52恥目 花街の華


 気絶した薫の顔は、まるで眠り姫のように美しかった。僕を襲った狂気も、美しさを引き立てる芸術の一種に錯覚する程だ。とにかく肌が綺麗で、女の僕でも魅入ってしまう。


 彼女の体を初代さんと糸魚川、そして僕の3人で囲む。


「ねえ、この子、花街の子じゃない? 着物がいつもと違うからわからなかったけど、多分人気の子よ」

「んん? ……お、マジじゃん。しかも俺、この姉ちゃんに何回も断られてるわ――でもよォ、名前は薫じゃなかった気ィすっけどな」


 花街に友人が多い初代さん、それと花街に通う糸魚川が顔を見て間違いないと頷いた。花街の中で出会っている子でも、街の中と外では別人だと言い張る子だって沢山居る。花街で使う名前はいわば源氏名で、その場限りの名前。

 顔も化粧で大分変わるので、この子の顔はを見てもわからないのはしょうがない……と思いたい。


 もっと言い訳すると、生憎、バイト中の僕の頭の中は常に金の事としゅーさんの事ばかり考えていたし、本名と源氏名、どちらの名前を言われても覚えていないのが正直だ。耳は聞いても、頭は聞いちゃいない。

 このポンコツ海馬さんたら、日常に関わらないことはインプットしちゃくれないのです。


「しかしなんで花街の一番がお前を殺しに来るんじゃ。兄弟揃って女癖が悪いんか? なんかやったんじゃろ? 文治さんがすっ飛んでる来るぞ」


 司は救えない兄弟だと呆れ返って、僕ら兄弟を軽蔑する。長兄という存在を思い出したしゅーさんは一瞬でやつれ、溜息をついてちゃぶ台に顔を突っ伏した。


 自分の事でなくても会えば絶対に何かと理由をつけられて、文治さんからの圧が掛けられると考えてるのだ。きっとそのせいで大学に行っていないのもバレて・・・・・・だとか、とにかく自分の保身を考えているに違いなかった。

 しゅーさんには助けてくれた事には感謝しかないが、この時に彼が恐れているものは文治さんだ。こんな事もあれば、鬼の形相で上京するのは必然。

 

 けれど今回は本気でしゅーさんには関係なさそうだ。彼女は明らかに僕を狙いに来たのだから。いくら兄弟と言えど、血の繋がりの無い僕らは顔のパーツが似るはずがない。だから彼女が人違いするなんて絶対にありえないんだ。


「僕も何かした記憶は無いよ」


 僕は体の前で手を振って潔白を主張する。事実だ。本当にわからない。ちょっともそっとも、この子については知らないのだ。


「そうねぇ、兄が兄なら弟も弟かしら。悪いことしたんでしょ」

「初代さんまで疑うんですか!?」


 だって、とちゃぶ台に頬杖をついて、初代さんが過去の苦手思い出を掘り起こし、眉を潜めた。鎌倉のことや、借金をして学校をサボり、娼婦のところで遊んでいること、その他諸々亭主の悪事を惜しげもなく語る。

 だからきっと、弟である僕も似た様なことをしたのだと主張するのだ。


 「そんなの言いがかりだ!」と大声を上げる。足のことも忘れて勢いよく立ち上がると、痛みが襲いかかってきた。よろりと後ろに倒れそうになったところで、すかさず中也さんが体を支えてくれた。


 僕を支える彼の手は、まだ震えていた。お礼を言って顔を見ると、怒りを抑えるのに必死なようで、下唇を噛み締めては指先に力が静かに入る。


 一体どれに怒っているか。多分、疑われているのも、殺されかけたのも全てに、だ。

腕に指が食い込むように握られるのが、痛いのに嬉しいなんて言ったら変態だろうか。


 「要に限ってそれはない、絶対にない」


 人を殺してしまいそうなドスの利いた声。今回は茶々なんか入れられるようなトーンじゃない。場が凍りつきそうになるのを、先生が阻止する。


「僕も、要さんに限って修治さんみたいな事はしないと思いますよ」

「人聞きの悪い。あまくせがたぶらかしたに決まってるね」

「あなたとは全く人が違うじゃありませんか。ご自身が一番わかっているはずですよ?」


 こういう時の先生が一番頼りになる。正論にしゅーさんは何も言い返さなかった。冷静に物事を整理して、客観的に物事を見る。感情で動かないから、先生に任せておけばそれとなく解決して来た事は山程あった。


 信頼と実績の宇賀神拓実です。

 それに比べてうちのお兄様と来たら僕を売るような事を言うのだから、さっきまでの感謝も音を立てて薄れる。


「動機はわかりませんが、彼女の一方的な好意にも見受けられますし。文人くんは彼女の事知ってるんですよね?」

「おう。結構有名なんだよ。なァ、姉さん」


 初代さんは頬杖ついたまま、そっけない返事だけ返す。後でフォローしないと。何か物でも渡したら、機嫌を直してくれるかな。

 

 その初代さんの隣で、糸魚川は自慢げに花街で得た「華恋」という女性の情報を話し始めた。

 彼女は「五反田の花街の一番」と言っても過言ではない、その顔を見るに華の恋と書いて「華恋」と名乗る女給。平成でいう風俗嬢だ。エロいことをしても大丈夫なカフェだけを毎晩店を変えて渡り歩き、「エロのフリーランス」として自らを名乗り、その名を轟かせている。


 愛嬌があり、顔も体も言うこと無し、それでいて床上手。神出鬼没で、いつどの店に飛び込みでいるかわからない。会えたらラッキー。

 しかし、金を積んでも必ず「そういう事」が出来るわけじゃない。華恋の好みによって客は選ばれるので、客と店員の立場が逆転する。自分に自信の無いものは金を積むしか出来ず必死になるが、結局金だけを店に持っていかれて破産。彼女はこれまで何人もの男をそうさせて来た。


 しかも一度華恋に認められたからと言って、二度三度会えるわけでもない。

 行為が終われば花のような笑顔で見送ってくれるが、その最中が気に入らなければ、決して再度相手にはしない。もし再会した場合、カフェで華恋から水が差し出されたら「合わなかった」の意だと噂されているらしい。逆の意味は知られていないが、とにかく彼女をしつこく追う男は多い。


 糸魚川自身も会えても愛想笑いだけされて、散々金を擦って来たようだ。


「つまり俺も、この女のおかげで金がない。一瞬取り立て屋かと思って焦ったぜ」


 メガネをクイと上げてる仕草をする。伊達メガネのくせに俺の役目は果たした戸言いたげな顔をして、ドヤ顔だ。


「何しれっと借金しとんじゃ」

「うちにはアテがあるからな、安心安心! なっ、兄さん!」


 ガハガハ笑う糸魚川は幸せそうだ。借金を自分で返す気はない。しゅーさんが借金しても、僕や文治さんからの仕送りでなんとか返済しているのを知っているから、それをアテにしているのだ。このクズめ。


「はあ」


 元旦早々、心労が増えていく。今年は厄年すぎる。刺されたことよりも借金が増えたショックに耐えきれず、僕は膝を落とした。今回も金で解決しなければいけないような内容かもしれない。

 顔を覆い、一つずつ問題を解決していこうと華恋という女給と会話したことがあるか、記憶を漁った。


「華恋、華恋……あーだめだ、全然思い出せない!」


 僕の2度目の大声で、縄で足と手を括られた薫は目を覚ましたようだ。まだ気が遠いのか、目を細め、状況を把握しようとしている。僕は彼女の目の前に膝を立て、目を見つめた。朦朧とする彼女と暫く見つめ合うと、薫は状況を理解したらしく、突然わぁっと泣き出した。


「ウエーン! またやっちゃったぁ!」


 明らかに先程とは違う。光の無い目ではない、潤んだ瞳にパッチリした大きい目。睫毛の量が多いせいか、余計そう見える。そして何度もごめんなさいとマンドラゴラを彷彿させる様な悲鳴混じりの泣き声。

 近所迷惑はお構いなしに、感情を剥き出しにしてガラスが揺れる程大声量でわんわん泣く。


「ええい、うるさいのぉ! さっさと警察呼べばよかったのに、泣いて許されると思うちょるんじゃろ!?」


 司は指を耳栓がわりしながら、薫に負けないくらいの大声で叫んだ。


「思ってないもん! でも要くんが嘘ついたのはホント!」

「コイツ、反省しちょらんわ!」


 司が警察に行ってくると羽織りを着る。薫は体をバタバタさせてそれを阻止しようと必死だ。


「あーっ、待って! ね、ねぇ、お兄さん! 薫がタダでヤったげる! それで許してよ!」


 ゲスい交渉の仕方だ。体で何とかしようなんて、司に通じるわけがないのに。


「性欲は薄い方じゃ。それに曲がった考えは嫌いでのぉ」


 やっぱりそうだ。司は曲がったことが嫌いな定規のような男。しかし、その真逆の男ももちろんいる。


「まあ待てって。タダでさせてくれんなら話くらい聞いてやろうじゃねぇの。童貞なんだろ? 卒業のチャンスじゃんかァ。大人の階段掛けあがっちまえよ」


 司の肩を組み、自分の快楽を満たそうと企む糸魚川は薫の味方についた。勢いよく腕を振り払う司は、話にならんと言って、僕に「お前が決めろ」と言う。


 僕は悩んだ。自分を殺そうとして来た相手だし……でも、要くんが嘘ついた! なんて言われたら、話を聞いてあげなきゃいけない気がする。彼女だけのせいにするのは気が引けるし、仮にそうしようと思うと罪悪感が残るのだ。


「僕が何かしたって言うなら、話くらいは……ね?」

「相変わらずお人好しですね」


 先生はならばと、条件付きで話を聞くことにしてくれた。

 初代さんは怖い顔のままで表情は変えない。しゅーさんの弟である僕を今回ばっかりはどう言っても信用してくれていないようだ。


 残念な事に女性が絡むとどうも出来ないらしい。そもそも初代さんが味方してくれないのはしゅーさんのせいだ。なんて言ってやりたいけど、しゅーさんも大ダメージを喰らっていてとても責める気にはなれないし今回の事は、ほぼ濡れ衣に近いのだから、責めるのもおかしいか。


「ねえねえ! 薫のお話聞いたら、絶対、要くんがいけないってわかるもんっ!」


 それに薫があんまり必死に真っ直ぐ訴えてくる。こんなに僕が悪いと言われたら本当にそんな気がして、参っちゃうよ。

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