51恥目 元旦、血ドバドバ
殺せるなら、殺してみろ! ――などと、大きい声で言える状況じゃない。
いくらなんでも刺身包丁はヤバイって。薄く細長く、刃の反りがない。それが胸に刺さったら一溜りもない。即死が決まっているようなもんだ。
それに元旦が命日なんて絶対嫌だ。もちろん死にこと自体嫌だけどさ。足や手なら時間をかければ治るだろうけど、命の蘇生は不可能だからね?
もしかすると、外の騒動は彼女だったのかもしれない。包丁の刃を丸出しにして町の中を歩いてくれば当たり前に騒然とする。
その原因が僕のようだけど、一体何をした? わざわざ殺しに来るくらいだ、よっぽどの何かをしてしまったたんだ。でも僕はこの子のを知らないし、何を思わせてしまったのか心当たりがない。とにかく今は殺されない方法を考えなければ。この子を沈める何か言わなきゃ、本当に状況がまずいぞ。
「き、君に愛されるような人間じゃないと思うけど……」
「ううん、薫知ってるもん。要くんが教えてくれたんだもん。薫は間違えてないよ」
べっとり血のついた手で頬を撫でられる。寿命が縮まっていくようだ。生暖かい血が気持ち悪い。
「要さん!」
「来るな!」
騒ぎに耐えられなくなった、先生達が居間から出て来てしまった。僕は必死で大声を出して、これ以上の事が起きないように「その場で止まれ」と強い口調で言った。
しかし、先生達が止まっても1人は止まってくれない。
「そりゃいけん中也さん!」
「何処から持って来たんですか!」
司が食い止めても、あの人は止まらない。糸魚川を殴った時とはまるで違う。瞳孔が開いている。その手には、刃物と同じくらい恐ろしいものを握っていた。
「わしのピストルじゃ。持っちょったの知っちょったのか」
司が遠出する時に持ち歩いているピストル銃だ。それがあるのを知っていて、無言で薫と名乗る少女の頭を狙い銃口を向けている。
「ずるくない? 薫は近距離だよ?」
「要から離れろ」
「……はぁ、本当に薫のこと殺しちゃいそうな目をしてる。薫、死にたくないから此処に来たのに」
冷たい視線と冷たい視線。
彼女はピストル銃を見ても動じない。互角に戦える、そう言いたそうだ。
「欲しいのはお金、ですか?」
先生は聞いた。
「へ? 要らないよそんなの。薫はお金、沢山あるもん」
彼女は鼻で笑って、冷ややかに返す。
「コイツに、恨みが、ある、とか、か?」
糸魚川が確かめるように、一言ずつゆっくり尋ねる。
「そうだよ! 薫の事助けてくれるって言ったのに、勝手に居なくなっちゃうんだもん! 酷いよ!」
少女は途端に感情的になり、僕を床に倒すと今度は彼女が馬乗りになって、顔の真横に包丁を突き刺さした。
それを見ていた初代さんが悲鳴をあげる。ああ本当に、心臓に悪い。
「ま、待って。僕が助けるって言ったのかい? 君に?」
「うん」
「何処で?」
「もう! 何にも覚えてないじゃん!」
彼女がまた刺身包丁の柄を握り、振りかざす。今度はどこだ、次こそ胸か。刃物の動きを追いかけるのに必死だった。
カチャとピストルの動く音がすると、また騒がしいドタバタとした足音が一緒に聞こえる。
「あまくせ!」
皆の間を走って来たしゅーさんの手から、何か黒い物が少女の後頭部目掛けて、それは早く、早く飛んでいった。大きめの石を投げたような鈍く重たい音がすると、彼女の頭に命中。それは床にまた大きな音を立てて転がる。
「よし!」
薫は何も言わず包丁を手から落とした。彼女の体は馬乗りになったまま、僕の顔の方へ勢いよく倒れ込んできた。危ないと、咄嗟に彼女の体を受け止めるが、ピクリとも動かない。どうやら気絶しているようだ。彼女も後頭部から血を流している。
薫の頭に命中したのは、しゅーさんが愛用する硯。しゅーさんが僕を助けてくれたのだ。
「あぁーよかった……」
しゅーさんはヘナヘナと廊下の壁にもたれ掛かりながら座り込み、大量に出た汗を腕で拭いた。普段は自分から動く事は無いに等しいのに、僕を助けるために勇気を振り絞ってくれたのは本当に嬉しい。
中也さんもピストル銃を司に返して、僕の所へ来ると「死んじゃうかと思った」と皆には見えないように安心したような泣きそうな顔をする。僕の腕の中に居る薫を適当に放り投げて、僕を抱きしめるのだ。恥ずかしいドキドキではない、命を脅かされた時のドキドキ。
命を狙われるのは2度目。その都度、僕は大怪我をする。
とりあえず痛い足の甲をどうにかしてくれないだろうか。元旦から大量に血が出ているの、すごい嫌なんですけど。
それにしても、この少女は一体何者なのだろう。僕は彼女をふと見ると、崩れた着物から、何か植物が見えたのを見逃さなかった。そっと、千切らないように引っ張り出してみる。
白い鈴のような花が連なって、下を向く可愛らしい花。その花の名は、多くの人が知っている事だろう。
「これは、スズラン……?」
これを持っているということは、彼女もまた、平成から来た迷子か。
僕はこの子に殺されそうになったのに、彼女が平成の子だったらと考えると憎む事が出来なかった。
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