれば、ね。


「っはぁ、お前・・・・・・」

「久々だな。ずっと会いたかったよ」


 最初に会った暗い路地に、男は呼吸すらままならない状態で倒れ込んでいた。


「“私達”の娘が居なくなったんだが、アンタ知らないか?」

「さ、さあね。それよか、お前、俺を病院に連れて行ってくれないか・・・・・・もう死にそ」

「要は?」


 持っていた軍用ナイフを男の首元に当てる。コイツが死のうとどうでもいい。


「ころ、殺さないでくれ! お前の息子は売ったよ! だけどなあ、俺は娘はおろか、金さえもらえなかったんだぞ! 攫い損だ! とんだ欠陥品を、クソッ!」

「欠陥品・・・・・・?」


 男は勢いよくダーッと話すと、咳き込み、血痰を吐いた。何もせずともこいつは今日中にその心臓の鼓動を打つのをやめるだろう。


「そうだ、連れてくなり、暴れやがって、旦那を殴りやがった! あげくに、ツレは殺されちまうし、せっかく祗候館に売ったってのに――ッギ!」


 祗候館。

 それだけ聞ければ充分だ。噂通り、要はこの世で最も劣悪非道な男娼を集めた祗候館にいる。

 軍用ナイフで男の首を、自分が死んだ時と同じように掻っ切ってやった。男の首から血飛沫が湧き上がる。どうやらあまり苦しまずに死んだようだ。


「人を殺すのは、初めてじゃないからね」


 ナイフに付いた血を男の衣服で拭き取ると、手を合わせて合掌した。どうせ死ぬ運命だったのだから、人助けだと思ってくれよ。


 さあ、後は皆に知らせて祗候館に向かうだけ。


 ――1度は諦めた人生、悲しい思い出の方が多いけど、また会えたなら、想うのは娘の要、ただ1人だから。


 「私達」の目に、もう迷いはない。

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