59恥目 花街、信頼構築巡回大作戦

 五反田、花街――夢の飛び交う、夢と快楽の街。店の灯りは夢の数。道行く夢探す者を誘う、夜の蝶。

 一晩限りの恋愛ごっこ。その中で何度繰り返される愛の駆け引き。


 その街の秩序を守る、僕ら花街巡回治安隊。この隊に名前は無かったが、皆そう呼ぶようになったと聞いた。


 紺色の法被と赤い提灯を持ち、一晩中街を練り歩いて、街の平穏と人を助けるのが仕事。夜の仕事は時給が高いので人気の職だが、この仕事は案外危険な所もあるから辞めていく人も多い。


 そんな僕が1年以上続けている仕事に、今夜から吉次も就くことになった。


「要の紹介なら、すぐ辞めることはないな」

「僕みたいに金には困ってないけどね。人生経験ってとこかな。管轄は僕と一緒でいいよね」

「新人だ、良いも悪いも教えてやれ」

「さんきゅ」


 僕らの隊は、花街の入り口に小さな事務所を構えている。

 厳つい顔にガタイのいい、如何にも強そうな「隊長」と呼ばれる中年男性に吉次を紹介し、働く許可を得た。

 吉次用に法被と提灯を借り、簡単な規則を説明される。彼は必死にメモを取っていた。


「後は街に出たら教えてやるよ。何もないのが1番平和だけどね」

「何もないのは困ります!」


 治安隊的には何もない方がいい。警察や火消しと同じで、忙しくない方がいい職種なのだから。

 しかし、吉次は薫に会いたいという目的があるため、良い評判を積み重ねていかなければならない。


「そう焦るな、兄ちゃんは穏やかそうだから、ゆっくり要を見て覚えたらいい……ところで、あちらさんも要の紹介か?」

「え?」


 隊長が外を指差す。

 僕らがそちらを向くと、事務所の入り口に体半分だけを見せて、ジト目で僕らを見る中也さんが居る。


「寝ててくださいって言ったじゃないですか!」


 明日も仕事なのだからと、僕は中也さんに近づく。すると、右腕を掴まれ引き寄せられた。

 顔と顔の距離はお互いの肌の熱を感じられるくらい近い。


「あの女に会ったら、誰が要を守ってくれるんだ?」

「ぼ、僕自身で守りますよ。もう刺さないだろうし――てか、顔が近いです」

 

 薫と会うとなれば、吉次がメインとなるので、僕はそこの心配は一切していなかった。

 警察にこっぴどく絞られただろうと思っているのだ。きっとあの子はヤバイ奴だが、馬鹿ではない。


 しかし中也さんは――。


「そういう所が怖いんだよ。俺はアイツを信用してない。なあ、金は要らない、付かせてくれ」


 隊長に一言それだけ言って、僕を守るためにわざわざ夜の五反田へ出て来てくれたという訳だ。


 僕も信用されてないのだろうか。僕は僕自身を守れるくらいは出来るのに、と小言を言うと、吉次が「要さんが強くても弱くても、中也さんは要さんの側に居たいんですよ」と耳打ちする。


「でも明日、中也さん仕事だし」


 それでも中也さんの体が心配だ。疲れているところに疲れを重ねたら、過労で倒れてしまうかもしれない。私だって彼に万が一があれば嫌なんだ。

 自分が傷つくよりも悲しいに決まってる。


 それよりも花街の女性に見られたくないのが本当だけど、とは言わずに黙った。


「要さん、中也さんは要さんが心配なんですよ! なんでわかんないんですか?」

「吉次くん? ちょっとバカにしてる?」

「バカになんかしてません! 本当にわかんないのかなって!」


 言い方に悪意を感じる。


「……本当は変な虫がつかないか、心配なんだよ」


 耳うちで、コソコソと本当は、なんて言われたら、僕の負けだ。

 中也さんの気が済むならと、僕は仕方なく承諾。3人で花街を巡回する事にした。



「要くん久しぶり! 最近見なかったからお嫁さんもらったのかと思っちゃった! ねぇ、私と遊んでいかない?」

「悪いけど、新人研修中なんだ。またね」


 気に入られたらこう言われることもあると見せ、笑顔でさらりと交わす。


「要さん」

「ん?」


 女給や遊女、使用人。顔の知っている人には大体声をかけられる。その隙間に吉次から声をかけられたので、僕は吉次の方に耳を傾けた。


「僕、要さんみたいになれるんでしょうか」

「口を挟んで悪いが、吉次には難しいんじゃないか? 要の様に誰とでも話せるタイプじゃないぞ」


 始まって間もないのに、不安を口にする吉次は昼間の姿と同じ表情で、両手で提灯をしっかりと持ち、下を向いていた。背中を丸め、揺れる提灯の火を見つめている。

 自信が無いというのが、嫌と言うほど伝わってくるのだ。


「僕も最初はこんなに話せてないよ。本当、積み重ね。信頼を積み重ねて行くって言ったろ? 1からじゃなくて0から! 出来ないだらけで当たり前なの! こんなんで愚図ってたら、薫に会えないぞ?」

「そ、それは困ります! 死んでも頑張りますから、お願いします!」

「よし! めちゃくちゃ頑張れよ!」


 吉次に喝を入れてやる。彼は素直な所が取り柄だから、きちんと理由をつけて言えば、すんなりわかってくれる。


 僕はいつもと変わらないバイトだが、吉次にとっては試練のような物。焦るのもわかるし、自信がなくなるのもわかっていた。


 だが、薫という女はそれすら乗り越えて行かなければ、易々と話を聞いてくれる奴でもないだろう。

 吉次が恋した女は、この街に来る人にとっては高嶺の花。そう簡単に手に入る花ではないのだから。


 ならば小さな花から慈しむ。好きな女ばかりに優しくしては、スタートラインにも立てちゃいない。


「女の子が助けを求めて来たらまずは匿ってあげること。その場で話を聞いちゃダメ。追われる理由はいろいろあるけど、まずは守ってあげる。安心させてやるんだ」

「それがもし、女性に非があってもですか?」

「そうだね。僕はまず彼女らの命を守ることが1番だと思ってる。彼女に非があったとしたら、一緒に謝りに言ったり、仲介人を立てたり。やり方はいくらでもあるさ。もし迷ったら隊長に相談」

「はいっ」


 吉次のいい返事。

 僕は得意げに逃げ道や、匿ってくれる店、宿を順に紹介した。


 助ける時にかける言葉は出来るだけ優しく、女性が悪くても責め立てない事。

 着衣が乱れている時は法被を被せて、抱き抱えて救う事。


 僕が実践している方法は全て伝えた。それを何日も何日も繰り返し教え、時々本当に助けながら教えたりもした。


 働き始めて約ひと月。彼もだいぶ成長し、ちらほら吉次を知る者も現れ始めて効果バツグン。

 真面目で素直な吉次の評判は非常に良かった。背も高いし、普通体型だけど男らしい筋肉もある。文句なしの良い男!


 一方で中也さんは決して吉次に手を貸さなかった。


 しかし、僕の横にピタリと張り付いて、酔っ払って僕を女だと思った男性客が絡もうものなら、ガンを飛ばし、近づかない様に守ってくれる。

 

 だけど彼も少し有名になったために、ファンがいるようで複雑な気持ちにさせられた。中也さん目当てで寄ってくる女性達には、表面上笑顔で接する。仕事だから。

 

 実際、心の中では中指を立てて「お前の顔覚えたからな! 下手な事したら、そういう時に助けてやんないからな!」と暴言を吐いた。

 仕事だから、我慢するけど。仕事だから。


 平和な日は本当に何もない。3人で話をして終わるだけの日も幾度となくあった。


 ――しかし、そんな静かな日が続けば、突然大事件が舞い込んでくるもので。


「要くん、要くん!」

「おお、こんばんは。煙草屋んとこの女将さんの店の、えっと和子さんだったかな」


 ある晩、血相を変えて裸足のまま僕を呼ぶのは、顔のアトピーが原因で酷い扱いを受けたところを助けた元女給・和子である。


「そうです! ねえ大変なの、華恋ちゃんが!」

「華恋が?」


 緊張が走る。ついに来たかと。華恋こと薫に、何が起きているのか。


「ど、どっちですか!」

「お屋敷の方! 今は飛び出して行ったからわからないけど、なんかマズイ人を怒らせちゃったみたいで、殺すって言ってるのよ!」


 吉次は早かった。

 場所を聞いてすぐ、提灯も投げ捨てて、僕らのことも見向きもせず屋敷の方に全力ダッシュ。


「あのバカ!」


 感情だけで動いたのだと中也さんは察したのだろう。彼も吉次に続いた。


「和子さんは大丈夫?」

「私は大丈夫、それより早く、早く行って! 本当にマズイの!」


 ただ事ではない。彼女の顔と周囲のざわめき。逃げてくる人までいた。だから、どれだけよくない相手かすぐに分かった。


「ヤクザ!」


 まずい。薫だけじゃなく、下手をすれば僕らもやられる。いつの時代もヤのつくご職業の方は恐ろしい。

 どんな女給でも刃向かい、気に入らなければ暴力は当たり前だって聞いた。

 実際、それが原因であのお屋敷から出られなくなって、外が怖いと言う女給もいるくらいだ。


 和子さんの話は本当のようで、噂を聞きつけた治安隊の面々が総出で街を駆け巡る声もする。


 和子さんを近くの店に隠し、僕も2人を追った。

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