72恥目 今日だけ僕らは皆別人

 

 いよいよ迎えた、糸魚川文人の対象者である「白瀬矗」の講演会の日。


 朝早くから会場付近の喫茶店で僕らは最後の打ち合わせを行っていた。今回はしゅーさんがキーパーソン。うわ、キーパーソンとかカッコいい。僕も言われたい。なんてそんなのはいいんだよ。


 今回、中也さんの読みが当たればしゅーさんに全てがかかっている。糸魚川に帰って来てもらうのに、失敗は困るのだ。


「いいか、俺が言った通りにやれよ」

「指図すんな!」

「まあまあ、今日は中也さんの言うこと聞いてさ。じゃあ最後におさらいね」


 しゅーさんは普段の着物姿から、もしゃもしゃの髪の毛を整髪料を使って整え、スーツは寝押しでシワを伸ばし、ピッカピカに磨いた革靴にフォーマルチェンジ。


 僕はちょっと、ほんのちょっとドキッとした。決して男性として見た訳ではなくて。

 いつもオシャレに気を使ったりしてはいるんだろうけど、生活を知ってるからか、すごくだらしなく見えていたんだ。

 でも、きちんと正装に身を包めば様になって見える。


「普段からそうしてりゃいいのになぁ」

「余計なお世話だ!」


 ハイ、余計なお世話です。さて、僕らに時間はありません。講演会の時間は刻々と迫っている。犬猿の仲の2人による、予行練習開始です。


「じゃあまず1個目。今回、有志に参加する理由は?」

「糸魚川を連れ戻すため」

「ちがっ……お前本当に役に立たねぇな!」

「じーじーつーでーすー」


 中也さんは教えた事とは別な回答がきた事に怒り心頭。喫茶店のテーブルを思い切り叩く。しゅーさん、まだ1個目だよ!


ちなみに正解は、「白瀬さんの南極到達達成のお話を聞いて、大変感銘を受けました。是非、憧れの白瀬さんのお役に立てればと有志を志願、お手伝いさせて頂きたく駆けつけた次第です」。


 これが模範回答。最初から白瀬矗に糸魚川の事を聞くのはリスキー。だから始めだけ、尊敬しています! と言うことをアピールして距離を縮める。


 講演会準備開始から終了まで、約8時間。だから最初が肝心なのに!もう!


「じゃあ次、ね! 今回しゅーさんが使う偽名は?」

「津島修治」


 顔の早口。腹立つわぁ。僕もこめかみに力が入る。


「じ、つ、め、い!」

「太宰治」

「自分を売り込むな!」


 ツッコミながら頭を抱える中也さん。

 それに反抗するように、捻くれて、コーヒーを飲みながら本当の事しか言わないしゅーさん。自分が行った方がいいんじゃないかと、思い始める僕。

 

 正解は「黒木舜平」。

 どうしてこの名前を使用するかといえば、しゅーさんはある探偵小説を書いた。

 だけどあまり気に入らなかったみたいで、このペンネームのままその作品を発表している。


 そのためだけの名前。なら別に使っても問題ない。万が一、有志名簿を糸魚川が見てしまった時、本名や太宰治の名前では糸魚川が警戒する。

 でもこの名前なら大丈夫。尚更、今日は正装であんまりしゅーさんってわからないし・・・・・・のはずなんだけど。


「俺が行こうかな……」


 中也さんはしゅーさんのやる気のなさに呆れて下を向いてしまった。そうですよね、そう思いますよねと、言いはしないけれど、激しく同意した。


 で、僕の兄はその諦めをどう捉えたかというと。


「おお、おお! お前が行けよ中原! どうせちっさい背のせいでバレるに違いないけどな!」

「あぁ!? やんのかコラ!」


 すぐ喧嘩する。お互いに胸ぐら掴んで声を荒あげて、ファイティングポーズ。


「やめろよ! もういいって、僕がやるよ。こんな事あるかなって思って、初代さんから着物借りてきたんだ。女になればバレないだろ!」


 “生出要“として行けばバレるだろうけど、女装に髪を結って、少し化粧をすれば上手くいくかもしれない。


「死んでも行かせない。あの糸魚川に会った時に下半身が真っ先に反応して要を襲うことがあったら俺はアイツを本気で殺す。アイツを殺して津島も殺す」

「台詞はっや」


 しゅーさんも驚く、目を見開いて瞳孔がバッチリ開いた中也さんの通称・ガチモード。


 ダメだ。女装して糸魚川に話しかけられた時点で、あのメガネには「死」しか待ってない。


「他の連中が要を可愛いと思ってしまったら? 司にアレ借りてくるんだったな、そうしたら要を可愛いと思った奴はとにかく撃ち殺……」


 1人でブツブツ起きてもいない事に殺意を覚える中也さん。この人めちゃくちゃ嫉妬深いんだった。

 しばらく会ってなかったから忘れてたけど、余計なことを言ってしまったと後悔が止まらない。


「あまくせ、俺が行こう」

「そうして、マジでそうして」


 何かを察したしゅーさんは、自ら進んで有志へ行く事への意思を固めた。目で何を言いたいのかよく分かる。


 ――中原中也が1番ヤバイ!

 僕としゅーさんは同じタイミングでコーヒーカップに手をかけて、苦いブラックコーヒーを一気飲み。


 それでは、気を取り直してまいりましょう。


「よ、よし、しゅーさん。最初からどうぞ」

「俺は黒木舜平、白瀬矗に憧れて有志を志願した青年、距離が縮まったら糸魚川の友人を装って素性を聞く。糸魚川に会ったら、とりあえず現状確認……これであってるか」


 さすが天才。バッチリ記憶してる。よくできましたと、控えめの拍手を送った。

 さっきのは中也さんの言うことを聞きたくないがための茶番。やればできる子、津島修治!


「要に惚れたら殺すからな!」

「まだ言ってんのか!」


 女装するなんか言うんじゃなかった。しゅーさんより手に負えない。



「ちゃんと結果出せよ」

「出来る限りはやる。しかし、思ったより有志が多くて不安だがな」

「いい感じの好青年で行けば大丈夫! 笑顔ね、笑顔!」


 喫茶店の中で時刻を確認すると、いよいよその時は来た。3人で居ると目立つので店内でお別れ。有志は少ないと思ったが、南極という未知の世界に興味を持つ者は沢山居るようだ。


 その中で1番に距離を縮め、糸魚川に関する事を引き出す。なかなかハードルの高いミッションだ。


 喫茶店を出て行く後ろ姿。まるで映画の主人公のようにカッコいい。今回はきっと大丈夫だと確信した。

 しゅーさんがきっとなんとかしてくれる、と。


「さて。あとは講演会が終わるのを待つだけか」

「僕らはどうするんですか?」

「せっかく女物の着物があるんだ、デートでもする?」

「は?」


 殺気の湧いた中也さんは何処へやら。僕の女物の着物姿が見たいと言って聞かない。


 もしもの事を考えて持って来た物だけど、私も乙女な所があるんだろう。

 ちょっとだけ着てみたいなぁという気持ちがある。昭和に来てから一度も着ていない女物の服。


 デートとは言わずとも、この着物を着て歩いたらそれっぽくなるのでは? 私も下心丸出しだ。中也さんに女として見てもらいたいと思っている。


 でもそんなんじゃ、頑張っているしゅーさんに申し訳ない! ならばと考えた、こじつけのような作戦を振りかざしてみる。


「僕、この着物着ます! この格好で講演会に潜り込みましょう! 周りに糸魚川が居ないか探すんです!」

「それはさっきも言ったけど――」

「知ってますか? 糸魚川って巨乳が好きなんですよ」


 中也さんの言いたいことはわかってる。

 でも、惚れるなんてない! だって糸魚川は乳がデカイ方が好きなんだもの! 初代さんも薫も、それなりにある! しかし、僕には、無い! ちょっと膨らんでるなと思いきや、そりゃ固い固い筋肉、胸筋!


 悲しいですね。事実です。平成では小学生用のスポーツブラを着けていたけれど、スカスカで邪魔くさいと感じていた。無いのに邪魔って何?


 中也さんは僕の胸を見て、察したようで気まずそうな顔をする。


「あ……そっ、か。で、でも、なんだかんだ言っても、胸の大きさじゃ無いから、さ。その・・・・・・」

「別に貧乳である事は気にしてませんよ」

「あ、そう……?」 


 彼はそういう事ならと、納得した。僕は本心で潜り込みたいと思っている。


「夫婦と偽って潜り込めばいいんです! 中也さんも格好少し変えてくださいね!」


 設定というなら、夢くらい見させて頂きましょう。

 糸魚川に会ったら、絶対に見抜かれないような振る舞いをする自信がある。最初からこうすればよかった。


 早速、喫茶店を出て、近くの雑貨屋や商店を見回り、中也さんの格好を変えた。

 普段は茶色い背広の中也さんに水色のセーターを着てもらって、さらに伊達メガネをかけてもらう。

 髪の毛はしゅーさんに使った整髪料でオールバックにした。


「よし、大丈夫。全然中也さんに見えない」

「伊達メガネ、なんか嫌だな」


 それは糸魚川もかけているからだと思うけど。今は何が嫌とかじゃないんだ。


 僕も着物に着替え、顔にクリームとおしろいにチークを少し。それから真っ赤な口紅を引いた。

 髪はハーフアップに結んで、雑貨屋で買った安くて大きい赤リボンを飾った。着物と羽織りは緑。

 服屋に姿見を借りて、全身を確認しながら支度した。全く別人、こりゃ騙されるぞ。

「男の人なのに、女性物がよくお似合いですね」と言われたから安心だ。


 実は女なんですけどね。


「中也さん、お待たせしました!」

「要?」


 服屋から女装姿の僕を見て、目を丸くして驚く中也さん。その辺の女性達と比べたら化粧も荒いし、肌も汚いからあんまり見ないで欲しいけど。


「さ、行きますよ。ちょっと探偵っぽくて、気分がいいんです! しゅーさんに負けてられませんから!」


それを誤魔化す為に、僕、いいえ、私は駆け出すのです。


「待って」

「中也さん」


 彼が私を引き留めるから、わかるんです。女装にコメントしたいこと。痛い程わかるんです。


「要、その、着物姿――」

「言わないでください! 私、中也さんが言おうとしてることわかるんです。きっと本当に女の子にされちゃうんだよ、今日一回きりなのに、無理、心臓持たない!」

「いや、あの」


 私の苦労も知らずにこの人は続けるの。本当に罪な男、好き!


「左前だから死装束になってるよ」

「え」


 指摘されて胸元を触ると確かに左前。てっきり「可愛い」とか言われるんだと思ってた。勘違いですね。


 何も言わずに服屋に回れ右をしました。一気に全ての熱が覚めて、頭が冴えています。

 何を舞い上がってたんですかね。お恥ずかしい。


 なんか、冷静に物事進められそうです。

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