97恥目 策士の共同金借合戦
「戻ったよ」
「あ、檀さん!」
帰宅を知らせる檀を出迎えに、玄関へパタパタ走る吉次。
「おかえりなさっ・・・・・・」
「ん?」
いつも通り屈託ない笑顔で出迎えた青年は、出迎えの挨拶も言い切らずに硬直した。檀は首を左右に傾げて不思議そうに吉次を見る。
吉次の硬直の理由はすぐに分かった。
「血ィ!」
常日頃自殺願望のある俺でも、血は嫌だ。生々しいったらありゃしない。着物についた鮮血がまだ乾き切らないからだ。
べっとりと濃く、ぬらぬらと粘り気があるように見える。血が意思を持って存在感を示している様で君が悪い。
「な、何を、何を捌いたんですか!? それとも血の模様ですか!? また教室を血染めにしたとか!? もう留置所はゴメンですからね!」
「ん?・・・・・・ああ、これか」
しかし、檀という男は動じない。赤黒くなった部分を摘んで、「落ちるかな」なんて呑気な事を言う。
あまくせの父親という時点で、まあ、なんというか、変なヤツなんだろうけど、コイツは本当におかしい。
「何かを、その、殺した、んです、か・・・・・・?」
「まあ、必要な殺生さ」
ほらみろ。娘の為なら殺しも厭わないと言わんばかりの冷酷な顔。
コイツったら、つい最近まで重っ苦しい愛を俺に向けようとして来たが、諦めて貰って本当によかった。
薫のように殺さないと気が済みません、というタイプの愛なら御免被る。今は真っ当になって、娘を想う父親――の、はず。いいや真っ当な訳があるもんか。コイツが真っ当なら、俺は優等生さ。
「それより、要の場所がわかったんだ。今夜にでも行こうと思う。場所は上野」
「やっぱり、彼処ですか・・・・・・? 祗候館、でしたっけ」
「ああ、噂通りね。私1人で行くから、家でのんびりしててくれよ」
用件だけ言ってさっさと出かける素振りを見せる。着物を着替えない所を見ると、このまま行けば、無数の返り血を浴びることをわかっているようだ。
軍用ナイフを数本、それから簪・・・・・・着物に入れても邪魔にならない鋭利な刃物を次々と隠し入れていく。
あまくせなら「危ないからダメ!」と言って、次々に没収していくだろう。俺の薬、何瓶没収されただろうか。
準備が整い、さあいくぞ、と檀が丸眼鏡を頭にかけなおす。
するとあまくせ達の寝室ががらっと開いて、中原が手をインクで真っ黒にして出てきたではないか。
「居たのか」
てっきり居ないと思っていた。心の中で留めておこうと思った声が、ボロリと出る。いつもは睨んでくる癖に、今日は真っ直ぐ、まるでアイツみたいな目をする。
「500円ないと行けないんですよ、お義父さん」
俺からは見えない手の方に、紙を何枚か持っていた。それを突き出して檀を見つめる中原と「お義父さん」に反応して、舌を噛む檀。
ゴリゴリ、肉を噛む音。いつ聞いても痛々しい。自殺は何度か試みたが、やはり痛いのは嫌だな・・・・・・。
「僕はき、君のお義父さんじゃないぞぉ! ・・・・・・うわぁ! 血、血、血、血ぃ!」
「あ、変わった」
同じ体なのに舌を噛むと人が変わる。まるで作り話のようだ。表情、仕草、立ち方、全て180度変わる。
着物についた血を見てふらつくのだから、こっちは「尽斗」。親子共々、本当に面倒臭い。
騒がしい尽斗を他所に、中原は構わず話を続ける。
「祗候館に入る為には500円が必須。ここにいる6人が入れば3000円」
「そんな金ねェよ」
「わかってる。津島と文人の借金を返すのでいっぱいいっぱいだからな」
「ゔっ」
ちゃぶ台に紙を並べながら、中原という奴はしっかり毒針を刺してくる。500円も借りてないってのに、胸が痛い。
おかげで俺と文人は苦い顔で胸を抑える羽目になった。発作が起きるぞ。
「これ、なんですか?」
「人の名前と金額・・・・・・? ですか?」
「そう。まだある」
吉次と宇賀神が覗き込んだ紙には確かに言う通り、ソレが書いてある。一枚手に取ると、知っている名前が書いてあった。下に10円、20円と刻んだ数字。
「お義父さんは正面突破しようとしてるのかもしれないが、どうやっても突き破れない。あの館には元犯罪者の見張りが居る。監視の目を誤魔化しながらじゃないと進めない」
「でも3000円なんてとてもじゃないけど払えませんよ。大学事務員の給料じゃ尚更・・・・・・」
「とりあえず2人分、2人分でいい。1000円。この紙に書かれた人間から少しずつ借りる!」
ザッと数えて、50人。枚数を見る限り、それ以上だ。とんでもない量だ。ここに名のある人間から、最低1円は借りてくる。生活状況、職業、収入、人柄。一人一人それを考慮し、全て見込んだ上での額だ。それが1000円になるまで、一軒一軒、漏れなくあたる。
「借りるのはわかんだけどよォ、なんで2人なんだ?」
文人の言う通りだ。いっそ3000円分、どっかから借りてしまえばいいのに。
「年の暮れまで間に合わないからだよ!」
「何か関係あるんですか?」
「わからない。ただ、昼間に来た京都の言葉を男が、確かに言ってたんだ! 要は年の瀬に食われると――その館がそういう場所なら、食われるってそういう意味だろ!?」
ちゃぶ台を勢いよく叩くと、紙や湯飲みがポンと飛ぶ。馬鹿にするのも躊躇うような焦る顔。
食われる、即ち、犯されると。こいつはそれが嫌で嫌で、どうにか阻止したいらしい。まあ、俺も阻止はしたいが、そういう場所に居るんだから、半分諦めていた。
そういう場所がなければ俺も困る。ここだけの話。学校をサボって女と遊んだりしている。だからそこがどう言う場所かは、自分を嫌悪するくらいわかっていた。
「ソイツは信用できんのか?」
「知るか! でも、花を持ってた! お前と同じならこっちの味方だと思って賭けるしかない。もういい、今は何にだって縋るんだよ」
「・・・・・・」
その花を持つ男を丸切り信頼しているようではないらしいが、どうも怪しくて、中原以外は半信半疑だった。
花を持つから、いいやつなんて限らない。
しかし、要を救う為に僅かな情報にでも賭けたいのは皆同じだった。
そんな中原が考えた作成とやらを聞くと、こうだ。
「まず、津島と文人には祗候館の中に客として入ってもらう。僅かだが女がいると聞いたから、少しでも要の場所を聞き出して欲しい。女はあまり売れないみたいだから、きっと舞い上がって吐くよ。酒をガンガン飲め、口説け、金を落とせ、吐かせろ!」
「何だそれ、めっちゃ楽じゃん!」
「楽じゃない! お前が聞き出した話で俺たちが動くんだよ! 無駄死にしてぇのか、ぶっ殺すぞ!」
中原の怒号に文人が怯む。借金組は何も喋るなと言っているように聞き取れる。死にたくないから黙っておこう。
「そして吉次と拓実さん。アンタらは男娼希望の男として近づくんだ。噂じゃ、初めは館主の部屋に通されて、主は暫く出てこないらしい。その隙に俺とお義父さんで裏から忍び込む」
「裏口? そんなのあるんですか?」
「ああ、花街の人間に外観を見て来てもらった。案の定、京都の奴の言う通りそれなりの地位か500円がないの入れない。本当に賭けるしかないんだよ、縋るんだ、居るのは確かなんだから・・・・・・」
下を向き涙ぐむ中原は一粒涙を零すと、右腕で拭い、また真っ直ぐな目、要のような顔で話を進めた。
「今から金を借りにいく。金がないと始まらない! 1000円、必ず明日の夕方までに回収。明日の夜には祗候館に向かう、細かい作戦はまた明日話す。とにかく金! おい、クズ!」
「ハイッ」
あまり真っ直ぐにクズと言われると、こちらもきちっと返事をしてしまうものだ。文人も同じく背筋を伸ばして返事をした。
「絶対に私用で金使うなよ!」
そんな当たり前のことを。全ては要のためが口癖の男は俺達2人の事を、京都の男より信じていないようだ。
「わかってるよ!」
やるときゃ、やる。金の借り方なら、俺が1番上手いのだから、1番借りて来てやると闘争心が湧いた。
さあ、なんだって、次から次へと中原は紙を持ってくる。適当に大量の紙を全員に配り終えた後、書き物と新しい紙を並べた。
「誓約書?」
「どんだけ金借りると思ってんだ、誰に借りたかわからなくならないように相手とこっちに一枚ずつ、借りた相手に渡せよ」
「もしかして昼間からずっとこれを1人で書いてたんですか?」
「すぐに金が必要なんだ、このくらいする」
半日。休む事なく力強くペンを握り続けた手は、早くも震え腫れ始めている。インクだらけで真っ黒な肌は大量の誓約書を書いた努力の証だ。
その努力に、皆圧倒されている。お義父さんと呼ばれるのが嫌だという尽斗ですら、何も言えず誓約書を見つめていた。
「吉次は家に残って誓約書を書いてくれないか」
「僕だけ、ですか・・・・・・?」
御指名された吉次はキョトンと自らの顔を指差した。されるがままペンを握らされる。
中原は一枚誓約書を見本にと置き、背広の上着を着ながら、俺達にも準備しろと顔を飛ばした。
「お前は薫が居るんだから、借金するのはよくないだろ」
「でも僕だって役に立ちたいです!」
「皆が出てったらコレを書くのは誰が居るんだ? お前は字が丁寧だし適任だよ」
吉次の頭を2度軽く叩くと、早速と外に行ってしまう。いけすかない。カッコつけやがって。気取りやがって。
「あ、あのう、じゃあ、太宰さんも初代さんがいるからぁ、ここで書いてたほうが・・・・・・」
尽斗が恐る恐るペンを俺に差し出す。やっぱり、やっぱりそうだよな。こいつはわかってる。そうだよ、俺が金を借りにいく必要はないんだ。下手をすると、殴られてしまうかもしれないのに。
ペンを手に取り、誓約書を一枚書き始める。やはり作家になるのだから、字を書いていたほうが落ち着く。
しかし、ペンはすらりと手から離れた。
「字が汚ねェよ、兄さん」
「そうですねぇ。妻帯者といえど、借金のスペシャリストの修治さんが居ないと1000円なんて、とてもとても」
文人が俺の字を貶し、宇賀神が普段は発揮しない力を見せて、腕を持ち上げ、無理矢理立ち上がらせるのだ。
「やっぱ駄目?」
「修治さんなら1人で800円ぐらいいけるんじゃないですか?」
そんな金額、1人で借りられるか!
しかし、やはり今回は書き物よりも金借りの方が向いているらしい。連れ出されて、渡された名簿を頼りに各々家を訪ね歩く。とりあえず200円くらいは借りたいな。
もう夜も遅いので希望はなかったが、とにかく行くしかない。借り慣れていない奴らの分まで借りなくては。
返すのは俺じゃない、きっとあまくせ――いや、今回は皆で返すのだから、堂々といよう。
*
「今晩でいくら?」
「100円いかないくらいか・・・・・・やっぱ甘くないな。2日で1000円、さすがにキツイ」
「修治さんが来てませんけど、あの人もそうそう借りれないでしょうね」
皆が家で集まらない金にため息をつくころ、俺は玄関の前で大きな鞄を抱えていた。まるで強盗をして来たような気分だ。"爪を2つ失った"から、力が入らない。痛みが嫌いなのに、なんて日だ。
失った爪に檀を思い浮かべながら、痛みに耐えられず、涙が出る。情けないが、爪は剥がれるとこんなに血が出ると初めて知った。
しかし、隠しようにも隠せない赤に、誇らしさを感じているんだ。変な話だろう。
手が塞がっているので、足で玄関の引き戸をあける。活発で勢いのある音が真夜中の住宅街に広がる。
開け切る前に、皆バタバタと出迎えてくれるではないか。しかし皆、先程の檀を見たような顔で俺のやり遂げた顔つきを見た。のは勘違いで、血だらけの左手に驚いている――のも違う。
茶色い皮の鞄に目を奪われているんだ。強盗したのかと、謂れのない罪を決めつけられた。青森の家族に連絡してやるなんて言われたら、そうでなくとも、心臓がキュッと閉まるじゃないか。
さっさとコレを手放したくて、廊下にボカンと投げつけてやる。
「その鞄、なんですか」
「開けてみろ」
代表して宇賀神がチャックをゆっくり、ゆっくりあける。
「エッ!?」
驚いたろう。数えきれない紙幣の数に。ピンからキリまでの金額。1円が多く見られるが、それでも良い。また疑われたが、すぐに訂正してやる。
「花街に行った。借りて来た分と、要への寄付ってヤツさ。借りた金は隊長とかいうヤクザのお頭からだけだよ」
中原へ、血のついた誓約書を渡す。
合計金額、俺1人で締めて400円。隊長が300円。それから気前の良い酔った花街の客や、要に世話になったと言う奴らからの少額の寄付。金のある店屋の店主らは20円や30円、平気で出してくれた。
「要さんが築いた人脈が、要さんを救ってくれてる・・・・・・」
宇賀神の言う通りだ。
花街へ出向いただけで、要のお兄さんと声をかけられた。あいつはどうやら、花街のアルバイトに出向くたび俺の写真を見せながら自慢して歩いていたらしい。だから顔を知られている。そして同時に、要が居なくなってしまった事も皆知っている。
要が人を助け、人に優しくした分だけ、あいつを救うための金がここにある。
「後半分くらいか」
「あ、ああ、そうだな・・・・・・」
「はっ、中原! 俺がこんなに持ってくると思わなかったろ? どうよ、俺ありきの要。俺が出向かなきゃこうはならなかったさね」
信じられないという顔をする中原に勝った気分だ。それだけで心地よい。嬉しい、勝った!
――いや、ただこうなった訳じゃない。
花街のど真ん中で、頭を下げて金を乞うたのは内緒。必ず返すからと、言われてもいないのに、隊長の目の前で爪を二枚剥がし、誠意を誓って来た。
ただの借金ではない。弟を救うためなのだ。爪の一枚や二枚で要が帰ってくるのなら、それでいい。
それで、いい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます