71恥目 目には目を、歯には歯を、クズにはクズを


「ただいま……」

「ハツコ、布団敷いてやってくれ」


 久々に白金台の自宅へ帰って来た。いや、帰って来てはいたけれど、家の人に会うのが久々だ。


「おかえり!」

「初代さぁん」


 居間でやっと慣れてきた縫い物をしていた初代さん。

僕を支えて歩いてきてくれたしゅーさんを突き飛ばすなり、僕の体を力一杯抱きしめてくれた。


 体に当たる柔らかい胸にドキドキする。

 思わず手が伸びそうになった。きっと疲れているんだ。

ほら、人って疲れてると柔らかい物に触れたくなるじゃないですか。

 だからやましい気持ちとか全然無くて。だって僕、本当は女の子だし。無実じゃん? いやいや、女性同士といえど胸を触るなんてセクハラだ。


 落ち着いて深呼吸。


「そうだ、僕が居ない間に取り立てされたりしてない?」


 気を取り直して状況確認。部屋を見る限り、何かあったようには見えないが万が一もある。誰かの大事なものが持っていかれていたりなんかしたら大変だ。


「要ちゃんがお金置いててくれたから、大丈夫よ」

「よかった。殆ど留守にしてたから心配してたんだ」


 お金をおいて行ったのは、大体誰もいない時間帯。

 泥棒が運悪く入ったりして盗られたらどうしようかとハラハラしていた。金目のものは何もない家だから、入られることはないと思っていたけど。


 他にも変わったこと無さそうだった。


 しゅーさんとは大学に忍び込んで顔を見せて生存確認していたけど他のみんなはどうだろう。初代さんも何もないと言っているし、糸魚川も帰ってきてはいないようだ。


 そういや吉次や先生、薫とも会っていない。飴屋は吉次に任せて、僕は他の仕事をしに毎日東京中を駆け回っていたんだから。


「要ちゃんが帰ってきたんだもん、中也さんきっと喜ぶわ」

「あ……そうだ、中也さん」


 僕は1番会いたい人に会っていない。忘れていた訳じゃないさ。

 自分がした借金じゃなくても、「生出要」宛に訪ねてくる取り立て屋から金を返すよう催促されている姿を見られるのが、とっても嫌だった。


 僕の稼ぎじゃ4人で生活して2人分の借金を返済していくなんて出来ない。


 初代さんも昼間働いてくれていた。でも、生活費にするには足らない。彼女自身の事で精一杯だ。


 糸魚川が稼いでいた時は、自分で借金を返していたし、生活費もわずかだが入れてくれていた。

 だけど、1人減って食費が浮いたりするかと言われたらそうじゃない。その倍に膨れ上がった借金が僕を襲う。


 生活が苦しいから文治さんを頼るなんて、もってのほか。それに、借金を返す為の借金なんか絶対に出来ない。自転車操業はさらに自分を苦しめる。

 だから中也さんにも、泣く泣く仕事を増やしてもらうしかなかった。そうお願いする時だって、言いずらくてしょうがなかったんだ。


 彼は糸魚川が居なくなったら部屋に2人きりだねって、嬉しそうにしていたのに。そんな夜、1日もない。


 仕事、仕事、仕事! セルフブラック!


 僕も疲れたけど、中也さんもきっと仕事で疲れてるだろうな。本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

 でも、しゅーさんの借金を待って貰えるんだ。僕は頑張れるところまで頑張り続けないと! せめて夜に十分眠れる生活に戻れるようにしなければ。


「中也さんが帰ってくるまでにご飯の支度しますから! 2人は座っててどうぞ!」


 久々に会えるんだ、何かしてあげたい。好きな人達に会うって何よりも薬ですよ。中毒性があるから、容量療法守らないと過剰摂取で死んでしまうけど。


「今日は麦とろご飯にするよ! 今が旬ですし、中也さん疲れて帰ってくるだろうから」


 久々に台所に立ち、すり鉢を用意。山芋の皮を剥いて――というところで両腕が掴まれる。


「寝ろ!」

「要ちゃんが一番疲れてるんだからね!――晩ご飯は私達が作るから」


 初代さんが敷いてくれた布団に強制連行。疲れた体は夫婦の優しさに触れてしまうと、急に力が無くなって抵抗する気も無くなる。


 久々のお布団様に包み込まれると「ふぁあ幸せぇ……」と顔が緩んで、天に召されそうになる。要さん、ご臨終です。


「中也さんが帰ってきたら起こして」

「わかったわかった、寝ろ寝ろ」


 しゅーさんの掌が、僕の目を覆う。まだ昼間の外から差し込む太陽の光。きっと眠りやすいように覆ってくれたんだ。優しいなぁ。


 ――もう眠る、という時。頭の中で上から目線なあいつの声がした気がする。


「クソガキ、飯ィ」


 ボリボリと頭を掻いて怠そうな顔。いつも曲がっている眼鏡。目が悪いのかと思ったら、伊達眼鏡。理由は、昔好きだった女の子が「高身長のメガネっていいよね」と言っていたのを耳にしたからだそうだ。彼らしい理由だ。


 今どこで、何をしているんだろう。

 また5人で住んでいた頃に戻りたい。5人で食べるご飯が食べたい。糸魚川が居なくなってお金も苦しくなったけど、家族を失ったみたいで寂しいんだ。


 僕の事は嫌いかもしれない。でも、どう思われたっていいんだ。あの後たくさん考えた。そうだよ。僕はいい人に思われたい。誰だって「いい人」に思われたいよ、そんなの当たり前じゃん。


 何かした事に花丸をくれなんて言わないよ。ペケでも、バツでも構わない。


 だって僕は「助け」にならなきゃいけないんだから。

それが僕の使命。ムラサキケマンの花言葉。もし僕に出来る事があるなら、助けてあげたい。


 ねぇ、糸魚川。ご飯食べに帰っておいでよ。



「かーなーめ!」

「ンギャアァ!」


 鼻提灯を作ってグースカと寝ていた夕刻。夢はきっといい夢だった気がする。

 まさかの仕事から帰ってきた中也さんが僕に向かってスライディング抱擁。僕はびっくりして声を出すが、目は開けられない。


「要、久しぶりだね! 会いたかったよぉ、毎日毎日、津島の顔ばっか見てたから目が腐りそうでさ、要が全然帰ってこないから、要の布団に埋れて寝たりしたんだけど、やっぱりナマメは違うね!」


 早口だし、息継ぎどこでしてるの。


「ナマメってなんですか?」

「生の要。略して、ナマメ」

「魚みたい……ぎょぎょ」

「ああ生きてる! 要はかわいいねぇ!」


 力強い抱擁に、静電気が起きそうな高速頬擦り。会わないとこんなに溺愛されるのか・・・・・・偶にしか会わないのも悪くないかも。なんならこの過剰な愛情表現、過去1で嬉しいかも。


 僕も中也さんの体に手が伸びる。頑張ったご褒美がこんな幸せな溺愛だなんて。お布団越えだよ。再度ご臨終案件だよ。背広についた彼の匂いは麻薬か何かだ。永遠に嗅いでいられる。

 ああ、言いそう。中也さん好きって言いそう。顎まで来てます。もう出ます。


「男同士で何やってんだ……」


 しゅーさんの引いた声に僕らは襖の方を見た。そうだ、僕ったら男だった、てへ! なんて舌を出して可愛こぶってみる。


 目を細めて引きつった顔に腕を組む姿。そうですよね、そういう顔しますよね。

 中也さんは無言で立ち上がって、しゅーさんを居間へと押し返し、襖を勢いよく閉めた。



 久々の自宅で夜ご飯。麦とろご飯です。


「ごめんねぇ、疲れてるのに」

「いえ、さっき作るって言いましたから」


 結局、晩御飯は僕が作るハメになる。予想していたさ。

 とろろをすり鉢で擦って、だし、酒、みりん、塩を混ぜる。簡単だし、美味しい。疲れた体に流れ込んで行き、歯の悪いしゅーさんでも食べられる、健康なお食事です。


「要、山芋って精がつくんだよ」

「そういうつもりじゃないですってば」


 中也さんは本気か冗談か、ニコニコして僕をからかってくる。それを見て微笑む初代さんに、とろろをだらだら垂らすしゅーさん。


「何やってんだよ、もー。あーあ、服汚れてるし」


 布巾でしゅーさんの服を拭いてやるのも久々。久々のこの感じ。僕はホッとしている。

 後は此処に糸魚川が居たら――と、奴の座っていた場所に目を向けた。

 そこにもう1人分の体温があれば完璧なんだけどな。


「やっぱり、1人いないと寂しいね」

「文人くん……ね」


 初代さんも寂しそうに名前を呟いた。しゅーさんは初代さんを見てヤキモチを妬いたのか、ちょっと不機嫌。かわいいとこあるじゃんか。


「要がそういうと思ってさ」


 中也さんはいつのまにか用意していた、黒革の手帳のページを捲り、指で何かを探した。


「あった。これだ。糸魚川の対象だと思う人を見つけたんだ」

「対象?」


 唯一、僕が平成から来た未来人だと告げていない初代さんは首を傾げた。僕は適当に「僕にとってのしゅーさんみたいな?」と誤魔化す。


「それが、白瀬矗。糸魚川は北極に行ったと言っていたが、厳密には途中で北極に行くことを断念してる」

「嘘ついてるってこと?」

「かもしれない。もしくは、南極に到達したと勘違いしているかだね」


 北極と南極。地球の真逆にあるけれど、僕は違いがよくわからない。糸魚川は人の話を聞かない奴だから、なんとなく連れられて、なんとなく「北極っぽい」所に行った! と思っているなら納得する。


「バカっぽそうだもんな」

「アンタ留年してんだから人のこと言えないでしょ」

「ちがっ、出席日数が足りないから留年したんだよ。バカではない!」

「威張んな」


 しゅーさんに刺さる、嫁と天敵からの鋭いツッコミ。久々だなあ、どちらもおっしゃる通り。中也さんは続けた。


「白瀬矗は今借金の返済のために日本国内、台湾に朝鮮半島、満州を講演会のため巡ってる。その白瀬矗が来週、東京に来るんだ」

「えっ」


 糸魚川も借金してるのに、対象も借金してるのか? なんていう組み合わせだ。

 海外にも行っているとなると、しゅーさんとは比べものにならないくらいの額ってことか?

 ?いや、その逆かもしれない。返せる額だからこそ、あちこちを巡っているのかもしれない。


「それでびっくり、この講演会の有志を募ってる。その中に糸魚川がいるとは思えないが、その講演会を奴が知れば必ず会場に現れるはずだ」

「どうしてですか?」


 有志と言っても、金が払われないボランティア。金がない糸魚川が来るとは思えなかった。でもこの策士、文治さんの首を簡単に縦に振らせた実績がある。


「糸魚川は元の時代に帰りたい。だけどその対象が生きていなきゃいけない。4万円の借金を背負った対象が借金苦に行き詰まって死んでいないか、または異変がないか気にならないか?」

「なるほど――え!? 4万!?」


 その額に驚いたってもんじゃない。しゅーさんも初代さんも、会いた口が塞がらない。

 4万円。平成でもまあまあの額だが、この時代は1億越え。どんなことしたらそんな借金背負えるんだ。

 それを返す? 考えただけで自殺したくなる。対象が多額も多額、返し切れない借金を抱えていたら、糸魚川だって名古屋から逃げ出したくもなる。


 アイツも苦労していたんだな。やっぱり何も知らないのに傷つけるようなことばかり言って、僕は最低だ。罪悪感で背中も猫背になって、胸が痛い。


「それで、だ。要の希望通り、今後また生活を共にするなら、糸魚川の素性も知りたい。だから有志の中に誰かを紛れ込ませて白瀬矗に話を聞き出すんだ。それを――」

「要ちゃんにやってもらうのね」


 ご指名とあれば落ち込んじゃいられない。首の関節を鳴らし、気合をいれる。しかし、中也さんはすぐに違うと否定した。


「津島。お前がやれ」

「ハア!? なんで俺が!」


 中也さんが指名したのは、しゅーさん。この中で一番向いてなさそうな人に何故?


「糸魚川はクズだ。借金するわ、女癖悪いわ、酒もタバコもやる。そして態度も悪い」

「誰かさんみたいね」


 初代さんが吹き出す。いいのか、笑って。


「そう。だから糸魚川と鉢合わせた時、要より同等のクズである津島の方が腹を割って話しやすいんじゃないかと思うんだ。お前は普段何もしてないんだから、コレくらいやれよ」

「クズって……」


 しゅーさんは「クズ」の一言にだいぶショックを受けている。僕は「ごめん、庇ってやれない」と謝った。

 彼は裏切り者と言わんばかりに、悔しさと切なさと、やりきれなさを顔に出した。


「要のためだ。やれよ」

「俺、今日、殴られてきた、ばっかり、なんだけど……」


 今日殴られて出来た青タンを恐る恐る見せつけると中也さんは「やれ」と高圧的に命令した。怖いけど、かっこいい。


「そもそも自分の借金のせいで殴られてんだから、このくらい、日頃の恩返しだと思ってやってやんなさいよ」


 初代さんの一押しもあり、しゅーさんはさっきと打って変わって力強く「わかった」と頷いた。


「要は何もしないのか?」

「何もさせない。要は俺の隣に居てもらう。いいか、今回は、絶対に」


 一言ずつ、圧をかけ、しゅーさんに顔を近づけながら、最後に――。


「た、よ、る、な、よ」


 きつく、しゅーさんに1人でやれと突き放した。

 しゅーさんだけじゃ心配だけど、今回は表に立ってもらうことにする。


 さて、背広の準備してあげないとね。

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